第五章 函館編その6 第二開陽現る
まずは松前である。
「松前城は城じゃねえ、あんなもん倉庫にもならん」
「なんなら砲撃の目標ですよね、危ないだけです」
かつてこの城は、土方達がいとも容易く攻め落とした城である。そもそもこの城は、「群雄割拠の時代に作られた要塞」ではなく「平和な時代に建てられた権力者の象徴」である。最初から戦闘を意識した作りではないのだ。まして相手が近代の銃砲相手では、背の高い城など遠距離砲撃のいい的にしかならない。
「近隣の丘陵に幾重にも堀を巡らし、釘縄を張り巡らせた陣地が構築してあります、迎え撃つならそっちです!」
それを感じ取っていた鉄之助は、最初から城を捨てていた。銃砲弾に対する防御力も、接近の難しさも、野戦陣地の方がずっとマシである。
銃砲弾が常に飛び交う中で、鉄之助は懸命に戦った。自分の部隊を抱えている訳では無いが、泥まみれの混戦では、時間経過と共に指揮系統が断絶されていく。ならば、士官候補生である自分が、兵を率いて戦わねばならない。鉄之助が尊敬するあの男は、このためにこの軍服を仕立ててくれたのだと、今ならわかる。
鉄之助は自らを奮い立たせて前線に立った。ある時は砲兵を懸命に鼓舞し、ある時は銃を手に撃ちくまり、あるときは誠の旗と刀をそれぞれ手に、兵を率いて突撃を繰り返した。
「怯むなッ!撃ち続けろッ!」
檄とともに飛ばした砲弾は、銃弾をばらまく新政府軍の横隊の一部を吹き飛ばし、あるときは後方の船を直撃させた。狂ったように撃ちまくった銃は持っていられないほどに過熱したが、タライに水を張り、冷やしながら撃ち続けた。
「着剣ッ!構えぇッ!
自分に続け!臆せば今死ぬ!引けば未来が死ぬぞ!突撃ッ!」
こじ開けた戦列の隙に、決死の突撃を幾度も仕掛ける。
手にした加州清光がぎらりと閃く、雷光の刺突はその度に目を、胸を、あるいは喉を貫き鮮血を撒き散らす。やがて刃に脂が巻けば刀を納め、死体から銃剣を奪って斬り掛かった。血みどろの戦場の経験値は道場稽古の何倍もの密度があるのだろう、気づけは鉄之助は、多段突きを辛うじて四段まで放てていた。
こうして頭から返り血を浴びまくった鉄之助は、多大な犠牲者を出しながらも、新政府軍の進撃を数日にわたって辛うじて食い止めていた。遂に鉄之助は、自らを言い訳のできない直接的な戦争殺人者へと推し進めた。だがそれは、彼が憧れた土方や沖田、新選組の面々と比べれは僅かな一歩でしかなかった。
だが、それもあくまで局所的な奮戦に過ぎない。十日も経てば蝦夷共和国軍は殆どの部隊が撤退しているではないか。未だ前線で食い下がっているのは、鉄之助と、土方を含めたほんのひと握りだけであった。
ここで意地になって踏み止まれば、孤立して袋叩きである。
「残りの味方は?」
「自分が確認してるのは、島田さんと伊庭さんくらいです」
その二人は土方に負けず劣らずの叩き上げだ。最後の最後まで戦うだろう。
「じゃあ……俺たちが殿だな」
「光栄です」
「この次の防御線はどこだ?」
「大規模なところだと、木古内から矢不来にかけてですね」
「矢不来は縁起がいいな、タマコナイとかはないのか?」
「いいですね、そこにも陣地を作りましょう」
二人の率いる部隊は、押し寄せる新政府軍と懸命に戦った。狂ったように撃ち、狂ったように斬りまくった。
