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偽りの火の鳥 幕末編  作者: そのえもん


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第五章 函館編その8 二股口を死守せよ


「防御線の展開はどうなっている?兵の配置は?弾薬は?」

 幕僚の集まる天幕に顔を出した土方は、泥と煤に塗れたまま指示を飛ばそうとしていた。

「土方さん?」

「どうした?」

「どうしたじゃないですよ!いま来たばっかりじゃないですか!少し……ほんの少しでもいいから休んで下さい!」

「バカ言え、そんな暇ねえよ。ここが落ちたらおしまいだ」

 青い顔で地図をのぞき込む土方。戦場の残り火が燻る横顔は精悍であるが、目の下にはどんな煤よりも黒いクマができ、唇は乾ききっている。誰がどう見ても限界だ。

 鉄之助は説得を諦め、手近の兵隊に声をかけた。今は納得させるよりも、とにかく休ませるのが先決だ。

「……人を集めて下さい、十人ばかり。このままでは、土方さんが倒れてしまいます」

「あ?何だお前ら……離せ!鉄、てめえ何のつもりだ……クソッ……力が入らん」

「皆さん、今だけは話を聞かないで結構です。どうか――そのまま休ませてさしあげて下さい」

 いつもの通り大きな怪我もない土方であるが、連日の最前線から深夜に及ぶ撤退戦に、既に心身共に精根尽き果てていた。天幕の片隅に敷いた毛布へ、半ば無理矢理押しこむと、気絶するように眠ってしまった。


 もちろんここにいる士官は鉄之助だけではない。島田のように木古内から撤退してきた者も多くいる。

 土方ほどではあるまいが、各々自分なりの戦への解釈が、共和国へ願いが、函館の戦術的価値を見通す目がある。巡らされた堀を更に伸ばし、釘縄を張り巡らせることはできる。土方が少しでも休息を取れるよう、辰之助は走り回って戦の準備を進めた。


「……腹減った」

 むくりと土方が起き上がったのは、その日の昼前であった。鉄之助はすぐさま固く絞った布巾を手渡した。

「すぐ準備しますので、少しお待ち下さい」

「おう……うわ、真っ黒じゃねえか」

 土方は顔を拭った。相変わらず青い顔だが多少クマは薄れ、目は生気を取り戻しつつあった。

「鉄……よく俺を休ませた。正しい判断だったぞ」

「恐れ入ります」

 手を止めず支度する鉄之助、しばらくその後ろ姿を眺めていた土方だが、やがて見覚えのない肩章が目についた。

「なんだ鉄、お前出世したのか?」

「はい、戦時特任士官を拝領しました。一応士官扱いです」

 ふむ、と一瞬遠い目をした土方は、鼻で笑ってこう続けた。

「それじゃあ……兵隊に敬語使うのは、もうやめろよ」

「え?」

「え?じゃねえよバカ野郎。士官ってのは命令する立場なんだ、敬語なんて挟む暇あるなら、次の命令を考えろ」

「いや、しかしですね。殆ど歳上の方ですし……」

 鉄之助は生まれながらの武士ではあるが、別段高貴な生まれではない。その上長い小姓生活で、丁寧な物腰が染み付いているのだ。

「歳なんか関係ねえよ。榎本さんは俺より年下だが、俺は、あの人にタメ口を聞いたことはない。それは榎本さんに敬意を払っているからだ。

 兵はお前をなんて呼んでる?鉄之助殿とか鉄殿だろ?それは、あいつらが市村鉄之助という男を認め、敬意を払っているからだ。

 それに対して士官が敬語を返すと言うことは、その敬意を受け取らないと言うことだ。この土方歳三の小姓が……いや、土方歳三付きの士官が、そんな恥知らずで許されるものか。俺の顔に泥を塗る気か?折角今顔拭いたのによ」

「うっ……」

 痛いところを突かれて、肩を竦める鉄之助の背に、土方は頭を掻いた。

「まあ、いきなりもしんどいか……少しずつでいいから、やれ。

 重く考える必要ねえよ、戦場では出来てるじゃねえか」

「あれは……ああしないと格好がつかないといいますか……」

「同じさ、そうしないと格好がつかん……あれだ、せめてすみませんで話しかけるのはやめろ。よろしいか?で入れ」

「……努力します……」

「早めに切り替えた方が楽だぞ。チグハグが一番目立つ」

「はい……」

 珍しく歯切れの悪い鉄之助の返しを聞いて、土方は苦笑いであった。

「用意できました」

 鉄之助が茶漬けを乗せた盆をついと差し出したのは、それから少し後であった。

 熱い番茶、白米には大根とその葉のきつい塩漬けを乗せ、そこにぱらりと七味を散らしたものである。好みのうるさい土方だが、どんなに疲れて食欲がないときでも、これなら平らげる。これを知っているのは、もうこの世では鉄之助だけかもしれなかった。

「これだよこれ……で、そういや状況は?」

 土方は状況を聞きながらさらさらと茶漬けをかっ込んだ。息もつかずに立て続けに二杯腹に流し込むと、この男にはしては珍しくげっぷまでした。それから数秒、天幕の狭い天井を睨んで逡巡を巡らせた。

