004 菓子店の竜人様
深夜の倉庫は肌寒かった。季節が秋へ移り変わり、昼間よりもずっと気温が下がっている。日本であればまだ冷房の世話になっている時期だが、こちらは平均気温も湿度も低いために、長袖の上着が必要だった。
菓子店に隣接している倉庫は、材料だけでなく店舗から回収した菓子類も保管していた。砂糖をふんだんに使った菓子は、庶民にしてみれば記念日などに買い求める嗜好品だ。店舗から移動させる手間はかかるが、贅沢品が盗まれないための工夫なのだろう。
肩からずり落ちたショールを引き上げると、男物のコートに包まれた。裏地に柔らかい毛皮が使われていて、すぐに体温で温かくなってくる。
「女性に冷えは大敵ですから」
「心情としては反論したいんだが」
「諦めましょう。どこからどう見ても可憐な女の子です」
酷い後輩だ。
コートの長い袖を折り返している最中に、隣にいた東雲と目が合った。腕を組んで吟味するように見下ろしている。
「変か?」
「いえ。世の男性の心情について思いを馳せていました。諸兄はどうやって、この衝動を抑えているのかと」
「……申し訳ないが、俺にも分かるように言ってくれ」
「嫌ですよ。元男なら察して下さい」
「元って言うな」
睨んだところで東雲には効かなかった。泥棒さんいらっしゃーいと言いながら倉庫を見回り、砂糖細工の花を見物している。由利は倉庫の棚に触れないよう、慎重に東雲の後を追った。
「念のためにコレを置いておきますね」
東雲は倉庫の四隅に円錐形の物体を置きに行った。由利も一つ受け取り、隅にある棚の下段に設置して戻ってくる。
「あれって拠点防御用の結界って言ってたよな?」
「由利さんが使ったものとは別で、こちらは中に入った者を逃がさないようにするのと、結界内にある物体への攻撃を跳ね返す効果があります。無許可で侵入してますからねぇ。商品を壊さないようにしないと」
見ず知らずの人間から、泥棒が狙っているから警備させてくれと言われても、許可する店主はいないだろう。不法侵入をしている後ろめたさはあるが仕方ない。
候補に上がっていた他の店舗には、人の侵入を感知する人形『見守りシャルル君』を置いてきた。夜中に包丁を持って襲いかかってきそうな外見をしていたので、店員が発見しないよう明け方には回収しなければいけない。東雲は何を思ってシャルル君を作ったのだろうか。もし夢に出てきたら、本気で後輩を叱ろうと心に決めた。
棚の間に椅子を並べ、暇潰しの王道であるしりとりをすることにした。最初はカードゲームを勧められたが、どうせイカサマするんだろと指摘すると、穏やかな微笑が返ってきた。正解だったらしい。
「罰として、お前が言えるのは酒とツマミの名称だけな。それ以外は負けとみなす」
「ふ……いいでしょう。あらゆる言語を駆使して勝ち残ってやりますよ! 私が勝ったら何でも言うこと聞いてもらいますからね!」
「いいだろう。社内しりとり大会準優勝の俺に、簡単に勝てると思うなよ」
「ええ……何ですかその大会。初めて聞いたんですけど。しかも準優勝って微妙な」
「お前が入社する前の忘年会で開催された、最初にして最後の大会だよ。あと微妙って言うな。地味に心に刺さるわ」
泥棒のことなど忘れ、白熱した戦いが始まった。途中で何やってるんだろうかと疑問が何度も浮かんだが、負けたら何でも言うことを聞くという報酬のために手を抜けなかった。
善戦した結果、由利は負けた。
「相手の言葉を制限した上で負けるとか、屈辱っ……!」
「いやぁ……いい勝負でしたね。あと数回ラリーが続いていたら、私が負けてましたよ」
「その爽やかな顔が腹立つわ」
今だけでも歪めと願いを込めて、東雲の頬を両手で押しつぶして遊んでいると、倉庫の入り口から鍵を触る音がした。息を潜めて様子を伺う。
「商品に手をつけたら捕まえましょう。店員だったら、様子見で」
「分かった。判断は任せる」
