009 帝国へ
「あ、思い出した。東雲、コレはどういうことだ?」
由利は側に置いていたバットをローテーブルの上に置いた。模様にしか見えないエルフ文字が刻まれたバットは、武器ではなく一種の工芸品のようだった。
「どうって、由利さんの武器を作らせてくれって言ってきたエルフに強化をお任せしたんです。私がやっても良かったんですけど、時間が足りなくて」
バットを拾い上げた東雲は、角度を変えながら観察を始めた。エルフ文字を指先でなぞり、不思議そうに首を傾げる。
「あれ? これ消音設定になってますね」
「……ミュート?」
ざわりと嫌な予感がする。由利が止める間もなく消音が解除され、小さなノイズが聞こえてきた。
「……生……先生……聞こえますか……」
「怖っ! 何か聞こえてきた!」
由利は耳を押さえて、恐ろしい音声を遮断しようとした。不意打ちのホラーに意図せず涙が滲んでくる。首を横に振って全力で拒否すると、東雲は苦笑して、大丈夫ですよと優しく言った。
「この声は、テランシアです。ほら、由利さんがサッカーを教えたエルフ」
「……テランシア?」
「ああっ先生の声が聞こえる……ようやく通じましたね」
言われてみれば聞き覚えがある声だ。バットから音声が流れるという予期せぬ出来事のせいで、知人の声だと気付かなかったようだ。
「でも何でバットから?」
「少しでも先生の力になりたくて……武器を通じて不届き者を成敗できるよう改造したのです……」
「もしかして光弾にホーミング機能が付いたのは……」
「ほーみん……?」
光弾の軌道が湾曲して敵に当たったことを伝えると、テランシアは感慨深げに肯定した。
「僭越ながら我が家に伝わる必中の加護を付与させていただきました。これは樹海の奇獣スラトリエの群に悩まされていた時代、我が祖先が戦いの最中に編み出したという十の加護のうちの一つで――」
「東雲。これ元通りに音声を消せるか?」
「もちろん出来ますよ」
長い昔話が始まる気配を察知して、由利は早めに手を打っておこうと画策した。壮大な物語が始まりそうな音楽まで流れてきている。控えめに言って、うるさい。
即答した東雲がエルフ文字へ手を乗せると、バットから情けない声が届く。
「あっ先生、待って通信を遮断しないで! せめて武器の説明を!」
「ちっ……仕方ないな。初期イベントだと思って諦めるか」
「わぁ。由利さんの表情が極悪だー」
棒読みの東雲に作業を保留させ、テランシアの続きを待つ。気を取り直して咳払いをしたテランシアは、凛とした張のある声を取り戻す。
「で、では。先生の武器は必中の加護によって、射出した力は必ず敵に当たるようになりました。例外はありますが、先生の魔力ならば殲滅できない敵はいないでしょう」
「う、うん」
最初から物騒だ。つまり安易に人様へ向けて使ってはいけません、という事だと由利は解釈した。もし牽制ではなく気絶させる目的で僧兵に使っていたら、大量殺人犯になっていたかもしれない。
「続きまして、先生へ不埒な視線を向ける輩を探知して自動で消滅させる機能と、前科者が接近をしてきたら警告したのちに爆発させる機能を仕込みました。それから先生に許可なく触れた男を強制的に我々の里へ転移させます。ちゃんと『洗脳』をして帰しますから、ご安心を!」
欠片も安心できる要素がない。人混みで肩が触れただけで、立派な誘拐犯になれる。
「東雲。今こいつが言った機能を全部消しておいてくれ」
「アイ・マム」
「そこは『サー』にしておいてくれ」
いい笑顔で了承する東雲に、軽く目眩と動悸を感じる。また疲れが溜まっているのだろうか。少し熱もあるようだ。
壁と天井の境目を見つめて気を鎮めていると、再びテランシアの情けない声に邪魔をされる。
「そ、そんな先生、何がお気に召さなかったのですか!?」
「気に入らないも何も、そんなもん付けて歩いてたら、俺が犯罪者になるだろうが! 無差別殺人に誘拐だぞ!?」
「無差別ではありません! ちゃんと先生に仇なす者と設定してますから! それに精霊嵐に巻き込まれ、さらに犯罪者に手篭めにされかけたとお聞きしました! これくらいの守りは付けさせて下さい!」