手にした銃剣が折れていた事に気付き、適当な死体から、再び新しい物を奪った。眉一つ動かさず、草むらから拾い上げる程度の心持ちである。我ながら随分と肝が据わり、戦の闇へと踏み込んだものだ。
「どうだった?ここの戦は?」
「課題もありましたが、発見もありました」
前線だというのに、戦の真っ最中、砲煙弾雨、血飛沫と火花散る剣戟の下で、二人はいつもの茶飲み話のように語り合った。
「俺もだ、次の陣地で生かそうと思う。何が良かった?」
「新型銃も素晴らしいんですが……個人的には釘縄ですね。思ったよりずっと、敵の動きを制限してくれる。動きを制限すると、鴨撃ちにできます。国産武器でここまで活躍したのは珍しいんじゃないですか?」
「俺も思った。あれはいいな、もっと作っときゃ良かった」
「正直、自分は少し不安だったんですよ、鋼線で作れたらよかったのになぁ、って。でも意外と切られないもんですね」
「そうだな、縄だけでもまあまあ硬いからな。立ち止まってチマチマ切る暇をやんなきゃいいんだな」
「意外でした、薩摩の示現流なら突っ込んでぶっちぎりそうじゃないですか」
「ああ……それは多分ねえな」
「そうなんです、実際なかったんですよ。なぜでしょうか?」
銃声。一度堀に飛び込んで身をかわすと、二人が率いる隊は示し合わせたように別々のところから飛び出し、激戦を繰り広げながら続けた。
「示現流は恐ろしい。だが、あれは初撃に全身全霊をかけてるから恐ろしいんだ。あれなら釘縄はちぎられてた、鋼線でも無駄だったろうな」
「……今は違うんですか?」
「違う」
すれ違いざまに一人切り捨て、片手に構えた拳銃でもう一人撃ち倒した土方は、迫りくる新政府軍の前線を睨んだ。
京都で見た示現流の使い手の本気は、全身が丸ごと一発の弾丸のようであった。防がれようが、避けられようが、相手が強かろうが弱かろうが関係ない。打算も恐れも、下手をすれば個人の意志すらない、最も恐ろしいイカレのやり口だ。だからこそ、その初撃が恐ろしかった。
「今は違う。遠距離から射掛けて弱らせてから切り込もうだなんて、そんなの普通だ。身を守って安全に戦うことを考えてる。もう、怖くも何ともねえ。
連中はな、西洋戦術で強くなった分、目が覚めてイカレが抜けちまったのさ。今まで勝ってたから、自分じゃ気付かないだろうけどな」
勝ち誇ったように言い切る土方である。鉄之助は思った。だとすれば、自分たちも弱くなったのだろうか?だか、それを口にする前に土方は続けた。
「鉄……頃合いだ。後は俺に任せろ。伊庭と島田も連れて引け」
「何言ってるんですか!自分が残ります、土方さんが引いてください!」
新政府軍の大砲が吠える。二人は堀に飛び込み砲弾を躱したかと思えばすぐさま飛び出し、戦いながら撤退を押し付けあった。
この状態で最も危険な殿を買って出るのは、命を呈して味方の退却する時間を稼ぐということだ。両者とも固い決意がある。
「強情なやつだな。いいから行って、次に備えろ。こういうのはオッサンの役目だ」
「陸軍奉行並がやられたら士気にかかわりますッ、士官候補生なんていくらでもいるんです!土方さんが撤退してくださいッ」
二人の言い合いはどんどん過熱していく。土方に至っては鉄之助の胸ぐらを掴んでいる。しかし鉄之助も負けじと声を張り上げる。
「ふざけんな鉄、おめえには――」
「土方さんの肩には――ッ」
二人は同時に怒鳴った。
「武士の魂を引き継ぐ役目があんだろ!」
