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偽りの火の鳥 幕末編  作者: そのえもん


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第五章 函館編その9 鬼の目にも涙

 翌日も、さらにその次の日も、土方達は驚異的な粘りを見せた。死中に活を見出す戦い方を覚えた鉄之助はより鋭く、狡猾に立ち廻って戦う。カピウの猛毒散弾も敵兵から恐怖の対象として捉えられ、前線の局所的な駆け引きに大きな主導権を得た。

 しかし、他の防御線や陣地が破られるとそうもいかない。こちらに押し寄せる戦力は日に日に増えていく。こちらも士気では負けていないが、補給が厳しくなりつつあった。

「俺と鉄があと三人いりゃあな……」

「いやぁ、土方さん同士はすぐ喧嘩しますよ」

「……うるせえ」

 カピウが背後で盛大に吹き出した。これだけ心に余裕があれば、まだ戦える、土方はそう信じていた。

 しかし、いかんともしがたい物量差は、こちらをジリジリと押し込んでくる。

「……俺が出る」

 土方は歩兵の先頭に立った。誠の旗は二度翻り、共和国軍は再び攻勢に出る。

 だが、決めきれない。如何に叩き潰しても、翌日にはそれ以上の戦力が押し寄せて来るのだ。倒せない相手よりも、倒してもきりがない相手の方が、あるいは精神を疲弊させる。

 まるで、不死身の軍勢を相手にしているようだった。

「不死身の軍勢ってか……こっちにもあれば、あんな奴ら蹴散らせるのによ」

 懐にしまった革袋を握りしめる。これがせめて百人分もあれば、ここを打開できると言うのに。


「遂に来たか……」

 土方は苦々しく呟き、鉄之助は青い顔をしていた。五稜郭からの伝令である。榎本が戦線を縮小すると言い出したようだ。

 大鳥圭介のいる弁天台場と、榎本のいる五稜郭に戦力を集中し、それぞれ迎え撃つ計画だ。すなわち、この二股口を放棄せよと言うことだ。

「おかしいじゃないですかッ!」

 鉄之助が珍しく声を荒げた。

「あなたは伝令でしょう?日頃何を伝えているのですか?榎本さんに、私たちが昼寝でもしていると伝えているのですか?

 ほんの僅かな手勢で、連日新政府軍を食い止めている我らに引け?五稜郭を守れ?

 馬鹿げている!土方さんも、兵たちも、もちろん私も、五稜郭を守るために命の極限で戦っているのだ!それを……それを簡単に放棄しろだと!

 嘘でもいいから言ってみろ!戦って死ねと!」

 拳を握りわなわなと震える鉄之助。小柄であるがその分怒りの密度が高く、肩から陽炎が立ち上るようであった。

 このままでは伝令に斬りかかりかねない。土方は鉄之助の襟首をむんずと掴んて伝令に応えた。

「承知したと伝えろ。敵にここを奪われては厄介だ、火を放ち、すべて燃やして五稜郭へ向かう」

 怒りはない。その口調に混じるのは諦観であった。


 伝令を追い返したあとも鉄之助の怒りは収まらない。この少年が土方に食ってかかるのは始めての事だった。

「土方さんッ!おかしいですよ!我らは勝っています!」

 鉄之助の言うとおり、土方歳三は共和国で……いや、幕府崩壊後唯一の勝ち星のある将軍である。しかし、

「そうだ……我らは勝っている。だがな鉄、我らしか勝っておらんのだ」

 鉄之助はその一言で我に返ったように息をのんだ。伝令が持ってきたのは退却命令だけではない。弁天台場を始めとした複数の防御陣地の状況も含まれている。それを考えると、榎本の判断はあながち間違いではない。このままでは、二股口は数日で新政府軍に完全包囲される。そうなれば、戦わずして干上がるだろう。

「……承知しました」

 口ではそう言っていたが、鉄之助は微塵も納得していない様子で、ギリギリと歯を食いしばっていた。


 多くの陣地や持ち切れない天幕、食料、弾薬に油をかけて火を放つ。ダメ押しとばかりに井戸や川には死体や糞をぶち込んで汚染する。新政府軍の再利用を封じる徹底した土方の退却準備に鉄之助は内心、

