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プロローグ

短編で投稿したプロローグと同じものです。

第1話からが本編となります。

この年は、酷い飢饉だった。

 農作物がとれないから、俺らは出稼ぎに行かなければならなかったが、出稼ぎ先も大不況だったから、雇って貰えたのは幸運な数名に限られた。

 不運な俺等は村に戻って泣く泣く家畜を潰して食いつないでいくしかなかった。

 ……だから。

 奴らの言葉は、困り果てた俺等の耳には砂糖菓子よりも甘く響いた。


「簡単な仕事で1日、金貨1枚、誰だろうと関係ない。老人も子供も大歓迎。もちろん、女性の方も大歓迎。何人でもいい。むしろ多ければ多いほどいい」


 せいぜい50名足らずの俺等の村で、歩けない老人や赤子、彼らの世話をする女性と、村の守衛を務める数名の青年を残した二十数名がこの甘言に乗った。


 実際、奴らは何一つ嘘は言ってなかった。

 頑丈な檻の中に入って昼寝しているだけで1日、金貨1枚が手に入ったのだ。

 実に簡単なお仕事だ。

 問題は――

 仕事先が村から一週間ほど歩いた先にある『ハクア大森林』と呼ばれる魔境で、ここを住処としている魔獣が俺等の入った檻にがじがじと爪やら牙を立てていることくらいか。


 頑丈な檻に守られ、俺等という餌に引き寄せられた魔獣の数々をやつらが嬉々として狩ってはいるが、こんな職場だとわかっていたら、絶対にやらなかっただろう。


 川で糸を垂らしていた方がまだましだ。まだ明日を望める。


 正直、生きた心地はしなかった。

 年寄りはおののき、ガキ共は罵詈雑言の限りを尽くして強がり、この前まで赤ん坊だったじゃりんこどもはただひたすらに泣きじゃくる。

 俺?

 俺は……ただ、呆けていた。

 自慢ではあるが、肝っ玉が据わっていたから――ではない。

 恐怖のあまり固まっていただけだ。

 魔獣がひとつ吠えるたびに体がびくぅんと動き、やつらの仲間の女が魔法を炸裂させるたびに、またびくぅん、剣戟の音にびくぅん、びくぅん。

 俺の胸で泣きじゃくっていた末の弟がその様子に「大丈夫?」と泣くのを止めたほどだ。

 もちろん「大丈夫」と答えってやった。ひどく儚い強がりであったが。

 ……やがてすべての音が消えた。

 ようやくやつらの仕事が終わったのか、と思った。

 違った。

 巨大な影が、やつらと、俺等の入った檻を丸呑みにした。

 もはや顔を上げる必要もない。

 ちょいと視線を移すだけで否応なく視界に入ってくる。

 巨大な、巨大な……、小屋をひとつもふたつも重ねてもまだ足りないほどに巨大な魔獣が目の前に立っていたのだ。

 アレは……なんだ?

 学者先生ならすぐさま名前を言い当てて、尊敬のひとつでも得ていたことだろう。

 生憎と俺はしがない村人だ。

 村人流に表現するなら、その顔は「羊」。

 もこもこの体毛を全身に生やした様も、まさにそう。

 だが、俺は知らない。二足歩行する羊なんて。

 足もまた「羊」なのに、人のように二足で立っているのだ。

 おまけに、あの腕は何だ? 

 足よりも長く、もこもこの体毛の上からもわかるほどに筋肉がむきむきしている。

 そして、握りしめられた拳は鉄塊のようだ。

 あんなので殴られれば城塞とて何発も保たずに穴が空くだろうよ。


「お、おい! あんたら、さっさとぶっ殺せよ!」


 誰かが叫んだ。

 勇猛果敢で結構なことだが、蛮勇だ、それは。

 恐怖に竦んで何も言えない俺が言うのもなんだがね。

 案の定、声に吊られるように「羊」が俺等をぎろりと見下ろしてくるではないか!


 ――不味い!


 直後、「羊」は短い足でずぅんずぅんと駆け出す。

 進路上にいたやつらは一斉に脇に飛び退くと「羊」に道を譲った。

 よし! そのまま「羊」の背後から攻撃……しない!?


「なっ、なにを?!」


 これもやつらの作戦か? いいや、違った!

 やつら最後にひとつ俺等を振り返ると、一目散に逃げ出しやがった!


