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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
4章 蘇る光

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002 裏切りの末路


 彼を転送した後、イノライは水晶柱を布に包んで部屋を出た。ゆっくりと鍵穴に差し込んだ鍵を回し、音を立てないように気をつける。深夜の暗い廊下に響いた施錠の音はイノライの予想よりも大きく、聞きつけた僧兵が来るのではと左右を見回すほどだった。


 ただの聖職者であるイノライには、間者(スパイ)の能力などない。こうすることでしか聖女に貢献できないと思い込んで、自ら損な役回りを引き受けている。搬入に使っている道具や部屋のことを伝え、後は勝手にやってくれなどという保身は思いつかなかった。


 イノライから見た勇者は、騙されていた善良な人物でしかない。彼もまた被害者で、聖女と共に教会を正そうとしているのだと信じている。良くも悪くも純粋な聖職者は、裏の思惑に疲れて現実から目を背けてしまった。


 見つかる前に返してしまおうと、足早に廊下を進む。


 夜の法国は本当に静かだ。規則正しい生活をする聖職者達は、警備などの限られた者しか行動していない。酒を提供する店などあるわけもなく、それぞれに割り当てられた宿舎か研究室に引きこもっているはずだ。


 己の衣擦れの音にすら神経を尖らせながら、目的の部屋まで来た。物資の輸送を担当している部署が使っている場所で、ここに水晶柱と部屋の鍵を返さなければいけない。


 慎重に扉を開けて忍び込んだイノライは、水晶柱に触れないように気をつけながら、鍵付きの棚に戻した。慎重に棚の扉を閉め、己の痕跡を消すために呪文を唱える。棚には魔法による施錠もされていたが、これで解除したことは露呈しないはずだ。


 棚と部屋の鍵は責任者の机の中に入れ、魔力で鍵を操作する。場の魔力を乱さないためには細かい調節が必要になるが、イノライはそうした作業を得意としていた。魔法式の点検では魔力を操作できなければ危険だからだ。


 作業が終わると、休むことなく部屋を出た。入り口も机と同じように操作し、己の痕跡を巧みに消す。全てを完璧に済ませたことを確認し、イノライは宿舎へ向けて移動した。ベッドに潜り込むまで見つかってはいけない。


 建物の外に出て、聖典派の宿舎まで静かに歩く。わずかな月明かりからも隠れるように進み、ようやく見慣れた壁が見えてきた。


「――イノライ」


 宿舎の入り口まで数歩の距離まで来たとき、背後から冷徹な女の声がした。

 顔から血の気が引き、反対に体が熱くなる。


「何をしていたのですか」


 背中に、じわりと汗がにじむ。

 なるべく冷静に見えるよう、ゆっくりと振り返る。


「ザイラ……」


 規則を具現化したような女がいた。能力の高さ故にジョフロワが重用しているシスターは、イノライを真っ直ぐに見据えて歩いてくる。


「何を、していたのですか?」


 ザイラはもう一度聞いてきた。


「……眠れ、ないから。散歩だよ」

「貴方が言う散歩とは、どこかの部屋に侵入することですか。輸送班の部屋から出てきたようですが、何を、どこへ送ったのですか?」

「言いがかりは、やめてほしい。もう、眠りたいんだ。行ってもいいだろう?」

「とぼけるつもりですね――拘束せよ!」

「展開!」


 互いの魔法がぶつかり、夜道に火花が散った。ザイラが放った捕縛用の魔法が、イノライの障壁を握り潰す。


 己の魔法が食い荒らされる音を聞きながら、イノライは暗がりへと駆け出した。


「待ちなさい!」


 走りながら懐に入れた小袋を引っ張り出し、中にある小さな楕円形の薬を一つだけ取る。口に入れて奥歯で噛むと、薄い皮膜が割れ、苦く甘い味が広がった。


 聖典派内で流通している、魔力の回復薬だ。即効性があるために、僧兵はもとより魔力を大量に消費する研究者も使う機会が多い。左遷される時に捨てずに取っておいて正解だった。


 甲高い笛の音が背後から響く。

 僧兵を呼ばれてしまったらしい。


 魔力の乱れを感じて上に障壁を作ると、降り注ぐ火の雨が空気を灼いた。


「み、水!」


 記憶している限りの魔法式を思い浮かべて魔力を込めると、石畳の間から水が噴出して周囲を冷やす。イノライの命を奪おうとした炎が勢いを無くし、溶け合って、濃い水蒸気になった。


 再び駆け出そうとしたイノライは、己でも理解できないまま障壁を展開させた。魔法が完成すると同時に、空から落ちてきた光の筋が障壁を切り裂き、左腕をかする。


「今のを防ぎますか。意外とやりますね」


 上から襲撃してきたザイラがナイフを振った。


 直感で体が動いた末の偶然だ。戦闘員ではないイノライは、同じことは繰り返せないことを痛いほど理解していた。


 呼吸が乱れて、悲鳴のような声が出る。


「さて、詳しいことを聞かせてもらいます。もう逃げようなど考えないように。じきに僧兵達も到着します」


 複数の足音が近付いてくる。

 逃げ道はないようだ。


 ザイラの瞳に朱色が差し込み、揺らいで見えた。脳に入り込む何かが、思考をかき混ぜて乱してゆく。自白の魔法だと気付いたイノライは、体内の魔力を逆流させて自我を守る。


「無駄ということが分かりませんか?」


 自白を迫る声が大きくなった。口が意思に反して開こうとする。凄まじい強制力だった。

 相手は裏の活動に慣れている。魔力の操作では互角でも、尋問の駆け引きは向こうに分がある。


 イノライは左手に持ったままだった小袋を強く握った。


 ――聖女様のことを言うくらいなら、いっそ。


 ザイラに気付かれない程度に魔力を動かし、薬に込められた力を連結させる。魔力を短時間で回復させるような薬なら、内に込められた力も強いはず。ザイラや僧兵達の追跡を振り切ることは出来ないが、人間一人を消す使い方なら可能だ。


