第15話 ウナギすくい
俺とエリスは王都から少し離れ、横を流れる川を川岸にそって下流へとたどっていた。
穏やかな天気の中、ホンダさんとスズキさんにそれぞれ乗りながら、キラキラと輝く水面を横目にのんびりと進んでいく。
今日は河川の水質調査と生態系の観測、ということらしい。
上流にあたる森から流れ続くこの川は、王都の横を通り過ぎそのまま南の海へと続いているとのこと。
水を汲みに通っているあの湖から比べると、ここは川幅も広がり、流れも少し早くなっているような気がする。
そんな川と時間の流れに身体を合わせるようにして歩いて行く。
「カズヤ様、この辺りで川に少し近づいてみますか? 水底が見えるほどの位置まで」
「ああ」
川岸までは、深い緑の草で覆われ、川の様子がよく分からない。
俺たちは馬から降り、剣を振り、草を薙ぎ払いながら進む。
「気をつけてください。蛇が潜んでいるかもしれません」
「蛇は……怖いなー」
……だからエリスは俺の後ろ歩いてるわけ?
そうして、手を伸ばせば水に触れられるほどの位置に来た時に、俺の目に飛び込んできた光景は、
透き通るガラスのような青くきらめく清流。
本当にガラスの一粒一粒が水滴のように流れているのではないかと思えるほどの、美しい水の流れに、思わず声が漏れてしまう。
その場でしゃがんで川を覗き込む。
あまりにも水が澄んでいるせいで、底に転がっている石っころまで見えてしまう。
「この川の水も、だいぶ綺麗になりました。カズヤ様、あそこを見てください、小さな魚たちも泳いでいます」
「本当だ」
エリスの指差した方を見ると、小さなメダカのような灰色の小魚が群れを成して泳いでいるのが見える。
あ――
なんか、のどかだなぁ~
時間が経つのを忘れてしまうくらい、見入ってしまう。
思えば元の世界にいたころは、こんな川岸近くでぼんやり川の流れを眺めることなんてなかった。
そもそも近くに川なんてなかったし、あったとしても河川敷や堤防などでコンクリートでガチガチに固められていた。
「小さな水棲昆虫も見られますね。非常に良い状態です」
「あー 虫もいるのね」
「環境が回復してきている証拠です。虫が発生すれば、それを餌に魚たちが。さらにそれを目当てに鳥たちがやって来るでしょう」
「魚……鳥……かぁ」
魚……
鳥……
焼く……
焼き魚、焼き鳥、食いてぇなぁ……
「カズヤ様? 今なにか言いませんでしたか?」
「え? い、いや、べつに!」
「まさか、この期に及んで、まだ魚や鳥を食べようなどと……?」
「なっ! ば、そ、そんなこと……」
エリスが目力の凄い顔で、俺のことを覗き込んでくる。
「虫ならいいです」
「え?」
「虫なら食べてもいいです」
「なっ、え? ちょっ?」
そう言って左の方の水面を指さすエリス。
その示す先を目で追ってみると……
うぅぇ……何あれ?
水面をスーッと滑るようにして移動する茶色い……
よく見ると幾つも動いている……
ゴキブリみたいなのは!!
「やだよ!! 虫なんて食べたくねーよ!!」
「なぜです? 魚や鳥はよくて、なぜ虫はいけないんですか?」
「いやその、だって、きたね―じゃん!」
「汚い? のですか?」
「そりゃそーだろ」
「魚も鳥も、虫を食べて生きてますが?」
うっ……
「なのでカズヤ様も直接、虫を食べればよいかと?」
「やだ!! エリスだって、なんで虫なら食べていいんだよ!」
「いっぱいいますので。栄養もあります」
「……」
「バッタやコオロギ。ミミズなどは、いかがでしょうか?」
「いやだ!!! それなら餓死した方がいい!!」
「そうですか……グルメな救世主様には困ったものです」
虫は……食べたくないよぉ……
本当に、本当に食べ物が無くなったら考えるけどさ。
「そんなグルメ救世主様は、高級食材のウナギでも食べますか?」
「え? ウナギ? ウナギいるの?」
「はい。もしかしたら。今そこで泳いでいるかもしれませんよ」
ウナギなら食べれるぞ!!
ウナギ1匹でご飯5杯はいける!!
「エリスぅ~ 俺ぇ~ ウナギ~ 食べたいなぁ~」
「分かりました。では準備を……」
「ちょっと待った!!!」
ちょっと待てよ。
ミツバチの件があったから、もしかすると俺の知ってる鰻と、この世界のウナギは違う可能性が……
「エリス! ウナギってどんな魚なんだ!?」
「ウナギですか? 細長い蛇みたいな魚ですが、それがなにか?」
「美味しいんだよな、それって?」
「脂がのって美味だと聞いてますが?」
よし。
きっと俺の知ってる鰻だ。
「でもさあ、今、何の道具も持ってきてないけど? どうやって捕まえるんだよ?」
「つかまえるのは簡単です。道具は必要ないです」
「マジ!?」
「はい。先ずは川の淵ギリギリの場所に立って、川を背にしてください」
「こ、こうか?」
俺は言われた通りに川岸に立って、背中を向ける。
「次はお尻を水面に向かって突き出してください」
「え? こ、こう?」
その場でしゃがんで、お尻を突き出す。
「はい。そしてズボンを下ろして……」
「ズボンをおろ……って! ちょっと待て!!」
「どうしましたか?」
「本当にこれであってるのか!?」
「はい。太古の昔、人々はこのようにしてウナギを取っていたと言い伝えられてます」
「本当に? でもなんで?尻を?突き出すの?」
「ウナギは非常に獰猛な魚です」
「…………えっ?」
「群れを成して活動するウナギは、動物の穴という穴からドリルのように回転しながら食い破り侵入して、体の内臓などを内側から喰らいつくして、獲物を死に至らしめる、非常に恐ろしい魚なのです」
「なっ……あ……おま……」
俺の知ってる鰻じゃねぇ!!