「う、うそだろ……」


 唐突に理解できた。

 金貨1枚のこの簡単なお仕事の真意を。

 俺等は囮だったのだ。俺等は魔獣をおびき寄せるための――、

 そして、敵わない魔獣が現れたときに自分達が逃げ延びるための。


 鉄塊のような「羊」の拳が振り上げられる

 拳が作り出した濃厚な影が数人を呑み込み、次の瞬間――、

 振り下ろされた「羊」の拳に、血飛沫と共に檻の一部が吹き飛んだ。


「にっ、逃げるぞ!」


 叔父さんの一声に、俺ははっとして末の弟を抱きかかえたまま、檻に空いた穴に滑り込み、血糊やら贓物やらに足を取られながらも外に飛び出した。


 同様に、他の奴らも蜘蛛の子を散らすようにわらわらと檻から逃げ出す。


「どっ、どっちに行けば?!」


「知らん! とにかく走れ!」


 とにかく走った。


「うぐっ!」


「――叔父さん!?」


 振り返ると叔父さんの胸から立派な牙が突き出していた。

 体高だけで叔父さんを凌駕する巨大な猪がその牙で叔父さんを刺し貫いてたのだ。


「い、行け! 早く……」


 赤い泡ぶくを吐きながら叔父さんがしっしと手を振る。

 威張り散らして人を貶めるのが生き甲斐みたいな人だったが、不思議と憎めない人だった。家族には毛嫌いされていたのに、村の男のほとんどが叔父さんの友人だった。

 ……その叔父さんが、


「くっ!」


 叔父さんにそっぽを向き、一心不乱に駆け出す。

 そのとき、何かが俺の左肩を後ろから小突いた。

 バランスが崩れ、足がもつれる。視界が斜めに傾く。

 やばい、と思ったときには遅かった。末の弟を投げ出し、盛大に転がる。


「痛てててっ……」


 呻きながら顔を上げると、悲鳴……というか、もはや絶叫に近いような声を上げながら走り去る兄貴の背中があった。


「あのやろう……」


 人にぶつかっておいて……いや、あの様子ではぶつかったのが俺ともわかってなさそうだ。

 いずれにせよ、兄貴が無事で良かっ……え?


「馬鹿な……」


 瞬き1回分の一瞬で、兄貴が……消えた? 

 いや、悲鳴が空から振ってくる。

 顔を上げると、兄貴は空にいた。

 その両肩を鷲よりも遙かに巨大な鳥の足に掴まれて。

 あの巨鳥が兄貴を空に連れ去ったのだ。

 くそっ! あんなのでも兄貴は兄貴だ! 

 石ころを掴み、思いっきり放り投げる。

 くっ! 届かん! 当たらん!


「ああ……」


 そうこうしている間に、空でジタバタと暴れる兄貴に、別の巨鳥が群がる。

 そして、一匹が兄貴の左足をくわえ、別の一匹が兄貴の右手をくわえる。

 兄貴の絶叫が雷鳴のように轟く。くわえられた手足が妙な方向にくにゃりと曲がる。


「くそっ!」


 咄嗟に、末の弟の顔を手の平で隠した。

 直後、兄貴の体はみっつに分かれた。

 あれほどまでに狂おしかった絶叫はその瞬間にぷつりと途絶える。

 およそ現実味のない光景だった。

 兄貴の体が操り人形みたいに弄ばれるまま、みっつに千切られたのだ。

 手足をなくした兄貴に、さらに別の巨鳥が群がる。

 兄貴の肩を掴んでいた巨鳥は獲物を捕られまいと逃げるが……。

 別の巨鳥が次々と群がるのに、さらに細やかに千切られていく。

 兄貴……。

 兄より優秀な弟などいない、と何の根拠もなしに豪語し、長兄であることを笠に着て、俺ら弟妹に無理難題と不条理を押しつけ、そのたびに親父にぶん殴られていた兄貴……。

 結婚してからはお義姉さんに奴隷のように媚びへつらい、たまに実家に帰ってくると、辛い辛い、と嘆いていた。……娘のリッカはまだみっつになったばかりなのに、


「兄ちゃん?」


 ――はっ! 

 いかんいかん! 感傷に浸っている場合じゃなかった!


「逃げるぞ!」


「う、うん!」


 末の弟の手を引き、全力で駆け出す。

 とにかく怪物のいないところに!

 ずぅん、ずぅん、と地響きのような足音……が追ってくる!

 まさか、そんな!

