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第五章 函館編その1 誕生、蝦夷共和国

土方たちが遂に蝦夷に到着しました。

流転する彼らの運命はこの地でどうなるのか、お楽しみください。


 その年の十月二十六日。

 蝦夷の地に降り立った土方は、まるで別人であった。先日までの着物姿ではなく、黒の詰襟に金ボタンの装飾、そして煌めく金モールと二本ラインの肩章がついた軍服であった。先日榎本から譲り受けたもので、フランスの軍服を模したものらしい。これで腰に和泉守兼定を差しているのだから、極めて厳つい。が、痺れるほど似合う。

「うーわッ……土方さん、とんでもなく似合いますね!」

 圧倒される鉄之助を見て、土方は片頬を吊り上げてみせた。土方より少し背の高い榎本の予備なので、多少丈が長いのだが……それでも意外と動きやすく機能的でなようだ。

「さあ行くぞ鉄。やっとここから国獲りだ」

 函館には既に新政府軍が駐屯しているという情報があったので、上陸したのは函館から少し外れたところであった。そこから陸戦で松前城を攻めた。

 最初は兵をまとめたり陣を組んだりはせず、数人単位の小集団である散兵を配置し、新型銃の射程と連射力により一方的に攻撃を仕掛ける。横に広がる陣を組んで迎撃しようとする松前藩の守備兵は、どこを撃っても血を吹く生身と同じだ。遠距離から近づかせずに戦力を削る。何しろ旧式銃が城壁の上から撃ちおろしても届かない距離を、こちらは容易に打ち返せるのだから勝負にならない。必死に応戦するも倒れていく松前藩士は、かつて鳥羽伏見で足掻いていた自分たちを見ているようであった。

 手も足も出ない状態の松前藩が城内へ引っ込んだら、こちらが白兵戦力を繰り出す番だ。被弾面積を小さくした縦長の密集隊形で突撃を仕掛ける。背後と海に浮かぶ蟠竜からの銃砲撃の援護を受けて城門を突破し、雪崩れ込む。銃剣を装備した歩兵の突撃により、あっさり勝負はついた。更には城の一角に立て籠もろうとする残党を砲撃で蹴散らす。松前城主が逃亡し。城を占領するまで、わずか三日の城攻めであった。

「あ……圧倒的じゃないですかッ!」

「ああ、一夜漬けみたいなもんだが、使えるらしい」

 船内で学んでいたフランス式の戦術は驚異的であった。もちろん武器性能あってのことなのだが、それにしたって快挙である。敢えて足りないものをあげるなら、

「騎馬兵が足りん……馬があれば、城主ごと抑えたんだがな」

 先行する散兵と縦列大体からなる歩兵。機動力で相手の横を突き封殺する騎馬兵、大火力で粉砕する砲兵。これがフランス式戦術の基本であった。流石の開陽丸でも騎馬隊は用意できない。そのため今回は松前城主の逃亡を許してしまったが、十分な戦果であった。

『旧幕府軍の残党が松前城を奪った』という情報は、瞬く間に知れ渡った。すわ、新政府軍との激突かと思ったのだが、規模の小さい函館の新政府軍は戦わずに撤退。旧幕府軍は戦わずして函館を制圧した。こうなるとわかっていれば、函館の軍艦を壊して退路を塞ぎ、情報を隠ぺいしておきたかったのだが……流石にそこまで手を回す余裕はなかった。


 函館を占領したことで、旧幕府軍はそちらに拠点を構えることにした。なにしろ函館は都合が良い。大きな港には修理中の軍艦があり、中にはかなり大きなものもあった。更には、函館湾を挟んだ反対側、海に突き出た函館山には弁天台場という要塞まであった。

「なんか……すごい城?ですね」

「そうだな、だが合理的だ」

 旧幕府軍が拠点としたその場所はかつて函館奉行所とよばれていた、五稜郭である。これは奇妙な砦である。星形の堀と陵歩とよばれる土塁に囲まれた、広い要塞である。それぞれの星形の先端に銃砲撃兵を配置すれば、隣の先端や、先端の間に敵が押し寄せても挟み撃ちで排除ができるという、機能美と呼ぶべき設計である。

「高い石垣や櫓もない……そうか、大砲を相手にする設計なんですね」

 今までの戦闘経験が、この少年に戦術眼を宿らせつつある。土方はその成長に驚くも、わずかに笑ってその頭を撫ぜた。

「よく気付いた。その通りだ」

 それまでの城郭に見られた高い石垣や櫓は、あくまで弓矢や槍による攻撃を想定したものであった。だがそれは二百五十年前の考えだ。どんなに高くしても砲撃が届かない高さにはできないし、どんなに頑丈な城でも砲弾には耐えられない。崩壊すれば被害はより大きくなるばかりだ。それに対する答えが、この広さと土塁である。

