005 朝の一幕
「お前達は酒の窃盗犯を探していたはずでは?」
「不思議だよねぇ。竜人が釣れちゃったよーアハハ」
朝食の席でセルスラを紹介すると、家主であるフェリクスは呆れたように言った。
話題の主役であるセルスラは、焼き立てのパンにジャムを塗りたくって幸せそうに頬張っている。子供らしい外見と行動に釣られ、モニカと食事を用意してくれた老婆が、あれこれと世話を焼いていた。家族の団欒に紛れ込んだのかと錯覚しそうになる。
フェリクスは微笑ましい光景に顔を綻ばせたが、すぐに由利と東雲の視線に気づいて表情を引き締めた。
「笑い事か。自由に行動するのは構わんが、外交問題の火種を持ち込めとは言ってない」
「火種? 竜人と何かあったのか?」
由利が尋ねると、フェリクスは違うと答える。
「竜人と人は同じ大陸で暮らしているが、交流はほぼ無いに等しい。南の山岳地帯を挟んで、完全に住む場所が分かれている」
「お互い、交流することにメリットを感じていないんですよ」
東雲が説明を引き継いだ。
「竜は山岳地帯を飛んで越えられるけど、人間なんて矮小な存在だと思ってますから、接触してくることは滅多にありません。この大陸の端に住まわせてやってる感覚なんでしょうね。山を越えて侵略してきたら駆除しようかなーって」
庭の蟻のような扱いだ。実力差がありすぎると、そう思ってしまうのだろうか。
「人間にしてみれば山岳地帯は魔獣の巣窟だし、苦労して越えたところで竜人と交易するものはないって考えてるのかな? 珍しい工芸品ならエルフがいますし」
「そもそも話が通じる相手ではない、というのが各国共通の認識だ。気分一つで都市が破壊されると。過去にはそういったこともあったようだが」
最初の魔王が生み出される頃までは、竜人の支配地域にも人間の国や集落はあったそうだ。だが竜人の気まぐれで破壊されたり、討伐しようとして返り討ちにあった結果、山岳地帯の反対側まで追いやられることになった。こちらから接触しなければ殺されることはないと学んだ人間達は、竜と交流することを止めたという。
獣人は竜の影響下にあると言われている。一部は山岳地帯に住んでいるが、気まぐれに南の国へ入ってくる個体がいるらしい。問題は奴らが人の法律の外に属することと、奴らを排除しようとすると竜が出てくることだった。
「畑を荒らされても泣き寝入りするしかないってことか」
各国の法律は人間に合わせて作られたものだ。外国人として獣人を扱ったとしても、彼らに法を守る意識が無ければ成立しない。その上、抗議をすれば竜が出てくるとあっては、扱いに難儀していた。厄介者とも言える。
南部の国では、獣人に対する感情は良くないだろうと想像できた。
「帝国では獣人を見ることはないが、良くない噂は入ってくる。嵐に巻き込まれたことは、そこの竜しか知らん。先に見つけなければ、帝都で大規模な窃盗をしているのは獣人だと勘違いされても不思議ではない。獣人が盗んだ物も、まだお前達の推測でしかないのだろう?」
「推測じゃが、大量の酒は獣人ではないぞ。探しておるのはネズミの獣人、それも子供じゃ。今の我よりも小さいの。店一つ分の酒を運ぶ力はないし、飲み干せる胃袋も持っておらぬ」
「獣人を知らない人間に、それは通用しない。帝国では獣人というものは人間の作物を食い荒らす犯罪者だ。それを止めない竜も同類だな」
「お主、我らを愚弄するか」
セルスラの瞳に剣呑な光が現れたのを見て、由利は二人を止めた。
「食事中だぞ、二人とも。ケンカしたいなら荒野にでも移動しろ」
「止めるでないわ!」
「セルスラ。ここは人間の国だぞ。人間が開拓して発展させてきたんだ。他所から来た奴らが荒らしていい場所じゃない。竜人だって人間が侵略してきたら戦うだろ? なのになぜ人間には無抵抗を要求する?」
「う……無抵抗など……」
