008 人はそれをデートと呼ぶ
ゆっくりと流れる人の波から抜け出し、フェリクスとモニカは噴水の縁に避難した。
帝都はもとより人が多いが、ここ最近は特に賑わっている。下町訛りのきつい噂話によれば、勇者と聖女が皇帝の住まうメイユ・ラヴィ宮に滞在しているそうだ。真実かどうかは関係なく、一目でも姿を見られるのではないかと期待した人々が広場や大通りに集まってしまった。
馬車の通行にも支障をきたすため、市街警備の騎士が交通整理をすることになったのだが、陽気に騒ぐ帝都民はなかなか素直に動こうとしない。平民出身で彼らの気質をよく知っている騎士が中心となり、大通りにかろうじて人と馬車の境界を作っている。他所の団から人員を回すという話があったが、そちらは本来の業務である警備に充てられているのだろうか。
――あいつが言った通りだったな。
フェリクスは絶えない人の流れを眺めた。変装の魔法を使用せずにこの人混みに入って行ったなら、どんな騒ぎになっていただろうか。考えるだけでも恐ろしい。フェリクスとモニカには互いの姿が正常に見えていたが、周囲の反応によると全くの別人と思われているようだ。
「……大丈夫か?」
隣で人の多さに圧倒されているモニカへ声をかけると、やや遅れて返事があった。
「あ……はい。歩くのは慣れているんですが、こんなに多いとは思わなくて」
モニカが知らないのも無理はない。メイユ・ラヴィ宮への移動は東雲の転移魔法に頼っていたし、滞在している館は比較的裕福な庶民が住む地区にある。喧騒とは無縁だったのだ。
「ここまで多いのは祭以外では珍しいがな。疲れたなら家に戻るか? 主要な建造物は見て回ったと思うが」
「いえ。まだユリさん達へのお土産を買っていません。せっかく休めるように気を遣って頂いたのに、何も持って帰らないのも失礼かと。その、デュラン卿がよければ、ですが」
「俺のことは気にしなくていい」
どうせ家にいても無駄に時間を潰すしかなかった。人の多さにはうんざりするが、魔王から解放されて賑わう帝都を散策するのは悪くない。
「これがただの休暇だと気付いてたのか」
「ユリさんはいつも気遣ってくれますから」
「過保護な気もするが……」
十八歳から成人だという彼らの価値観では、モニカは未成年の庇護対象に含まれるそうだ。異なる価値観を認めないわけではないが、子供扱いする必要はないとフェリクスは思っている。世俗に疎いとはいえ、モニカは一人前の巫女として勤めを果たしてきたのだ。
「私、いい子でいないと捨てられるって、ずっと思っていました」
呑気に騒ぐ人々を嬉しそうに眺めながらモニカが言った。
「教会の前に捨てられたのは、私が家族を怖がらせたせいでした。目に見えない霊を見て、植物に話しかけるから。結果的には良かったと思います。運営に余裕がある孤児院に届けられて、巫女としての才能を伸ばしてくれましたから」
家族に放置された経験から『役に立ついい子』でないと見捨てられると感じたそうだ。だから教会では『いい子』であろうとした。聞き分けが良く、教会が望む人格と能力があればいいのだと。
「ユリさんから、自分の感情を殺しすぎて道を見失ってると言われたんです。自分が一人の人間だってことを忘れてる。他人に理想を見せることも大切だろうけど、それで自分の心が潰れたら駄目だって。私、聖女だからちゃんとしないといけないって思い込んでただけで、本当はもっと前から自分を誤魔化してたんだって気付かされました」
「あの二人は他人の心をすぐに見透かそうとするからな」
「デュラン卿も何か言われたんですか?」
「自分が恵まれた環境にいたにも関わらず、勝手に幻滅して逃げ出そうとしていた。そのことに気付いたと東雲に言ったら、今更かと馬鹿にされたな。俺は真面目すぎて視野が狭いのだと」
切っ掛けはどうあれ、己を見つめ直す機会になったことは感謝していた。相容れない所では今だに衝突しているが、成長するための競争相手として最適だ。
「仕組まれた脅威ではあったが、魔王が消滅して良かった。モニカの功績だな」
「貴方もですよ?」
曇りがない笑みを直視できなくて、フェリクスは人混みを観察するふりで目を逸らす。