「ああ、もうここで戦うことはないのだな」と感じ取った。風にのって立ち上る黒煙を見上げて歯噛みする。この若い士官にとって、勝ち戦から逃げねばならないのはこの上ない屈辱だっただろう。


 夕刻、周囲に釘縄の張り巡らされた五稜郭に戻った土方たちを、榎本は門まで出迎えた。馬上の土方にに歩み寄ると「よくぞ戦っていただいた……かたじけない」と手を取って礼を述べる。更には鉄之助たち士官にすら赤い目をして頷いて見せた。

 生まれと行儀の良い榎本にとって、それは最大限の誠意の表れなのだろう。それは間違いない。だが、それを実際目の当たりにした人間はどう思うだろうか。意図が判っている鉄之助ですら(ああ、そこまで旗色が悪いのか)と不安に思ってしまうほどだ。どうやら高級将校というものは、ふんぞり返って大仰に頷くぐらいが丁度いいのだなと、鉄之助は在りし日の近藤を思い返していた。ちらりと見上げた土方は、愛想笑いと苦笑いをまとめて噛み殺すような顔をしている。きっと、自分も大差ない顔をしている事だろう。


 帰還と同時に総裁府で軍議が行われた。当然士官扱いではあるが年若い鉄之助に席はない、その前の部屋で聞き耳を立てて控えていた。

 籠城か、撃って出るか、あるいは逃亡か。

 耳だけでは何人いるのかも掴めないが、議論はこの三つを行ったり来たりで、いつまで経っても煮え切らない有様であった。

(こりゃあ……マズいな)

 陸軍の旗色の悪さもさることながら、海軍はさらに酷い。現存する軍艦のうちまともに動けるのは蟠竜のみ。千代田形は座礁して放棄、回天は修復不可能な程の損害を受け、弁天台場の近くで浮き砲台となっていた。元々海軍の出身である榎本達はこの有様に心を折られつつあった。

「籠城は味方を待つ行為だ、そんなものがどこにいる?関東の彰義隊でも待つつもりか?」

「撃って出るなら二股口を放棄するべきではなかった」

「十勝方面に潜伏し、協力を募ろう」

 ――なんだ、自分の考えていたことと大差ないではないか。がっかりだ。自分ごときと大差のないつまらん連中の為に、自分は今まで命懸けで戦っていたのだろうか?

 事実、五稜郭では連日逃亡兵が後を絶たないと聞く。バカバカしい、いっそ総裁府に火でもつけ、首をいくつか持って行ってやろうか。そんな捨て鉢な考えがよぎったその時、誰かが土方に意見を求めた。

 まさかロシア亡命の話でも口に出すのだろうか、そんなことをしたら大荒れではすまないぞ――だが鉄之助は心のどこかで、土方がこの場を台無しにしてくれる期待を胸に、襖に張り付かんばかりに身を寄せる。

「お好きなように。私はどうとでも戦う」

 土方はぶっきらぼうにそう言い放った。軍議を愚弄するかのような物言いに鼻白む幹部たち、その中には元大名や元幕府高官もいるのだが、土方は毛ほども揺るがなかった。

「降伏以外であれば私は結構。

 徹底抗戦でも、十勝へ脱出でも、どちらでも殿を務めてご覧に入れよう。これでよろしいか?」

 あまりに力強く言い張る土方に、軍議が水を打ったように黙ってしまった。

「ほら……だから黙っていたのですよ。続けてください。どこでどう暴れるかは、それから決めます」

 ぎこちなく再開する軍議は、もはや鉄之助の耳に入っていなかった。ただ、土方歳三という男が、どこまでも力強くあってくれた。これがどうしようもなく嬉しく、誇らしく、胸に熱いものがこみあげていた。