「わかった。鉄……五稜郭からわざわざここに来たんだ、戦線復帰だな?」

「はいッ!」

 いつもの即答である。まだ負け戦冷めやらぬと言うのに、もはや二人の頭の中では次の戦が始まっていた。

「激戦になるぞ。死ぬ気で戦え、死んだらぶち殺す」

「自分にとっては光栄です」

「バカ野郎、百年早えんだよ」

 鉄之助の頭を小突いて、土方はまた薄く笑った。

 

 二股口は予想以上の激戦であった。江差では余りの連戦に銃を水で冷やして撃つ必要があったが、今度はそれの比ではない。銃はもちろんのこと、ガトリングまで水をかけながら鉛弾をばらまくものだから、怒号と銃声に湯気すら立ち込めて、地獄以外の何物でもない光景が広がっていた。

 地獄でもやることは大きく変わらない。釘縄と堀で相手の動きを抑制し、土方の号令でそこへ大砲やガトリングをありったけぶち込む。

 灼熱したガトリングから立ち上る湯気を突っ切って敵軍に切り込むのは、鉄之助率いる騎馬軍団である。

 かつての二股口はいわゆる峠道で騎馬隊の駆け回る広さはなかった。だが、宮古湾海戦で勝ち取った数カ月の強化期間は、この地を交通、防衛の要衝として生まれ変わらせていた。

 僅かな騎兵であれば、縦横無尽に駆け回り、敵兵を容易に蹴散らす事が出来る。

「新選組、突貫する!命を捨てる覚悟の出来た者からついてこい!」

 鞍の後部を改造した指物に誠の旗を固定し、誰も待つことなく突っ込む。飢えた獣のように襲いかかり、刀が閃めく度に血飛沫があがる。動く物を見れば蹴散らし、跳ね飛ばし、歯向かうものは次々と撫で斬りにする、鉄之助の鬼神の如き戦いぶりに敵は震え上がり、味方すら言葉を失った。ただ一人を除いて。

「そうだ!それでこそ新選組だ!俺たちが……いや、俺が求めた新選組の姿だ!」

 土方歳三だけがそれを褒め称える。遥かな高空で燃え尽きながら輝く流星のような、微細な刃毀れで粉々に砕け散る薄氷の刃のような、刹那的で、危うく、破滅的にすら見える戦いぶりが、土方の琴線をかき鳴らすのだ。

 市村鉄之助にとってその言葉は、彼が崇める軍神の祝福に等しい名誉であった。

 鉄之助率いる騎馬軍団が横隊をぐちゃぐちゃに蹂躙したところに、歩兵の縦隊が突き刺さる。蝦夷共和国はこの二股口においてだけは、新政府軍に破滅的な損害を与えたのであった。

「よくやったぞ、鉄」

 生還した鉄之助を、土方は素直に称えた。しかし鉄之助の心は、いまだ戦という熱病に心地よく浮かされていた。そのせいか土方の言葉は、何処か遠くから響いてくるようであった。

「お前達が前線をぐちゃぐちゃにしたおかけで、五稜郭からの補給部隊が安全にここまでたどり着いた。お前のおかげで、俺たちはまだまだ戦える」

 夕暮れの空に共和国軍の鬨の声が上がった。戦の終わりは今だ見えない――だが、この日だけは、彼らの勝利であった。



「ふぅ……」

 峠に設けられた野戦陣地、その奥に立てられた士官用天幕の裏で、鉄之助は顔を拭いて一息ついた。

 さっきの戦いは、まるで熱病に浮かされたようで、自分でも何をしていたのか詳しく覚えていない。ただ、周囲の全ての動きが見えていたような、戦う自分を少し上から見下ろしていたような、不思議な感覚があった。まるで夢の中、あるいは神仏に体を預けていたような、ある種の恍惚すら感じていた。

「……望むところだ」

 こここそが、命を燃やし尽くすのに相応しい戦場だと鉄之助は確信していた。自然と口角が吊り上がっていく。

 と、そこにいきなり何かが突っ込んできた。反射的に刀を抜こうと息を吸っ……鼻腔に届いた甘い香りに我に返った。

「カピウ?なんでこんなことろに?!」

「なんでじゃない!バカ!ボロボロじゃないか!ケガも治りきって無いのに!」

 既に声が震えている。

「大丈夫さ、騎馬なら随分動けるよ」

「そんなのどうでもいい!もうやめてよ、本当に死んじゃうよ!」

「落ち着け……騒ぐなっての。

 すぐそばには土方さんたちもいるんだから」

「でも……!」

 人差し指を鼻先に立てて、やっとカピウは声を絞った。

 なんとなく状況が飲み込めてきた。おそらく、先程土方が言っていた補給部隊と一緒に来たのだろう。常日頃から陸軍府に出入りし、食料や一部武器の材料の搬入や在庫管理を請け負っていたカピウが「陣地に呼ばれた」と言えば疑う者はまずいない。