「緩やかな傾斜がある分厚い土塁は、銃砲弾を受けても崩れにくい。単純に距離があれば砲撃の精度も下がる。更には外側の深い堀があれば近寄ることもできない。全体を見れば防御ではなく、迎撃に力を入れた、なかなか武闘派の要塞だな。

 欧米で生まれた考え方の城だ、欧米の戦術を迎え撃つには、これくらいなくては足りん」

 これが、土方たちの城である。


 五稜郭に拠点を移してから、土方は陸軍の編成にかけずり回った。その手足である鉄之助も、目が回るほどの忙しさであった。蝦夷の各地に分隊を送って制圧していくのだが、その最中でも特に急いだのは騎馬隊の編成だ。松前城攻めの際は城主を取り逃がしただけで済んだが、この先はそうはいかない。迅速な行動が取れれば、相手の弱点を衝くことも、味方の救援にも駆けつけられるのだ。

 榎本たちも負けていない。各地の松前藩や幕府の関係者、商人、漁師や町民、アイヌなど、現地の人間の安全を保証する代わりに協力を要請し、みるみる統治体制を構築していった。旧幕府はともかく、松前藩の残党の抵抗は予想されていたが、既に藩主が逃亡していると知ってか、これと言った武力衝突は起きなかった。

そんなある初冬の頃、この日蝦夷は先日からの暴風と雪が止み、穏やかな空模様であった。

「なるほど……これが元幕府高官の政治の手腕というやつか」

 順調に進む体制構築の報告を聞いてぼやく土方に、鉄之助が横から茶々を入れた。

「すごいですよね。こういうの向かなそうですもんね、土方さん」

「うるせえなあ。鉄、最近物言いが沖田に似てきやがったぞ」

「そりゃもう、弟子ですから」

「見習うのは剣術だけにしてくれ。あー、そういや総司の野郎も、ちょくちょく邪魔しにきちゃあ、やれ茶奢れとか、やれ蕎麦食いに行こうとか言ってたっけな」

 土方はうんざりと呟き、懐かしい光景に遠い目をした。

 ここは五稜郭の一角、その中でも陸軍幹部が使っている陸軍府と名付けられた建物。その一角に設けられた土方の執務室である。和室に絨毯を敷き、イスと書き物机を運び込んだちぐはぐな部屋である。装飾は殆どないが、辺りには地図や戦術資料、各部隊や砦の報告書が山積みになっているため、足の踏み場もない。それでも、和泉守兼定と榎本から譲り受けた拳銃は、手を伸ばせばすぐの所にある。

「最近気づいたんですよ。沖田さんが部屋に遊びに来るのは、いつも土方さんが仕事に疲れた頃だったな、って。多分、気分転換させようと思ってたんじゃないですか?」

 しんみりと語る鉄之助に、土方はぎょっとした。

「……嘘だろ、あの能天気に、そんな気が使えるわけ……いや……そうかもな」

 言われてみれば、心当たりはなくもない。ならば、鉄之助が真似ているのは口調だけではなく、気遣いも、という事だろうか。

 まったく、知らないうちに随分育ったものだ。

「散歩くらいどうです?港はご覧になりましたか?大きな帆船もあるんですよ、出雲丸とか言ったかな、開陽くらいありそうに見えますよ」

「そんなでかい帆船が?物好きもいるもんだ」

 函館は幕府の港である。大きな船があってもおかしくないが、大型にするだけで高度な技術が必要とされる。その船に少し興味はあったが、五稜郭から港は少々距離がある。そのうち時間があれば見に行ってもよいが。今はとりあえず、一服するとしよう。

「鉄、炊事場からなんか貰ってこい」

「わかりました、確か甘酒が……あ、榎本さんです」

 青い顔をした榎本が入ってきた。

「土方さん……大事件だ」

 榎本は普段から割かし穏やかで取り乱す事の少ない男だ。そんな榎本がこんな顔をしているのは初めて見た。しかもわざわざ陸軍府まで来て……どうしようもなく嫌な予感がする。

