第16話 卵泥棒
うわぁ~~
かわいいなぁ~~
川岸の生い茂った草の中に身を潜める俺とエリス。俺たちの視線の先には、水面を泳ぐ水鳥たち。
モコモコ茶色い羽根の親鳥。
懸命に泳ぎながら後を追う雛たち。
そんな微笑ましい光景を、俺たちは観察していたのだ。
子どもは10匹近くいるのかな?
ちっちゃくて、
まんまるで、
フカフカして、
そんな子鳥が、水面をスーッと泳いでいく様は……
あ~
心が癒される~~
こんな近くで見ることが出来るなんて。
もとの世界ではテレビとかで流れてたけど、実物はそれ以上にかわいい!
「なあ、エリス、あれ、アヒル?」
「あれは……カルガモですね」
「カルガモかぁ~」
「可愛らしいですね。まだ天敵がいないようです。のんびりと優雅に泳いでいます」
カルガモ、かわいいなぁ……
カルガモ……
カモ……
鴨……
鴨鍋
鴨せいろ
鴨南蛮
鴨ロースト
鴨しゃぶ……
「カズヤ様?」
「ハッ!!」
「よだれが垂れてますが?」
「いや、その! あ、あんまりにもカルガモ親子がおい……可愛くて!」
「まさか? カズヤ様はあのカルガモを……?」
「ち、ちがーう!! そんなこと思ってない!!」
ギュルギグルルルル~~~!!
その時!
空気を読まない俺の腹の虫が、雄叫びをあげた!!
「とり……じゃなくて、魚、食べたいな……」
「カズヤ様は! 口を開けば食べたい食べたいと。それでは強欲モンスターと変わりないではないですか」
「飽きたんだよ! 草と芋の料理は!」
「まだ生態系が回復しておりません。動物性たんぱく質は、もう少し種が……」
「その前に俺の寿命が尽きちゃうよ。俺、エリスみたいに長生きしないんだぜ?」
「この微笑ましい光景を見て、よくそんなことを口にできますね」
「最終的には、鳥だって魚だって繁殖させて食べんるだから、いいだろ?」
「しかしですね……」
「この世界だって、滅亡する前は普通に鶏肉を食べ……そういえば、ニワトリってこの世界にいないの?」
「ニワトリですか? 強欲な人間によって卵を産まされ続け、用が済んだらチキンにされる、可哀想な鳥の事ですか?」
「え? いや、まあ、そうだけど……そうじゃない」
そんなやり取りをしている間に、カルガモ親子はどこかへと泳いでいってしまった。
そうか……
ニワトリを捕まえてきて繁殖させればいいんだ。
「なあ、エリス? この辺にニワトリっていないのか?」
「ニワトリは全てチキンになりました」
「……え?」
顔色一つ変えずに、冗談とも本当とも判別付かない回答をしてきた。
「かつては養鶏も盛んでしたが、火竜が攻めてきた時に、鶏舎ごと燃やし尽くされました」
「えぇ?」
「あれは実に悲惨な光景でした……」
青く晴れた空を見上げながら、はるか昔のことを思い出すかのように、エリスは語り始める。
「真夜中に赤く広がる炎。その天高々と昇る炎は、漆黒の夜空を真昼かと思わせるほど赤く染め……」
「……」
「夜の帳が降り静寂に覆われたはずの世界に、幾羽もの鳴き叫ぶニワトリの、悲痛な断末魔が響きわたり……」
「…………」
「全てを燃やし尽くされ、蹂躙された養鶏場に残されたのは、香ばしくジューシーなチキンの匂いのみ……」
な、なんという地獄絵図!!
「あれは……とても凄惨な現場でした」
「分かったよ! ニワトリ探して繁殖するまでは、しばらく鳥は食べないでおくよ」
しょうがない。
鳥肉は当分諦めたよ。
でも……鳥の卵くらいならいいでしょ?
