003 女性の身支度は時間がかかります
「偵察の結果、修道院で器を作っていることが判明しました。出荷先は不明ですが、かなりの量の棺が一箇所に集められることになりそうです」
由利とモニカは地図の上に追加された、赤い点を見下ろした。横に書かれた数字は、聖堂を取り壊して集められていたという石棺の数だ。
「約五十か。結構多いな。すぐに使えるものが半分だったと仮定しても、器の能力なら一つの都市を制圧できそうだな」
「それなりに時間はかかるでしょうけど、可能ですね」
早朝に帰ってきた影響か、やや疲れた様子で同意の声が上がる。
「それだけの器を集めて、何をしようとしているのでしょうか……賢者の転生用だけではないようですが」
「忠誠心の高い奴を転生させて、ハイスペックな使徒でも作るとか? 器を作らせた奴らに聞かないと分からんな」
「現時点では何とも言えませんね。棺には目印を残しておきましたから、落ち着いた頃に転送先を探してみます」
「ああ、頼んだ」
短く情報交換を終わらせ、広げていた地図を片付けた。あれこれと推論を述べても、答えが出てくることはない。
モニカに茶を入れてもらっている間に、前日に作っておいた二種類のラスクを出した。一つは砂糖を使った一般的なもので、もう一つは東雲向けに粉チーズと胡椒をふりかけてある。植物油にハーブを混ぜて焼いているため、簡単な酒のつまみに丁度いい。
「お疲れ様でした。この後はお休みになりますか?」
「あ……そう、だね。ありがとう」
モニカが香り高い薬草茶を出すと、少し歯切れが悪い返事が返ってきた。どこか互いに安堵したような顔で沈黙している。
初々しさが漂う空気を眺めながら茶を啜っていると、窓から鳥が入ってきた。瑠璃色の羽をした黒い鳥だ。脚に手紙を巻きつけた鳥は部屋を旋回し、机の端に降り立つ。東雲が餌付けしていた鳥だろう。
「おいで」
鳥は声の主の顔を見てしばし止まった後、身軽に机の上を跳んで近寄った。脚の手紙を外してもらった後は、出された小粒の魔石を満足そうについばむ。
「何て書いてあるんだ?」
由利が尋ねると、法国のアウレリオ神父から面会の要請だと教えられた。
「都合が良ければ明日、会いたいと。どうしますか?」
「向こうも忙しいだろうしな。そろそろ会いに行くよ」
鳥に持たせる手紙だったせいか、要件について記述は無かった。小さな紙面には書ききれなかったようだ。ただ予想はつく。由利の目的や魔王関連の情報交換になるだろう。
返事を持たされた鳥が再び窓から去っていく。家から数メートルほど離れたところで、空中に出来た小さな歪みの中へと飲み込まれていった。
「ここから法国まで距離がありますから、近くの国まで魔法で転送したんです。クリモンテ派といえど、どこに滞在しているのか秘密にしていますから」
精霊嵐を思い出した由利を気遣う声がかけられる。
「ここは安全地帯ですが、いつまでも滞在するわけにはいきません。明日、法国へ行くことですし、そのまま里を出てもいいかもしれませんね」
「じゃあ今日は世話になったエルフ達に挨拶回りしておくか。お前は仮眠取れよ?」
「言われなくても寝ますよ。モニカ、後で由利さんが面会の時に着る服を渡すから、明日は着替えを手伝ってあげてほしい」
「分かりました。ユリさん、明日は任せて下さいね」
由利が知らない計画が進もうとしている。
何の話だと二人を見ると、モニカはもう一度、任せて下さいと言った。人を安心させる微笑みの中に、強固な意思が見て取れる。様々な経験を経て良い顔をするようになったと喜ぶべきなのだろうか。
「面会、だよな? 別にこの服のままでもいいんじゃ……」
寝室へ消えていく背中を見送ってから、モニカが駄目ですよと諭した。
「初対面で印象が決まるからこそ、それなりの格好をしないといけないと、以前にユーグさんが仰ってましたよ。勝負服とお聞きしましたが」
「使い方が絶妙に違うけど、言いたいことは分かった」
