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かくして、妖精堂はこの眠れる香水のおかげでようやく香水店らしい軌道に乗ることができた。
リクオルの飛粉の季節が終わるころには、眠れる香水ブームも少し去っていたけど、それでも定期的に買いにきてくれる固定客がついたのは、店としては有難い限り。
眠れる香水のついでに他のも試して、そっちも気に入ってくれたお客さんもいて、とりあえず、妖精堂は香水店としての体裁くらいはできてきた。
そのころにはクリスタルイーター用に作っていた虫よけも改良してお店に並べるようになったし、物々交換で手に入れた珍しい素材を使った香水も少しずつ増やしていった。
クリスタルイーターたちの作る香水瓶も好評で、虫よけを入れて並べたら大人気。
眠れる香水に続くヒットになった。
初雪の降るころ、すっかり香水屋らしくなった自分たちにちょっと驚きながらも、毎日は忙しく過ぎて行く。
「寒いと思ったら、雪だよ、リクオル。」
畑の世話を済ませて戻ってくると、リクオルは調合した香水にひとつひとつ丁寧に魔法をかけているところだった。
「へえ~、そっか。
冷えたでしょ?今お茶煎れる。
でも、先、これやっちゃいたいから、ちょっと待ってて。」
視線は香水に集中したままリクオルはそう答える。
わたしは邪魔しないように足音を忍ばせてお湯を沸かしにいく。
魔法をかけるリクオルの姿は、何度見てもどきどきする。
呪文を紡ぐリクオルの声は、心地よい旋律のように辺りに響く。
魔力が高まるとき、リクオルの瞳は不思議な色に染まり、風もないのにふわふわと髪がなびく。
歓び感謝し褒め讃える妖精の呪文は、心をじわじわとあたためて、勇気と希望をもたらしてくれる。
妖精の魔法は誰かを幸せにすることにしか発動しない、っていうのはよくリクオルの言うことだけど。
それって裏を返せば、妖精の魔法はきっと誰かを幸せにするってことなのかもしれない。
それは日常に紛れるくらい、ほんの少しの、小さな小さな幸せだとしても。
最近、リクオルって本物の妖精さんだったんだなって、つくづく思う。
守銭奴のふりしてるけど、実際には損得抜きで厄介ごとも引き受けてしまうお人好し。
からかわれても真に受けてしまうのは、根が純粋なんだろう。
単純バカだと思うのは、誰かを疑ったり恨んだりしないから。
厄介ごとばっかり持ち込まれて困るけど、いつも楽しいことを探しているリクオルは、ちょっときらきらしてて眩しくもある。
実際、リクオルに巻き込まれたおかげで、自分ひとりじゃ出会えなかった楽しいこともたくさん経験できた。
それにリクオルはわたし以外にはそういう面倒事は持ち込まない。
それって、もしかして、わたしのことを信頼してくれている証?とも最近になって思うようになった。
まあ、なんだかんだ言って、ここ数か月ですっかりわたしもリクオルに毒されてしまったのかもしれない。
ずっと面倒な幼馴染だと思ってて、離れている間はちょっとほっとしたりもしたんだけど、そうやって離れていたからこそ分かる、リクオルのよさなんてのもあったりして。
うん。リクオルが帰ってきてくれて、こうして一緒にお店を始めようって言ってくれて、よかった、って今は思ってる。
なんてね。
秋はしみじみしちゃって、いかんなあ。
おまけに今日はちょっと冷えて、初雪なんて降ってきてるもんだから。
物思いにふけるなんて、柄じゃないのに。
こんなふうに思った日のこと、わたしはいつか思い出すんだろうか。
そのときには、この日のことを後悔するのかな。それとも、懐かしく思うのかな。
願わくば、思い出すその日も、こんなふうにあたたかい気持ちでいられたら、って思う。
そのときには、多分、きっと、リクオルも隣にいてくれるはず、だよね?
リクオルが魔法をかけ終わるタイミングでお茶を淹れて出す。
むう、オレが淹れてあげようと思ってたのにぃ、とちょっと拗ねた顔をするけど、とっておきのクッキーをお茶菓子につけたら、すぐに機嫌が直った。
魔法がかかって、ほんの少しきらきらの増した香水瓶を眺めながら、わたしはしみじみと呟いた。
「この香水が売れるのもリクオルの魔法のおかげなんだろうなあ。」
「ジェルバちゃんの香水がなければ、そもそもオレの魔法をかけられるところもないからね?」
そう言ってリクオルは笑う。
誰かをほんのちょっと幸せにするのが得意な妖精の魔法。
リクオルのその魔法は、わたしのことは、ほんのちょっとどころか、かなり幸せにしてくれている。
眠れる香水も、リクオルの魔法がなかったらきっとあんなには売れなかっただろう。
結局、何回試しても、わたしはいい夢というのを見られなかったから、どんないい夢が見られるのか、分からずじまいなんだけど。
「ねえ、あの眠れる香水って、どんな夢見せてくれるんだろ?」
何度となく尋ねたことをまた尋ねる。
「さあね。
どんな夢を見るかはその人次第。
オレの魔法は、その人にとっていい夢、ってのを引き出すだけだよ。」
何度となく聞いたのと同じ説明をリクオルは繰り返す。
だけどそれじゃ、やっぱりよく分からない。
そんなふうに思っていると、リクオルが付け加えた。
「ジェルバちゃんはさ、この現実世界で夢よりもっとずっと幸せにしてあげるから。
だから、そんな夢、見なくていいんだよ。」
なんかさ、そういう台詞、リクオルに言われてもね・・・
「リクオルに幸せにしてもらおうとか、思ってないよ。」
ついついそんなふうに返してしまう。
いやもう本当は、じゅうぶん幸せにしてもらってるんだけど。
リクオルは、わたしの返事が気に入らなくて、ぷぅ、と膨れる。
あらら。
「わたしはもうじゅうぶんに幸せだからさ。
これからはリクオルのこと幸せにしてあげるよ。」
そう付け足したら、リクオルはちょっと目を見張って、それから、でへへ、と笑み崩れた。
「オレはジェルバちゃんと一緒にいられれば幸せ。
ジェルバちゃんが幸せになれば、もっと幸せ。
ジェルバちゃんのこと、オレの力で幸せにできれば、もっともっと幸せ。」
そんなこと言って嬉しそうに笑う。
「ジェルバちゃんはオレのこといつも幸せにしてくれるんだ。
だから、オレ、もっとジェルバちゃんを幸せにしたい。
ジェルバちゃんが幸せになったら、オレももっと幸せなんだ。」
そういうこと素で言っちゃうあたりが、やっぱ妖精さんなんだよなあ・・・
しかし、ここはいっちょ、照れずに言ってやるか。
「分かった。任せといて。」
外はもうすぐ冬。
ちらちらと降る雪に風もちょっと冷たいけど。
この小屋の中はほんのりあたたかかった。
お読みいただき、有難うございます。
あなたにもなにかいいことがありますように。