「何が……あったんですか?」

「開陽が……沈みました」

 空気が凍った。脳が理解を拒む。やがて絞り出した声は、かすかに震えていた。

「な、何言ってるんだ榎本さん……いくらなんでも、冗談きつい」

「冗談なら……どれだけよかったことか……」

 土方は立ち眩みを覚えた。渡島半島の西側、江差沖に停泊していた開陽は、先日からの暴風雪によって座礁、そのまま風と荒波に叩かれて崩壊、沈没してしまったのだと言う。

「引き揚げは?」

「指示はしましたが……竜骨、人間でいう背骨の損傷が激しい。船体は利用不可能でしょう」

「せめて、砲だけでも運び出せませんか?」

「可能な限りは……小型砲ならともかく、大型砲は厳しい」

「なんてことだ……」

 津軽海峡を堀とし、そこに強力な艦隊を配置するのが蝦夷共和国の海防策の第一歩である。その主力にして象徴たる開陽の沈没は、片翼を失うに等しい痛恨であった。海防計画に、文字通り大穴が開いてしまった。

「今後は、回天を旗艦とし蟠竜をその補佐に回す計画です。陸軍への影響、というか負担増は避けられませんが、ご容赦いただきたい」

「仕方ありますまい……」

「差し当たっては、港の警備を厳重にし、新政府関係者の出入りをこれまで以上に目を光らせる必要があります」

「陸軍からも人を回しましょう」

 情報統制である。開陽ほどの大型船が沈んだのは、近隣住民も目撃したことだろう。しかし、少しでもそれが広がるのを抑えねばならない。

「少なくとも五稜郭では幹部格しか知りません……ご内密に」

「無論だ、口にしたくありません」

 両者の落胆は見るからに大きく、激しい動揺が見て取れる。

 一見冷静さを保っているように見える榎本であるが、彼の立場なら土方を呼び出し伝えれば良い。それをせずにわざわざここへ来たということは、表に出さぬだけでかなりの内心かなりの混乱が見える。

 危険だ。今の榎本の精神状態は、新選組の壊滅と近藤の喪失が連続した頃の自分に近しい。ボロボロだ。

 しかし、頂点の人間とは孤独だ、権力の頂点というものは、多くの権利と引き換えに、内心を吐露しぶつける相手を喪う。ありていに言えば、誰も榎本を慰めてやれぬのだ。

「土方さん、よろしいでしょうか」どうしたものかと天井を見上げていた土方に声をかけたのは、もちろん鉄之助であった。この会話はもちろん彼も聞いている。

「なんだ」

「港の締付強化とは、開陽の沈没が新政府軍に知られないように、ということですか?」

「そうだ。開陽は日本最強の軍艦……だった。あれがあるだけでも、新政府軍に総攻撃を仕掛けるのを戸惑わせる効果があったはずだ」

「開陽が沈んだのが新政府軍に知られれば、心理的な難易度が下がる。それだけでも避けたい。そういうことですよね?」

「そうだ、よく判ってるじゃないか」

 鉄之助は、元々度胸があり、頭も回る少年である。しかし、ここまで物事を念入りに問い詰めて来るのは珍しい。ここまで喋ってやれば、普段なら自分なりの答えを導く筈だ。

「市村君、学ぶ心がけは良いことだが、今は……」

 榎本の苦笑いを遮り、鉄之助は頭を下げながら畳み掛けた。

「無礼を承知でもう一つだけお願いします。港に開陽がいると、新政府が思い込めばそれでよいのでは?」

「……何だと?」

 鉄之助から妙な迫力が滲んでいるのに気がついて、土方はつばを飲んだ。何を言い出すつもりなのだろうか。

「……違いますか?」

「まさか君は……欺くつもりか?」

「さてはお前……大胆なヤツだな」

 榎本は目をむき、土方は吹き出した。若さというのは時に無茶をする。いいや、新撰組を立ち上げたころの自分も、これくらいの無茶をしていたことだろう。何故か胸の内に、ほのかな嬉しさが湧いた。

 

「しっかり掴まれよ!落ちても止まらんぞ、追いかけてこい!」

「はいッ!」

 最近乗馬の訓練を始めた鉄之助は、雪の残る蝦夷の道を一人で駈足させるのはまだ難しい。そう判断した土方は、鉄之助を自らの後ろに乗せると、二人で一息に函館港へと駆けつけた。

「あれですッ!一番奥!」

「これか!」

 函館港の奥、目立たない一角に係留されて修理中の船があった。開陽程ではないが、帆船にしてはとびぬけて大きい。実際は開陽ほど大きくないのだろうが、開陽よりすらりとした船体であるせいか、ぱっと見では匹敵するように見える。