「カピウは命知らずだな」

「テツでしょ、それは」

「……そうだね」

 鉄之助の返事は余りに穏やかで素直だったせいか、カピウは息を呑んだ。

「死にたくないと怯えていたら……今日だけで五回は死んでいた。命を捨ててこそ、勝てる局面があるん――いってぇ!」

 鉄之助が言い終わる前に、カピウの張り手がその頬を捉えた。

「それじゃあ、明日は死んでもおかしくないじゃないか!」

 腕の長いカピウの張り手はかなり効く。痺れる頬を手で押さえ、鉄之助は少し目線を落とした。

「そうかもしれない……だが、それでいい。そうしないと蝦夷共和国がなくなってしまう。蝦夷共和国がなくなれは……アイヌの未来だって――」

「テツが死ぬ理由に、私たちを使うな」

 吐き捨てるようなカピウの鋭い語気に、鉄之助の胸が詰まった。

「蝦夷共和国があっても……アイヌの未来がよくなっても……そこにテツがいないんじゃ……私は嫌だ。そんな未来、嬉しくない。

 お願いだ……お願いだから、私を何度も絶望させないで……テツ……側にいてよ……」

 女にしては上背のあるカピウに抱きしめられると、小柄な鉄之助は身動き取れない、まして密着されて伝わる体温が、呼吸の度に伝わる香りが。その全てが、鉄之助の命を捨てる覚悟を少しずつ、だが確実に揺るがせる。

「やめてくれ……俺に……死の恐怖を思い出させないでくれ……やっと、やっと克服できたんだ……」

 まだ若い鉄之助は、死の恐怖を完璧に克服したわけでも、まして神仏の力を得たわけでもない。あの戦いぶりの根源は、恐怖に対する麻痺である。麻痺したまま走り抜けることを選んだ、破滅への道であった。

「そんなの知らない……テツが頷くまで、私は絶対に離さない!」

「やめろ!」

 しがみつくカピウを強引に引き剥がし、鉄之助は立ち上がった。

「ここはもう戦場だ……明日はもっと危ない。今夜のうちに五稜郭へ戻れ、もうここへは来るな、絶対にだ!」

「待って!テツ!」

 鉄之助は足早にその場を後にした。このままでは、本当に戦えなくなってしまう。一人になって、出来ることなら滝にでも打たれて全てを消し去ってしまいたかった。

「グッ……」

 折角忘れていた足の痛みまでぶり返して来た。鉄之助は少し足を引きずりながら、野戦陣地の片隅で朝を待った。


 翌朝、日の出と同時に新政府軍の総攻撃が始まった。昨日に輪をかけて激しい銃撃戦に悲鳴が飛び交い、ガトリングから上がる湯気と銃砲の硝煙が、更に視界を歪めていく。

 その歪みきった地獄の間に、鉄之助は誠の旗を振り上げ、吠えた。

「我らはこれより死地に向かう!私も、諸君も、生きて帰れる保証は全くない!

 だがそれは、今日まで日ノ本で散ってきた全ての兵達への餞である!栄誉だ!恐れるな!疑うな!軍神の加護が、数多の武士の魂が、諸君らを弾から護る!死を踏み越えろ!恐怖を喰らい尽くせ!活路は死の向こうにある!我らが真っ先に敵を打ち崩し、それを掴む!……行くぞ!」

 鉄之助率いる騎馬軍団が突貫する。

「ぐぅ……ッ!」

 忘れていた筈の足の傷がまた痛む。鉄之助の馬は僅かに遅れ、逸れてしまった。

 その一瞬の隙をついて、手近な木の上から飛び降りた何者かは、一瞬で鉄之助の背後に滑り込んだ。

 それが誰なのか、鉄之助は振り向く前に鼻で気づいた。

「帰れと言ったはずだぞ!カピウッ!」

「うるさい!意地でも死なせるものか!さあ、死地へ連れて行け!一緒に活路を掴むんだ!早く!」

 カピウの手に握られていたのは身の丈ほどの長い棒であった。表面には細かい凹凸がびっしりと施されており、それだけでも十分に痛そうなのだが、そのうえから釘縄がぐるぐると巻きつけられた凶悪なものであった。

「馬鹿野郎……ッ、落ちるなよ!」

 そう言った頃、既にカピウは2人を固く紐で結びつけていた。落馬すれば互いに命はない、一蓮托生である。

 あろうことが女連れでの戦場であったが、もちろんそんなこと、地獄には微塵も関係ない。絶叫と血煙、刃と銃砲弾飛び交う乱戦の渦が二人を瞬く間にのみ込む。

「揺れるとか文句言うなよ!」

「判ってる!」

 鉄之助は旗を鞍に固定し抜刀した。沖田総司から受け継いだ武士の魂が、再び手の中で燃え上がる。跳ね飛ばし、蹴倒し、踏み殺し、撫で斬りにし、刺し殺す。昨日と比べて多少動きは鈍いが、それでも獅子奮迅の働きである。

 カピウも凶悪な棒を振り回して戦った。釘縄を巻き付けた棒は、相手がかつての鎧武者なら大した意味はなかったろう。だが、西洋戦術に適応し、身軽な軍服となった今の新政府軍にとっては侮れない武器であった。

