第五章 函館編その4 寄り添う神と支配する神
宮古湾海戦は敗戦か否か、果たして彼らの運命は……
そしてあの男が登場しマース!アンビリーバボー!
おっさんのホラ話にお付き合いくだサーイ!
三日後、船が蝦夷に戻ると、出迎えの中にはカピウたちアイヌの姿もあった。顔をぐるぐる巻きにした鉄之助を見たカピウは、思った通りに青くなって駆け寄り、痛くないのかと大騒ぎするのであった。
その日から、カピウの持ってくる手土産には傷薬が加わった。
「これはヒグマの脂、傷がきれいに治るんだ。塗ってあげるから、こっち向いて」
「いいよ、自分で塗る」
「顔は自分じゃ見えないでしょうよ!いいからほら!」
「ぐいってすんな!それが一番痛い!」
実際脂には効果があったらしく、頬の傷は膿むこともなくすぐに塞がった。正直言うと顔に塗るには獣臭いのであるが、それを言うとまた騒ぎになるし、気持ちはありがたい。鉄之助は黙って塗ってもらっていた。帰還中の暴風雨で処置自体が遅れていたせいか、うっすら傷跡は残ってしまったが、痛みや引きつりはまるでなかった。
「はぁい、今日は焼き菓子だよ」
翌日からまた、食料搬入の在庫管理を陸軍府でするようになったカピウであるが、今日はいつもより少し茶請けが多い。
「なんか多くないか?」
「だってほら、四人分だし。そこにいるでしょ?斎藤ニシパだっけ?」
「え?」
鉄之助が振り向くと、カピウが指した物陰から、斎藤が姿を現した。
「い、いたんですか斎藤さん?」
「ええ……気配を消しておりましたので……まさかいきなり気づかれるとは思いませんでした」
「ああ、アイヌは内地の人より随分鋭いからね。狩猟してる人は多分もっと鋭いよ」
平然とした顔で行ってのけるカピウに斎藤は驚きが隠せない。隠密行動や暗殺までやってこなす自分が、戦いに興味もなさそうな若い娘に、こうもあっさり見つかるとは思ってもいなかったのだろう。
「なんと……」
「ね?みんなでお茶しよ?」
「いや、しかし私まで……」
「良いんですよ、カピウがいるときだけは特別です。土方さんもそう言いますよ」
「そう……ですか……」
その日からは、四人で一服することが増えた。斎藤も最初のうちこそ上役である土方の前で一服するのに抵抗があったようだが、カピウという異文化生まれの少女の前では、そういう気遣いは話をややこしくするだけだと、すぐさま汲み取った。
「カンサツ?それは何?斎藤ニシパは偉いの?」
「偉い……かどうかはわかりませんが、陸軍内で規律や命令がしっかり実行されているか、不正がないかを監視する立場ですね。昔から似たような仕事をしていましたのでね、慣れてるんですよ」
蝦夷共和国に合流した斎藤は、表向きは陸軍監察として土方直轄の部下となった。だがその実、土方直轄の別働隊としての配属である。今は斎藤一人だが、以前は土方軍の三割を率いた男だ、いずれクセの強いのが増えると鉄之助は踏んでいた。
「ふぅん。土方ニシパのすぐ下かぁ、じゃあテツと同じ?」
「まあ、そんなところです」
けろりと言い放つ斎藤に、鉄之助は吹き出した。斎藤はかつて新選組で三番隊を率い、その上で監察を務め、裏切り者を粛清してきた腕利きである。小姓の自分とは明らかに格が違う。
「斎藤さん?!ちょ……副長助勤と小姓を同列は流石に無理ですよ!」
「そうですか?市村君がただの小姓だったのは、もう何年も前でしょう?
