005 招待
面会を終えて部屋を出ると、別室で待っている二人のところへ案内された。扉を開くと心配そうな顔とくつろいだ顔の両方に出迎えられる。
「ユリさん、あの……」
「終わったよ。特に何かを要求されることは無かったから安心して」
出されたお茶には手も付けず、じっと待っていたらしいモニカは、ほっと息をついた。
「いやぁ……疲れた。これ貰っていい?」
「あ、はい。どうぞ」
由利が催促すると、モニカは自分に出されていたカップを差し出した。一口飲むと苦味の後に香りが広がる。
「モニカが入れてくれた方が美味しいな」
そう正直に感想を述べると、部屋の空気が張り詰めた気がした。姿は見えないが、給仕をしてくれた人物の耳に入ったようだ。この国では秘密の話は出来ない仕様になっているらしい。
「そ、そうですか? ありがとうございます」
気がついていないモニカが嬉しそうに礼を言った。素直な反応を返されると、更に誉めたくなってくる。
「あまり給仕係をからかうと、次は白湯を出されるかもしれませんね」
「もう来る予定は無いからいいんだよ、勇者様。で、帰りはまたアレに乗って出国しなきゃいけないのかな?」
「嫌かもしれませんが、あなたの存在をあまり知られたくないんです。皆が皆、アウレリオ神父のように物分かりがいいとは限らない」
由利の体はイドが作った。察しが良い人間には違和感を与え、巫女には異物だと見抜かれる。長居をするほど危険だ。
部屋の外にいた案内人に一言告げると、建物の外まで送り届けてくれた。馬車は来たときと同じ位置で停まっている。
「あの……」
順番に乗り込もうとしたとき、通りを走ってきたシスターが声をかけてきた。思い詰めた顔をしている。
「デュラン卿で間違いございませんね?」
「貴女は?」
シスターの姿が広い背中に遮られる。背後に庇われたと気付くと同時に、端正な顔に液体がかけられた。
「何をするんですか!?」
モニカがシスターの前に立ち塞がったのを見て、慌てて馬車の従者がシスターを取り押さえた。だがシスターは拘束を振り解こうと暴れ、こちらを睨んでいる。
「大丈夫か?」
「問題なさそうです。ただの水ではないようですが……」
少し粘度のある液体が髪から滴っている。ハンカチを出して拭いてやろうとしたが、位置が高い。
「ちょっと縮めよ」
「自分でやるので結構です」
反応が冷たい。
ハンカチを取られたので、由利は揉めているシスターの様子を伺った。
「あれは悪魔よ! どうしてわかってくれないの!?」
「落ち着いて下さい。仰る意味が分かりません」
モニカが宥めて話を聞こうとしているが、興奮しているシスターは好き勝手に喋り始めた。
「あいつがやったのよ。私がいた修道院を襲った魔獣は、あいつが操ってたんでしょ!?」
「デュラン卿は魔獣を操ってなどいません」
「だから、騙されているのよ! 悪魔なんだから、人間のふりをしているだけよ!」
シスターは拘束を振り切って、こちらへ詰め寄ってきた。
「お前がやったんだろ! みんなを返して! お前が、魔獣を操って殺したんだ!」
詰問する声を聞きつけて、聖職者達が集まってきた。状況が分からずに遠巻きにしているのがほとんどだが、ただならぬ状況と見てどちらかに加勢しようと身構えている者もいる。
「祈りの場で何をしているのです」
集団の中から厳しい声が届いた。真っ直ぐこちらへ歩いてくるシスターには見覚えがあった。
――ザイラって呼ばれてたな。
由利を孤島の修道院に監禁した一人だ。ザイラは騒ぎの中心にいるのが勇者と聖女だと分かると、わざとらしくため息をついた。
「あら。慰問の旅に出ているはずの聖女様が、こっそり帰国していたのね」
「聖典派に所属している貴女が、どうしてこの区画へ来たのですか?」
毅然とした態度でモニカが尋ねた。ザイラは強い口調に一瞬怯んだものの、すぐに暴れているシスターを憐れむ態度をとる。
「私は彼女を保護しに来たのです。可哀想に。心を病んで治療院に入っているのよ。先ほど脱走したと聞きましたが、こんなところにいたのね」
ザイラがシスターの肩に手を置くと、暴れていた彼女が大人しくなった。目に涙を浮かべてザイラを見上げ、拘束が解かれると彼女にすがり付く。