「ねえ、テツ」

「どうした?」

 踊るように戦う二人の声は、舞い散る血飛沫と何処かから響く断末魔の中で、互いの耳へと静かに届いた。

「リョーマはさぁ、人を殺したこと、あったかなぁ?」

「どうだろう……俺は坂本さんとは面識がないから判らないけど……多分、無いんじゃないかな」

 人が人を殺すのは、相手の排除が自身の利益になるからだ。それが金だろうが物だろうが、愛する誰かを守るためだろうが、殺害による快楽だろうが、なんらかの利益の為に殺すという事象に大差はない。

 少なくとも新選組の知る限り、坂本竜馬が誰かを殺した記録はない。あの男は誰かと敵対しても、相手を受け入れ、取り込み、いつの間にか自分の味方にするような男であった。そんな男が殺害という短絡的な手段を強行するとは考え難い。手違いで殺してしまったことまで含めれば断言出来ないが、そこまで責任は持てない。

「そっかぁ……寂しくなるなぁ」

「カピウ?どういう意味だ?」

「アイヌはね、死んだら神の国へ送ってもらうんだ。でも、人を殺すと神の国へ行けなくなって……代わりに地獄へ落ちる」

 いつの間にかカピウの手には旧式の……いやに短いマスケット銃が握られていた。

 鉄之助は知らない。これが、かつて坂本竜馬がアイヌに売った銃であると。鉄之助には見えない、背後のカピウの顔が。

 そしてカピウは、自らの目に滾る復讐の炎を、鉄之助に見せたくなかった。

「カピウ?ダメだ!君は撃たな……」

 鉄之助が止める暇もなくカピウは震える手で引き金を引いた。僅かな時間差で旧式銃特有のデカい銃声と火花が上がると、眼前の敵兵が数人纏めて血煙をあげ、うめき声と共に倒れた。

「散弾銃……ッ!」

「これで、私の地獄行きが決まった。でもいいんだ、私がいつか地獄へ落ちるときは、テツも、土方ニシパも……きっと父さんもいる。寂しくなんかない」

 自らが初めて手を汚したときの何倍もの後悔が鉄之助を襲う。もはや取り返しがつかない、なんたる残酷なことをしてしまったのかと、胸を突き刺される思いであった。

「すまな……いや、違うな……わかった、心配するな。一人になんかさせない、絶対に!」

 再び鉄之助は己を奮い立たせた。せめてカピウがこれ以上手を汚さぬよう、罪を背負わぬよう戦うしかない。

 もはやそこに、昨日のような神仏に操られたかのような恍惚はない。ただ、カピウに引き金を引かせたことを心底悔い、彼女が被る罪をいたずらに増やさないために戦うだけだ。胸の内で繰り広げられる罪悪感との戦いは、肺と心臓を同時に握り潰されるような、恐ろしく苦しいものであった。

 マスケット銃は旧式銃である。この戦場のどれと比べても連射性能や精度に大きく劣る。だからと言って役立たずなのかと言えばそれは違う。マスケットは口径も大きく、この戦場で唯一銃身内の捻じれ、ライフリングがない。つまり、この戦場で最も散弾銃に適した銃と言える。更にその銃身を半分近く切り落とすことで、カピウは装填の速さと取り回し、散弾の散らばり具合を格段に改善していた。

 古い銃なのでもちろん金属薬莢ではない。しかしカピウは、火薬と散弾を一発分ずつ紙にとりわけた、手製の紙薬莢を作って持ち込んでいた。これを破って銃口に詰め込み、押し固めれば良い。

 旧式銃とアイヌの知識が何とも悍ましい形で噛み合い、カピウを恐るべき銃使いへ変貌させてしまった。それが火を吹く度に、カピウは戦果と罪を積み重ねていく。それはもはや、鉄之助が如何に奮戦しようと隠しきれない程であった。

 かつて泣き虫だったカピウはもういない。鉄之助と共に戦場に立つのは、殺意の塊を手にした恐るべき殺人者であった。

「テツ……新政府軍は、三種類の兵がいるよね?服が黒いのと、藍染と、灰色の」

「そうだ」

「旗もたくさんあるけど……トサはどれ?」

 鉄之助は押し黙ってしまった。坂本竜馬の死因は仲間割れ、下手人は土佐ということになる。彼の死で心に深い傷を負ったカピウが土佐を見分けられる様になったら、カピウの戦意にますます火が付いてしまう。

「お願い……教えて、テツ。そうじゃないと、私はおかしくなってしまう」

 耳元のカピウの懇願は切ない。だが、その奥には明らかな殺意が滾っている。

「お願い……じゃないと、皆殺しにするまで、止まれない……」

 カピウの指が頬の傷跡を撫で、肩へと降りる。その手はひどく震え、爪を立てるのを辛うじて堪えている。かつて竜馬の死を知って崩れ落ちたカピウの姿を思い返すと、鉄之助はこれ以上堪えられなかった。