 後ろを振り返ると、巨大な狒々のような怪物の顔面がすぐ後ろにあった。


「ミケル!」


 咄嗟に末の弟の手を引き、引き寄せる。

 その瞬間、目の前が真っ赤に染まり、末の弟からおおよそ重さと呼べるものが消える。

 それもそのはず。俺が持っていたのは末の弟の手……だけだったから。

 狒々は足を止め、口元を両の手で覆い隠しながら、ごき、べき、ばき、と嫌な音をたてて顎を上下させる。目元なんて「へ」の字に歪めて、実に……くそったれの顔だ!


「――お前っ!」


 気づいたときには、狒々の怪物に躍りかかる俺がいた。

 実に勇敢、それ以上に愚かで、無謀なことだ。

 直後、全身を真横からぶん殴られたかのような衝撃を受けた。

 風景がすっ飛び、全身を幾重もの衝撃が駆け抜ける。


「う、うぐっ……」


 な、何が……目の前には、根元からへし折られた木々が数メートル先まで続いている。

 体を起こそうとすると、……うぐっ! 酷い激痛に目玉がひっくり返る!

 いったい何が起きたのか……いや、はっきり覚えている。

 躍りかかった俺を、狒々の怪物はハエでも振り払うみたいに手を振ったのだ。

 やつにとっては何気ない所作だったに違いない。しかし、それを真横からまともに受けた俺は……そう、こんなところまで吹っ飛ばされてしまったのだ。


「くっ……」


 なんとか立ち上がり、さっきまでの場所に戻ろうとして、一方も進まずに膝が折れる。


「ちくしょー……」


 末の弟はまだ教会学校に入ったばっかりだった。

 赤ん坊の頃は、余所の子よりも歩き出すのが遅くて、特訓と称して無理矢理歩かせようとしたものだが、姉に反対されて弟妹で大げんかを繰り広げたこともあった。

 言葉を覚えるのも遅くて毎日、同じ言葉を繰り返して一言ずつ丹念に教えてやったっけ。

 とにかく手の掛かる子だった。けど、その分だけ、あいつが可愛くてしかたなかった。


「守れなくて、すまん……、間抜けな兄ちゃんで、すまん……」


 俺が喰われればよかった、俺が喰われれば、あいつはその間に逃げることが出来たのだ。それが、あべこべにあいつが喰われて、俺が生き残ってしまった。申し訳ない。俺は兄貴なのに、あいつを助けてやることができなかった、叔父さんみたいに、俺が――。


「……だれ、か、いるのか……い?」


「せめて一緒に、そしたら来世ではまた――」


「おー……い、誰か、いないの,……かい?」


 ん?  声が聞こえたような気がしたが……。


「お~い、お~い……誰、か、ねぇ、誰か……いないの、かい?」


 やっぱり聞こえる。村の生き残りだろうか? 

 草木をかき分けて行ってみる。


「……いた」


 少し開けた場所で、大木にもたれかかる人影が。

 駆け寄ろうとして、ふと足を止めた。

 女だ、それも魔法使いっぽい格好をした女。

 眼鏡をかけて、偉い美人だ。

 俺らを嵌めた冒険者にも女の魔法使いがいたが……うん、彼女じゃないな。

 冒険者の女魔法使いは、もっとケバい化粧をしていた。

 恐る恐る近づいて、息を呑む。

 彼女の左の脇腹がごっそりとなくなり、血溜まりができていたのだ。

 人はどれくらいの血を流せば死んでしまうのか、村人の俺にはわからんが、すでにもう手遅れなほどたれながしてしまったんじゃなかろうか?