先日の海戦でも、君の陣頭指揮は聞こえました。聞けば、あの無茶な捕鯨砲の開発や、作戦立案にも関わったそうではないですか。自覚したまえ、君は陸軍奉行並、土方歳三の片腕だ」
「え?ええ?……いいんですか?」
「はて?土方さん、私の見立ては間違っておりましたか?」
「何も間違っちゃいねえな」
その場で話を聞いていた土方は、涼しい顔で茶をすすり、焼き菓子をかじっている。
「えッ?土方さん……否定しないんですか?」
「しねえよ、何か間違いがあったか?流石に斎藤の上とか言い出したらブン殴ったが……似たような所にはいるさ」
「ほらね。市村君は、私から見ても頼れる後輩ですよ」
鉄之助は震え上がった。何年も憧れ、追いかけてきていた土方から、自分がこれほど厚い信用を得ているとは思ってもいなかった。
「お、恐れ入りますッ」
「礼を言われることはしてねえよ。なあ斎藤?」
「はい」
そうして土方は茶を飲み干した。心なしか上機嫌なのは、焼き菓子が口に合ったのか、鉄之助の成長を喜んでいるのか……鉄之助の目には分からなかった。
「カピウ、ごちそうさん。今日も美味かったぜ。俺は総裁府へ行ってくる。鉄……あとは任せたぞ」
「承知しましたッ」
土方が立ち上がると、鉄之助は弾かれたように立ち上がり、瞬く間に土方の身支度を整え、律儀に見送りまで済ませた。その様子を見て、斎藤は薄く笑った。
「どちらが成長したのやら……」
二人の京都時代を知らぬカピウには、まるで判らないことであった。
「おお、土方ニシパ。いつも娘が世話になっています」
「こちらこそ。あの子は鉄之助のいい話し相手になっている」
榎本の執務室に通されると、そこには先客がいた。キムンコルである。
「ああ、面識あるんですね。それなら良かった」
と榎本が手早く本題を切り出した。
「アイヌの別動隊を作りませんか?土方さん直轄で」
「アイヌの部隊?」
「土方さんもご存じの通り、キムンコルさんはこの辺のアイヌの顔役だ。彼を中心に、戦闘に参加すると志願してくる者もいるのです」
「……いいのですか?娘さんから聞いております、アイヌは殺生を嫌うはずでは?」
目を剥く土方の気遣いに、キムンコルは少し寂しそうに笑った。
「聞いていましたか……ええ、確かに我らは、人を殺せば死後地獄へ落ち、神の国へ行けなくなると信じております。
ですが……わが身可愛さの為に、次世代へ辛い生活を残したくもありません。簡単に言えば、アイヌも娘はかわいいのです」
土方は詳しく知らない。アイヌが受けていた屈辱を。だがキムンコルは、その怒りと屈辱を逆襲の力にしたのではない。彼は将来の子孫のために、少しでも不当な扱いをなくそうと、極めて前向きな、それでいて自己犠牲もいとわぬ高潔な精神を持っている。その精神が土方の琴線に触れた。
「なんと……感服いたしました。しかし榎本さん、何故独立部隊に?陸軍に組み込んでも良いのでは?」
「当初はそのつもりだったんですが……全員がキムンコルさんのように和人の言葉がぺらぺらではないのです。こちらのいう事は理解してくれますが、細かい内容は少し難しい。
それに既存の軍は、西洋戦術以前から、最低限軍略の下地がある。フランス式調練にも慣れていますしね。彼らに一からそれに慣れてもらうくらいなら、いっそ本来の持ち味を発揮できる方が活躍できるでしょう。実際、鉄砲の腕前や耳目の鋭さ、山での行動の速さなどは桁外れだ。これを既存の軍で埋もれさせてしまうのはあまりに惜しい」
土方が来る前から考えていたのだろう。つらつらと並べるその理由は、いちいち合理的である。
「なるほど」
「最後に付け加えるなら、そういうアクの強い部隊を率いるに、土方さん以上の適任はこの国にいません」
榎本が見事にはっきりと断言するものだから、土方は吹き出してしまった。だが、自覚はある。長年やってきたことだ。
「承知しました。丁度、私の右腕に部隊を一つ持たせたかった。潜入、暗殺、諜報、なんでもできる男だから、きっと上手く引き出してくれるでしょう。
よろしくキムンコルさん。私の部隊は、この国で一番荒っぽいですよ」
「望む所です、土方ニシパ」
笑顔で頷くキムンコルの肩を叩いた。力強く分厚い、信頼できる立派な男の肩であった。
「では、アイヌの皆さんと一緒に土方さんのところへ――」
「榎本総裁、釣れました」
丸く収まりかけた所を遮ったのは、執務室に駆けこんできた一人の士官であった。
「どうした?」
こそこそと耳打ちした内容に、榎本は目を見開いた。
「……キムンコルさん、私と応接室へ。土方さんは、隣の部屋でしばらく話を聞いていて欲しい」
土方は眉根を寄せた。聞かせたくないなら追い返せばよいではないか。しかもキムンコルを同席させるとはどういうことだ?何が起きたのだろうか?