「灰色の軍服で、旗は赤白赤、丸に三つ葉柏……」

「ありがとう」

 びっと茶請けのように軽々と噛み切ったのは、マスケットの紙薬莢である。ただ今までと違い、端が赤く塗られている。

「トサ……リョーマを奪ったトサを……私は許さない」

 もう、その手は震えていなかった。流れるように正確な手つきで弾を込め、びしりと構えた。もはや毛ほどの戸惑いも、恐怖もなかった。

 瞳に暗い炎を滾らせ、口元に僅かな笑みを浮かべて、カピウは躊躇いなく引き金を引き、手近な灰色の軍服へ向けて散弾銃を浴びせる。ただでさえ射程の短いマスケットを切り詰めた散弾銃、至近距離なら確殺も狙えるが、少し距離が開けば手傷を負わせるのが限界である。ところが、

「がっ……ぐあああっ!」

 手傷を負った土佐兵はみるみる苦しみだして崩れ落ち、泡を吹いて痙攣しはじめたではないか。

「カピウ?!一体何をした?!」

「狩猟用のトリカブトを仕込んだ、猛毒の散弾だよ」

 かつてアイヌが狩猟に用いた毒矢に使ったものだ。トリカブトやアカエイを元に、呪術的な呪いも込めた猛毒である。カピウはこれを散弾へ混ぜ込んだのだ。

 改造散弾の作る傷はさほど大きくないため、少し離れれば致命傷にはならない。しかし、そこから潜り込んだ毒は、その瞬間から焼けるような苦痛を与え、あっという間に戦闘力を奪う。戦場で悶絶していれば、どのみち命はない。

「狩りに使う毒だから……加熱すると弱まる。だからと言って、一瞬で全ての毒効が消えるわけじゃない」

 さっきの紙薬莢の中身を猛毒散弾と知り、鉄之助は更に後悔した。自分たちは、本当に手に負えないところまてカピウを追い込み、苦しめ、徹底的に歪めてしまったのだ。

「苦しめ、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、苦しみ抜いてそれから死ねッ!リョーマが受けた痛みを、苦しみを、ほんの少しでも味あわせてやる!」

 罵るその頬を一筋の涙が伝った。極限まで押し固められた狂気が静かに溢れている。カピウは知らない。土佐藩兵の多くが、竜馬と同じ辛い目に遭っていた下士であることを。それを知ったら、今度こそカピウの心は壊れてしまうだろう。

 鉄之助は覚悟を決めた。自分が彼女を歪めた罪を背負うと。いつか地獄へ落ちても、地獄の底でも守り抜こうと。

「……行くぞカピウ!新政府軍は、まだまだいる、生きて帰るぞ!」

「うん!」

 二人は戦場を駆け抜けた。前線を粉砕し踏み荒らし、屍の山を築いては、そこに歩兵を引き込み、敵軍の傷口を広げて毟る、それが役目だ。

 鉄之助は自分と土方が狂気の最先端にいると思っていた。戦に最も狂い、最も酔いしれていると思っていた。それは名誉と夢を含んだ前進する狂気であった。

 だが、おそらくカピウは更に一歩深く狂っていた。彼女の戦いを後押しする狂気は、心の奥深くに刻まれた傷と、それに伴う痛みと恨みが凝縮された、深く濃い憎悪の産物だった。言うなれば、過去に囚われたまま戦っているのだ。

 土方の狂気と共に倒れるのは、鉄之助にとって名誉であった。最期はドブに落ちようが、なお前進する意志があった。しかし、万が一カピウがこのまま死ねば、彼女は永久に過去と憎悪に囚われ続けてしまう。それだけは絶対に許せなかった。

 それが、鉄之助の戦い方を変えた。

 昨日までの、肉も骨も切らせて心臓を穿つような、己を顧みない戦いではない。死神に皮一枚、髪の一房だけ渡して逃れるような、文字通り死中に活を見出す戦いへと変りつつあった。

 過度の突出は控え、味方との連携を重視する。それでも最前線は最も危険な地帯である。だがギリギリのやりとりを繰り返す中で、斎藤率いるアイヌ別働隊のヘールロケットや狙撃が、遠くから幾度となく窮地を救ってくれた。

 狂気的に突出した戦果ではないが、損耗を抑えた戦いは、戦術の枠を超え、やがて戦そのものの支配権へと手を伸ばしたようであった。

 鉄之助とカピウの武功は高かった。前線を踏み荒らす若き鬼の後継者と、掠っただけでも泡を吹かせる凶悪な散弾をばら撒く少女。その鮮烈な組み合わせは、瞬く間に戦場の華の座へと駆けあがり、兵たちの心を掴んでいた。


 その夜、軍議を終えた土方の幕僚用天幕には、鉄之助とカピウの姿があった。十人近くが詰めて軍議ができる大きなものである。ここで一晩明かしたいというのは、鉄之助からの申し出であった。