「……大丈夫か?」


「ふふっ、大丈夫に見えるのかい?」


 儚く笑って質問に質問を返してくる。


「悪い、見えないな」


「だろ?」


 今度は悪戯っぽく笑う。


「魔法で治せないのか?」


「魔力が尽きた」


「薬は?」


「君は……愚図だね?」


「そりゃ悪かった……一応、聞くのが社交辞令って奴だと思ってな」


 持っていればとっくに使っている、か。冒険者が愛用するポーションとかいう薬は高価だが、薬効は抜群で、生きている限りは千切れた腕だって治すって言うしな。


「最後に出会うのが君みたいな愚図とは……ふふっ、ぼくの悪運もここまでだね」


「余裕があったら立派な墓を作ってやるよ。なるべく深く掘ってな。あんたみたいな美人を野獣に食い荒らされるのは忍びないからな」


「それは、ありがたい……なかなか紳士じゃないか」


 今度は儚く笑う。医者じゃないから詳しくはわからんが、もう長くないのかも。


「お礼に、この魔導書を上げよう。これも何かの縁だ」


 そう言って胸元から取り出したのは気味の悪い本だ。

 何の生き物かもわからない赤黒い革を継ぎ接ぎにした装丁で、表紙には三白眼の目とギザギザの牙を生やした、あまり見ていて気持ちの良くない意匠がしつらえられていた。


「俺は村人だから魔法が使えんぞ?」


 触るのも本当は嫌だったが、貰えるものはついつい貰ってしまう。

 貧乏人の悲しい性だ。


「大丈夫だよ、これがあればどんなジョブのものでも魔法が使えるから」


「それは凄いな」


 受け取った本をペラペラとめくる。

 白紙ばかりのページで、1ページだけ記載がある。


「『ヘヴィサーベル』?」


 確か……、大剣ほどの牙を生やした、巨大な虎の魔獣だ。

 村まで降りてきた奴を冒険者ギルドに依頼して退治して貰ったことがある。


「その魔導書は喰わせた魔物を素材にして魔法を生み出すことができるんだよ?」


「へ~……」


 我ながら見事な生返事だ。しかし、しょうがない。

 彼女の話の半分も俺は理解できていないのだから。

 彼女は得意そうに言うが……もしかして凄いことなのだろうか?

 魔導書がどうやって魔物を喰らうのか……さっぱり想像できないが。


「ハイパー……だろ?」


「……そのようだ」


「白でも黒でも赤でもない、魔物を糧にしたまったく新しい、ぼくだけの魔法体系ができあがるはずだったんだけど、初っぱなでしくじるなんて、……ははっ、運がない」


「お互いにな」


「ところで……後ろにいるのは友達かい?」


 後ろ? 後ろを振り返る。

 村人の誰かが逃げ込んできたのか……ああ、違う。最悪だ。

 目の前には、あの羊野郎が。

 はぁはぁと鼻息が荒い。素なのか、興奮しているのか……知ったことではないが。


「目がもうほとんど見えなくて……ははっ、困ったな」


 んぐっ、と喉が鳴る。

 ひと言も発せず、指先まで凍り付くかのような恐怖。

 ……ど、どうすれば、いい?


『何ぼーっとしてやがる! ヘヴィサーベルを喚び出すんだよ!』


 ――なっ、声?! どこから!!


『ここだ! ここだ!』


 ……まさかっ、本??

 恐る恐る表紙を見ると……


『や~っと気づいたか! 愚図が!』


 意匠だと思っていた三白眼がぎょろぎょろと動き、

 ギザギザの牙を生やした口がしっかりとものを言っているではない!


「ひ、ひぃ~! 化物!!」


『うぉっと俺様を離すなよ? 魔法が使えなくなるからな!』


 ――魔法? そうだ……羊野郎が!


 視線を羊に戻すと、天を衝くかのように振り上げられたその剛腕が今まさに振り下ろされようとしているところだった。


『急げ! 愚図野郎!』


「くっ! 《ヘヴィサーベル》!」


 直後、俺の影がうにょうにょと蠢く。そして、


「お、俺の影が!?」


 俺の影が……見る間にヘヴィサーベルを形作り、立体的に起き上がったではないか!


『《突進》だ!》


「――《突進》!」


 訳もわからずとりあえず大声を張り上げて唱える。

 すると、ヘヴィサーベルを象った俺の影は羊野郎に躍りかかった

 剛腕を振り上げたままの羊野郎はその矛先をヘヴィサーベルに変えるが……遅い!

 ずぶっ、とヘヴィサーベルの自慢の牙が羊野郎の無防備な腹を突き、貫く。


『愚図愚図するな! 《切り刻め》だ!』


「――《切り刻め》!」


 羊野郎は腹を押さえたままヘヴィサーベルから距離を取ろうとした。

 すかさずヘヴィサーベルが追撃を駆ける。

 次の瞬間、羊野郎の片腕が吹っ飛んだ。

 ヘヴィサーベルの追撃を、羊野郎は片腕を盾にして凌ごうとしたのだ。

 しかし、ヘヴィサーベルの牙は伊達ではなかった。

 ただの一振りだ。ただの一振りで羊野郎の腕を切り落としてしまった。

 腕を失い、腹に穴を開けた羊野郎は威嚇するように一つ吠える。

 戦意は上々の様子……いや、違う。

 野郎! 俺らに背を向け一目散に逃げ出しやがった!

 情けない奴。そして、その情けなさに腹が立つ! 俺の友達を、知り合いを虫けらのように殺したくせに、自分が死にそうになるとその体たらく! 許さない! 雄々しく死ね!


