私の遺伝子はテロ対象
北里尊の子供たちが死んでいる。約百数十。
あるタワーマンション上階。その一室、白いリビングダイニング。登校前の朝食をとる私は北里キオ。テレビジョンから流れるニュースは、私の遺伝子上の父についてペラペラ話す。
「セイ、貴方勉強は進んでいるの?」
となりの兄へ、母がテーブルを挟んで言う。妹の私は無視された。朝はみんなで食卓を囲む。自宅で働く母の朝には余裕があり、眼前のフルーツサンドやらハムやらベーコンやらは母特製。
「セイ、将来は種人にならないと大変なのよ」
兄であるセイは、うつむきながら笑っている。「がんばるよ」と、クラスの男子もしているような声で笑った。それが弱弱しくて、こっちまで情けなく思う。
食事を終え、橙色の制服に袖を通す。早晩流行りの白い部屋から白いマンションを通り、見世物のように整備された道を行く。ヨーロピアンな、それでいて近未来チックなこの都市が、私の住む街。ここからは出たことがない。
登校中の学生たちを抜いて学校に着いた。二十一世紀も半分ぐらいなのに、学校の机は変化が少ない。
「おはよ、キオ」
「おはよ」
友達に挨拶を返す。いつもいるグループからも声がかかり、会話に参加する。仲は良い。私もみんなといると楽しい。けど、体臭は好きじゃない。清潔なんだけど、どうしてだろう。
「そういえば、DNA読んだ?」
「あー」雑誌の話。私は「まだ見てない」と答える。
「ちょうど持ってきたんだよね」
友人と一緒に雑誌を見た。しかし横目はクラスに目を向けている。
男子たちは朝から勉強尽くし。一生懸命、というより必死で。顔は全員いいけど、ちょっと気持ち悪い。対して女子たちは呑気そのもの。そりゃ授業は真面目に受けるけど、浅野自由時間にこんな真面目ちゃんにはなれない。
こうなったのは、男尊女卑が大復活した……ワケではない。精子を売買するようになってからだ。男は自分の精子を売る種人になるため優秀さをアピールしないといけない。女はいい精子を買って、子供に稼がせたり「あの男の精子を買った」という名声を手に入れる。正直、平均収入は女性のほうが多いからわざわざ子供に稼がせても仕方ない。働いて生活に困る女性は現代で少ないのだ。私は別に子供いらないから精子を買う予定はない。
その点、母はかなり稼いでいたのだろう。北里製薬のトップ、北里尊の精子を買い、苗字まで買ったのだから。この国において北里製薬は大企業。私、キオはその遺伝子を引いている。
「この人はないかなー」
友人が雑誌を指差す。ファッションモデルみたいに立つ男たちの一人に向けられている。書かれている収入はそこまで高くない。好んで選ぶものではないだろう。視界に写るクラスの男子は、私たちの様子を見て顔を引き攣らせた。
そんな朝も終わり、授業が始まる。やる気のない学生は暇そうにしているがそのような者は全て女子。男子たちはノートを取り頭を使っている。本来なら私も彼らのように頑張らないといけないのだろう。だが彼らと違って生命とか尊厳とかには関わらないし、本気になれない。
私はそう思いながらクラスを見ていた。だから異変に気付くのも早かった。
男子の一人ペンを落とし、激しく呼吸している。ストレスにやられたか、と思うも様子がおかしい。
彼は脱力して椅子から落ちる。クラス全員が異常に気付いた。しかしそれは、さらなる以上を発見するに過ぎない。
今度は女子も苦しみだす。またほかの男子も。クラス全体の五分の一が呻き、脱力し、もがく。「大丈夫?」「どうしたの?」「救急車呼ぶべき?」クラスが騒がしい。先生は救急車を呼び、保険医が駆け込む。が、色々試しても苦しみは止まらない。
救急車がやってきて、倒れた人々を運び出す。さらにガスマスクをつけて警察まで突入してきた。
「すみませんが、教師の方は?」