「こいつに荒野での出来事を教えたのか? 暴走してんじゃねえか」
「おかしいなぁ。犯罪者に負けそうだったから武器を強化したい、としか言ってないんですが」
東雲は怪訝そうにバットを眺めている。どうやら心の底から訳が分からない様子だ。これは嘘ではないだろう。
「ふっ……言葉を発する時の呼吸や表情をよく観察していれば、その程度の情報は読み取れます。特にユーグ君は先生に関する話題になると読みやすくなりますからね。そうそう、貴方にも言いたいことがあったのよ! 先生の側を離れるとは何事なの? 私が改良した武器を持っていたから良かったものの、敵に囲まれる状況を作り出すなんて――」
「由利さん。消音設定しておきました」
東雲は何事も無かったかのように音声を切った。
「うむ、ご苦労。あとBGMとナレーションもいらないな」
「はーい。夜までには仕上げておきます」
「そんな! 先生の活躍を盛り上げる絶好の機会なのに!」
「本気でいらねぇ。つか東雲、消音できてないぞ」
「おかしいなぁ。確かに消したんですけど」
気味が悪いとバットを遠ざける東雲に対し、テランシアは勝ち誇った態度で自慢を始めた。
「うふふっ……こんなこともあろうかと、管理者権限で接続しているのよ。万が一壊されても先生とは通信できるようにね!」
「東雲、どうだ?」
「んー……たぶんこの記述だろうなぁ。プロテクトはかかってないみたいですね。セキュリティの概念がなくて楽だなぁ」
「あ、貴方ね、さっきから私の邪魔ばかり! こちらから攻撃することだって出来るんですからね!」
「ほう? 由利さんと同郷でありファン一号の僕に楯突くと。よろしい、ならば戦争だ」
そう宣言するなり、東雲の周囲に文字列が旋回した。漢字の面影がある光はバットに絡み、瞬く間にエルフ文字を駆逐してゆく。テランシアも抵抗しているようだが、間断なく襲い来る暴力に押され、やがて完全に封じ込まれていった。
「よし、これで静かになりました」
「う、うん。あのさ、東雲」
「大丈夫です。もう少しで『使いやすいバット』をお渡ししますから。いい子で待ってて下さい」
きっと何を聞いても、任せて下さいと言って封じ込まれてしまうのだろう。いつも通りの笑顔を見ていると、思っていることが言えない自分に気が付いた。
――もう少し打ち明けてくれてもいいのに。
器へ移動してフェリクスだけ帰ってきた事だって、由利には言っておいてもいいはずだ。モニカへの配慮はあっても、由利のことは放置されているようでしこりが残る。
信用されている証拠だと言えるならいいが、東雲の距離感が掴めない。さすがに赤の他人よりは近い自信はあるものの、見えない壁の周りで徘徊しているだけではないのか。
――でも東雲の心に踏み込んで、その先は?
自分のことなのに、どうしたいのかすら分からなくなる。それもこれも東雲が隠すからと責任転嫁をして、大人気ない態度にまた気持ちが沈む。抜け出せない思考が螺旋の軌道で落ちるのを、ただ眺めているだけだ。
「二人とも、少し時間をくれないか」
由利が内心で不満を燻らせていると、フェリクスがモニカを連れて来るなり言った。
「先の予定だが、帝国へ行かないか?」
「君の故郷に?」
東雲が聞き返す。
「俺は皇帝陛下の命で各地を調査している身だからな。ユーグが定期的に報告書は送っていたようだが、手紙では限界がある。黒幕の正体が明らかになった今、帝国に対して警戒を呼びかけなければならん」
そう前置きした上で、フェリクスは宿場町に滞在し続けるのは危険だと言う。
「ここは人の出入りが激しい。巡礼者を装って、賢者の手先が来てもおかしくない」
「僕とフェリクスだと、万全の体制で警備を続けられるのは数日かな。ここにずっといる理由もないもんね」
「無論、強制ではない。お前達二人に別件の用事があるなら、そちらを優先してもらってもいい。その時は帝国へ行くのは俺一人だ」
「おや? てっきり聖女様の護衛は、勇者君が引き受けると思ってたんだけどなぁ」
東雲がからかうと、フェリクスは頭痛を堪えるような顔で睨む。
「お前の国でも、未婚の女性を故郷へ連れて帰ったら誤解されるだろうが」
「あー……そうだよな。たぶん」