「出雲丸という幕府の船だと聞いています」

「これを使って、切り抜けようってわけか」

「はいッ」

 開陽は沈没したとはいえ、奈落の海底に沈んだのではなく、原因は座礁だ。マストや帆、旗など、海面に出ている部分的な回収は不可能ではあるまい。少なくとも千七百貫を超える(約6.5トン)百五十ポンドアームストロング砲よりはやりやすい。

「榎本さんに連絡しよう、偽装開陽作戦だ」


「やろう、これしかない」

 鉄之助発案の偽装開陽作戦は、土方を通して榎本に届けられ、榎本はそれを更に入念に磨き上げて、恐るべき速さで実行した。

 まずは徴発した出雲丸に足場を立て、船体を覆う。横腹には追加装甲として鉄板を打ち付け、全体を黒く塗ることで、船体の形状を黒くどっしりとした開陽のそれに近づける。

 甲板には開陽から回収したマストを立て、そのマストに見合う帆や開陽の旗を掲げる。帆が大きい分重心が上になるが、増加装甲の重量でなんとか釣り合いを取る。更にはマストと同時に回収した煙突も取り付け、遠目の船影を限りなく開陽に近づける。帆船なので蒸気機関は積んでいないが、ここで定期的に煙を上げさせることで、蒸気機関が生きていると見せかけるのだ。

 偽装工事終了後は港の奥に停泊させ、周囲には小型船舶を並べ、少しでも大きく見えるよう錯覚を誘う。回天や蟠竜は極力接近させず、大きさの比較をさせない。甲板には適宜人員を配置し、整備以外に船上での戦闘の調練を行う。更には攻め落とした松前城の大砲を極秘に運び込み、これを黒く塗り、傍目には謎の大砲に見えるようにしておく。その上、定期的に曳舟を使って僅かでも動かしておく念の入れようであった。

 情報統制は引き続き行うが、並行して「開陽丸は座礁したが損傷軽微。修理はすぐに終わり、フランスの新型大砲を積み込んだ」と偽情報を流布し、その上で港の警備を厳重化するというものであった。鉄之助の思っていたより遥かに綿密で、壮大な計画であった。

 恐るべきは、これだけの計画を数日で練り上げ、手配し、即実行にこぎつけ、わずか二か月でやり切った榎本の手腕である。流石は幕府高官の出身と言うべきか、その手回しの速さと正確さは、数多の戦場を駆け抜けてきた土方から見ても素晴らしかった。だが、それくらいせねばならないのだ。冬の間に全てを済ませなければ、新政府に攻め滅ぼされてしまう。文字通り生き残りをかけた、死に物狂いの戦いであるのだ。

 開陽の沈没は蝦夷共和国構想において致命傷である。だが、その致命傷の情報が新政府に漏洩するという即死に至るのをとどめたのは、紛れもなく榎本の功績であった。少なくとも、現段階で開陽の沈没を新政府に嗅ぎ取られた様子はない。公には「開陽は損傷軽微で修理中」と信じられているようだ。

 この功績がどこまで響いたのかは定かでないが、工事中に行われた入れ札によって、榎本は正式に総裁に選出された。これは総数が千にも満たない小規模な投票であり、後の世ではとても共和制に則っているとは言えないものであった。それでも、日本の地で行われた最古の公職選挙のひとつかもしれない。

 だが、丸く収まったのかと言えば、局所的にはそうでもないようだった。

「むくれるな、鉄」

「そりゃ面白くありませんよッ。偽装開陽は自分発案で、土方さんが持ち込んだんじゃないですか。……それなのに手柄は榎本さんって、どういうことですか?皆さん土方さんに入れるべきじゃないんですか?」

「ああ、そういう奴が俺に入れたのか……」

 どういうわけか、土方には異常に熱心な支持者がついていた。なにも鉄之助だけではない、ここにはいないが斎藤や、それこそ永倉のような、歪んだ期待を託しているような、やたらと重たい連中ばかりだ。

 他の連中は知らないが、少なくとも土方は演説もしていなければ、根回しをした記憶もない。それなのに投票結果がかなり割れたのは、ただ単に元々の支持者がそのまま入れただけなのだろう。総投票のうち榎本が二割強を獲得したのに対し、土方は一割弱であった。元幕府高官やら元藩主やらが立ち並ぶ中で、農民生まれの男が獲得した票としては異常な大健闘だったろう。