 であればこの軍機、もはや聞く必要がない。鉄之助は静かに部屋を離れ、外の空気を吸いに行った。


「鉄よぅ、お前たまにすげえ大胆だよな。黙って軍議抜けるとかひやひやしたぞ」

「大丈夫ですよ、自分のような下っ端なんか、席もない立ち見じゃないですか。一言で幹部を黙らせた土方さんの方が、よっぽと恐ろしいですよ」

「しょうがねえだろ、なんか言えっていうんだからよ」

 土方が顰めっ面でふんと鼻を鳴らしたのは、軍議を終え、陸軍府に戻る途中である。

「……あまり言うべきじゃないのかもですが、もしかして榎本さんはこ――」

 ”降伏”と口にするより早く、土方の肘が鉄之助の肋を小突いた。

「言うなバカ、誰が聞いてるか判らん。士気に関わる」

「いってぇ……すみません」

 だが、この反応の早さが答えだ。土方もそう思っているのだろう。

「俺はな……今日の軍議と似たような空気を知ってる」

 遠い目をして、ぼそりと口を開く土方。その声は低く抑えられていて、鉄之助の耳にしか届いていない。長く仕えている鉄之助だが、こんな空気は身に覚えがない。いつのことだろうかと首をひねる。

「それは……会津とかですか?」

「大阪城……鳥羽伏見だ。

 慶喜が俺たちを見捨てる前夜の軍議が、まさにあんな感じだった。話が堂々巡りで何にも決まらねえ。そのくせその場の長は檄も飛ばさねえ、怒って八つ当たりも、状況を纏めようとも、どの声が大きいかも聞いちゃいねえ……何考えてんだか判らねえ顔してた。ありゃあもう、腹の中は決まってるな」

「そんな……」

 ぞっとして青い顔をする鉄之助に、土方は首を振ってみせた。

「もう戦ってるんだ、流石に何にも言わずに逃げやしねえだろう。側近の大鳥さんは弁天台場にかかりっきりだしな。

 だが……もう、その先を見ているのかもしれん」

 降伏の先とは、一体なんだろうか?眉をひそめた鉄之助であるが、一つ思い当たった。

「咎を軽くしようとしている、と言う事ですか?」

「言っちゃえばな」

「それじゃあ、やっぱり……」

 降伏ではないか、と大声になるのを堪える。言葉の温度だけで土方もそれを汲み取ったようだ。

「それ以外にもう一つある。上手く……本当に上手く抗って見せることだ。

 これだけやってきた新政府、頭がいいのも多くいるだろう。だが基本は田舎者、欧米諸国との交渉には慣れないし、薩長土肥だけで全国は押さえられん。

 であれば、幕府関係の実力者も取り込みたいはずだ。一国を切り盛りした人間なら、怒りに任せて殺すのはさぞ惜しかろうよ」

「それはつまり……売込みですか?」

 鉄之助はこめかみが燃えるような錯覚を覚えた。蝦夷共和国軍三千人を、己の売込みの道具にするなど、恥ずべき行為にも程があるではないか。

「悪く言えばそんなところだ。榎本さんは頭が良すぎる。先が見え過ぎて、何手も先の保身に走る……いや、走れちまうんだろうな。

 政に関わる手合いには向いてるのかもしれんが……軍人、いや武士としちゃあ、賢し過ぎる。性根が向いてない、それだけのことさ」

 どこかがイカレている奴が怖い。いつか土方はそんなことを言っていた。心にイカレが住んでいる人間と、そうでない人間は、普段は歩調を合わせていても、いつかどこかでひずみが出る。武士と官僚の間では、理想が共有できても、最後の最後で判り合えないのだ。それが、よりによってこの土壇場の鉄火場で露見してしまった……それだけのことだ。