必要ないと思いつつバットを取り出した。今回はポケットを改良して吊り下げていたので、わざわざスカートを捲って足を出す必要はない。取り出しやすくなったが、そろそろ異空間に収納できる能力が欲しい。
外にいる誰かは鍵穴に何かを差し込んで解錠しようとしていた。金属が擦れる音がしばらく続き、開かない鍵に嫌気がさしたのか、取手を掴んで揺らし始める。手際の悪さに連続窃盗犯ではないのかと疑っていると、取っ手が鍵ごとむしり取られた。
――荒技すぎるだろ。
扉を破壊した犯人が倉庫へ入ってきた。想像していたよりも小柄で、身長は由利の胸の辺りまでしかないと思われる。盗む品物を探しているのか、入り口近くの棚から順に覗き込む。
由利は東雲の袖を引き、どうするか無言で聞いた。
「どうしましょうかねぇ。アレを捕まえるのか……」
東雲が窃盗犯と思われる影へ近づいた。音を立てていないはずなのに、影は東雲がいる方へと顔を上げる。
「何奴!?」
「由利さん結界!」
急いで戻ってきた東雲が由利の耳を塞いだ。二人まとめて結界に包むと同時に、獣の咆哮が辺りに響く。空気が震え、結界が白く濁る。砕ける寸前で咆哮が止み、由利は安堵して東雲の胸にもたれかかった。
「やばい。魔力が一気に減った。何だったんだよ」
床には窃盗犯が倒れている。赤毛の子供のようだが、服装は小綺麗でお金に困っている印象はない。それに子供が扉を破壊できるのだろうか。
「倉庫内に細工をしてて良かったですね」
東雲の手には四隅に設置した円錐形の道具があった。
「侵入者は自分の攻撃で気絶してくれたようです。残念ながら音までは防げませんでした。人が集まってくる前に逃げましょう」
東雲が片手を振ると、破壊された扉が半分だけ元に戻った。鍵を壊して侵入しようとしたが、諦めて逃走したように偽装する魂胆らしい。
侵入者は東雲が小脇に抱えて、滞在先の屋敷へ移動した。窃盗犯退治の拠点にしていた東雲の部屋に着くなり、侵入者はぞんざいにソファーへと転がされる。扱いが雑だ。
「どっかで見たような?」
「セルスラの人間形態ですよ。赤い竜に乗ったでしょ?」
島の修道院から脱出する際に世話になった。由利は一度だけ見た竜人族を思い出す。魔族と戦うために海上へ飛んでいったはずだが、どうして帝都の菓子屋にいたのだろうか。
魔法式を刻んだ縄で厳重に拘束した後に、肩を叩いてセルスラを起こす。誇り高いはずの竜人族は眩しげに目を開けた。
「うぅ……お主ら、我をどうする気じゃ」
「どうするって、返答次第かなぁ」
東雲がセルスラを見下ろして応える。
「どこかで会ったかの? いや待て。その魂、ユーグか」
「外見が変わっても分かるのか」
「人の外見はすぐ変わるからの。覚えたところで無駄よ」
長く生きる種族らしい覚え方だ。
「お主ら、もう一つの魂とは分離したか。良きことよの。歪んだ生は長く続かぬ故。して、なにゆえ我は拘束されておるのかの?」
「なぜって、菓子泥棒の疑惑があるんだが」
「また人間のお菓子をねらってたの?」
「ま、また!?」
セルスラは腕に力を入れて拘束を解こうとした。縄が音を立てて千切れるが、切れた端から再生して元に戻る。竜の力は強力らしく、魔法を制御している東雲は余裕が無さそうだった。
由利は代わりに尋問することにした。
「俺達は帝都で起きてる連続窃盗事件を追いかけてる最中でな。今日は窃盗犯が来そうな場所に張り込んでたんだよ。そしたら、どこかで見たことがある竜人族が扉を壊して押し入ってきたんだ。現行犯で捕まえるしかないだろ?」
「う……あ、あれはのぅ」
「他の菓子屋じゃ予約してあった品を盗まれて大変だったらしいぞ。店はちゃんと作って保管してたのに、客が取りに来る直前に盗まれたもんだから、詐欺扱いされたらしい」
「そんな……」
「可哀想に。他に盗難事件が起きてなきゃ、店の信用は二度と戻らなかっただろうな」
「て、店主は無事だったのであろうな……?」