「充分さ。お前らが推してくれたおかげで、俺は陸軍奉行並だ」

 この選挙で土方は陸軍の二番手の席に就くことができた。二番手とは言っても、陸軍奉行である大鳥は、共和国全体戦略の中での調整が主な仕事である。つまり前線で戦う人間の中では土方が頂点である。甲州の敗北から一年弱、ついに土方は、仕えさせる側に回ったと言っていいだろう。

「思えば、ずいぶん遠くへ来たもんだ」

 不思議な感慨に土方はため息をついた。

 その後五稜郭の広場で、約千人に向けて榎本武揚による独立宣言が行われた。蝦夷共和国の総戦力三千のうち多くは各地の占領や警護がある。それでは格好がつかないと、一部の地元住民や協力者を広く招いたのだが、それでも千人程度、建国式典としてはささやかだった。

「かつて幕府は二百六十年の安泰を作ったが、その反面二百六十年の分断を生んだ。それが噴き出したのが、ここ数年の顛末である」

 榎本の声はさして大きくない。だが、いきなりとんでもないことを言い出したと、その場の全員が身を乗り出した。

「だからこそ我々はやり直さなければならない。幕府だけではない、もっと根本の国作りからだ。支配の世襲は、軋轢と鬱憤をも世襲することを、我らは思い知った。

 だからこそこの国は、血で継がれることはない。信用と、信頼と、実績が支持を集め、それのみで作られていくのだ。

 私は便宜上総裁として国を纏める立場であるが、それは上に立つということではない。 私は常に、諸君らの隣に立つと約束する。

 今回は戦時下故に全員に投票機会を渡すことが出来なかったが、いずれは三千人、さらにはこの蝦夷に住む三万人全員に機会を与えることを約束しよう。全員だ、アイヌとて例外ではない。彼らが我らを受け入れてくれたように、我らも彼らを受け入れるのだ。寛容から生まれる相互理解こそ、将来我らを等しく導く代表の生まれる土壌となるだろう。その時三万人に選ばれた者こそ、我らを導くのに相応しい。そこに、老若男女も和人もアイヌも関係ない。全員に平等に権利がある。

 未来の総裁よ、この席を志すなら、皆に愛され支持を集めるように、自らを律し、研鑽を積み給え。皆が進んでそうすれば、この国の未来は必ず明るい。

 私の使命は、来たるべき次世代に、よりよい形で国を渡せるよう、努めることだけだ。だからどうか、そのためだけに諸君らの力を貸して欲しい。この国を、幕府の再出発を、新政府の暴虐から守るには諸君ら全員の、それも決死の力が必要なのだ。

 私は予言しよう。薩長土はやがて増長し、世界にさらなる災厄を招くと。武力と恐怖による統治は、さらなる軋轢と混乱を生むだろう。それを正義と誤認したとき、国家は人の道を踏み外すのだ。その時こそ世界は気づくだろう、我ら蝦夷共和国の在り方の正しさと貴重さに。

 それまでは共に進み、共に耐えて欲しい。その日が来るまで蝦夷共和国は自らの足と力で立ち続けるのだ。そのためにも我らは、降りかかる火の粉を振り払い、剣を手に自らを守らねばならない。

 我らは僅か三万人に過ぎない小国であるが、互いが互いを支え合う。私は諸君の盾になろう、諸君は自分以外を守る盾になり給え。私が諸君の矛になる、諸君は自分以外の矛になり給え。そうすれば、我ら全員が二万九千九百九十九の盾と、二万九千九百九十九の矛で身を固めるのだ。

 共に耐えよう、蝦夷共和国。

 共に進もう、蝦夷共和国。

 我らは、世界に先駆けた近代国家に生まれ変わるのだ。

 これをもって、蝦夷共和国樹立宣言とする。永遠なれ、蝦夷共和国」

 榎本の演説には情熱と理想と現実が全て含まれていた。力強く、それでいて革新的で、聞いている者を引き込む魅力があった。薄ぼんやりと聞いていた聴衆も最後には歓声を上げ、土方にすら拳を握らせる程のものであった。幕府から続く正統性を主張するようでありながら、再出発としてその流れを共和国に落とし込む、絶妙な狡猾さがありなが、それを感じさせない誠実で堅実な響きで覆い被す、なかなかのものだった。

 こうして蝦夷共和国は誕生した。それは、土方の国獲りがついに実を結んだ瞬間であった。

 一人黙して見上げた空は焼けるように青く、底しれぬほど高かった。この歓声は、きっとあの世にも届いていることだろう。


※ご注意

今回登場した蝦夷共和国および独立宣言に歴史的裏付けはございません。フィクションとして脚色してあります。ご了承ください。

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