「セルスラがさっき食べたパン。それを作るために、どれだけの時間と労力を消費するか知ってるか? 天候に左右されて、飢饉になる時もある。子供に食べさせようと苦労して作ってるのに、獣人に横取りされてしまう。しかも抗議すれば竜が出てきて、こちらの言い分を封じ込めてくるんだから、良い印象なんて抱きようがないよ」
セルスラは知らなかったのだろう。由利の言葉に衝撃を受けて黙ってしまった。
緊張を孕んだ空気から解放されたモニカが、そっと息を吐いたのが見えた。
「フェリクスは言い方に気をつけてやってくれよ。親切で警告してくれてんのは分かるけど、お子様にはもう少し噛み砕いて伝えてやらないと。俺たち以外が獣人を見つけたら、殺されるかもしれないってことだろ?」
「俺は帝国民の総意を伝えただけだ」
「はいはい。だから早く獣人を見つけろって言いたいんだな」
「……分かればいい。確保したら早急にここへ連れて来い。帰還の支度ができるまで、余計なことをしないよう閉じ込めておけ」
「良かったな、セルスラ。もし子供達が怪我してたら、回復するまで匿ってくれるってさ」
「本当か?」
セルスラがフェリクスの顔色を伺うと、彼は必要ならそうしろと無愛想に言った。わずかに態度が軟化しているようだ。すぐに打ち解けることはないが、セルスラ達を噂で判断して拒絶しなかったことは、フェリクスの器の広さを表していた。
やがて意を決したのか、セルスラはフェリクスを真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「先程は取り乱して申し訳なかった。人間の現状を知ろうとせず、愚かにも我らが正しいと思い込んでおった。ここが人の国であると、深く理解せず振る舞っておったようじゃ。にも関わらず、我らのために尽力してくれることを感謝する」
「礼はこいつらに言え。余っている部屋に何が入り込もうと、俺の知ったことではない。ただ帝国を守る騎士として、俺の目の前で犯罪が起きたなら、然るべき措置は取らせてもらう」
それがフェリクスの最大の譲歩だった。協力しない代わりに、獣人を窃盗犯として警備兵へ突き出すこともしない。見つからないように上手くやれと告げている。
「あの……私にもお手伝いできることはありますか?」
会話が途切れたところでモニカが聞いてきた。
「今日は城へ行かなくていいのか?」
「疲れたから今日は休みだ」
答えたのはフェリクスだった。うんざりとした様子で紅茶に砂糖を入れている。
「帝都に帰ってきてから、一度も休んでいない。明日から外国へ連れて行くなら、一日ぐらい休ませろと要望した」
「希望して休めるものなのか?」
「聖女様が困っておられると、そう言った。女性が他国へ行くというのに、支度の時間が奪われている。帝都の街並みに関心を寄せておられるが、城と滞在先を往復する生活で、それも叶わない。聖女様は責任感が強い方ゆえに、ご自分の要望を控えておられると」
モニカをダシにしたようだ。ものは言いようである。
皇帝を含むその場にいた面々は、女性の身支度に大変理解がある殿方ばかりだとフェリクスは皮肉を込めて言った。更に、帝国民が誇りに思う帝都を聖女が見学したがっていると告げられて、反対する者など出るはずがなかった。
帝都見学には名だたる家が案内を買って出た。聖女と繋がりを持ちたいという魂胆だ。だが同席していたアウレリオ神父が、顔見知りである勇者が適任だろうと冷静に告げ、フェリクスがそれに同意。見知らぬ者に囲まれると落ち着かないというモニカの一言が決め手となり、まとめて却下されたそうだ。
「休みが無ければ作ればいい。もっと早く言えば良かった」
「ああ……やっぱり君はデュラン家の人間だねぇ……」
途中から傍観者になりきって朝食を楽しんでいた東雲が、ふと遠い目でつぶやいた。やはり家族とは性格が似るのだろうか。
「休日か。そうだな……」
手伝おうとしてくれるのは嬉しいが、働き詰めだった二人がようやく得た休日だ。ゆっくり休んで欲しいというのが由利の本音だった。
――別に獣人の捜索に参加しなくても良いんだよな?
