002 泥棒騒ぎ
帝都の市場や商店を冷やかし、数々の演劇を公開してきた劇場を外から眺めるというお決まりの観光コースを回った由利達は、建国を記念して作られた広場に辿り着いた。
隣接した喫茶店で一休みしながら外を見ていると、服装や髪型の多さに気付く。
「この国は自由な格好を楽しむ風潮でもあるのか?」
「閉塞感からの反動もあるでしょうけど、新しいものを取り入れて改良することに抵抗がない気質なんですよ。帝国人は」
「そこに安定した治世が加わって、頭一つ分飛び抜けて発展してるのか」
「何なら由利さんも、もっと大胆な格好をしてみますか?」
東雲は店の前を横切ったミニスカートの女性を目で追う。
「……アレを履いたら、もう戻れない気がするから止めて」
「それは残念」
自分が自分でなくなる気がして、由利は軽い恐怖を覚えた。今ですら自己が揺らいでいると感じているのだ。事情を知っている者の前で口調を変えないのは、変わりたくないがための抵抗心の表れだった。
「あー……賢者の行方はまだ分からないんだっけ?」
由利はグラスに刺さったストローで、意味もなくジュースをかき混ぜた。植物の茎を加工したストローがしなり、オレンジ色の液体が波打つ。
「職場だったローズタークの大聖堂は、今も混乱しているみたいですね。どこに隠れたのやら」
「東雲は捜索に加わってないのか?」
「アウレリオ神父とフェリクスが言うには、捜索しようにも範囲が広すぎて、方針が決めにくいらしいですよ。フェリクスから情報を得ていたタルブ帝国内は問題ありませんが、他の国にとっては枢機卿の一人が行方不明になっただけという情報しかもたらされていないんです」
「いきなり賢者が現代まで生きている、なんて言っても信じてもらえないだろうしな」
「だから魔王の一部とか部下が生きていて、枢機卿に化けていたという設定で話を進めるらしいですよ。既に民衆の間には、そういった噂を流しているとか。外国へは教会からの使者と、信憑性を持たせるためにフェリクスとモニカが同行するんじゃないかな? 今日はその打ち合わせで集まってるはずです」
「教会がある町は既に捜索が終わったんだよな?」
「あと聖職者が巡回している村も、そろそろ終わったと報告が上がってくるはずです。残るは隠れやすそうな山野に砦とか、防衛上重要な箇所への捜索ですね。こちらは外国からの報告を信用するしかないようですが」
国民の間で流れる不穏な噂を放置できないという事情を利用するそうだ。元枢機卿に与すれば、魔王に味方したとして断罪される。世界を長年苦しめた存在への怒りは、今もどこかで燻っているのだ。為政者側は地位を守るために、協力せざるを得ない。
「難しい話はこれぐらいにして、次はどうしますか? 帝都でなくても行きたい場所があるなら、どこでもお連れしますよ」
「行きたい場所か……」
由利は長細いクラッカーにクリームチーズをつけた。
「魔石を換金したいな。東雲と樹海へ遊びに行った時に、いくつか手に入れたやつがあるから」
「お金が必要なんですか? わざわざ換金しなくても私が払いますよ」
「それじゃ駄目なんだよ。暴走してる魔族を倒したときに、酒が飲みたいって言ってただろ?」
「覚えてたんですか」
東雲は意外そうに言うが、ずっと約束を果たしたいと思っていたのだ。自由に時間を使えるうちに行動しておきたかった。
換金ねぇ――東雲は上体を椅子の背もたれに預けて考え込む。
「由利さんが持っているのは、その辺りの店でお金に換えるのは止めた方がいいでしょうね。魔力の含有量が多すぎて、どこかから盗んだと思われます」
「じゃあ、どこならいい?」
「そうですねぇ……どこかの貴族か研究機関、闇市。ちょっとコネが必要な場所とか、二人でギルド登録したリズベル。でもリズベルだと扱いきれないかもしれないな……ここは私が立て替えておいて、適切な場所が見つかり次第、換金するのはどうですか?」
「俺はそれでいいよ。じゃあコレは渡しておくから」
由利は小袋をテーブルに置いた。中には真紅の魔石がいくつか入っている。総額でかなりの値段になるなら、防犯のために預かってもらった方が良さそうだ。
急ぐ用事ではないので、飲み終わるまでゆっくりしていると、広場が賑やかになってきた。広場に面した建物に人が集まりつつある。バルコニーの一つを見上げて、口々に何かを叫んでいる。
「何だろう」
「行ってみますか」
店を出て声が聞こえる辺りまで近付くと、バルコニーに立つ人物の服装が目についた。
鳥だ。
正確には、頭だけが鳥だ。
ひらひらとした派手な衣装と、鳥の翼のようなマントを着ている。
やたら芝居がかった仕草で、下に集まった民衆へ向けてポーズを決めている。こちらの精神までダメージを受けそうなのは、それが中二病と呼ばれる類のポーズだからだろう。
「……都会には、やっぱり変態も湧くんだな」
「人が多くなると、アレな割合も増えますからねぇ」
東雲が前にいた男に話しかけて、鳥人間の詳細を尋ねた。男は酒瓶を脇に抱え、酔っ払い特有の陽気な調子で答える。
「兄ちゃん、今流行りのココ仮面を知らないのかい? アレはな、義賊様なんだってよ。金を貯め込んでる所に入って、ちょっとばかり頂戴してくるのよ。それでだ。俺達みたいな貧乏人に恵んでくれるってわけさ」