「俺は便乗しているだけだ。負の想念に負けて、聖女に手をかけようとした。異界からあいつらが来なければ、どうなっていたことか。ただ流されて助けられただけの男に、英雄の名は相応しくない」
ずっと考えていた。
世間では二人で討伐したことになっているが、己の功績ではないことで称えられるのは苦しみしかない。フェリクスが厚かましい性格であったなら、ここまで悩みはしなかっただろう。
「魔王の写し身を倒したのはデュラン卿です」
「一度負けたがな」
「生きているから、勝ちです」
モニカは立ち上がってフェリクスの前に回った。
「私には写し身を倒す力はありません。デュラン卿が剣で守ってくれたから、私は魔王の城へ入れました。貴方はご自分で思っている以上に、私達を救ってくれたんです。それに――」
距離が近くなる。
結った髪の上で花の飾りが揺れた。
「一人で英雄の名前を背負うのは重すぎます。助けられたのは、私も同じ。ずっと眠っていて、最後に少しだけ力を使っただけですから。だから、どうか半分は背負って下さい。もし貴方が疲れてしまったら、その時は二人で捨てましょう。過去の英雄の行方が分からないのも、きっとそういう事なんです」
「世界を救った褒美に名誉を捨てる権利を寄越せと」
「私達は道具ではなくて、人間ですから」
その考えはフェリクスの心に自然と馴染んだ。
帝国の騎士は戦場で道具であれと教え込まれる。不満はない。嫌なら別の仕事を選ぶこともできた。ただそれを勇者という繰り返されてきた役割にも当て嵌めようとして、一人で悩んでいただけだ。
ここにきて政治利用する気は無いと宣言した皇帝の意図に気付いた。道具では無いのだから、己の人生は己で決めろということだ。騎士団の人事に口を挟むこともなく、国を発つ前と変わらず籍を置いてくれている。帝国の脅威にならなければ、国を出ていくと言っても快く送り出すに違いない。
――本当に、恵まれているな。俺は。
今頃になって理解したのだから、あの皮肉屋が馬鹿にするはずだとフェリクスは自分を省みた。
現状に目を向けることをせず、不満を言うだけなのだから。
「……そうだったな。そんな単純なことすら忘れていたようだ。休暇すら楽しめないようでは、何のために生きているか分からんな。そうだろう?」
「もちろんです。今日は聖女の肩書きも、巫女の仕事も考えなくてもいい日なんです。だから、しっかり観光して帰らないといけませんね!」
近くで歓声が上がり、花びらが舞った。旅芸人がナイフを使った芸に成功したようだ。手にした帽子の中に硬貨が次々と投げ込まれる。硬貨の色は一目で高額と分かる色だった。ありふれた芸に対して、随分と羽振りが良い客がいるようだ。
うるさいほどの熱気から逃れるために、フェリクスはモニカを連れて噴水を離れた。
「英雄の名を背負う同士として、一つ提案があるのだが」
人混みを避けて小道に入ったあたりで、フェリクスはそう切り出した。
「無理にとは言わないが、そろそろ家名ではなく、名で呼んでほしい。俺も今日ぐらいは勇者と呼ばれるのも貴族の肩書きとも無縁でいたい気分なんだ」
「あ……そ、そう、ですよね」
モニカが頬を赤らめて言葉に詰まった。貞淑な巫女には難しかったかと後悔していると、戸惑いながらもモニカが言う。
「フェリクスさん。帝都のお店へ案内して頂けますか?」
「喜んで」
名前を呼ばれただけで口元が緩むとは、なんと単純だろうか。モニカの一言で簡単に変化する心を情けなく思いながらも、今日だけは構うものかと開き直った。自由に出歩ける機会だからこそ、本音を隠す必要がどこにある。
帝都で流行りだしたという喫茶店へ行ってみると、他の客が捌けた時と重なった。入れ替わりで入店できたため、あまり待たずに席へと案内される。
「いらっしゃいませー。ご注文は?」
大衆向けの店らしく、注文を取りに来た給仕には下町訛りがあった。
揃いの服を着て客席の間を動き回っているのは、全員女性だ。女性が多く働いている店では、支給される服の意匠で従業員の意欲が変わると言われている。
「では……ラフ茶ラテ、リモンテミルクゾルジュソース追加ホイップ増量カラソルチップ、フリシュゼリー後乗せを下さい!」
「はーい。ラフ茶ラテ、リモンテミルクゾルジュソース追加ホイップ増量カラソルチップ、フリシュゼリー後乗せを一つですね!」
――えっ呪文!?