先生がおずおずと手を挙げる。廊下に出て、代わりに警官たちがクラスを監視する。静かなどよめき。ガスマスクたちは監視して動かない。
教師が戻ってきた。顔が青い。
「皆さん、新しい感染症が広まっているそうです。今日は下校してください」
「あの」私は耐えきれず立つ。「感染症ってなんですか」
「それは家に着いてから連絡します」
教師はガスマスクたちからジッと睨まれた。感染症であることは伝えたくなかったのか。実際、クラスは半パニック状態だ。
納得できない不安を抱え、帰路を行く。灰色の空へ、黒い雲が侵略中。足早に帰宅した。
「……ただいま」
ため息交じりに言った言葉に返事なし。リビングに行くと、母がテレビを見て立ち、固まっている。リモコンを持つ手は揺れていた。
視線の先、ニュース番組を見る。画面の四方は青色。災害時みたいに情報たくさん。並ぶ文言、テロ、テロ、テロ。爆弾か? なんて間抜けになれたのは「北里尊」の文言を見るまで。
「……○○で広がっている新種の感染症は、北里製薬代表取締役社長、北里尊さんの遺伝子を持つ人にのみ確認されており、政府は今回の事件をテロと認定しています。感染拡大を防ぐことが先決であり、被害者救済について……」
朝のニュースを思い出す。アレも、このテロの被害者だったのか。外から自宅待機をお願いする拡声器が響く。
「母さん……」
私の後ろには兄がいた。母は振り向かない。
「ボク、死ぬの?」
なお、振り向かない。
インターホンが鳴る。現状では気の抜ける音。誰も動かず、また鳴る。逃げたい気持ちも相まって、私が出た。
「すみません、検査キットを持ってきました」防護封を着た大人が数名。うちの市役所の人。
「検査キット?」早すぎないか?
「はい、症状自体は心臓病と変わらないので。ここは前のものを使えます。検査して、こちらで陽性というか、ダメだったら急いで医者を呼びますから。朝の人々からやっとの対応ですが……」
キット提出の手続きを伝えてから、彼らは他に回るところがあるためすぐ去った。
戻っても、リビングでは硬直が続いていた。
「セイ」兄の名を呼ぶ。「検査キットだって」
……すぐに検査して送ったが、結果が出るまでかなりかかる。すでに夕方。待つ間の空気というものは、迫りくる死と呼ぶにふさわしい。もし罹っていたら、私は終わりだ。死ぬしかない。治療法があるなら別だけど、これはテロ。治されないよう何かしていても当然。
自室に戻れるワケないので、リビングのソファに縮こまる。兄はダイニングの椅子で固まっている。母はキッチンでシンクを眺め、しかし不安で所在なさげに目を泳がす。
自分は死なないくせに、なんだその態度は。
わたしはそう思ってしまう。もちろん兄も。
「キョロキョロしないでよ」
兄の声は感情で震えていた。
「ごめん、なさい」
「ごめんってなにが」
兄の精神は聞くからに限界。蹴とばすように椅子から立って、赤く腫れた目で母に叫んだ。
「謝るならさぁ、ボクを生んだことを謝ってよ!」
「……え」
「生まれたくなかったよ、こんな世界」
こんな時に家族喧嘩なんて聞きたくない。私は逃げようとして、行き場所さえないと知る。
「ボクはずっと勉強してきたんだよ? 種人だとかそんなものになるために。キオができた遊びはずっとできなくて、種人になれたら自由になって遊べると思ったのに、ボクはこれから死ぬんだぞ! 生きる自由も死ぬ自由もない!」
「まだ感染が決まったワケじゃ……」
「母さんは安心だね! 尊の、父さんの遺伝子を引いてるワケじゃない。ボクらと違って死なないね!」
「そんな、そんなこと」
「種人にならないと将来が大変? 今が大変なんだよ!」
そう吐き捨てた兄は自室へ行った。同じ空間にいるのは私と母だけ。母は狼狽して私に視線を投げる。慰めとか同情を求めているのだろうが、それは私のほうが欲しい。