「じゃあさ、卵、食べたいんだけど? それならいいでしょ?」
「卵ですか?」
「こっちにきてから、卵料理食べてないし。卵なら別に殺したりしないから、いいだろ?」
「たとえ卵といっても、尊い生命の息吹が……」
「卵が! 食べたい!!」
「カエルの卵を、ですか?」
「そう! カエルのたま……ちが――う!!」
「おそらくカエルなら、その辺に」
「違う違うちが――う!! カエルなんかじゃない!!」
「私、知ってますよ。カズヤ様の世界では、カエルの卵を飲んでいるのを」
「……えっ?」
なにそれ?
そんな文化ないぞ?
どこの国の話?
なに言ってんの?
「飲まねーよ、そんなの」
「たしか……たぴおか……とか?」
「タピオカのことかぁ!? あれはちげーよ!! カエルの卵なんかじゃね――って!」
なに言ってんの、このエルフ!?
どこで知ったのか分からないけど。たしかに見た感じ、そうかもしれないけどさ。
……ぅっ、気持ち悪くなってきた。
「カズヤ様、カエルの肉はチキンのような味がすると言われてますので、どうですか?」
「えっ? そうなの?」
「はい。では、今晩の夕食はカズヤ様のリクエストに応えまして、カエルのもも肉の唐揚げを……」
「待てまてマテ!! カエルは食べない!」
「なぜですか?」
「いやなぜって言われても……」
「鳥は食べてカエルは食べないと?」
「……分かった。鳥もカエルも食べないから、せめて鳥の卵を食べさせて」
「はぁ……仕方ありませんね」
危うくカエルとカエルの卵を食べさせられそうになった俺は、エリスの案内のもと、鳥の巣を探すことに。
「この辺りの草むらの、どこかに巣があると思います」
「鳥の巣ね」
そういえば鳥の巣なんて見たことないよなぁ。どこに作って、どんなふうになってるんだ?
そんなことを思いつつ、腰くらいの高さまで伸びた草を搔き分けていくと……
「カズヤ様、いましたよ」
「え? どこどこ?」
エリスが指し示すところには、草の上に枝などを敷き詰められ、その上に白いアヒル?が、ちょこんと座っていた。
「今、卵を温めているところでしょう。あの下に卵があると思います」
「おう」
「私が親鳥を引き付けておきますので、その隙に1つだけ取ってください」
「分かった」
そう言うとエリスは親鳥の前に移る。
それに反応した親鳥が、ガーガーと激しく威嚇する鳴き声を上げながら、バッサバッサと羽を広げて立ち向かっていった。
親鳥が座っていたその下には、白っぽい卵が数個、転がっている。
今だ!
俺は急いで巣に駆け寄り……
10個近くある卵の中から1つを取り出し、そして急いで逃げる!
……が、
ガアア――!!!
うっわ! 戻ってきた!?
グワグワ!グワ!ガアアァァーア!!!
痛い! いたい!
くちばしで! いてっ!
突っついて! いててっ!!
し、しかも! いっ!!
親鳥の激しい攻撃。
お、追ってきた――!
我が子を奪われまいとする必死の追撃!
ごめんよ――
本当にごめん。
1個だけ、ちょうだい!
必死で逃げる俺は、草むらを抜け出し、道を横切り、その先の民家の瓦礫までやって来る。そこでようやく振り返り、後ろに親鳥がいないことを確認する。
ハァハァ……
卵1つで、こんなにも苦労するなんて……
息を切らし座り込む俺のところにエリスがやって来て、呆れたようにつぶやく。
「盗めたのですね」
「……盗んだっていうわけじゃ……」
「救世主ともあろうお方が、卵泥棒とは。なさけないです」
「……」
こうして、親鳥に突っつかれ、エリスに泥棒扱いされてまで手に入れた卵を、大事に洞窟の拠点まで持ち帰り、夕食時に調理することに。
卵料理で食べたいのはいっぱいあるけど、道具も調味料も調理技術もないので、今回はゆで卵にして食べることに。
かまどに鍋を置いて、お湯を沸かし、卵を投入。
その茹で上がる様子を、目の前でぼんやりと座りながら眺める。
この卵、日本のに比べてちょっと大きいんだよね。
それでいて、やや青みがかってるというか。
日本のは、ニワトリの卵だからかな?