「まあ、なんだっていいさ。俺たちは止まらない。そうだろ――」

 そうだろう鉄、と言いかけた土方の台詞を遮ったのは、少し離れた陸軍府から聞こえる呼子笛であった。カピウが鉄之助を呼んでいるのだ。

「う……すみません……」

 微笑ましいものだと、土方は笑った。

「いいや。軍議の間我慢できただけマシだ。答えてやれ、女は放置するとあとが怖い」

 甲高い笛の音で答えてやりながら、横目で土方を見上げる。鉄之助のどの記憶の土方よりも優しい目をしているようであった。

「お前も大変だな」

「いえ……紐で縛られるよりは」

 少しうんざりとした鉄之助の口調に、土方は肩を揺らして笑った。

「そりゃそうか」

 いつの間にか機嫌を直した土方と一緒に、鉄之助は陸軍府に戻った。

 陸軍府、いつも三人で一服していた部屋にはカピウがいた。何やら色々と道具を広げ、ごそごそと作業をしているようだ。

「あ、二人ともおかえり」

「おう」

「カピウは……薬莢作り?それ、手製なの?」

「うん。私が勝手に作ってるだけだからね」

 改造マスケットの散弾紙薬莢、そりゃあ、こんなものを作って売る店なんぞあるはずない。土方も興味があったのか、完成品と乏しき山積みの紙薬莢を一つ手に取った。

「ほう、これがそうか」

 見た目は掌に乗る程度の円筒形のおひねりと言ったところだ。端が赤く染めてあるからして、どうやら毒入りのようである。

「破らないでね、中身が肌の薄いところに触れるとビリビリするから」

「そんなに強いのか?」

 さすがの土方も目を丸くした。そこらの者より薬の知識はある土方だが、トリカブトを実際に使ったことはなかった。

「トリカブトを湯せんして濃縮したものだからね、ヒグマでも十歩歩けずに死ぬくらい強いよ。散弾と一緒に撃つと散らばるし、熱に弱いから撃つときの炎で弱まるけど、撃つ前なら下手すりゃ即死じゃないかな」

「なるほど、よく考えてある」

 土方が感心する様子に気を引かれ、鉄之助も手を伸ばす。手に取ると何やらベタつく。

「……これは、脂が塗ってあるのか?」

「そう、ヒグマの脂。火薬が湿気ないように」

「あれは傷薬じゃないのか?自分の頬とか脚にも塗ったやつだろ?」

「そう。なんにでも使うよ、傷にも、料理にも、道具にも、大切な山の恵だからね」

 得意げに頷く。ヒグマはアイヌにとって神聖なものらしい。和人が米を特別視するのと近いのかもしれない。

「へぇ……ところで土方さん、紙薬莢の銃って、割と珍しいですよね?」

 土方も頷いた。

「外国では多かったと聞くが、日本は雨が多いからな、普通の油紙程度では湿気から保護しきれんのだろう……だが、脂をべったり塗れば防げるんだな。この量は内地じゃ用意できん、アイヌならではの工夫だな」

「そう、詰めるときの滑りも良くなるからね」

「なるほど、良く出来てる……」

 素直に感心する土方と裏腹に、鉄之助は気が気でない。カピウがまたこれを使うのを、できれば見たくなかった。どうにか気を逸らしたくて話しかける鉄之助であるが、

「うるさい。火薬触ってんだから、静かにしてよ」

 と、ぴしゃり。お預けを食らった子犬のような顔で黙り込む鉄之助であった。それでも諦めないのがこの少年の肝の太いところだ、次はどう仕掛けようかと考えていると、ふいに土方が口を開いた。


「鉄、お前の刀を貸せ」

「へ?……はあ、どうぞ」

 差し出された刀を受け取った土方は、それを床の間の刀掛けにそっと置いた。そうして正座すると、目を閉じ刀に向かって手を合わせる。

「あの……何を……?」

「お前たちを見ていたら……総司を思い出した。そういや俺は……あいつや近藤さんが死んだことに、手の一つも合わせていない。二人を思い出せるものは……もうこの刀くらいだ」