『よせ!』


 ヘヴィサーベルに追撃を命じようとしたのに、まさにそのときだ。

 本野郎が、俺を、俺たちを止めやがった。


「なぜ止める?」


 問い詰めた瞬間、ヘヴィサーベルは形を失い、また俺の影に戻った。


『魔力切れだ。ここに来てからろくに喰ってなかったからな』


「くそっ!」


 もうちょっとでみんなの敵が討てたのに、クソクソクソクソッ、ドクソッが!


『地面に当たっても靴底が減るだけだぞ?』


「あ~、そうだな」


 はぁはぁ、と自分の息の荒さに、ちょっと驚く。自分のじゃないみたいだ。


『俺様は「ギブ・モア」。この「煤闇の書」そのものだ』


「俺は、アシェル。ロダン村のアシェル、ただの村人だ」


『アシェルか。今後ともよろしくな,新しい主様よ。けけけっ』


「気味の悪いやつ。それに、新しいご主人様って――」


 意味深な言葉にはっとして眼鏡美人を振り返る。

 かすかな笑みを浮かべ、どこか満足げな顔をして――

 彼女はすでに事切れていた。


『ヴィオラ・マーズ。最終ジョブ、博士号魔法使い。北方の雪国出身。宮廷魔法使いを夢見て田舎から出てきたが、研究に継ぐ研究で気付は20代後半。三十路前に結婚を夢みていたが、見てくれと頭脳以外は残念だったため、ついに処女のまま逝く。享年28歳』


「感謝と冥福を」


 胸に手を置き、頭を垂れる。帽子があれば決まるのだが、ないものはしょうがない。


『冥福は必要ない。ここで死ぬことは折り込み済みだったからな』


「というと?」


『良くは知らんが、魔力が濃厚なこの地で魂を抱いたまま埋葬されて、ネクロマンサーとして転生できるとかなんとか……』


「ふ~ん……」


 うむ、まったくよくわからん!


『それよりもクランヴァンの腕を喰わせてくれ。腹が減ってしょうがない』


「クランヴァン?」


『さっきの羊魔猿人だ』


「あいつ……クランヴァンって言うのか」


 敵の名前だ、覚えておこう。

 脳味噌にメモメモしながら切り落とされたクランヴァンの腕に近づく。

 改めてみるとやはりでかい。俺の背丈くらいある。175センチくらい?

 重さは、多分、俺の倍はありそうだ。筋肉の塊だろうしな。


『喰って良いよな?』


「いいぞ」


『これを喰えば、やつの剛腕を魔法として発現できるようになるはずだ』


「ふむ、それは頼もしい」


『――いただきます!』


 表紙の口でむさぼり食うのだろうか? と思った。違った。

 触手だ。漆黒に、星屑をちりばめたかのような模様? の触手が本からあふれ出し、クランヴァンの腕を包み込む。そして、バギッ、ベギッ、ゴギッ、と歪な音を鳴らしながら、上下左右に蠢き回ると、やがて出てきたのを逆に辿るように本に戻った。


『げ~っぷ! 上手かった!』


「そりゃ結構」


 ゲップを手団扇で払いながら皮肉をひとつ。通じていないようだが。


『やはり剛腕が手に入ったな。さっきの要領で使ってみろ』


「すぐに使えるのか?」


『簡単なやつならな』


「よし! クランヴァン、こい!」


 俺の影がクランヴァンを象って起き上がる。

 ……なんか、複雑な気分。

 俺の影なのに見ているだけでふつふつと怒りと殺気が湧いてくるようだ。


『ヴィオラの墓を掘るのに役立つんじゃないか?』


「そのようだ。――《掘れ》《掘れ》《掘れ》! もっと《掘れ》!」


 俺の指示に従い、クランヴァンが地面を掘り進める。

 クランヴァンを奴隷のように扱っているようでちょっと溜飲が下がる。


「これくらいでいいか……」


 クランヴァンを還し、ギブ・モアを芝生にそっと置く。

 それから、ヴィオラをお姫様抱っこで抱きかかえた。


『お前、良い奴だな』


「――なぜ?」


『それもクランヴァンにやらせれば良かったのに』


「一応、恩人だからな。俺の手で眠らせてやるのが礼儀ってもんだろ?」


『違いない! ……あん?』


「どうした?」


 ヴィオラを穴の底に横たえる。掘った穴の深さは3メートルほど。

 これくらいあれば、まあ掘り起こされることはないだろう。


『魔力レーダーに感あり、これは――』


「うわああああ~ん、お師匠様~」


 空の頂から何かが飛んできた。これは……俺、直撃コース!