異世界の人間に何を吹き込んでいるのだろうか。文句の一つでも言ってやりたいが、東雲は既にいない。
モニカに手伝ってもらうということは、由利が一人では着替えられない構造なのだろう。明日になるまで己がどんな格好をさせられるか分からないとは、なかなか辛いものがある。
なるべく動きやすい服がいいなと絶望しつつ、由利は里を回ろうと家を出ることにした。
*
翌日、由利は己の状況を激しく呪った。
鏡に写っているのは、どこに出しても恥ずかしくない深窓の令嬢だ。瞳と同じ深い青色の衣装は、首元からくるぶしまで肌が隠れている。だが上半身は体の線が分かるような仕立てになっており、ふわりと広がるスカートとの対比で、より女性らしい輪郭を演出していた。
細身だったお陰でコルセットは免除されたことと、歩きやすさを優先して靴を変えなかったことだけは幸いだった。
「あら。いい布を使ってるわね。これは化粧も気合を入れないとね」
いつの間に帰ってきたのか、シラリースが由利の袖を観察している。仕事を終えて満足そうに微笑むモニカを捕まえ、人間の服飾について質問し始めた。
「他の里へ旅立ったって聞いたけど?」
「そんなもの、精霊の道を使えばすぐに行けるわ。貴方達の旅立ちを見送らないなんて、薄情なことしないわよ」
会話が途切れた頃を見計らって尋ねると、由利を椅子へ誘導しながらシラリースが答える。彼女は優れた精霊術師だ。里の誰かが由利達の出立を知らせたのだろう。
「ちょっとシラリース、抜け駆けは許さないわよ! 私だって先生を素敵に仕上げたいのにぃ!」
「先生って言うな」
寝室の扉が勢いよく開き、テランシアが乱入してきた。何度訂正しても、由利を先生と呼び慕う姿勢は変わらない。里を旅立つと告げた時は、捨てられた子犬のような顔で縋り付いてきて、説得するのが大変だった。
「貴女が化粧を担当するなら、私は髪を整えるわ!」
「ふふっ。テランシアは髪を結うのが上手いものね。昔はよく貴女と人形で遊んだっけ。ねえ覚えてる?」
「む、昔の話はいいのよ! それより先生を綺麗にするのが先でしょ! まったく、貴女ってばすぐ脇道にそれるんだから」
二人は親友兼ライバルなのだろうかと由利は推測した。もっとも、ライバル視しているのはテランシアだけで、シラリースは良き友人としか思っていないようだが。
エルフは由利が女性の美容に詳しくないと最初から分かっていたようで、モニカと意見をすり合わせながら作業を始めた。己が着せ替え人形のように飾り立てられていく光景を見ながら、美とは忍耐でもあるのかと、すり減ってゆく心に言葉が浮かぶ。
ふと開けっ放しだった扉の近くに、金色の髪が見えた。賑やかになった寝室を伺いに来た、新緑色の瞳と目が合う。由利をこの状況に陥れた元凶は、空気を読んで何も言わずに後ずさった。
――後で覚えてろよ。
視線で助けを求めても無駄だった。同情と憐憫を混ぜた表情だけを寄越し、音を立てずに家を出てゆく。女性の支度に口を出してはいけないと、経験則で知っているためだ。残された由利にとっては薄情だが、逆の立場なら同じことをしたと断言できる。
「後はこれを被せて終わりね」
ベールが付いた帽子を乗せられ、ようやく解放された。由利は鏡をなるべく見ないように立ち上がる。
「ユリさん。素敵ですよ」
「……ありがとう」
聖女の純粋さは時として毒だ。上機嫌のモニカを連れ、由利はようやくエルフの里を出る準備が整った。
里の出入り口では、腰蓑だけを身につけたシュクリエルが亀にまたがっていたり、またしてもテランシアや彼女に協力をしているエルフ達がすがってくるイベントが待っていた。これ以上付き纏ったら嫌いになるぞと脅して諦めさせ、待っていてくれた二人と法国へ向けて旅立った。
由利はもうエルフを神秘的な種族とは思えない。最初から最後まで個性が強い集団だった。やはり理想は創作物の中にしか存在していないようだ。