 昼の暴れ方からして一人にしておくのは余りに危うい。かと言って二人きりでは……と口ごもる鉄之助に、土方はあっさり言い切った。

「は?連れ込んじまえよ、士官用天幕あるんだから……寝坊しなきゃ許すぞ」

 当然のように言われて鉄之助は吹き出した。

「ちょっ……!何を言ってるんですか土方さん!そんな場合じゃないですよ!」

「そうかあ?……まあ、お前がそうしたいなら構わんが……後悔すると思うがなぁ」

「二人は……さっきから何の話をしてるの?」

 遠回しな言い方では判らなかったのだろう、カピウは怪訝な顔をしていた。

「いやいや、いいんだ。ほら、久し振りに三人で喋りましょうよって話したんだよ」

 むしろ、鉄之助の照れ隠しが一番露骨だったまである。


 五稜郭からの補給のおかげで、この野営地は物資に苦しむ様子はなかった。白米と芋の味噌汁、刻んだ漬物に炙った干し魚と、戦地にしてはかなり恵まれた食事が出来たのは、五稜郭からの補給のおかげだ。

「ど、どうやって食べるのこれ……」

 困ったのはカピウである。基本的に汁物鍋物で食事を済ませるアイヌにとって、和人の一汁一菜は馴染みが薄い。同じく箸使いすら少々ぎこちないものだった。

「好きな順番で食べれていいんだよ、箸で一口ずつ」

 目の前で実践してみせる鉄之助であったが、カピウはしかめっ面である。

「……面倒くさいなぁ。一つにまとめちゃダメなの?あと、匙があると嬉しいんだけど……」

「匙かぁ、炊事班に聞いてくるよ」

 席を立とうとしたところで、味噌汁をすすっていた土方が口を挟んだ。

「いいのか、カピウ」

「……何が?」

「蝦夷ではそれでいいが……お前はいつか京都に、坂本の墓参りに行くんだろ?

 内地で毎回そうするのは辛いぞ。好奇の目に晒されるのは不愉快だろう?特に京都人は意地が悪い、あいつら聞こえるところで田舎者呼ばわりするからな」

「そっか……じゃあ、やってみようかな」

 土方の言葉に、カピウは箸を持ち直した。見様見真似で箸と茶碗を持つ姿に、土方も頷いた。

「じゃあ、今回は自分が魚だけ……バラしてあげようかと思うんですが……」

「好きにすりゃいい」

 それでも世話を焼く鉄之助に、土方は薄く笑ってそれだけ答え、メシをかっ込んだ。


 食後も様々な報告に目を通しながら、土方はしばらく二人の動向を見守った。最初こそは微笑ましいものだと笑っていたのだが、やがて笑みは引っ込み、眉間を抑える羽目になった。

「ははあ……」

 鉄之助に対するカピウの情念は、もはや懐いたとか惚れたとかの次元ではない。依存だ。常に鉄之助が視覚に入っていないと落ち着かないのか、僅かな時間の間に何回も何回も鉄之助を見やる。何処かへ行こうとする度に同行しようとするものだから、鉄之助は手洗いに行くのも難儀している。

 思うに、深く押し止めた心の傷が、戦場という命の危機によって膿みつつあるのだろう。もしも鉄之助が手を出して、万が一死にでもしたら、その場で後を負いかねない危うさがある。

「こりゃあ……重症だ」

「土方ニシパ……何か言った?」

 そのくせ耳ざとい、これだから女というものは恐ろしい。

「……いい耳してんじゃねえか……アレだ、今日はとっておきの茶請けを出してやる。そう言ったのさ。鉄、茶を淹れてくれ」

 そう言って奥から引っ張り出したのは、大福であった。

「うわ……なにこれ美味しい!流石ニシパのとっておきだ!」

「ずるいや土方さん、こんなの隠し持ってたなんて」

 揃って大福を頬張り、二人は無邪気に声を上げた。そんな二人に土方は口の前で人差し指を立ててみせた。

「とっておきって言ったろ?あんまり大声出すなよ」

 こうして茶を啜っている間も、カピウは常に鉄之助のすぐ隣にいようとする。試しに鉄之助に何かを持ってこさせると、やはり一緒に歩いてくる。

「ふぅむ……カピウ。そんなに鉄が心配か?」

「え?……あ……ダメ?」

 ここで迷惑そうな顔をしたり、鉄之助が迷惑そうだと指摘したら確実に抉れる。直感で確信した土方は、心底どうでもいいといった風な会話の温度を死守した。

「別に。俺は毛ほども困らねえからいいんだけどよ……まるで赤子の世話でもしてるみてえだなって」

「あ……う……テツは、イヤ?」

 鉄之助も似たような予感はあるのだろう。遠慮気味の苦笑いを浮かべて返す。

「イヤじゃないけど……ちょっと近いなって」

「ごめん……でも、なんか放っておけなくて。

 テツが戦うのは……仕方ないって判ってる。でも、戦い方が危なっかしくて……側にいないと、いきなり突撃しそうで……不安なんだ」

 目線を落とすカピウの肩に、鉄之助はそっと手を置いた。それはまるで卵に触れるような、優しい手つきである。

「大丈夫だよ、と言うか何だと思ってるんだ自分を。安心しろ、どこへもいかないから、落ち着いてくれ。ほら、座って」

 鉄之助の目は優しい。だが優しすぎる。

 土方は気づいた。カピウが編み出した凄惨な戦法が生み出す罪、鉄之助はそこまで自分で背負おうとしている。

 だとすればこれは、カピウの一方的な依存ではない、共依存だ。

 馬鹿め。戦いに身を投じたのはカピウの意志だ。凄惨な戦い方を選んだのは、カピウが自身の非力を知り、それでも戦うべく考え抜いた結果なのだ。その責任を背負うことは、出過ぎた真似だ。冒涜に近い。しかし、ここでは口が裂けても言えない。

