第8話 森の中の池
春のような陽気な日。
エリスがいうには、この地域は常に日本でいう春のような気候らしい。
今日も穏やかな空の下、馬に乗った俺とエリスは街へと向かう。
これで何日目で、何往復したのだろうか?
探索を続け、使えそうな資材は集めて回るのは。
今回もそんな感じで出てきたのだが、今日はエリスが言うには、いつもとは 違うところに行くらしい。
それは、ホンダさんの両脇にぶら下げられた空の樽を見ても分かる。
きっと何かを取りに行くんだろう。
街へと向かう道中には、あたり一面に緑が広がる。
この国はもともと、自然あふれる平和な国だったようだ。
都会育ちの俺には、この光景が初めは新鮮ではあったが……
さすがに飽きたな。
娯楽も何にもないし。
しばらく進むと、目の前に小川が流れる。
街に行くには、いつもこの小川を歩いて渡るのだが、今日は違った。
「カズヤ様、今日は川の上流に向かいます」
「そうなの? 別にいいけど」
道をそれ、川の上流へと辿っていく。
しばらくすると森が現れる。川はその奥深くまで続いているようだ。
俺たちは、その森の中へと入っていく。
森では木漏れ日が差し込み、涼しげな風が通り抜ける。
「へー なんかいいところだね」
「そうでしょう。森におりますと、心が落ち着きます」
なんだか身も心も浄化されるような気分で奥まで進んでいくと、そのうちエメラルドに輝く神秘的な池が姿を見せる。
その近くの木にホンダさんを止めると、エリスが降りながら言う。
「どうですか?」
「どうですって? まあ空気の澄んだ、水も綺麗な、いいところじゃね?」
俺もホンダさんから降りながら、何気なく、そんなことを言う。
「聞こえませんか? 森の精霊たちの祝福の声を?」
「は? 森の精霊? 声?」
真面目な顔をしながら近づいて来て、そんなことを尋ねてくる?
「一時期はあの争いにより、森は焼け、消えかけた精霊たちも、この数年で木々も育ち、水も浄化され、精霊たちも僅かながらも姿を現してくれるようになりました」
「はぁ……」
精霊とか言われても……よく分かんないし、見えないし、聞こえないし。
「……まさか見えないのですか?」
「え? ええ? いやその……」
「木や風、水の精霊たちの声が聞こえないのですか?」
「……」
「カズヤ様は、選ばれし救世主様ですよね?」
「あ? ああ! 聞こえるさ! それくらい聞こえるってんだよ! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「では今、なんて言われてるかご存知ですか?」
「え? そりゃーまー あれだよ。よく来てくれましたって……」
「臭いです」
「……え?」
今なんと?
くさい、だと!?
「カズヤ様が臭いですと」
「そ、そんなこと言うわけないじゃん……」
「私も辛いのですが。普通に近くにいても臭いので」
「あの……その……普通にショックなんですけど……」
「この世界にきてから、一度も入浴されてませんよね?」
「だ、だって、しょうがねーだろ! いきなり呼ばれたんだから!」
濡れタオルで、体くらいは拭いてたさ!
雨でも降れば水浴びくらいはするんだけど、最近は雨が降らないってエリスが言うし。
「なので、ここまでお連れしたわけです。早く水浴びしてきてください。臭いんですから」
「そうストレートに言うなよ! 気付いてたんなら、もっとさり気なく、遠回しに教えてくれよ! 傷つくじゃんかよ!」
「三日二晩降り注いだ大雨がようやく降りやみ、草原に溜まった水たまりがそのまま放置され、
何日も残り続け泥水となり草の根が腐り、昼の炎天下によりさらに腐り始め、
道行く人に避けら、砂漠を歩き回って喉が枯れ尽くした野良犬でも飲まないような、
腐った川魚のエラから排出されたような生臭い水……
……のような鼻を不愉快にさせる臭いが、どことなくカズヤ様の方角から風に乗って漂ってきます」
「遠回しにってさぁ! そこまで言わなくてもいいじゃないか! よけい傷つくわ!!」
なんなんだよ! 本当に!!
もう、なんなんだよ! これ!!
「ここなら水も綺麗ですし、森の中ですので、人目も気になりませんので、存分に体を清めてください」
「ああ、そですか。で、人目って、人なんて、どうせ誰もいないだろ?」
「私も入りたいんです」
「あーそーですかー」
「先に私が入らせてもらいます」
「どーぞ」
「カズヤ様が入られると、池の水が枯渇し、死に絶える可能性がありますので」
「酷い言われようだな、おい」
「あと、覗かないでくださいよ」
「の、の、覗くわけないだろ! お前の、そ、はあ? 興味ないし!」
「精霊がちゃんと見張ってますので」
「はいはい」
「ちょっとでも不審な行動をとりますと、カズヤ様の目から永久に光を奪いますので……」
「こわっ! 恐ろしいこと言うなよ!」
どこまでも俺を馬鹿にして。
臭いだの、覗くだなど……
お前の裸なんて……まあ、ちょっとは……
「では少し、こちらに来てください」
「え? ああ」
俺はエリスに連れられて、池から少し下った小川へと連れていく。
「靴を脱いで川の中へ入ってください」
「え? お、おう……」
言われた通りブーツを脱ぎ、恐る恐る足の指先を水面へと運んでいく。
……
……おっ、ちょうどいい水温。
別に普通の水じゃない?
「どうですか?」
「んー ちょうどいい温度じゃん。気持ちいぞ」
俺は両足を川に突っ込んで、脛がすっかり隠れる深さまで進んでいく。
「では、そのままで待っていてください」
「え?」
そう言うとエリスは何やら、こちらの世界での呪文のようなものを唱え始める。
すると……
「え? えっ? なにこれ?」
俺の足が浸かっている周辺の水のみが……
凍り付いていく!?
「ちょっと! エリス! なんだよこれは!」
「しばらくここで、大人しくしていてください」
「冷たいって! 冷たっ!! 冷た痛い!!」
「1時間ほど入浴してきますので、お待ちください」
「なんでこんなことすんだよ!」
「……覗くかもしれないですから」
「しないってば! どんだけ信用してないんだよ!」
「では……」
後ろ向いて戻ろうとする!?
「まってって、1時間も! 死ぬ! 足が! 凍り死ぬ!!」
「後でちゃんと回復して差し上げますので、心配なさらずに。下手に動きますと、足がもげて治せなくなりますよ」
「ちょっと! 待ってって! エリス―――!!」
俺の悲鳴は、このあと1時間ほど森中をこだました。