「一体なんですか?」
「以前お話ししましたよね、火の鳥の血を世界各国が狙っている、と。私は蝦夷に入ってから、意図的に情報を流布しました、火の鳥は蝦夷にいると。それに大物が食いつきました。トーマス・グラバーです」
「グラバー?あの、長崎の武器商人ですか?」
榎本は頷いた。榎本は、この蝦夷を更に強固な国へ変貌させるつもりだ。
「へぐん!……失礼」
不意に斎藤が発した奇声に、カピウは目を剥いた。目を見開くと、どことなくキムンコルに似てるなぁ、と鉄之助はそれをぼんやり見ていた。
「……何今の?」
「くしゃみです、私の」
「ええ……お、面白いくしゃみするね斎藤ニシパ、風邪?」
「いや、先日宮古湾を泳いだ時も平気だったのですが……噂でもされましたかね」
宮古湾。そう聞いて、鉄之助は斎藤に質問をぶつけてみることにした。
「斎藤さん……宮古湾の海戦、負け戦って本当ですか?」
手拭いで鼻の下を拭く斎藤は眉一つ動かさない。
「誰から聞きました?」
「総裁府で、幹部の皆さんがそう仰ってるのを聞きました」
ふむ、と腕組み。暫く天井を睨んで頭の中をまとめているようだ。
「半々ですね。間違ってはいないが、負け戦は言い過ぎです」
いつも通り斎藤は、平坦で起伏のない口調で答えた。
「……どういう事でしょうか?」
ここで判ったふりをせず、素直に聞きに行けるのが、この若者の長所であり、かわいがられるところだな。斎藤はそう思いながら次を語る。
「あの海戦の目的は、甲鉄の強奪だったと聞きました。結果的にこれには達成できず、蝦夷共和国は死傷者を出しましたね。更に回天は軽微な損傷、蟠竜は損壊、この二つは直せる程度でしょうが、帆船が一隻吹き飛びました。
これだけ見れば……負け戦と言われても仕方がない」
「……そうですね」
見るからに不服そうに頷く鉄之助である。素直な若者だ。
「ですが、甲鉄は沈みこそしませんでしたが、黒焦げでマストが折れ、砲撃や銛で穴だらけのズタボロだ。とても戦闘に耐えられない、本格的な修理が必要です。
しかし宮古湾の港は一部が消し跳び、あの様子ではそれなりの規模の火災まで起きたでしょう。とても軍艦の本格的な修理ができる状態じゃない。そもそもあんな船、大きな設備がないと修理できません。近くの大きな港……最低でも石巻、あるいは品川や横浜まで曳航して修理することになる。時間稼ぎとしては十分に手柄です。
それに、あの港の復旧までは、敵軍全艦隊の補給が随分と不便になる。水や食料もそうですが、蒸気船は燃料が必要ですからね。補給が潰れるのは痛恨だ。
この影響は、あの戦で新政府軍に与えた大損害です。逆に、港を攻撃したついでに軍艦を襲った、と考えると大手柄でもあります。あの戦は上手くいかない点もありましたが、決して無駄ではない、確実に敵の進軍は遅れます、絶対にです」
「……どのくらいでしょうか?」
「流石に軍艦や港の修復は予想がつきませんが……素人目には一か月、あるいは二か月以上の遅れが出るのではと見ております。これはバカになりません。その間に我らは武器を集めることも、調練を重ねることもできる。それだけ蝦夷共和国が強くなるのです。大局的に見れば、勝利に近づいたと言えます」
「そうですか……」
そうは言っても今一つ吹っ切れない、そんな様子の鉄之助を見かねて、斎藤はほんの少しだけ語気を強めた。
「市村鉄之助!」
「うっ!」
超一流の剣客の気迫に、鉄之助は一瞬呼吸が止まった。いつもとは明らかに違う、鋭く熱い激情がそこにあった。
「君は、私が拗ねた子供のご機嫌取りをするような人間だと思っているのか?それは大きな間違いだ、私は君を一人の武士として、敬意をもって接し、称えている。胸を張れ。誰が何と言おうと、君は手柄を立てた。他人の文句が気になるなら、次は文句のつけようない大手柄を立てるべく、自らを研鑽せよ……いいですね?」
そう告げた斎藤は、既にいつもの僅かに微笑んでいるような顔に戻っていた。
「……ハイッ!」
「判ってもらえればいいのです……あ。
すみませんカピウ君。いきなり大声を出してしまった」」
ただ、一喝の余波に巻き込まれたカピウは、声も出ないほど驚いた。ひっくり返ったまま暫く硬直していた。
「あれがグラバーか……騒がしい奴だな」
土方は応接室の隣であぐらをかいていた。グラバーの声はデカい。耳を澄まさなくても十分聞こえた。
「ハロー榎本ジェネラル!そしてエキゾチックなジェントル!ミーがグラバー商会のトーマス・グラバーデース!ナイストゥーミーチュー!」
ズカズカと入ってきたグラバーは満面の笑みでガシガシ二人と握手を交わす。余りの圧に榎本もキムンコルもたじたじであった。
「……ほう」
榎本が感嘆の声を漏らしたのは、差し出されたグラバーの名刺である。
Thomas Blake Glover
Managing Director, Glover & Co.