 凶暴なくせに湿っぽいところがあるこの男なりの弔いのなのだろう。鉄之助も息を飲んでそれに習うものだから、カピウもぎょっとして手を止め、おずおずと合掌した。

 鉄之助は思い出した。そういえばかつての沖田も、仕事に入れ込む土方や近藤のところに声をかけに行っては、邪険に追い払われていたなと。

「ふむ……もうちょっとあってもいいか」

 土方は一度私室に引っ込むと、何やら色々持ってきた。刀を置いたままの床の間に饅頭と碗を置き、そこに酒を注いだ。

「花や念仏より、あいつらはこっちの方が喜ぶだろう」

 饅頭は近藤、酒は総司への供え物である――粗野であるが、どちらもちゃんと覚えている。そんなところが、土方歳三のらしいところであった。

「私も手を合わせてよろしいでしょうか?」

 いつの間にか廊下に斎藤の姿があった。この男が唐突に姿を現すのはいつものことだったが、カピウも目を丸くしているところからして、遂にアイヌの耳目を掻い潜るほどの隠密っぷりに至ったようだ。

「おう、そろそろ来ると思っていた」

「ええ。新撰組としては、黙っておれません」

 この男も床の間に向かって正座すると、静かに手を合わせた。

「では……」

「待て」

 そのまま立ち去ろうとする斎藤を呼び止めた土方は、碗に酒を注いで差し出した。

「飲んでけ。御斎にしちゃあちょいと俗だが、あいつらなら怒るまい。大したツマミはねえが、許せ」

「……いただきます」

 目の奥に弔いの光を揺らす土方を見て、斎藤は素直に腰を下ろした。ささやかな酒宴である。長く、共に数多の戦いを転戦してきた二人にとっては、なによりも今までの記憶がツマミになる。苦く、しょっぱく、時に渋い、いいツマミだ。

「京都からここまで……何人ついてきてる?」

「我々以外では、十人前後でしょう。幹部では、島田さん辺りでしょうか」

 鉄之助の頭の中と同じだ。

「この先何人来てくれるものか……」

「今更愛想を尽かすなら、江戸で出て行ってることでしょう、永倉さん達と一緒にね」

「ああ……そういやあいつら、なんか隊作ったらしいな。

 バカ野郎が、一緒に来てりゃいいものを」

 品川でこてんぱんに言われたことを忘れたわけではないのだが……あの二人がいれば、と思ったことは少なくない。

「原田さんはともかく、永倉さんはどうでしょう、こだわりが強いので」

「こんなン新選組じゃねえよ。とでも言うかね」

「おそらくは。あと……函館は遊び甲斐がないと文句を言いそうですね」

 斎藤がぼそりと言うと、土方は膝を打って笑った。

「そうだそうだ、あいつの女遊びには参った。面食いだしな、祇園に慣れちゃあ、こっちじゃ足りんかもな」

「ひどい話だ、遊びを教えておいて」

「俺が祇園に行くのは仕事さ」

「はて……そうでしたかね市村君」

「あー……祇園は判りませんが、意外と土方さんって質より量ですよね。市中で若い娘の集団とかに囲まれてヘラヘラしてましたし」

「鉄!この野郎、お前だって舞妓に目ぇ奪われてたじゃねえか……あ、いけね」

 慌てて口を塞いでも時すでに遅し、面白くなさそうなカピウの目が、鉄之助に刺さる。

「へーえ。マイコ?そんなに可愛い子がいたんだ」

「ちょ、待ってよカピウ!何年も前だよ?!」

「じゃあ今見たらどうなのさ?……ねえ土方ニシパ、マイコってなに?」

「なに?って言われると説明が難しいな……」

 流石の土方も、カピウに遊郭やら芸妓やらを詳しく説明するのは気が引ける。自然と三味線を鳴らして歌うだの、白粉をして着飾るなど、表面上の、当たり障りのない特徴の羅列にとどまる。もちろんそれでカピウは収まらない。

「白塗りの娘が?歌って踊って酒の席を盛り上げる?……なにそれ楽しいの?