「生きてはいるけどさ、泥棒に入られた店の評判は悪くなるんだぞ。二度あることは三度あるって言うだろ? 言うんだよ、俺の故郷では。また予約した品を盗まれるんじゃないかって、客が敬遠するからなー。売り上げは激減だろうなー」
セルスラは可哀想なほど青ざめている。
「わ、我は盗んでおらんぞ! 嵐で飛ばされたという獣人の子供を探しに来たのじゃ!」
セルスラの説明では、支配している獣人の居住区で精霊嵐が起きたという。不幸にも五人の子供が巻き込まれてしまい、救出のために派遣されたそうだ。わずかな手がかりを追って帝都にたどり着いたまでは良かったものの、そこから先は足取りが途絶えてしまった。
「恐らく食料と菓子を盗んだのは子供達じゃの。五人おるが、人間よりも小さき種じゃ。食べる量は少ない。菓子は出来心であろうな。人が作る菓子は見た目も味も良い。とはいえ、店主には申し訳ないことをしてしまったの」
少し言いすぎたかもしれない。情報を引き出すために設定を盛りすぎた。
東雲に目で助けを求めると、東雲はセルスラの拘束を解いた。
「由利さんのは言いすぎだから本気にしないで。菓子屋は客が引き取りに来る前に作り直せたからね。根こそぎ盗られた酒屋に比べたらマシだよ」
「しかしのぅ」
「犯罪に違いはないけど、獣人の子供が食料を狙ったのは、自分達が生きるためでしょ。どう償うかは見つけた後で考えようよ」
「そうだな。迎えも来たことだし、窃盗犯のついでに探せたらいいんだが。確か明日は食材が狙われそうな日だろ」
由利の言葉でセルスラは顔を上げた。
「頼む。手伝ってくれとは言わぬ。次に狙われそうな場所があれば教えてもらえぬか? 被害を受けた店への補償もせねばならん」
「いいよ」
東雲はあっさり答えた。
「そろそろ人手が欲しかったんだよね。地下水路を見学しようと思ってたから、ちょっと手伝ってよ。広すぎて一人じゃ無理だから。いいよね?」
「う、うむ?」
畳み掛けるように言われ、セルスラは意味を理解する前に同意する。死ぬまで働かされることはないが、面倒な仕事内容だろうということは予想できた。
「明日……いや、もう日付は変わったから、朝になったら行動開始で。由利さんはどうしますか?」
「邪魔にならないなら、ついて行きたい」
借りていたコートを脱ぎ、東雲に返した。
仕事人間の後輩は、誰かが見張っていないと、休憩どころか食事すら忘れる時がある。セルスラが使い潰される前に止めるのが、由利の役目になりそうだ。
「方針が決まったなら、もう休むぞ。特に東雲はベッドで寝ろよ。横になるだけじゃないからな? いいか、睡眠をとるんだぞ?」
「あれっ? 由利さんから信用されてない気配がする!」
「食事と睡眠に関しては、お前を信用しないことにしてるんだよ。俺が何も言わなかったら、ソファーで一時間ぐらい仮眠したりパンとチーズだけかじるような生活するんだろ? 廃人かよ」
「ちゃんとトータルで四時間ぐらい寝てますし、煮沸した水も飲んでますー」
「十分酷いわ。何だよトータルって。細切れじゃなくて連続して寝ろ。あと食生活が壊滅的すぎる。潜伏中の兵士か。早く寝ないと口にケーキぶち込むぞ」
「仕方ないですねぇ。そこまで言うなら今日は諦めますか」
出来ることなら毎日諦めて欲しいと由利は願った。せめて人並みの生活をしてほしいと思うのは、贅沢なのだろうか。
「もしや我は、とんでもない奴らと手を組むことになったのか……?」
二人のやりとりを見ていたセルスラが、今更になって気付いたようだ。由利はアレと一緒にしないでくれと言って、セルスラと自分の部屋へ戻ることにした。ベッドは一つしかないが、由利には子供をどうこうする趣味などない。お互いに小柄だから広さも十分に確保できる。
問題は家主であるフェリクスに何の説明もしていない点だが、意外と大雑把な性格の彼は許容してくれる気がしていた。