「蝦夷共和国の未来がかかっているんですッ!」
どちらも正しい。どちらも守らねばならない。そのためなら、どちらも命を捨てられる。
だからこそどちらも折れない。しかしこのまま共倒れでは、そのどちらも失われてしまう。
「このガキ……」
「偏屈ッ!」
このままつかみ合いのケンカを続けるわけにもいかない。二人は苦い顔で戦線に向き直る。
「くそっ……」
「お願いです、下がってくださいッ、土方さん」
「こっちの台詞だ馬鹿野郎」
互いが互いの正しさと重要さを理解し、その気持ちも理解している。だからこそ引き裂かれんばかりに苦しい。
その時、上空から何かが降ってきた。筒状の何かが次々と降り注ぎ、新政府軍の前線で爆発を引き起こしている。結構な火薬が詰まっているらしく、直撃すれば人が吹き飛ぶ程度の威力があるようだ。
「……今だ!」
「はいッ!」
突然の謎の攻撃に新政府がたじろいだ隙をついて、土方と鉄之助は嵐のように切り上げた。
正体不明の攻撃は、二人が撤退を開始すると、更にかなり遠距離からの一方的な射撃まで加わる事態となった。辺りを見渡すが、どこにも射手の姿が無い。
「一体……どこから?」
「後で教えてやる!死にたくなきゃずらかるぞ!」
出どころの分からない攻撃ほど、足止めとして有効なものはないだろう。これにより土方と鉄之助は、なんとか生きて江差方面から撤退したのであった。
木古内から矢不来にかけては、大規模な防御線と野戦要塞が築かれていた。効果のあった堀と釘縄は更に何重にも張り巡らされ、遠目には鉄で作られた茨の巨大な迷路のようだった。
その奥の野戦城にたどり着いた鉄之助は既に疲労困憊であった。初陣こそ出番のない鳥羽伏見で済ませていたし、先日の宮古湾海戦の山場は一刻程度。それに引き換え十日近く戦い続けた江差から松前の戦場は、鉄之助の気力体力共に大きく削っていた。
「敵わないなぁ……」
ぼんやりと眺めるのは土方の背中である。鉄之助と同じくギリギリまで戦い、共に追撃を振り切りながらここへ駆け込んだというのに、腰も下ろさずに周りの状況を聞き、適切に指示を出している。
その背中は、鉄之助にとっては軍神と呼ぶに相応しい姿であった。
「よかった、撤退出来たんですね」
いつの間にか隣にいたのは斎藤であった。手にした握り飯を差し出してくる。
「食えますか?いや、無理にでも腹に押し込みたまえ」
「……はい」
極度の疲労にあった体は、塩を効かせた握り飯の嚥下を拒んだが、鉄之助はそれを意地で胃袋へ流し込む。
「まさか最前線で殿の取り合いをしているとは……変なところが土方さんと似てきましたね」
「え?どこかで見てたんですか?」
「ええ、少し離れた小山から」
「おう斎藤、お前も生きてたか」
報告と指示が落ち着いたのか、土方が腰を下ろした。
「どうぞ」
「ありがてえ。鉄も食っとけよ」
土方はガツガツと握り飯を貪った。流石に叩き上げは根性が違う。
「いやぁ、助かった……撤退の隙を作ってくれたのは、お前らだよな?」
「はい。グラバー商会の武器が役に立ちました」
「あれか……やたらとクセが強い武器だと思ったが、クセの強い戦法とは噛み合うようだな」
「効果的です」
頷く斎藤を見て、疲労に鈍った鉄之助の頭は、やっと状況が飲み込めた。
「ああ、あの謎の爆発と姿の見えない射撃!あれは斎藤さんとアイヌ部隊の援護だったんですか……助かりました!