でも、母は与えてくれないだろう。兄に倣って自室に戻る。みんな独りだ。
救いと不安を欲してしまいネットサーフィンを始める。SNSでは北里の血をバカにする投稿ばかり。「あんなの選ぶから」「所詮この世は……」「これだから……」
過去に遡ったのかと思うほど女性蔑視発言が多い。アカウントを見ると社会的地位の低い人々ばかり。安全圏どもへの嫌悪感と気味悪さが体を貫く。意識してこなかったが、世の中にはこんな奴がいたのか。
負の感情を伴った好奇心はネットの海へ赴いた。安全性の怪しい掲示板では底辺が集い、世の中へ恨み言をぶつけていた。差別が激しい中でも劣等感を隠しきれていない。
一つ、気になることを発見。彼らの会話には公民で学んだスラムについてしか話されていない。スラムなんて見たことがない。
だから、調べた。結果、汚い。
普段からキレイな男子しか見ていない私にとっては刺激が強すぎた。顔の話ではない。街も人も不潔なのだ。女性も複数いるが同じようなものだ。こんなのでは男性は種人として候補にも挙がらないし、女性はみんなからバカにされてしまう。彼ら彼女らの遺伝子は根絶される。彼ら彼女らが現代社会で上に立つことは末代までありえない。
なのに、私と違ってウイルステロで死なない。私は母から生まれただけなのにテロの対象にされた。兄はあんなに頑張って生きてきたのに死にそうだ。
どこで、どうしてこんな格差がついたんだ。不公平だ。許せない。理不尽だ。
死ぬのは、いやだ。怖い。
「キオ! キオ!」
母の声で現実に戻る。部屋を飛び出ると兄の部屋が開いている。中からうめき声。入ると、兄が泡を吹いて苦しんでいる。
ウイルスだ。間違いない、感染だ。
救急車は家族全員を運んだ。ベッドは私たちでギリギリ最後。そして医者の力及ばず、兄は死んだ。彼が最後にした、息が抜けるような咳は忘れら……れるだろう。なぜなら私も苦しみ始めたからだ。
兄が感染したのだ。私だってこうなる。
「キオ! 駄目よ! そんな、セイに続いて!」
「母さん」
私のかすれた声に、母は傾聴の表情を見せた。
「紙とペン、ちょうだい」
不思議なもので、逃げられないと知ったら冷静になる。
母の汗ばんだ手から頼んだものを受け取り、残り少ない体力で言葉を綴る。満足するまで書いて、渡す。息も乱れてきた。心臓が痛い。母のナースコールも、パンクしているこの病院では間に合うまい。
ゆっくり、横になる。書いたものを、母は途中までしか読まなかった。私に縋り付いて、泣いている。
そうか。この人は私の母親なんだな。
今更そう思った。力尽きて、目が閉じる。
北里製薬特別研究室。スタッフであるオレは、ガラスを挟んで先の老爺に進捗を報告した。
彼は答えなかった。無理もない。四肢は切断され、性器にはホースが取り付けられ、しまいには前立腺への刺激のために管が伸びている。種人がこんな姿だと知ったら男は全員去勢するだろう。
かわいそうな北里尊。彼は一時の金と名声のために尊厳を失った。まだ腕があった頃に開発したウイルスによって、今この国で北里の血は浄化されつつある。政府とのつながりも利用したお陰で対処は早く出せた。これで医療機関はパンクし、我が国の病院は満員御礼。もう一発仕掛ければ倒れる。
しかし、北里尊はずいぶんと世を恨んでいる爺さんだった。まぁ、生殖ばかり考えている奴はみなそうだ。オレは一人納得。
場所を移し、倉庫。片手には雑誌。厳重なセキュリティを職員として通り、広がる光を見上げる。10階以上はありそうな吹き抜けでは、柱に沿ってロボットアームが行き交い特殊な円筒の容器を監視している。
政府がリスト化している全ての種人……そいつらへの遺伝子ウイルスが、この真っ白な貯蔵庫に全てある。
儲かる者はいつだって、生産者ではなく売る者だ。持ってきた雑誌、DNAもそれを体現している。
近所のスラム、どこだったかな。