 もう一度クランヴァンを……いや、間に合いそうにない。なら!


「うりゃ!」


 回避。


「わわわわっ!」


 同時に、そいつの足を掴み、


「せいっ!」


 べちぃん! と地面に叩き付けてやった。


「きゅ~……」


 目の前に吊り上げたそいつは……妖精?

 全長50センチほどで、葉っぱのドレスを着ている。

 メス? らしい。尻と胸にそれっぽい膨らみ。

 赤毛頭はくせっ毛だらけだが腰まである。背中には、トンボみたいな羽。

 ぐるぐると目を回しているが、顔立ちはなかなかに美人。

 目尻が尖っていて、ちょっと気が強そう。

 しかし、殺すつもりで叩きつけたのに……ちびのくせに意外と丈夫な奴だ。


「喰うか?」


『喰わん』


「なら、おれが……」


 貴重な食料だ。しかし、人型を喰うのは気が引ける。原形をとどめないほどぐずぐずに煮ればいけるか? それとも手足をちょん切って……食いでがあるとは思えないが。


『頼むからやめてくれ。そいつは「煤闇の書」からいける「煤闇の世界」を管理させるためにヴィオラが作った人口妖精だ。とびきり優秀な奴で、確か名前は――』


「チェルシーよ」


 妖精の目がぱちくりと開き、緋色の宝石みたいな瞳が俺を映す。

 俺と目が合うと妖精……チェルシーは慌ててドレスの裾を押さえた。


「エッチ」


 ちびのパンツやらショーツやらを見たところでなんとも思わないのが……。

 まあ見られた方はそうではないのだろう。


「離して」


 離した、その瞬間。チェルシーはその場で一回転――、

 遠心力をたっぷり載せたそのつま先が、……うぎゃ!

 お、俺の鼻先を弾きやがった!


「なにしやがる!」


 痛い、本当に痛い! 鼻血が出なかったのが不思議なくらい。


「ふんだっ! 一発は一発よ!」


 叩きつけたことか? しかし、あれは、


「あれはお前がいきなり襲ってきたから!」


「それより、ちょっと目を離している間にどうしてヴィオラ様が死んでいるの? 詳しく説明なさい、ギブ・モア! そして、この見窄らしい男は、何なの?」


 腰に手を当て、ぷんぷんと怒り狂うチェルシー。


『少しは落ち着いたらどうだ?』


「ヴィオラ様が死んで落ち着けるわけないでしょ!」


『まあいい。貴様が偵察に出ている間に、ヴィオラはヘヴィサーベルの群に襲われたのだ。多勢に無勢だったがヴィオラはよく戦い、最後の一匹まで数を減らした。しかし、そのときにはすでに脇腹を抉られる致命傷を受けていた。力を振り絞って最後のヘヴィサーベルを倒したときには薬も魔力もすっからかんで、もうどうしようもなかったのだ』


「そ、そんな……」


 きっと睨み付けられた。

 ちっこいのに凄い迫力。平常心だったら気圧されてそうだ。


「この男は何なのよ! なに大人しく所有物になっているのよ!」


『この男ではない。アシェルだ。アシェルとヴィオラの契約によって俺様はアシェルのものとなった。正確には、ヴィオラの埋葬が済めば、だがな』


「認めないわ。あんたはそれでいいわけ?」


『俺様は食事が楽しめればそれでいい。早速、クランヴァンの片腕を馳走してくれたからその点で文句はない。それに、ヴィオラは「これも何かの縁だ」と言っていた。ならば、俺様はその縁が行き着く先まで身を任せるだけだ』