「ふうん。おっ、この大福こしあんか……珍しいな。でもうめえや」

 どうでもいい口調を装っているが、土方の内心も複雑だ。共依存となれば話は更に面倒くさい。だが、この苛烈で凄惨な戦場で、兵たちの心のよすがを勤める少年と、昨日まで戦いを知らず、いきなり最前線に飛び込んだ少女に、何かに依存するなと言えるだろうか?無茶だ、そうでもしなければ、二人の心は戦場に耐えられない。

「……流石に塩あんびんはなくてよぉ」

 土方は二人に興味がありませんよ、という顔を保ったまま、どうでもいい話に興じてみせる。

「塩あんびん?……なんですかそれ?」

「砂糖じゃなくて塩で小豆を煮て、そのあんを餅で包んだ菓子だ。食う時に砂糖をつける」

「……なんか美味しくなさそう」

「自分にも想像つかないです」

 カピウは顔をしかめ、鉄之助は苦笑い。甘い小豆に慣れた鉄之助に言われるならともかく、先入観のないだろうカピウにまで言われるのは地味に堪えた。

「……知らねえ奴全員そう言うんだ、武州にしかねえのかなぁ……そういや京都にもなかったな」

「近藤さんや沖田さんも食べてたんですか?」

「近藤さんは苦手そうだったな、総司は……一口食って俺に押し付けた」

「……全国に広がらない理由判ったじゃないですか。近藤さんの苦手なんて初めて聞きましたよ自分」

「いや……源さんは好きだったぞ」

「やっと二人目じゃないですか。そりゃ広まらないですって」

「クソが……否定できん」

 心底悔しそうに歯の隙間から漏らす土方に、カピウが吹き出した。こうしてへらへらと甘味話をしている間も、土方の頭の中はぐるぐると考えが巡っている。

 長年にわたり、鈍刀をぶらさげた京都のごろつきから、ガトリングを構えた新政府軍まで相手に渡り合い、よすがどころか今やは象徴まで勤める土方と二人では、心のこなれ具合が違う。本来なら数年かけて慣れていくべきこの重圧、若人の肩にいきなり背負わせるには重過ぎるのだ。

 何かに依存するのは、心を守る本能とも考えられる。ここで無理に引き離すと火に油を注ぐだろう。最悪、土方に反感すら覚えかねない。それくらい、男女の情は強く繊細で、手に負えないのだ。

「……まあ、あれだ、天幕は狭いんだから……二人してばたばた動くんじゃねえよ……これでどうだ?」

 土方が取り出したのはそこそこの長さの紐である。

「これをテツの腰にでも結わえて、片方をカピウが……」

「勘弁してください。今日一日、馬から落ちないように縛られてたんですから」

 うんざりした口調の鉄之助に、土方は頭を抱えそうになった。

「おおう……じゃあ……こっちならいいだろ」

 近くの棚から引っ張り出したのは、二つの呼子笛であった。宮古湾海戦での使い勝手が良かったものだから、幾つも作らせておいたのだ。

 試しにカピウがそっと吹いてみると、存外甲高い音がする。思い切り吹けばこの比ではないだろう。感触は悪くない。

「二人にやる。符丁を決めて、逸れたら吹けばいい。これならいいだろ?」

「うん……ありがとう土方ニシパ」

 カピウが笑った。少なくとも表面上は、かつて陸軍府に入り浸っていたころの笑顔に見えた。僅かな無理、あるいは不満があるのかもしれないが……今よりはマシなはずだ。

 そうして暫くは雑談をしていた三人であったが、やがてカピウは大きく船を漕ぎ始めた。「寝とけ。明日生きるためにも」

「……うん」

 天幕の片隅に拵えた寝床へカピウを押し込む。少々が寝息を立て始めるまで、さしたる時間はかからなかった。

「鉄も寝とけ」

「土方さんこそ」

「……俺はもう少しやることがある」

「手伝います」

「もう終わる、寝とけ」

 少し間をおいて鉄之助は切り出した。

「もしもここを突破されたら……蝦夷共和国はおしまいでしょうか?」

「一応、釧路や十勝方面に退却する計画はあるが……榎本さんは乗り気じゃない。

 なにしろあっちじゃ、今のように組織立った戦いは出来んだろうな。国と言い張るの厳しいな」

「それでは……いっそ樺太に亡命政府の樹立でしょうか?」

 ここまでが鉄之助の想定である。果たして、彼の崇める軍神は、それ以上の答えを出してくれるのだろうか?