「俺に、なんて事させようとしてんだよ!!!」
「侵入してきたと同時に、力を込めて穴を塞げばいいのです」
「いいのです。じゃねーよ!! 今食いついてきたら、どうするつもりだったんだよ!!」
「激痛で、のたうち回ります」
「…………」
「回復魔法で傷を癒したところで、ウナギが体内に侵入している限り、暴れまわりますので……開腹して摘出する必要があります。その間も暴れまわりますので、そのあまりの痛みにショック死する人も少なくないと」
涼しい顔をしたままで……
な、なんて恐ろしいことを、させようとしてるんだ、このエルフは……
「まあ、人間が直接することはほとんどなく、馬や牛などを囮にして川に入れて取っていたと聞きます」
「じゃあ、最初っからそうしてくれよ!」
「ホンダさんやスズキさんを利用しろと?」
「いや、それはちょっと……」
「それに、今では画期的な罠が開発されまして、ほとんどの場合はそれを使って漁をしていますが」
「じゃあ、もっと最初っからそうし……」
―――ズルッ!
えっ?
怒りで思わず足に力を込めてしまい、
川に滑り落ち……!!
ドボン!!
という水しぶきと共に、全身ヒンヤリとした感覚に包まれる?
うわぁ!!
ここ、結構深いぞ、これ!!
ジャンプしてようやく顔が水面から出るくらい!!
あ、上ろうにも……
滑って上がれない?
「ちょっ、エリス、助けて!!」
「カズヤ様、大変申し上げにくいのですが……ウナギが近づいて来てます」
「えええ!!! うそ――!!!」
え!?
まじマジ!!
えっ、ウナギ!?
「エリス!早く!引き上げてえ――!!!」
「慌てないでください。穴を塞げば入ってきませんから」
「あ、あな? ふさぐって!?」
「まず目を閉じてください」
「こ、こうか!?」
言われた通り目を閉じる。
「次に口を」
「ぐ、ぐぐぐう?(こうか?)」
「今度は鼻を」
「ぐぐぐ!?(鼻も!?)」
右手で鼻をつまむ。
「最後に耳を」
「む゛む゛!?(耳!?)」
左手で左耳を……耳を。
あっ、右が塞げない!
ってか、息できない!
見えない暗い聞こえない!!!
恐いぃ!!
「ぐほっ!! 無理だよ!! 早く助けてよ!!」
川岸から無表情で俺のことを覗き込むエリス。
「エリス!! 助けてってば!! まだ死にたくない!!」
「しょうがないですね。では、私の良いところを3つ、言ってください」
「はあ!? ふざけてないで! 早く引き上げてってば!!」
「そうですか……では、さようなら」
「まって! あ、あの、あれだよ! エリスは可愛い! 綺麗!! 美人エルフ!!!」
「2つ目は?」
「え? 2つ目? そんなものは……」
「……それでは、ごきげんよう」
「まってぇえ!! 料理が上手い! 美味しい!!」
「3つ目」
「ハァハァ、ちょっ……たすけぇ……」
「……おやすみなさい」
「あ――!! あ――!! 頭がいい! 賢い! いろんなこと知ってる!」
「4つ目は?」
「あ―――!! なんでだよ!! 4つ目!? や、優しい!! こんな俺を助けてくれるくらい女神様みたいに優しい――い!!」
やけくそで怒鳴り上げると……
急に体が軽くなり下半身が浮き、水面から飛び出す?
お? おお―― 浮いてる?
水面から1メートルほど上空を浮くと、ゆっくりフワフワと岸まで平行移動し……
突然、糸が切れたかのようにドスっと落とされ、草の上に叩きつけられる。
はぁ……た、たすかった……
風の精霊? だか、なんの魔法だか知らないけど、そんなの使えるんだったら早く助けてくれよ……
「そんなに慌ててどうしたのですか?」
四つん這いになって息を整える俺を、立ちながら見下ろすエリス。
「死にたくない―!とか叫んでましたが?」
「うっ……」
「ウナギなんて、いませんよ」
「……はあ?」
「ウナギは濁った池などの、水の流れがない穏やかな場所に生息してます」
「……なん……だと?」
「しかも捕食対象の小動物が繁殖していないのに、こんなところのいるわけがないじゃないですか」
「お、お前! 騙したのか!」
「どうです? 捕食される立場になった気分は?」
「くっ……」
「これに懲りて、むやみに生き物の命を取ろうとしないことですね」
くっそお――!!
エリスのやつめ!!
騙しやがって――!!
「さあ、早く服を乾かしませんと、風邪をひきますよ」
そう言って荷物からタオルを取り出し、渡してくれる。
それを、恐怖から解放された安堵と、寒さと怒りで震えながら受け取る俺だったのだが……
俺をからかって面白かったのか……
それとも、散々俺に褒められて気分が良くなったのか?
どうなのか分からないが、
エリスの表情からうっすらと笑みが垣間見えたことで、
俺の怒りは、どこかへと消えてしまったのだった。