由利は東雲の袖を引いた。
「東雲。地図とペン」
「どうぞ」
すぐに小さく畳まれた帝都の地図が出てきた。由利と東雲が観光する時に使っていたものだ。由利は広げた地図にいくつか丸を描き込んで、フェリクスに手渡した。
「二人で赤丸がついてる店の調査をしてくれないかな? 横に商品名が書いてあるやつは実食して感想を教えてくれ。あとついでに、この店でお菓子買ってきて。食べてみたいんだよ」
「……は?」
「調査ですね! 分かりました。お任せ下さい」
由利の意図を正しく理解したフェリクスは固まり、素直に言葉を受け取ったモニカは輝くような笑顔になった。
「おい、由利」
「睨むなよ。俺は休日出勤させる気はないからな。調査って名目にしないと、モニカは休もうとしないぞ」
「それは……そうだが」
「まさか聖女様を一人で帝都へ送り出すことはしないよな? 地元を案内するって言ったんだし、店を回るだけじゃなくて観光名所も説明してやれよ。あと菓子、食いたいやつなんだから忘れんなよ」
帝都は行ってみたい店が多すぎるのだ。食べ歩きをしようとしても、一日では回りきれない。甘いものが苦手な東雲を、菓子店巡りに連れ回すのも可哀想だ。
「デュラン卿。よろしくお願いします」
「……ああ」
「まずはどのお店から行きましょうか。あっ。お土産も忘れないようにしないと」
「フェリクス。分かってると思うけど、認識妨害か変装の魔法ぐらいは使いなよ? 勇者と聖女が来店したら、帝都中が大騒ぎになるから」
「分かっている」
東雲から札を受け取ったフェリクスは、一枚抜き取ってモニカへ渡した。複雑な形の魔法陣が描かれている。あれが姿を誤魔化すための手段だろう。
「我も店の調査に行きたいのぅ……否、まずは子供らを見つけてから、甘味を求めるとしようか」
切なそうにセルスラが嘆く。金はあるのだろうかと由利の脳裏に疑問がよぎった。後で聞いておくべきだろう。放っておくと無銭飲食しそうな気がする。
「よし、勇者組はこれで休めるな」
「さすが由利さん。休ませるついでに英雄をパシリに使うとは」
「人聞きの悪いこと言うな。休みだって言ったから、帝都の観光コースを組み立てたんだよ。モニカはまだ帝都を見てないだろ?」
わざとらしく嘆く東雲のカップに砂糖を入れようと試みたが、そっと手を握られて未遂に終わった。側から見れば、食卓で手を繋ぐ恋人同士のようだ。そう思い至って手を引っ込めようとしたが、しっかりと掴まれた手は微動だにしなかった。
悪戯はダメですよと東雲の微笑みが眩しい。せめて平均的な容姿なら、ここまで恥ずかしくならないのにと思う。
「……フェリクスが女性向けの接待ができると思えなかったし。変な場所は含まれてなかったよな?」
由利は捕まった右手のことは放置することにした。
「大丈夫です。むしろ完璧なデートプランでしたよ」
「だろ? 考えるのは嫌いじゃないし、よく頼まれるんだよ」
「あー……これは次の日に『上手くいったよ、ありがとう』って言われるパターンですねぇ」
「そうそう。焼肉のお礼付きでな」
「でも自分のデートで計画した方は失敗するパターンですね!」
「おい、真実で古傷を抉るな」
忘れかけていた過去を呼び覚ますとは、酷い後輩だ。