「へぇ。ココって、あの被ってる鳥の名前だっけ。いつから活動してんの?」
「いつだったかな。確かユーシャ様が帝都を出発したときだ。俺のダチが噂を聞いてよ。最初は貧民街で金をばら撒いてたんだが、最近じゃ、こーんな広場に出てくるようになったんだ。まあ、俺にとっちゃ金がもらえるなら、どこでもいいんだけどな」
歓声が大きくなった。ココ仮面と名乗る盗賊が硬貨を撒き始めたらしい。情報を教えてくれた男も目の色を変えて走ってゆく。
「由利さん、離れましょう。警備の騎士達が集まってきてます」
まだ姿は見えないが、東雲の警戒範囲に入っているようだ。由利は更に集まってきた人の波に流されないよう、東雲の腕にしっかり掴まって広場を出た。
早足で通りを歩いていると、武装した騎士の一団とすれ違う。泥棒を一人捕まえるにしては重装備に思えるが、集まっている民衆の制御も担っているのだろう。東雲が離脱を提案したのも頷ける。
「酒はどこで買えるんだ?」
人通りが少なくなってきたあたりで、由利は東雲の腕から手を離した。
「商店か酒屋で計り売りしてますよ」
「じゃあ容器がいるな」
「こんなこともあろうかと、洗浄済みのボトルがこちらに」
東雲は何もない空間から透明なガラス瓶を取り出した。一般的なワインボトルと同じぐらいの大きさだ。
「何で持ってるのか分からんけど、でかした」
「容器があれば急な野宿にも対応できますから。飲料水が量り売りの地域ばかりですからねぇ」
商業区の外れ、平民の居住区に近い所に酒屋があった。文字が読めなくても分かるよう、軒先に酒瓶の板絵が下がっている。開けっ放しになっている扉から中へ入ると、従業員が集まって話し合っている最中だった。
「様子がおかしくないか?」
「そうですね……すいませーん。お酒ありますか?」
東雲が店員に声をかけると、彼らは困惑した顔でこちらを向いた。
「せっかく来てくれたのに悪いね。今日は売れないんだよ」
「売れない?」
「昨日仕入れたばかりの酒を盗まれたんだ。売りたくても物がなくてね」
従業員の一人がカウンターを指さした。本来なら、奥には酒が詰まった樽が並んでいたそうだ。樽は転落防止の突起がついた棚に安置していたが、夜の間に侵入した何者かが根こそぎ盗んでいったという。
「うちだけじゃなくて、ここら一帯の店が被害に遭っててね。この人のところはチーズ、この人の店は燻製した肉をやられたんだ」
「なにも庶民向けの店を狙わなくてもいいのにな。せっかく魔王がいなくなったと思ったら、今度は泥棒かよ」
ここに集まっていたのは、今後について話し合っていたそうだ。これまでも自主的に警備をするなど自己防衛をしていたが、努力を嘲笑うかのように被害が増えているのだ。
「警備の騎士団は動いているのでしょうか?」
由利は口調に気をつけながら言った。
「巡回を増やしたり、出来ることはやってくれてるんだよ。常連さんが勤めてるし、うちも何度か差し入れしたりしてるからねぇ。今朝だってね、お酒が好きだっって隊長が、わざわざ来てくれたんだよ。犯人は絶対に捕まえるからって。あれは本気の目だったわ」
答えてくれたのは酒屋の女将だった。ふっくらした頬に片手を添えてため息をつく。先ほど見かけた騎士がやる気に満ちていたのは、女将の手回しが影響してそうだ。
「俺は鳥野郎が怪しいと思ってんだよ」
燻製肉を盗まれた店主が悔しそうに言う。
「きっと俺たちから盗んだ品を売り捌いて、貧民どもに配ってんだ。捕まらないのは貧民街に匿ってもらってるからだよ」
「いやいや、ジゴー商会が怪しい。盗品を買い叩いて店先に並べてるんだ。手広くやってるから、売る場所には困らないだろ? それに貴族とも仲がいいんだ。犯罪者の一人や二人、匿うことにも慣れてるはずだ」
店主達はそれぞれ好き勝手に喋り始めた。これでは収集がつきそうにない。この店で買うのは諦めて、別の店へ行くべきだろう。
静かに外へ出た由利達は他の商店へ向かったが、そこでも似たような対応だった。その店では三日前に被害に遭い、入荷の予定が立っていないという。
「……許さん」
「東雲?」
立て続けに五軒の店で断られたとき、東雲が呟いた。酒屋の店主も不穏な空気を察して身を引く。
「せっかく由利さんに買ってもらうチャンスだったのに! こうなったら不埒な泥棒を捕まえましょう!」
「そんなに酒が飲みたかったのか? そういや日本にいた時から酒が好きだったっけ」
「微妙に違うんですけど、今はどうでもいいです。ご主人、泥棒について他に分かっていることは?」
「えっ……捕まえてくれるのか? あんたらが?」
店主の反応は無理もない。ただの観光客といった格好の二人が、騎士団すら手を焼いている犯人を捕獲すると言うのだ。
東雲は店主の許可を得て店内を歩き回り、他に被害に遭った商店を聞きだす。尋ね方が上手いのか、最初こそ疑惑の目を向けていた店主が次第に饒舌になってゆく。最後には空になった酒蔵を見回って、東雲の事情聴取が終わった。
「さあリリィちゃん。まずは犯人の情報を集めて、プロファイリングから始めましょうか!」
「本気かよ」
どこからか調達した鹿追帽を被り、インバネスコートを羽織った東雲が爽やかに告げた。
「犯罪者に鉄槌を」
目が本気だ。
由利はまだ見ぬ窃盗犯の冥福を祈った。