 ぐぬぬぬっ、と悔しげに唸るチェルシー。


「ひとつ聞かせてよ」


「あん?」


「あんた、『煤闇の書』で何をするつもりなの?」


「なにを、って聞かれても……」


 いきなりそんなことを聞かれても答えに困る。

 正直、何も考えていない。

 でも、聞かれて初めてぱっと思いつくことはある。


「とりあえずこの森から抜け出す、かな?」


「その後は?」


「村に帰って、……まずは復讐だな」


「復讐?」


 かくかくしかじか、と俺の境遇を話してやった。


「あいつらは俺らを囮にしてさっさと逃げやがった。そのせいで、叔父さんも兄貴も、弟も死んだ。村の連中はみんな良い奴だったのに、あいつのせいで――くそっ!」


 怒りがぶり返し、足下の石を思いっきり踏みつける。何度も何度も。

 これがあの冒険者どもの顔面だったらどれだけ気が晴れたことか。

 石ころでは流石に痛がらない。踏んだ足の裏が痛くなっただけだ。


「とにかく復讐だ。『煤闇の書』だったか? この力があれば――」


「無理よ」


「――何?」


「だってそれ、また未完成だもの」


「み、未完成?」


 た、確かに……、ヴィオラは「初っぱな」とかなんとかと言っていたが。


『白紙だらけだろう?』


 ギブ・モアはそう言うと俺に見せつけるようにページをペラペラとめくって見せた。

 うむ、真っ白……と言っていいほどに、見事なまでに白紙だらけだ。


「あ、ああ……」


『俺様は、魔物を喰えば喰うほど、より強力な魔法を作り出すことができるんだ。流石に、「ヘヴィサーベル」の1ページだけじゃ何ともならんぞ?』


「よくわからんが……俺は具体的に何をすれば良いんだ?」


『簡単さ。俺に魔物を喰わせればいい』


「それだけ?」


「魔法の調整と改良はあんたには無理そうだから、あたしがやったげるわ」


 と、これはチェルシー。ちっこいのに偉そうな奴だ。

 しかし、魔法の改良とか俺には無理そうなので素直に従っておこう。


「わかった。助かる!」


「話は決まったわね」


 チェルシーが嬉々として俺の周りをくるりと飛び回る。


「裏切りはなしよ、私を晩ご飯にするのもなし。――手を出して」


 手を出した。俺の手にチェルシーはちっちゃな手を重ねた。


「人間はこうやって結束を固めるんでしょ?」


「戦士団の流儀だな。二人じゃ締まらないが」


『なら俺様も加わろう』


 星屑色の触手が『煤闇の書』から溢れ出し、ぺちょ、と俺らの手を包み込む。

 ぬちょっと微妙に生温い。新触感。良い気分ではないが。


「わたしはヴィオラ様の研究を完成させるため!」


『俺様は魔物を味わい尽くすため!』


「俺は復讐、まずは脱出のために!」


 それから、三者三様に「えい、えい、おー!」と声高に叫ぶ。

 人と妖精と魔本のまったく異なる種族だったが……、

 かけ声は奇跡的な一致を見せていた。




 ――それから、三ヶ月後が経った。




「み、見事だ……主ならば、よりよき混沌を、この世界に……」


 苦しげに言い放ち、ずしぃん、とその巨体が落ちる。

 魔王アギオン。

 それが、そいつの名前だ。

 全高は4メートル弱。全長は、尻尾を入れなければ5メートル強ほど。

 三つ子の獅子の頭部に、獅子の体。

 燃え上がるような深紅の体毛に、大蛇の尻尾。背中には、二対の鷹の翼。


 まるで小さな子供が思い描いた「ぼくのかんがえたさいきょうのまじゅー」みたいな、ふざけた姿形だ。しかし実際に対峙した俺からすれば冗談ではない。


 ハクア大森林に生息する魔物の中では中型に位置する体躯だけで十二分に俺を殺せる凶器だというのに、さらに自在に空を飛び、鉄さえ溶かす火炎弾を吐き散らすのだ。


 おまけに、ほぼ不死身の再生能力付き。

 首をはねても、翼を千切っても,生えてくるわ生えてくるわ。

 魔王は伊達ではなく、間違いなくハクア大森林最強の生き物だった。

 そう、……だったのだ。

 俺必殺の『七色破壊光線』によって体躯の七割を削られたアギオンにかつての面影はない。

 不死身の再生能力とはいえ、魔力ありきの話だ。

 魔力が切れてしまえば、致命傷は、その名の通り命に到る傷となる。

 獅子の頭部一つと半分、右半身と尻尾の喪失は、間違いなく致命傷に違いない。

 まだ生きているのが不思議なくらいだが……


「トドメが必要か?」


 左手に「七色破壊光線剣」を顕現させ、一応、聞いてみた。


「必要な、い……貴様の旅路に、よりよき混沌を、世界に流転と変容を……」


 アギオンの瞳から光が失せ、紅玉のようだった色艶か赤く濁ったものに変わる。