「それも悪くないが……いっそ、ロシアに渡っちまうか」

「ロシアに?!」

 予想外の答えに、鉄之助は声が裏返った。

「そうさ。一旦国は忘れて、傭兵でもすればいい。そうさな……いずれ日本とロシアは戦になる。早けりゃ二十年、遅くても三十年後にはな。

 その時蝦夷に舞い戻って、奪い返せばいい。まあ、ここで返り討ちにすりゃあ、そんな必要ないんだけどな。なかなか一発逆転ってのは難しい」

 せせら笑う土方を見て、鉄之助は安堵した。やはりこの人は凄い。どんな逆境でも絶対に諦めない。そんな遠い未来でも戦う気でいるのだ。この人の理想こそ自分の理想だと、胸がすく思いであった。

「鉄、カピウも連れて行くか?」

「はい……って、何言わせるんですか!……それは……」

 わかりやすく狼狽する鉄之助に、土方はもう一度笑った。

「イヤとは言わんと思うがな。さぁ、判ったら寝とけ」

 胸のつかえが取れたのか、鉄之助はほんの少し晴れ晴れとした顔で頷いた。

「では……何かあったらお呼び下さい」

「おう」

 カピウから少し離れたところに腰を下ろした鉄之助は、刀を抱く形で眠りに落ちた。

 二人がすっかり深い眠りに落ちた頃、土方は天幕のすぐ外、垂れ込める静寂の中に気配を感じた。敵意はない。

「どなたかな?」

「よろしいですかな?土方ニシパ」

 キムンコルの声であった。斎藤率いるアイヌ別働隊は、この近辺で遠距離からの援護を主としていたのだ。

 なればこそキムンコルは目の当たりにしていたはずだ、娘が戦場で引き金を引く様子を。

「申し訳ない」

 キムンコルが腰を下ろすと同時に、土方は深く頭を下げた。

「娘さんを……巻き込んでしまった」

「気になさらず……強制されたのではなく、自分の意志ならば、私が口出しすることではありません」

 セリフこそそうであるが、キムンコルの口調は重く、晴れない。

「喜ばしくはないかもしれないが……この一団の長として、礼を言わせていただきたい。

 この戦線を維持できるのは、カピウの力も大きいのです」

「そうでしたか……この子の母親は十年ほど前に労咳で亡くなりましてね……それからは落ち込んで、何かあると塞ぎ込み、泣いてばかりでした。

 その娘が、そんな大きな役割を背負うとは……はは、時が経つのは早い」

「和人とアイヌが手を取り、共に戦う。しかもアイヌとしての技術を駆使して……カピウは、蝦夷共和国の未来の象徴の一つであり、和人とアイヌの架け橋となり得る、貴重な存在だ」

「それは結構ですが……別段、望んだわけではないのですがね……」

 キムンコルの複雑な表情が胸に刺さる。カピウの力も借りねばならない自分たちが歯痒い。

「誇らしい気持ちもあります。しかし……なかなか、割り切れないものです」

「本当に……すまない」

 キムンコルはちらりと鉄之助に目を向けた。いつの間にかカピウは、鉄之助の軍服の裾を握りながら眠っていた。

「彼がテツですか……ウチではいつの間にか、彼の話ばかりするようになっていました……はは、随分と熱が入っているようだ」

「そのようです。ご安心下さい、私が目を光らせておりますので、間違いは起こさせません」

「そうでしたか。彼の勇ましい戦いぶりも見えています、嫌いじゃない。ですが……」

 キムンコルが言いたいことは推測出来る。娘の命だ。今でこそ一応安全であるが、万が一敗れて新政府軍に捕らわれればその限りではない。まして猛毒散弾等という凶悪な武器を持ち出したカピウは、恐ろしい目に遭わされるだろう。

「わかっております。この戦いに、最後まで付き合わせるわけにも行きません。

 どうしようもなくなったら……二人を逃がします。その時はどうか……力を貸してやって下さい」

 もう一度土方は頭を下げた。

 実を言うと、先ほど鉄之助に語ったロシアで傭兵をやる計画に、二人を連れて行くのは余り気が進まなかった。危険なのもそうだが……若い二人なら、まだ引き返せると思っていたのだ。

「娘さんを巻き込んでおきながら、斯様な申し出が恥知らずなことは承知の上です。ですが……」

「頭を上げてください、土方ニシパ」

 キムンコルは大きく頷いた。

「十勝や釧路には私の親戚がいる。あっちは函館ほどは拓けていないから、新政府軍の力が及ぶのはずっと先でしょう。二人くらい、匿うのも簡単です」

「……かたじけない。万が一のときは、お頼みいたします」

「一応娘が無事と知り、私も少し安心しました……それでは、そろそろ部隊に戻ります。娘を頼みます」

「承知しております。私よりも、鉄が護るでしょう、それこそ死に物狂いで」

「ならば心強い、では」

 キムンコルが姿を消すと、天幕の周りは再び静寂に満たされた。

「俺も一つ……気がかりが晴れた」

 外をさらさらと流れる風に耳を傾け、土方はまた一人薄く笑った。


※この作品はフィクションです。

事実とされる出来事に大幅な脚色を加えたエンターテインメントです。

実際の出来事、団体、人物に対する批判や意見、主張するいとは一切ございません。

エンターテイメントとしてご覧ください。

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