この卵ってアヒルの?
……
…………
そういえば、ゆで卵って、どうやって作るんだっけ?
お湯の温度は?
時間は?
取り出したら冷水に入れるんだっけ?
かまどの火がパチパチ音をたてて燃え上がる。鍋のお湯はグツグツと沸騰する。
ニワトリ、探さないとなぁ~
今回みたいに、ニワトリの卵を取って来て育てた方がいいのかな?
あれ?
でも日本の卵って、頑張って温めても孵化しないって。
たしか……スーパーとかの食用のは、無精卵っていうので……
有精卵じゃないと孵化しないって……
……で?
この卵は?
無精卵?有精卵?
有精卵だったら……?
「……あのさぁ、エリスさぁ?」
「なんですか?」
テーブルに食器を並べるエリスに思わず尋ねてしまう。
「この卵って……中身、入ってる?」
「中身? ええ、もちろん入ってますよ」
「その……中身って、鳥の雛……?」
「ええ」
!!!?
「えあ、その、あーっと、ええっ?」
「卵は温めてから約20日ほどで孵化しますので。この卵はおそらく7日くらいは経っているものかと」
「…………」
「どうかしましたか?」
「俺って、今から何をしようとしてたんだっけ?」
「卵を食べようとしてました」
「この?卵を?」
「そうです。この崩壊した世界のなかで、貴重な生命の一つとして、まもなく産声を上げ、誕生しようとしていた雛が収まってた卵を、です」
「…………」
「そろそろ茹で上がったころでは? さあ、冷めないうちに。残さずしっかりと全部食べてください」
……中に入ってるの?
俺はこれから何を食べようとしているんだ?
想像できないんですけど。
呆然としている俺に、エリスが親切に卵を鍋から取り出して、俺の手へと渡してくれる。
今から食べないって選択肢は……
エリスは無表情のまま、卵を食べようとする俺のことを凝視している。
食べざるを……えないか……
「……ぃたぁだきぃまぁすぅぅ……」
おそるおそる、震える指先で殻を剥がしていく。
すると真っ白い白身が現れる……
……かと思いきや!
「ちょっと、エリス! なにこれ!!」
白身の表面に張り巡らされた毛細血管のようなもの!!
どす黒く赤い細い線がいくつも伸びている!?
「血管ですね」
「……あぁ……うぅ……」
「なぜ食べる前なのに、そんなに涙目になって苦しそうな顔をされているんですか?」
「い、いや……だってさぁ……」
軽々しく卵、食べたいなんて言うんじゃなかったよぉ……
覚悟を決めてスプーンで、ほんの少しだけすくって口へ……運ぶ。
意外と味はしない。
いや、味わう暇がないというのか……
塩が欲しいかも。
ああ、俺の涙を舐めればちょうどいいかも。
まあ、これなら食べれるかも。
最悪なものを想像をしていたから……
……と、食べ進んでいくと、
コツン
とスプーンが何かに当たる?
卵の中に固い何かが?
これってまさか……
慎重に白身を削っていくと……
中から……
毛のような……
なにかが……
「エリス! エリス――!! なんか入ってる!!!」
「卵の中には、雛が入ってるに決まってるでしょう」
「なあ、エリス! どうやって食べればいいの! ねえ!!」
「普通に食べてください。口の中に入れて歯で咀嚼して、飲み込みやすくして、舌で奥に押し込み、喉に入れてください」
うえっぷっ……おえっ……
「あの、なんか、具合悪くなって……と、トイレ……」
「ちゃんと食べてからにしてください」
「お腹の調子が……」
「食べてください」
「あのぉ……」
「貴重な命を無駄にしないでください」
ううぅぅっ……
「涙を流すほど、美味しいのですか? それはよかったです」
こうして俺は、エリスの鋭い目が光る中、なんとか完食したのだが……
もうしばらくは、鳥も卵も食べたいなんて、言えなくなってしまったのだ……