 私だってそれくらいできる。本当は焚き火を囲んでみんなで踊るんだけど……」

 ゆったりとした歌が始まる。子守唄にも似た、語りかけるような優しい調子である。

 左右にゆっくりと揺れるような足運び、胸の前で組んだ手を時折天へ向け、見えない何かを空へ押し出すような、ゆったりとした振り付けは祈りのようでもあった。

 もちろん和人には歌詞を聞き取ることすら難しい。だが……その気持ちはなんとなく判った気がする。そこには温かさと、深い敬意と、ほんの少しの悲しみが確かに込められている。

「これは……慰霊の歌と踊りか?」

 土方がぽつりと呟くと、カピウは踊りながらゆるやかに頷いた。

「そうだよ。よく判らないけど、コンドーとかソージって人が亡くなってるんでしょ?それなら……ってね。

 私たちにとって死は終わりじゃない。感謝を伝え、再会を信じる出発のお祝いなんだ……寂しいのは分かるけどね」

「そうか……かたじけない。あいつらも喜ぶ」

 土方はしんみりと碗を口に運んだ。

 歌と踊りを終えたカピウは、まあまあ機嫌こそ直したようだが、そのまま酒瓶に手を伸ばすと、空の碗を鉄之助に持たせ、酒を注いだ。

「で、この歌と踊りの後はお酒。アイヌは自家製のお酒だけど、今日はこれでいいんじゃないかな。そっちの二人は?へえ、和人の酒は透明なんだね、初めて見たかも」

 流れるような手つきで二人にも酌をする。意外にも所作が美しいのが不思議である。

「私も少しだけもらおうかな」

「じゃあほら、貸して。ここまでしてもらって、手酌酒はさせられない」

 鉄之助に注いでもらうカピウは、何のことかと目を瞬かせる。

「え、なに?別に自分で注ぐよ?」

「いいからいいから。和人は人に注いでもらうと嬉しいから、注いであげたくなるのさ」

 礼儀だのなんだのではなく、感情にまで噛み砕いた鉄之助の説明に、カピウはどうやら納得してくれたらしい。

「そっかあ。どれどれ……あ、和人の酒はいい香りするね……おわっ、けっこうキツい」

 不用意に煽って目を白黒させるカピウである。アイヌの自家製酒しか知らないカピウにとって、清酒は辛いのだろう。

「アイヌの酒は違うの?」

「ウチの酒は白くて、とろみがあって……昔、甘酒に似てるって言われたね」

 そう言いながらもスイスイ飲んでる辺り、カピウもなかなか侮れない。あまり飲ませない方が良さそうだ。

「ウチの?酒も造るのか……本当に器用なんだな」

 感心しながらついと碗を口に運ぶ。鉄之助は殆ど酒を飲んだことはないが、供養とあれば多少は飲む程度の分別は持ち合わせているつもりだ。

「珍しいじゃないか。どうだ?美味いか、鉄」

「……あんまり良く判らないです」

 鼻を抜ける華やかな香りと、舌と喉にちりり焼けるような刺激が通り抜けると、胃袋の底からじわりと温かくなってくる。大した量ではないのだが、ふわふわしてきた。

「そうかい、鉄にはまだ早いか」

 何を期待していたのか、土方が寂しそうに笑った。

「市村君と飲みたかったのですか?すっかり親目線だ」

「バカ言え、そんなんじゃねえよ。

 お前ら飲みすぎるなよ。二日酔いで戦えませんとか言い出したら、たたっ斬るからな」

「ぶはは、照れてる照れてる。土方ニシパ照れてやんの」

 赤ら顔でケラケラ笑うカピウに、鉄之助はとりあえず水を押し付けた。

 ささやかな酒宴は穏やかで居心地の良いものであった。許されるなら、いつまでもこうしていたい――鉄之助はそう思った。しかし、いつの間にか斎藤は姿を消し、鉄之助の隣で座卓に突っ伏したカピウは寝息を立てていた。

「……ありがとうよ、お前ら」

 土方が目頭を押さえているように見えたのだが……きっとあれは、酒の見せた幻だ。隣で寝こけているカピウの、やたらと高い体温を感じながら、鉄之助は酔い潰れたフリをした。


※この作品はフィクションです。史実とされる出来事にがっつり脚色を加えたエンターテインメント作品です。

特定の人物、団体、思想、出来事に対する批判や意見の意図は一切ありません。


史実から大きく離れた物語がどこへ着地するのか、ぜひご覧ください。

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