あれは……なんなんですか?」
「爆発はヘール・ロケットとかいう飛び道具ですね。竹刀ほどの長さの鉄の筒に火薬が詰まっていて、火をつけると飛んでいく。言うなれば、自力で飛ぶ砲弾でしょうか」
「グラバーの見本市で見たろ、大砲の横に置いてあった、尖ったやつだ」
「ああ……あの長い砲弾みたいな……ですか?……ああいう武器だったんですね」
鉄之助にはなんだか判らなかった鉄の筒、どうやらあれが爆発の正体だったらしい。
筒の内部には、炸裂用と推進用、二つの火薬が入っており、燃焼によって空を飛ぶ。尾部の羽できりもみしながら飛んでいくので、ある程度狙ったところに火薬の塊を叩きつけられるという代物であった。飛距離は大砲に劣るが、携行性が高く、山を歩き回って身を隠しながら打ち込むアイヌ部隊にはうってつけの武器であった。
「じゃあ……その後えらく遠くから撃ってたのも?」
「あれは、ホイットワース銃ですね。単発の紙薬莢なので連射は利きませんが、射程距離の長さと射撃精度が素晴らしい」
こちらも、見本ではよくわからん扱いをされた、六角形の穴を持つ銃であった。銃身内と弾丸が両方六角形をしていることで、銃身の摩耗を抑え、安定した弾道での遠距精密離射撃を実現させていた。単発銃なので連射性は低いが、長年山で狩猟をしてきたアイヌと相性が良かった。
「流石だ斎藤。よくあの場にいてくれた」
「いえ、とにかく武器とアイヌと相性が良かった。和人ではあれほど上手く扱えなかったでしょう」
アイヌの優れた耳目と、斎藤の冷静な判断、山に囲まれた戦場が、辛うじて彼らの命をつなぎとめたと言える。
「運が良かった。なにしろ蝦夷は、二人の英雄を失わずに済んだのですから」
「なにを歯の浮くようなことを、なあ鉄?……ん?」
いつもなら即答で声を張り上げる鉄之助が答えない。
「……おっと」
とうに限界を超えていたのだろう。鉄之助は腰を下ろしたまま、糸が切れたように寝落ちしていた。
「無理もありません……この歳で」
「だな。よく頑張ったな、鉄之助」
だが、それで戦は終わらない。江差の敗北から僅か半月、蝦夷共和国は木古内の防御線まで新政府軍の進軍を許した。
常にどこかで銃砲撃が飛び交う戦場の中でがむしゃらに戦う。効果的だと判断された釘縄は更に何重にも広く張り巡らされ、新政府軍の進撃を大きく阻んだ。堀と釘縄を挟んだ銃撃戦は、ますます激しくなる一方であった。
防御線は海岸線から近いので、艦砲射撃の援護も受けられる。だが、それは新政府軍も同条件である。どこかで味方の防御線が破られそうになれば、回天の砲撃支援が敵陣のど真ん中に砲弾を叩き込む。横隊を食い破ろうと決死の突撃を仕掛ければ、甲鉄の砲撃に蹴散らされる。軍艦同士も少しでも味方を援護すべく、互いに撃ち合い場所を奪い合っているのだ。
もはや敵も味方の区別すら曖昧、硝煙に煙り泥と血にまみれた地獄絵図が、海にも陸にも広がっている。誰が生者で誰が死者なのか、それすらわからない。その日も鉄之助の刃は、がむしゃらに無数の屍を積み重ね、その上で辛うじて生存を掴み取った。
「……気付かれていませんか?」
ある夜、頭を上げることも出来ないほどに疲れ切った鉄之助が呟いた。
「何がだ?」
「開陽が……偽物だと」
函館港にはあれからずっと、帆船を改装した偽装開陽が浮かんでいた。見た目だけは本当に良くできている。あれが睨みを効かせている限り、新政府海軍も大胆な行動には出られない筈だった。如何に甲鉄が強力といえど、開陽は決して侮れる相手ではないのだから。
しかし、函館からは木古内は湾を挟んだすぐ向かい。いくら虎の子と言えど、ここまできて開陽を投入しないのは無理がある。それに気付かないほど新政府も愚かではないだろう。
「最初は……新政府艦隊も函館方面を気にしている様子がありました……でもここ数日……」
「気にしていない、か」
「はい……」