自分には縁がない話だと自覚している由利は、適当に答えた。
「君の家族なら、囲い込んで結婚までこぎつけそうだよねぇ……いや、間違いなくやるね、あれは。ご愁傷様」
暖かい目で東雲が労い、フェリクスは残念そうに首を振る。この二人にここまで言われる家族とは、どんな奇人なのだろうかと興味がわいた。
先程から黙ったままのモニカに至っては、誤解や結婚という言葉に反応し、赤面して俯いてしまっている。免疫が無さすぎて、将来は大丈夫だろうかと心配だ。教会という環境で育つと、彼女のような純粋な性格になるのだろうか。
「えっと……とりあえず全員で帝国へ行くってことでいいんじゃないか? 東雲が言う通り、ここにいてもやること無いし。モニカもそれでいいか?」
「わ、私ですか? その……ユリさんが行くなら、行きます」
随分と信用されたものだ。同性だと思っている相手がいるなら安全だという様子に、フェリクスが複雑そうにしている。彼と二人で魔王の城を目指していたくせに、今更になって照れるのか。それとも使命がある時と今では、心の持ちようが違うのだろうか。
「帝都は娯楽とか飲食店が集まってますから、観光に最適ですよ。当面の間は仕事があるフェリクス以外で遊びに行きますか」
「何を呑気な……」
観光計画を立て始めた東雲を、フェリクスが止めた。
「帝国と法国間の長距離移動は、お前以外に任せられん。場合によっては陛下にも引き合わせることになるから、今のうちに適当な経歴でも考えておけ」
「そこは善意の協力者Xで押し通してくれないかなぁ……助けて由利さん」
「経歴って、生まれてから今までの過去を捏造しろってことだろ? こっちの歴史を知らないから無理。方針が決まったことだし、俺は向こうの部屋で着替えてくるよ」
いい加減に長いスカートとベールが鬱陶しい。
本気で助けを求めていたわけではない東雲は、文字を書き換えたバットを由利へ差し出してきた。
「修正、終わりましたよ。着替えたら試し撃ちでもしますか? 近くの草原へ案内しますよ」
「いいのか? じゃあ急いで着替えてくるからな! モニカ、手伝ってくれないかな?」
「お任せ下さい。寝室へ行きましょうか」
着る際にあちこち紐で結ばれたのは覚えているが、一人で脱げる自信がない。帽子も髪にピンで留めていたはずだ。モニカが引き受けてくれて助かる。
バットを抱えて寝室へ向かった由利は、東雲に礼を言うことを忘れていた。扉を開けたところで思い出し、そのまま振り返る。
「東雲、ありがとな」
新しい武器に心が躍る。自然に浮かぶ笑顔のまま感謝を伝えると、そのまま扉を閉めた。
*
由利が寝室へ消えたあと、フェリクスはソファーの背もたれに沈んだ東雲へと声をかけた。
「……おい、生きてるか?」
「待って。いま必死で平常心を取り戻してるから、五分ぐらい放置して。いや、むしろ余計なことしないように話しかけて」
「どっちだ。面倒だから気絶させてもいいか?」
「君、見た目に騙されるけど、かなり大雑把な性格してるよね」
そう東雲は文句を言うが、踏み込みたくない話題だから仕方ない。色恋沙汰ほど面倒なものはないと、身をもって知っているのだ。
「ああ……びっくりした。まさか由利さんが、あざと可愛い仕草を身につけるなんて……あの笑顔に危うく心を持っていかれるところだった」
「既に手遅れのくせに、よく言う」
お互いに混ざってしまった記憶は既に消去している。だが感情の揺らぎはわずかに残り、あの場で東雲が動揺した理由について容易に想像できた。
「お前は由利を向こうの世界へ帰す気でいるようだが、本当にそれでいいのか?」
「仕方ないじゃないか。帰りたいって言われたら、帰してあげないとね」
ようやく落ち着いたらしく、東雲は立ち上がって窓の外を見下ろす。宿の客層に合わせて、物見遊山の貴族らしくなるよう、警戒心など欠片も見せない。通りを歩く者のうち何人が、仮想敵として見られていると気付いただろうか。
――二人のお陰で生き延びた俺が、他人の生き方に口を挟めることではないが。
心情を想像できるからこそ、本音を隠す東雲と、そうせざるを得ない状況を恨まずにはいられなかった。