 死んだ……ようだ。

 ふぅ、と一息ついて左手の「七色破壊光線剣」を収める。

 狡猾な魔王はチャンス! と起き上がってくることはなかった。

 死んで、そして――死んだままだった。


「もう出てきて大丈夫? 大丈夫よね!」


 俺の影から飛び出し、開口一番、黄色い声を上げたのはチェルシーだ。

 ちっちゃなその手にはギブ・モアが抱きかかえられてある。流石に魔王が相手では呑気に野次馬もできないので、二人には俺の影の中に避難して貰っていたのだ。


「アギオン、死んだ? 死んだ?」


 俺にギブモアを放り投げると、チェルシーはアギオンの死体の上で落ち着きなく飛び回る。


「魔力炉の停止を確認! うん、死んでる! 死んでるわね!」 


『喰っていいか? 喰っていいのか?!』


 俺が「うん」という間もなく、ギブモアから星空色の触手が伸びる。

 待て! と言いたかったがやめといた。

 敗者とは言え魔王、死体を野ざらしにしたままでは忍びない。不敬というものだ。


「血は研究に使いたいから残しておいてね」


『善処する』


 星空色の触手がアギオンの死体を包み込む。

 あとは、あっという間だった。あっと言う間にギブ・モアに吸い込まれて消えた。


「やったわね! やったわよ!」


 今度は俺の頭の上で狂ったように飛び回る。


「結構、抉ってしまったけど大丈夫だったか?」


「問題ないわ。問題なく【魔王の権能】を手に入れた。うえっ、へへへへ……」


 ついには気味の悪い笑い声まで上げて。


「これで配下の魔物を自由に進化させられるわ! おめでと~♪ おめでと~♪ おめでと~♪ わたし! 拍手は! はい、拍手~!」


 痛っ! 蹴られた! 仕方がないので拍手~、パチパチパチ。


「ところでもう行っていいか?」


「もちろんよ、ここにはもう用はないわ!」


 少しは落ち着きを取り戻したのか、俺の頭にチェルシーはちょこんと腰を落とした。


「得られるものは全部得たし!」


『喰えるものは全部喰ったからな!』


「んじゃ、行くとするか!」


 後ろを振り返る。

 いつの間にか、何百という魔物や魔獣、魔植物が俺らを取り囲んでいた。

 いや、いつの間にか、というのは正しくないか。

 彼らは遠巻きに俺とアギオンとの決戦を見守っていたのだから。

 俺の視線を受け、魔物や魔獣、植魔が一斉に道を開ける。

 魔の者によって作られた一本道の先にあるもの、それはハクア大森林の出口だ。

 光輝さえ纏って見えるハクア大森林の出口に向け、一歩を踏み出す。

 すると……。

 一本道の両脇に控える魔物も魔獣も植魔も、一斉に膝を折り、頭を垂れた。

 そして、俺が目の前を通過すると、頭を上げ、1体、また1体と俺の影の中に消えていく。

 彼らは、この三ヶ月で征服し、屈服させ、隷属させた、俺の「軍勢」だ。

 魔法の素材するために数体を狩った残りを「軍勢」として取り込んだのだ。


「ようやくだ。これで、ようやく復讐できるぞ!」


「ちゃっちゃい男ね、これだけの軍勢があれば一国だって落とせるのに」


 俺の額にバタバタさせた足をぶつけながらチェルシーがのたまいやがる。


「王様なんて冗談じゃない! 偉くなったって苦労が増えるだけだろ?」


「小物めっ!」


 痛っ! 踵で思いっきり蹴られた!


「甲斐性なし!」


 痛っ! また!


「ただの村人!」


 痛っ! 最後の……悪口か?!


「――どこ行くの?」


「とりあえず村に向かう。村長から冒険者共の情報を得たいし、親父やお袋に元気な顔を見せてやりたい。それに――」


 確かめるようにズボンのポケットを漁る。じゅらじゅらとした感触。

 指輪や首飾り、腕輪や足輪などの貴金属か、厚革でできたアクセサリーだ。

 それらが確かにあることに、小さくため息が出る。


「みんなを村に帰してやらないと……」


 これらはギブ・モアに喰わせた魔物の腹から出てきたものだ。

 俺の「修行」と称して多くの魔物を狩ったが……

 まったく運の良いことに、俺は図らずも一応の敵討ちができていたのだ。

 もちろん、元凶である冒険者どもを狩るまでは敵討ちを終わらせるつもりはないが。


『故郷に帰ったらそのまま復讐を止めるなんて言わないでくれよ? けけけっ』


 意地の悪い笑い声を上げてそう言う。


「言ってろ」


 時刻は、明け方の早い時間帯。

 西の地平線に太陽が半分ほど顔を出したところだった。


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