フェリクスは混乱した。
目の前で部外者には分からない取引がされている。
「ただ今、英雄祭ですのでシュシュケーキを無料でお付け出来ますが、いかがですか? 追加料金が発生しますが果物全部乗せが人気ですよ」
「ではそれもお願いします」
「はーい。お連れの方は?」
「えっ俺?」
不覚にも聞き返してしまった。注文に呪文が必要だとは聞いていない。給仕に渡された一覧表には、それらしき文字は書かれておらず、馴染み深い飲み物の名前が並んでいる。
「……これで」
「はーい。蜂蜜入りラフ茶ですね。お待ち下さーい」
選んだのは大抵の店で提供されている飲み物だった。たかが飲み物を選ぶだけなのに、謎の敗北感に打ちひしがれる。
給仕が離れていくと、フェリクスは小声でモニカに尋ねた。
「モニカ。先程の商品名は……」
「基本の飲み物に好きな味を追加したんです。ユリさんが教えて下さったんですよ」
「ああ……なるほど」
軽く頭痛がしたのは気のせいだろうか。
――あいつの差金か。
一日しか帝都を散策していないと聞いていたのに、恐るべき適応能力だ。大衆文化に関しては、帝都育ちのフェリクスよりも熟知しているのではないかと思われる。
「この後はお土産を買いに行きましょう」
「……分かった」
また呪文のような商品名なのだろうかとフェリクスは不安を覚えたが、注文するのはモニカだろう。黙って金を出して荷物持ちに徹しておこうと、理解することを諦めた。不利と見て引くことは恥ではない。
提供された飲み物を楽しんでいると、店の外で民衆に紛れて騎士が移動しているのを発見した。一人二人どころではない。職場で顔を見たことがある者もいる。
――あれは親衛隊? なぜ隠れて行動している?
「どうかしましたか?」
外を眺めたまま黙り込んでしまったフェリクスを心配して、モニカが聞いてきた。
「いや……知り合いがいたと思ったが、気のせいだったようだ」
ふと市街警備に派遣された騎士は、どこに配置されたのだろうかと疑問が浮かぶ。フェリクスが所属している団からも、数名が交代で参加しているはずだ。
――今日の人混みは建国記念に比べれば半分ほど。わざわざ応援を要請するほどではないはず。
祭のように人が増える時は、市街警備の人員が強化されることは度々あった。そのことから何ら疑問に思わなかったが、不測の事態への備えにしては厳重すぎる気がしてならない。
――杞憂であればいいが。
陽が高くなり、街はますます活気に満ちてくる。
フェリクスには陽気に騒ぐ彼らの姿が虚栄に満ちたものに見えてきた。
ス○バで長文呪文のような注文をする聖女とドン引きする勇者というネタに頭を支配されたので入れてみました
不評ならカットします