 二人を発見した僧兵達が近付いてきた。彼らが手にした明かりが目に刺さる。やるなら今だ。両手を拘束されたら、何をしようとしていたのか、ザイラに感付かれてしまう。


 イノライは最後の仕上げに、体内に残った魔力を流し込む。



「――君、それは感心しないな。聖女に救われた命なら、無駄に消費するべきではない」



 よく通る男の声がした。


 薬に込めた魔力が霧散する。連結も解除され、無害な状態にまで戻ってゆく。強制的に介入してきた力が、小袋の中身をただの薬に変えてしまった。


「……何者ですか」


 警戒したザイラがナイフを構え、魔力を練りながら尋ねた。僧兵達も異様な空気を察知し、無言のまま周囲に散開する。


 イノライは魔力の異様な高まりを感じ取り、壁を背にしゃがみ込んだ。


 乱入してきた声の主は、姿を見せないまま呪文の詠唱に入った。ザイラ達は居場所を特定しようとするが、暴れ出した魔力が捜索を妨害する。


「悪いけど、用があるのは一人だけだ――ラファール」


 黒い風が荒れ狂った。身構えた僧兵がなす術もなく弾かれ、武器を取り落とす。次々と僧兵が持つ明かりが消えてゆく中で、鞘に収めたままの長剣を振るう影が動く。


 目の前を通り過ぎたものが、ザイラを蹴り飛ばした。対応できなかったザイラは石畳を転がり、ナイフを手放してしまう。


「お前……は……」


 一瞬にして彼女達を戦闘不能にしたものは、イノライの腕を掴んで強制的に立たせた。


「逃げよう」


 己が攻撃した対象には目もくれず、突然現れた男は転送の魔法を展開する。風景が次々と変わり、めまいがしたイノライは、目をきつく閉じて転移の負荷に耐えた。体を包むように流れてゆく魔力は、どれも荒々しく強い。


 どれほどそうしていたのか、ふいに軽くなった体に驚いて顔を上げると、城壁に囲まれた都市の近くに移動していた。


 空は明るくなり始め、都市から薄く立ち昇る煙が確認できる。夜明けだ。


「追跡を逃れるためとはいえ、説明も無しに振り回して悪かった」

「ここは……?」

「タルブ帝国の帝都。恐らく、ここが一番安全かと」


 立ち上がれないイノライが横を見上げると、深夜に別れたばかりの男がいた。


 癖が混じる金色の髪は朝日に輝き、初夏の緑をそのまま写しとったような瞳が見下ろしている。光に愛されている男だとイノライは思う。欠点など見つからない完璧な容姿は、英雄として末長く語り継がれるに相応しい。


 イノライが人伝に聞いた名前は、フェリクス・ド・デュランだったと今更ながら思い出した。


「いえ……助けて頂いて、ありがとうございます。なぜ、私を?」

「危険なことに巻き込んだのは、こちらの都合だから。死なれたら目覚めが悪い」


 フェリクスがイノライの肩に手を置く。もう一度、転移して連れて来られたのは、屋敷が並ぶ貴族街だった。


「勝手に備品を動かした上に、同宗派とはいえ味方に追われているとあっては、聖職者として法国にはいられないな……」

「そう、ですね。仕方のないことです。僕は自分からその道を選んだ。後悔はしていません」

「君達聖職者の殉教の精神は高潔だと思うけど、実際に行動されると困る」


 そうフェリクスは言うと、イノライの手に手紙とメダルを押し付けた。


「この手紙を、この家の当主に渡してほしい。フェリクスに頼まれたと言えば、しばらく面倒を見てくれる」


 返事も聞かずにフェリクスは姿を消した。どこかへ転移してしまったらしい。示された屋敷の門は固く閉ざされている。早朝とはいえ不寝番をしている衛兵がいるはずなので、呼び掛ければ取次を頼めるだろう。


 受け取ったメダルを見てみると、青と銀の菱形模様の上に、鍵を咥えた狼が象嵌細工で表現されている。


 ――あの人の家紋だろうか。


 教会に戻れないことは確かだが、頼っても良いのかとイノライは悩んだ。タルブ帝国といえば、聖典派と繋がりが深いと記憶している。教会が直接手出しできないとはいえ、逃亡者を匿っていることを知られてしまう可能性は高い。


 ――これを渡して、どこかに隠れないと。


 メダルは素人目にも高価なものだと分かる。それに家紋が描かれているのだ。誰かに奪われて悪用される前に、しかるべき所へ返すべきだ。手紙も託されている。


 イノライは屋敷の裏口を探すべく、塀に沿って早朝の貴族街を歩き始めた。帝国の財力を示すかのような正門は、己のような愚直な者には眩しすぎる。

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