「ああ……ザイラ。やっと見つけたわ。あれが勇者と偽って世界を騙して、魔獣を暴走させていた張本人よ。聖水の力で弱めてやったわ」
「随分な物言いだが、これが聖典派の礼儀か?」
「デュラン卿……」
ザイラは背後にシスターを庇うように移動した。集まってきていた聖職者のうち、半数ほどが身構える。
「彼らは聖典派の者です」
モニカが小声で正体を告げると、聖水を掛けられた本人は冷ややかに眺めた。
「ここで剣を抜くなら、タルブ帝国への敵対行為ととるが」
「よもや勇者が竜の威光を借るとは」
身構えている聖職者の一人が言った。その表情には非難する色が濃い。
「私は現在、帝国の特使としてこの場にいる。疑うなら帝国に問い合わせるといい。そちらには優秀な伝書鳩がいるだろう?」
その言葉は主にザイラへ向けて言われていた。出会った当初から後ろ暗い活動をしていた彼女への当て付けだ。各地に独自の情報網を築いていることは、公然の秘密となっている。
「特使、という割にはクリモンテ派にしか接触しておられないようですが?」
シスターを他の聖職者へ託し、ザイラが反撃をする。
「いきなり行政府へ行っても、法王猊下には面会できまい。聖女の伝を借りて面会を取り付けることが妙だと?」
「勇者の貴方が動かずとも、帝国には優秀な外交官がおられたはずでは?」
「一介の聖職者のくせに、やけに我が国のことが気になるようだ。それとも聖典派の聖職者とは、一人一人が外交官としての資格を持っているのか?」
「我々にはザイン教を世界に広めるという使命がありますから。その意味では我々一人一人が外交権を持っていると言っても過言ではありません」
「ものは言いようか。では貴女がここで言うことは、法国の総意であると受け取っても構わぬと」
ザイラの頬が紅潮した。この争いは明らかに彼女が押されている。
後ろで聞いていると、獰猛な獣が獲物に噛み付く瞬間を待っているようだった。
「モニカ。アウレリオ神父へ連絡できるか? 念の為に現状を報告しておいて」
「分かりました」
由利がモニカにだけ聞こえるよう小声で伝えると、気付かれないようにそっと後ろへ下がっていった。
「ただの雑談を外交の切り札にすると仰る。タルブ帝国とは恐ろしい場所になりましたね」
「出所不明の液体をかけられた俺の立場はどうなる? 毒ではないようだが、ただの水でもあるまい?」
「貴方が悪魔でなければ、影響はないでしょう。巡礼者がこの地に穢れを持ち込まぬよう、聖水をかけることは貴方もご存知のはず」
「悪魔と罵られながらかけられるのは初めてだな。かような待遇は前回の訪問では遭遇しなかったが」
「――申し訳ございません。彼女は魔王軍によって壊滅した修道院から、療養のために連れて来た者でして。どうやら治療院より抜け出した様子」
終わりが見えない争いに、新たな声が加わった。
「聖典派の広報部に所属しているジョフロワと申します」
「噂は聞いたことがあるな。各地で精力的に活躍しているとか。聖典派の代表よりも顔が広いそうだが」
「恐れ多いことです」
慇懃に頭を下げるジョフロワの心は読めない。
ジョフロワはザイラにシスターを治療院へ戻すよう伝えた。
「さあ、戻りましょう」
「そんな! あの悪魔はどうするの?」
「後は私達に任せて。貴女は犠牲者のために祈りましょう」
シスターを使って部下を避難させたジョフロワは、何食わぬ顔で申し出た。
「我が宗派の者が無礼を働き、申し訳ない。こちらでお詫びをさせてもらえませんか。無論、そちらの方も」
「どうしますか?」
由利は意見を求められたが、それは現在の立場を考慮しての言葉だと思った。一人だけ国外へ出てもいいが、不審に思った聖典派に捕まる可能性もある。なるべく三人でまとまっておきたい。
「場を収めるために必要であれば。判断はデュラン卿に任せます」
「では受けよう。聖女も異論は無いか?」
「ございません」
クリモンテ派と思われる聖職者と話していたモニカも同意し、常々悪い印象しかない聖典派の招きを受けることになった。集まってきていた聖職者達は、問題が解決したと解釈して、それぞれの業務へと戻ってゆく。
参りましょうかロシニョール様と勇者の声で言われ、由利は黙ったまま頷いた。




