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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
短編 2

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止まった時間

転移前、東雲視点

暗めです


 就職と同時に実家を捨てたのか、どうでもいいと実家から捨てられたのかは、今でも分からない。ただ言えることは、やはり自分は東雲家にとって不要だということだけだ。


 東雲美月がその会社に就職したのは、ほとんど偶然だった。現代では珍しくもないIT企業で、飛び抜けた業績を誇るわけでもなく、かといって悪くもない。


 最初から狙っていたのは業種だけだった。よくある求人に対して願書を出し、面接で落とされなかったうちの一つだ。世間ではそこそこ有名な大学に在籍していたお陰か、運よく複数の内定をもらうことができたため、特に達成感も感慨も抱かなかった。


 もし自分が『普通』の女子大生だったなら、少しでも条件がいい会社を選んだだろう。将来に対して希望も目的もない東雲は、仕事以外の時間に向き合いたくなくて、なるべく忙しそうな会社を選んだ。大学の知人にはもったいないと言われたものの、自由に使える時間ができることが怖かった。


 ――そう、知人だった。


 効率よく情報を収集するために、仲が良いフリをしているだけの知り合い。相手がどう思っていたのか知りようもない。興味もない。就職してから会うことはなかったが、週に一回程度はメールでやりとりをしていた間柄。


 騙し、騙されて、互いの足を引っ張る環境にいた東雲に、友人と呼んでも許されるのではないかと錯覚させてくれた――知人。


 就職先では会社側の手違いによって営業に回された。プログラマー募集とされていた求人と違う内容に、お人好しな社長と人事には、随分と謝られたことを覚えている。東雲にとっては、どうでもいいことだが。


 むしろ他人の心理を読んで好印象を与えるのは得意だ。顧客が抱える問題を探り、言語化して会社へ持ち帰ることを苦痛と思ったことはない。会社で扱う『商品』についても、プログラマー志望だった東雲が理解するまでに時間は掛からなかった。


 同じ営業の先輩方との関係も良好さを維持できていた。隣の席の幸子先輩は何かと世話を焼いてくれるし、出張が多いという田中さんは珍しいお土産をくれる。揃いも揃って甘い菓子をくれること以外は、順調な社会人生活を送っていた。


 甘いものは食べたくない。

 実家を思い出す。

 憂鬱な茶会の席に、必ず出される菓子。

 口の中に広がる甘い味が、あの空気を連想させる。


 個別包装してあるものは家へ持って帰って捨て、それ以外は無理に食べるしかないと思っていた。そうすれば関係性を壊すことはないのだと。


 ――そういえば。


 由利からもらう土産の中に、菓子は含まれていなかった。七味唐辛子をまぶした煎餅やら真空パックされた煮卵のような、酒のつまみになりそうなものばかりだった。


 なぜと聞けば、東雲にとっては予想外の答えが返ってきた。


「だってお前、甘いもの好きじゃなさそうだから」


 まるで簡単な計算式のように、あっさりと。

 一言も言っていないはずなのに。

 全く警戒していなかった相手から、心を読まれた悔しさを久しぶりに思い出した。


 由利は特に目立つ人間ではない。新規の顧客を開拓してゆくような派手さはなく、顧客との関係を保つために派遣されることが多い。契約の更新が迫ると、必ずと言っていいほど駆り出されている。そのため数字上の成績は振るわないのだが、会社にとっては重宝される存在。


 長期的に見て、初めて価値が分かる。

 視野が狭くなっていたようだ。

 己で気付けなかったことに悔いが残る。


 ただ、その日から菓子の差し入れが減ったことは感謝している。



 *



 仕事に没頭して半年を過ごした頃、社長が社員旅行なるものを提案してきた。会社を設立してからようやく軌道に乗ったため、社員に対して還元をするそうだ。大型連休に合わせて企画され、会社を三つのグループに分けて実施されることになった。


 営業部は東雲の他に幸子先輩と由利がいた。


 社員旅行と言いつつ内容は大雑把なもので、温泉街で一泊して宴会をするという内容だった。集団で観光地を巡らないぶん拘束時間が短く、かつ旅館のランクも高い。社員を自社に囲い込むための、社長の計画だろう。福利厚生に精神的な充足感がある会社というものは、社員の離職率は低い。


 夜の宴会まで温泉で時間を潰し、のぼせそうになる手前で割り振られた部屋へ戻ることにした。売店の前を通りかかったとき、一角に設けられたクレーンゲームに目が止まる。


 半ば寂れているゲームコーナーで、由利が真剣な顔をして景品を見つめている。

 東雲はふらふらと引き寄せられるように近づいていった。旅館の浴衣を乱れなく着ている姿を見て、家庭の教育なのか本人の性格なのかと考えていたのは、きっと話しかける一言目を意識しすぎないための逃避だ。


「何してるんですか、由利さん」


 緊張は声に出なかっただろうか。

 感情を抑えすぎて冷たく聞こえはしなかっただろうか。


 由利は振り返って東雲を見ると、苦笑して景品へと視線を戻す。


「社長命令で、このミックスナッツの缶を落としてこいって言われたんだよ。明日、自由参加でボーリング大会やるって言ってただろ? 優勝者の景品にするんだと」

「用意してなかったんですか?」

「現地調達なら主催者の荷物が減らせるだろ? 後は名産の日本酒も付けとくか」


 アクリルガラスの先で大きな缶が揺れている。缶には輪が取り付けられ、横向きに固定されているポールに引っかかった状態だ。これをクレーンのアームで押したり引っ掛けて下に落とせばいいらしい。由利は経費としてもらった五百円で挑戦し、四連続で失敗したのだという。