トーマス・ブレーク・グラバー
グラバー商会代表・経営者
留学経験から海外文化に造詣が深い榎本は、当然西洋人の名詞は知っている。しかし表面にも和訳を一緒に載せるのは珍しかった。何より珍しいのはそこに絵を載せたことだ。右下には帆船、左上には明るい紫色の花が載っている。
「洒落ておりますなぁ……この花は……」
五ヶ国語を操る榎本武揚だが、花には興味がなかったらしい。言葉に詰まっていると、キムンコルが続けた。
「これはアザミだな、蝦夷でも夏に咲く」
「ソウデース!アザミデース!アザミは私の生まれたスコットランドを象徴する花、まさか遠く離れた蝦夷にも咲くとは、初耳デース!。以前、花札に似た名刺を作った日本人がいましてネ!気に入ったので真似しマーシタ!」
「ほう……グラバー殿が日本人の真似を……」
信じられないと言う顔をする榎本に、グラバーは笑いかけた。
「ノーノ―、ジェネラル榎本!アイデアに国境はありまセーン!優れた者には敬意を持って接する、当然のことデース!
残念なから、そのアイデアマンは亡くなってしまいましたが、ネ」
肩を竦めるグラバーに、榎本は生返事しか返せなかった。
「それで……俺は何をすりゃいいんだ?花の名前なんか当てても仕方ないだろ?」
首をひねるキムンコルであるが、榎本は平然としている。
「失礼、グラバー殿、こちらもいろいろ立て込んでおりまして。彼には詳しい話ができていないのです」
「オーウ!それはそれは大変デースね!構いまセーン、わかりやすく行きまショウ!」
クラバーは自分の胸に手を当ててみせた。
「ミーはトーマス・グラバー。イギリスの武器商人デース。蝦夷共和国に、お安く海外の武器を売ってもいいと考えていマース!デモその代わり、火の鳥が欲しいデース!」
ああ、とキムンコルが納得したように頷く。それだけで大体の事情が飲み込めたらしい。
「かたじけない。ではグラバー殿、こちらは蝦夷に昔から住んでいるアイヌのキムンコル殿です。共和国の協力者であり、この一帯のアイヌの顔役だ。火の鳥は彼らの間では、ライピルカ・カムイと呼ばれ、古くから恐れられているのです」
「オーウ、アンダスターン!それでエキゾチックな格好をしてるのデスね!納得デース!
ではキムンコルサン、火の鳥はどこにいるのデスか?連れてこれますカ?
これさえあれば、我が故郷は世界の覇権を握りマース!」
賑やかに騒ぐグラバーに対して、キムンコルはやれやれと髭を撫ぜている。
「ライピルカ・カムイかぁ……うーむ……」
「オーウ、どうしたのデスか?持ってナイ?そらなら場所を教えてくれればイイデース!」
「あー、いや。どう説明したもんかなぁ。
グラバーさん。あんた、日本は好きかい?」
まさかの質問に目を瞬かせるグラバーであったが、すぐに笑顔を取り戻してみせた。
「大好きデス。今年で日本に住んで十年。妻も日本人デース!」
「ほお、そりゃあ結構だ。日本で何か好きなものはあるかい?食べ物とか」
「ンー、そうですネ。昔は生魚がダメでしたが、今は大好きになりましタ!長崎ではスッポンという亀を食べるのですが、アレも慣れるとベリーデリシャスですね!特にポン酢、アレは世界に誇れる調味料デース!最初はめちゃくちゃ咽マシター!」
まくし立てるグラバーに、キムンコルは笑いながら頷く。このナリで意外と聞き上手らしい。
「なるほどなるほど。俺は蝦夷しか知らないんだが、あんたはさぞかし世界を見てるだろう?日本の風景や自然は好きかい?」
怪訝な顔で口を挟もうとする榎本を手で制し、グラバーは楽しそうに答える。
「好きデース!
京都の街並みや、富士山、ここに来る途中で見た三陸海岸も、ダイナミックでファンタスティックでしタ!