もしもバレたのであれば、最早無用の長物である。わざわざ沈めるまでもないが……と、そこでまた土方は思いついた。
「バレたなら仕方ない。どうせ無用の長物、最期に派手に暴れさせてやろう。伝令出せ、榎本さんに届けろ」
それから少し経った新月の夜。蝦夷共和国の一部が野戦城から密かに抜け出した。しかし新政府陸軍に夜襲を仕掛ける様子もない。
そもそも新政府軍は、かつて東北にて土方の夜襲を受た苦い経験があるため、夜間警備が常に厳しいのだ。
しかし彼らは攻めることもなければ、逃げるでもなく海岸線に展開すると、粛々と砂嚢を積み上げていった。そこに巨大な陰が音もなく迫るのも、新政府軍には分からなかっただろう。
そして翌朝——。
海上の霧が晴れた瞬間、突如として海岸に巨大な影が姿を現していた。まさかの光景に、誰もが目を疑ったろう。
新政府軍が混乱する一方、蝦夷共和国の兵たちは歓声を上げ、誰かが軍帽を振りかざして叫んだ——
「——開陽だ!」
「開陽が……!」
「開陽が戦場に帰ってきたぞ!」
昨晩、闇に紛れて出航した偽装開陽は、静かに帆走して海岸に座礁し、自らを巨大な固定砲台としたのだ。帆船ならではの隠密作戦であるが、あまりに大胆なやり口であった。一夜城ならぬ、一夜砲台である。
見た目だけはそっくりだが旧式砲しか積んでいないハリボテ、そんな偽装開陽にできることは殆ど無い。こうして海岸に根を張り、最後の最期まで砲を撃ち続けることが、唯一にして最大の支援であった。
偽装開陽――いや、第二開陽に積まれているのは旧式砲ばかりであるが、他の船は座礁を恐れて一定以上陸には近寄れないし、水上は揺れる。浜に大きく座礁した分、第二開陽は戦場のどの軍艦よりも近くから、大地に横たわり安定した砲撃によって戦線を支援する。昨晩闇に紛れて積み上げた砂嚢は即席の防壁となり、多少の銃砲弾にはびくともしない。
そしてなにより、かつて失った心の拠り所を取り戻した蝦夷共和国軍は、大きく奮い立った。
「蝦夷共和国に開陽あり」
「甲鉄に砲台になって戦う勇気があるものか」
船としては殆ど機能停止しているものの、第二開陽はその名に相応しい働きをしてみせたのだった。
第二開陽によって、戦場は海と陸に大きく別れた。海は甲鉄と回天をそれぞれ筆頭に艦隊戦が、陸では防御線の奪い合いが勃発した。
旧式砲ばかりの第二開陽であっても、海岸からの歩兵の援護は強力である。新政府軍の陸軍は自然と内陸寄りの針路を取らざるを得ない。進軍経路の選択肢が狭まるのと、張り巡らせた釘縄が、ある程度の兵の流れを作る。自然と両軍はそこ火線が集中していく。
当然敵も馬鹿ではない。追い込まれるのは承知の上と、砲撃を一局集中させ、張り巡らせた釘縄の一部を根こそぎ吹き飛ばす。綱の強度の限界である。
「釘縄破られました!新政府軍の突撃が来ます!」
「そうか、案外遅かったな」
土方も流石に大砲を出されれば釘縄が破られるのは承知の上であった。更に言うなら、釘縄を破ったところに歩兵が雪崩込むのも含めて。
大量の兵がどこに押し寄せるのかが大体分かっていれば、こちらはそこに、グラバーから購入したガトリング砲を向けておくだけである。
「ハチの巣にしてやれ」
土方が手を振り下ろすと、回転する銃身が唸りを上げ、無数の鉛玉と鎖のように連なる銃声が辺りを揺るがす。その度に吹き荒れる弾丸の嵐が血の雨を降らせ、死体の山を築いていく。出鼻を挫かれて踏みとどまる最前線と、後ろから押し寄せる後続が、ひとつの団子に纏まったところで、
「吹きとばせ」
次の号令で十二ポンドアームストロング砲が吠える。落雷のような轟音とともに無数の砲弾が降り注ぐ。そのいくつかは戦列のど真ん中を見事に捉え、無数の兵士をおもちゃのように吹き飛ばした。
「踏み荒らせ」