「なあ、このゲームってこんなに難しかったっけ? 社長に千円ぐらいもらっておけばよかったな。あと一回で落とさないと自腹なんだよ」

「私に言われても……あ、良さそうなポイント」

「このまま落ち……て、くれないよな」


 もう少しアームの力が強ければ成功したのだろう。失敗を笑うかのように缶は不安定に揺れるのみだった。


「両替機あったっけ?」

「んー……由利さん、ちょっと待って下さい」


 東雲は小銭入れから百円を出し、投入口へ落とす。ランプが付いてからボタンを押してクレーンを動かすと、狙っている場所へと誘導した。開いたアームはポールと輪を避けて缶に当たり、重心を崩す。更に上へ戻る際にアームが閉じて缶が動き、思惑通りに下の取り出し口へと落下してきた。


「落ちた! すごいな、どうやったんだよ」

「ただの偶然です」


 あまりにも喜んでくれるので、東雲は恥ずかしくなって適当に答えた。役に立ちたくて、由利が操作するところを観察していたなど言えない。言わない。


 由利は取り出し口から缶を拾い上げて小脇に抱える。


「ありがとな。社長が温泉から出てくる前に取れて良かったよ。百円は……今は無いから、とりあえずコレやるよ」


 そう言って手渡されたのは、メタリックカラーのウサギがついたストラップだった。可愛く見えるように目や口の配置が計算されている。手慣らしに取った景品と由利は言う。


「じゃあ、また後でな」


 屈託のない笑顔を向けられて、東雲の思考が乱れた。言語化できないものが流れて、簡単な返事すら阻害する。


 ――今にして思えば、この時に始まっていたのか。




 翌日、参加したボーリング大会では、本気で優勝を狙いにいった。残念ながら二位という結果に終わってしまったが、そんなに酒が飲みたかったのかと勘違いしてくれた由利に、優勝賞品と同じ日本酒を買ってもらったから満足だ。


 もらったストラップは仕事用のカバンに付けることにした。見える場所ではなくて内ポケットのチャックに付けたのは、顧客に見えないようにするためだ。決して彼女と歩いている由利を目撃したからではない。


 だから一ヶ月後にフラれたと聞いて、もらった酒で密かにお祝いした自分は、どうしようもなく性格が悪いのだ。きっと。



 *



 東雲は短い回想を終えて目を開けた。


 ガソリンの臭いが不快だ。

 信号待ちをしていた辺りから記憶が飛んでいる。

 体の痛みを感じていたような気がする。

 脳が痛覚を遮断したようだ。

 運転席では由利がぐったりと目を閉じていた。大きな外傷は見当たらない。


 ――良かった。


 由利が無事なら、それでいい。


 この一年で思考を侵食している感情は、とにかく厄介だ。感情のままに行動することは危険だと知っているはずなのに、容易く理性を駆逐しようとする。今も己のことよりも他人を優先してしまう。


 ――ただの『欲』なのに。


 一方的にこんなものを向けられる由利に対して、東雲は他人事のように同情した。


 顔を上げる力も尽き、膝の上に視線が落ちる。画面を開いたままのタブレットが、そのまま太ももに乗っていることが可笑しかった。衝撃でアプリの一つを開いてしまったのか、大量のスクリプトを画面に吐き出している。


 見たことがない文字だった。アジアの主要な言語や欧印語ではない。ずっと眺めていると、視界が赤く滲んできた。


 文字の一部が点滅し、何故だかそれを押さなければいけない気がしてきた。

 近付いてきていたサイレンの音が、潮騒に変わってゆく。


 ――時間が無い。


 右手が宙を掻く。

 これを押せば、元に戻れないだろうと予感が働く。


 構うものかと手が滑った。

 どうせ、もう終わるのだ。

 一度くらい後先を考えなくても良いではないか。


 指先がパネルに届いた。

 文字が右手に絡みつく。


 こうして行動していれば、変わった未来になっていただろうか。

 例えば、隣の――



 *



 東雲は明るい森で目を覚ました。

 混乱した頭で立ち上がると、視線が高いことに気付く。


 己に起きた変化はすぐに分かった。一つでも疑問を抱くと、脳内に『答え』が表示される。明らかに別の存在へ変わったのだと嫌でも思い知った。


 大量に展開される機能を手懐けるには時間がかかり、地図に表示された名前を発見したのは、随分と後だった。


「……由利さん?」


 あの日から忘れられない名前が、そこにある。

 また思考が乱れる。


 すぐに合流すべきだろうが、外見すら変わってしまったことを信じてもらえるだろうか。信頼を得るためには何をすればいいのか。そもそも、これは本当に由利なのか。


 答の出ない疑問が流れて消えていった。


 楽観的になれない思考は、やがて一つの答えに収束してゆく。


 ――由利さんがここにいるということは、同じく命が尽きたか、仮死状態なのか。


 この世界には、どうやら魔法が存在しているらしい。ならば、こちらから向こうへ渡る方法もあるかもしれない。


 戻りたいと言われたら、望み通りにすべきだ。

 向こう側にある体に問題があるなら、治療法を探す。




 彼が無事に帰れるなら『私』は消滅してもいい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今までも東雲さんめっちゃ可愛いなぁって思ってましたけど、今回でさらに可愛いって思っちゃいましたw こういう子は救われて欲しいなって思うんですけど、この後の展開は一体どうなるんでしょうか?気…
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