デモ、一番は長崎です。海や島々は美しいデース。毎日違う姿を見せてくれマース!」
そこでキムンコルはぱちんと膝を叩いた。
「それだよグラバーさん」
「ホワッツ?どれデスカ?」
「カムイってのは、そういう自然とか季節とか、悪いものだと疫病や災害、そういう色んなものなんだと俺たちは考えている。もちろんそうじゃないのもあるがね。
ライピルカ・カムイもその一つで、ピㇼカムイ・ヌㇷ゚リという火山の化身だ。毒の息で近寄るものを皆殺しにし、ある時は噴火で全てを焼き払う。そうかと思えば地面から新たに森を再生させたりもする、破壊と再生の輪廻が鳥の姿をしているものなんだ。
いくら好きでも、長崎の海は故郷に持って帰れないだろう?それと同じなんだ。無理に手に入れようとするのは、あまりオススメしない。今まで何度も捕まえに行った者はいるらしいが、捕まえたとか血を手に入れたとか、そんな話は聞いたことがない」
榎本は内心気が気ではない。キムンコルが渋るとは思っていなかった。ここでグラバーの機嫌を損ねれば、蝦夷共和国は終わりだと分かっているのだろうか。
しかし、グラバーは涼しい顔で行ってのけた。
「ノープロブレム!持って帰れなくても、支配は出来マス!」
「……何だって?」
「オーウ、キムンコルサン。怖い顔しないでクダサーイ。支配がイヤなら、利用でもイイデース。
我々は、いや欧米諸国は、自然をねじ伏せて来マーシタ。嵐を乗り越え、海を渡り、この蝦夷よりも大きな大陸だって征服しマーシタ。確かに島は持って帰れまセンが、そこで採れる自然の恵は持って帰れマース。それで十分デス!
火の鳥も同じデス!人類はいずれ神の領域へ踏み込みマース。破壊と再生の化身も必ず征服し、利用シマース。
あなたたちがそう信じるように、私たちの神は、天地の間にあるものは、全て人間が使うために作った。私たちはそう信じているのデス。
十年もすれば夜闇に怯える必要はなくなるカモ!三十年もすれば空だって飛べるカモ!ノー!いつか必ずそうなるでしょう!百年後には月へ行き、三百年後には太陽へ行くかもしれまセーン!
であるならば、ここで死を克服しても、何も不思議ではありまセン!鳥の姿をしているなら、むしろ扱いやすいくらいデース」
信じている神が、それに基づく価値観があまりに違い過ぎる。あまりの乖離に、キムンコルは言葉を失い、早々に対話を諦めてしまった。
「それはそれは……大した自信……いや、傲慢だな。いや失礼、よそ様のカムイを貶すのも良くないな……直接確かめてみるといい。
ライピルカ・カムイはここから北にある火山にいると言われている。だが、その山に近寄れる日は年に数日しかない。この戦が終わったら……その日を教えよう」
何を言っても無駄だ。ライピルカ・カムイの怒りを買えばいい。キムンコルはそう割り切って、グラバーの協力を取り付ける方に考えを修正した。
「オーケィ!では、ミーは個人的に蝦夷共和国を支援しまショウ!武器を安く売りマース!
新政府は火の鳥を信じていないヨウなので、共和国には生き残ってもらわないと面倒デース」
その言葉に榎本は胸を撫でおろした。
「ありがたい。必ずやその期待に応えてみせましょう。引き続き水面下で火の鳥の調査は進めておきます、戦が終わればすぐにでも動きましょう」
蝦夷共和国を国際社会に進出させたい榎本武揚。蝦夷共和国に子孫の生きる未来を託すキムンコル。蝦夷共和国の火の鳥を支配したいトーマス・グラバー。少々歪ではあるが、三者の利害は”蝦夷共和国の存続”を核に一致した。
「なるほどね……」
それを隣の部屋で聞いていた土方は、薄く笑った。一時はどうなるかと思ったが、キムンコルが案外柔軟だったおかげか、存外話が纏まった。
グラバーの協力を取り付けたのは大きい。今や彼は、日本一の武器商人と言っても過言ではない。十倍の兵力差と甲鉄のような新兵器。それらに対抗するのに、彼の協力は必要不可欠だ。
「なら、ここからは俺も話に混ぜてもらおうか」と応接室に踏み込んだ。
援助だの支援だの、神だの支配だのにさして興味はない。だがケンカの話なら、ここにいる誰にも負ける気はない。土方は、自分の思い描く蝦夷共和国の強化案をぶつけることにした。
※ご注意
この作品はフィクションです。事実とされる出来事に大幅な脚色を加えております。ご了承ください。
次回「撮影秘話」お楽しみに。