更に次の号令が騎馬隊を解き放つ。新政府軍は自らがやっとの思いで突破した釘縄の切れ目から、怒涛の勢いで雪崩込む騎馬隊に切り込まれ、真っ二つに断絶された。もちろん突っ込んだ騎馬隊が敵中で孤立せぬよう、近くの森からアイヌのロケットと精密射撃による援護が断続的に仕掛けられている。頭数にはやや乏しいが、連携の回復は許さない。
「畳み掛けろ」
最後とばかりに押し寄せるのは抜刀した歩兵団である。その先頭集団には、誠の旗を掲げた鉄之助の姿もあった。
鉄之助は先頭に躍り出ると旗を地面にどっかと突き刺し、抜刀して吠えた。
「共和国陸軍突貫せよ!幕府の、蝦夷の……いや、鬼の軍監、軍神土方歳三の恐ろしさを奴らに刻みつけてやれ!」
ここへ来て鉄之助は燃えあがった。小柄な少年とは思えない鬼気迫る迫力と力強さは、戦場の一角で陽炎を立ち上らせるような熱量があった。誠の旗は三度倒れたが、鉄之助は三度立て直す。斬撃が閃くと鮮血や切り落とした指や腕が飛ぶ。その悍ましくも壮絶な戦いぶりは、遠目ではあったが土方からも確かに見えていた。
新選組は終わっていない。武士はまだ死に絶えていない。土方にそう確信させる勇猛さを感じた。
鉄之助の奮戦が兵を鼓舞したか、土方の戦術がはまったか、あるいは第二開陽という心の拠り所のおかげか、共和国軍はこの日、防御線を大きく押し返す奮戦を見せた。
しかし、その代償は小さくなかった。その夜土方の所へ戻ってきた鉄之助は、脚に幾重にも布を巻き、兵に肩を借りていたのだ。
「すみません、土方さん……油断しました」
「撃たれたのか?」
「腿とふくらはぎを。弾は貫通していますし、大きな血管は無事です」
「……座れ」
滲んだ血があまりに痛々しい。手近な弾薬箱へ腰かけさせる。
「動くか?痛みは?」
「動きます。痛みは今、薬で和らげています」
ならば骨や神経は無事だろう。命に別状もあるまい。
「……五稜郭へ戻って、しっかり手当して来い」
その言葉に鉄之助は息をのんだ。立ち上がろうとして顔をしかめ、苦悶の呻きを上げる。
「ぐっ……嫌ですッ。自分は、自分はまだ戦えますッ!」
「馬鹿を言え、立ち上がれないやつが走り回れるものか」
「馬なら乗れます!砲兵の……うぐっ、指揮だってできます!だから、だからお願いです土方さん、自分が傍で戦うことを、許してください……ッ」
「ダメだ」
「もう嫌なんですッ!!」
ひときわ大きい怒鳴り声が野戦城に響き渡る。皆がぎょっとしている中、鉄之助は煤で真っ黒な、傷跡残る頬に一筋だけ涙を流した。
「自分が弱いせいで……お役に立てないのが……悔しいんです」
「鉄……歯ぁ食いしばれ」
土方は鉄之助を思い切りぶん殴った。吹っ飛ばされた鉄之助が傍らの弾薬箱に突っ込むと、大勢の兵が駆け寄って彼を助け出した。
「鉄之助殿!気をしっかり!」
「鉄殿!」
「出血はひどくなっていませんか?鉄殿!」
「鉄之助殿!……口を切ってる、誰か水を持ってこい!」
「おう……聞こえるか鉄。今、兵隊はお前のことを何て呼んでる?小僧でも副官でも見習いでもねえ……鉄之助殿、鉄殿って呼んでるじゃねえか。
お前はもう弱かねえよ。共和国軍の心が第二開陽を拠り所とし、陸軍が俺をそうするように、最前線がお前にそれを求めている。ガキのくせに一丁前じゃねえか。
こうなったら、犬死には絶対にさせられん。お前に死なれちゃ共和国が、陸軍全体が、いいや、この俺が困るんだ。だから、五稜郭でしっかり治してこい。いいな?命令だ」
「うぐ……ぐぐ……承知……しましたッ」
「お前が戻るまで、俺たちはここで踏ん張ってやる。帰ってきたら、また頼むぜ。鉄」
鉄之助は滂沱の涙を流し、地面を叩きながら、その命令を受け入れた。こうして鉄之助は、無念にも五稜郭へと搬送されたのであった。
※この作品はフィクションです。
史実とされる出来事に大幅なフィクションを加えたものです。
実在する人物、団体、出来事等に対する意見や意図は一切ございません。
エンタメでございます。