来訪者がもたらすもの 前編
早朝、上着を手にとった由利は、海蛇の鱗が放置されたままだったことを思い出した。ベッド脇に立てかけていた鱗を持ち、後輩の姿を探して家の外へ出る。
家の近くにいるだろうと思って裏に回ると、巨大な亀に果物をあげている東雲がいた。紫色の小さな実を口の中に放り込んでもらった亀は、頭を低く下げて額の角を差し出す。東雲が角を握ると、呆気なく根本から取れた。
「それ、取っていいのか?」
「シュクリエル氏の許可は貰ってますし、こうやって好物の木の実をあげると再生するんです。ほら」
亀の額が七色に光り、みるみる伸びてゆく。ものの数秒で角は元通りの姿を取り戻した。
「ファンタジーだなぁ……」
「ファンタジーですねぇ」
異世界における生命の神秘を目の当たりにした由利は、またもや忘れかけていた鱗を東雲に渡した。
「これ、転送された洞窟にいた海蛇の鱗。お前へのお土産だ。加工して武器とか防具にしてもらえって、クァンドラが言ってた」
「私が貰っていいんですか?」
「いいんだよ。わざわざ探しに来てくれたから」
「じゃあ後で職人と相談してこようかな」
「ついでに昨日使った鱗取りの代金も払っておいてくれ」
東雲は首を傾げた。
「あれ、特注品だったんですか?」
「家になくてな。近所のおばちゃんに聞いたら、レインさんだったっけ? 金物職人をやってるエルフが作ってくれるって教えてくれたんだよ。職人って凄いよな。大体の形を描いて使い方を説明したら、半日で作ってくれたんだ」
「尋常ではない魔法がかかってると思ったら、そんな事情があったんですね……」
遠い目をした東雲が家を眺める。あの鱗取りには精霊による加護が与えられており、何があろうと必ず鱗を排除するという執念が込められているそうだ。ただの鱗取りのはずが、無駄に高性能な仕上がりになっている。
「何で復讐を誓う主人公みたいな道具になってんだよ。定期的に使わないと呪われそうで怖いな」
「むしろ定期的に使ってもらえるよう、魚を摂取しろと語りかけてきます」
「安易に依頼してすいませんでした」
エルフが作りだす品には特殊効果が込められているのが普通らしい。知り合いの町工場という感覚でいると、いつか足元を掬われそうだ。
「まあ、人間の基準では高レベルですけど、エルフの家に置いておくなら大丈夫でしょう。あしらい方も心得てますし。それに、この里では不用品は鋳潰してリサイクルするのが基本ですから、シュクリエル氏が不要なら適切に処分してくれますよ」
後世に残る心配はなさそうだ。役目を解かれた精霊には、役目に応じて報酬を支払うので、未使用品でも恨まれないと東雲は言った。
「精霊への報酬って?」
「色々あるみたいですけど、簡単なのは魔石ですね。エルフへの支払いも魔石を使ってます」
日常的に使っているかのような言い方が気になっていると、シュクリエルに滞在費として幾らか渡したのだという。由利がいない間も樹海で鍛錬を兼ねて収集しており、最近ではモニカも参加するようになった。
「モニカは植物に宿る精霊の声が聞こえるそうですから、亀にあげた実を集めるときに手伝ってもらいました。攻撃手段も習得して、短時間なら樹海で単独行動できますよ」
「そっか。充実してるみたいで良かっ……」
ふと由利は己が役立たずのままだと気付いた。衣食住全てを他人に頼っている。これではまるでヒモではないか。
「どうしたんですか?」
急に黙った由利を心配したのか、東雲が尋ねる。
「今の俺、ヒモみたいじゃないか」
「みたいと言うか……保護対象者と言うか? 由利さんならヒモだろうと専業主婦だろうと構いませんが」
「主夫? 俺が構うの! 自分の食い扶持は自分で稼がないと、働くのが嫌になるだろ。日本へ帰った時に困るのは俺なんだから」
幸い、樹海には魔獣が溢れている。エルフ達に聞けば、由利でも狩れる魔獣がいるはずだ。
「ちょっと魔石を稼いでくる」
「心意気は立派ですが、一人で樹海に入るのは禁止ですよ。私だって彼らに認められるまでは、里の外へ出られませんでしたから。半裸のマッチョエルフが木の上から飛び降りてくるのを見たいなら止めませんが」
それはそれで見てみたいかも――由利は迷った。黒装束で出てきてくれると、なお良いのだが。
「服飾の才能があれば……」
「また流行を作り出す気ですか?」
由利が伝えたプロレスは着々と形を変えながら計画が進行しているらしい。シラリースが里を旅立ったのも、他の地域への根回しが目的だという。有能そうな人材を確保することも同時進行するので、帰って来るのはいつになるのか予想がつかない。
「他のエルフも、隙あらば由利さんから娯楽の情報を引き出せないか画策してるらしいですよ。今も物陰からこっちを狙ってますし」
東雲の目線の先を見ると、一瞬だけ淡い金髪が見えた。いつから覗いていたのだろう。何も問題はないはずなのに、密会現場を見られたような感情がわき起こる。
――大丈夫。東雲とは日本語でしか話してないから、会話は聞かれてないはず。つか何で焦ってんの俺。
先日から感情を持て余しているようだ。どうも己の心が尋常ではない。環境と体の変化によるストレスが蓄積してきたのかもしれない。
*
滞在中にできる家事を一通り済ませてくつろいでいると、玄関が勢いよく開け放たれた。
「シラリースばっかりずるいわ」
そのエルフは突然やって来て言い放つ。鮮やかな金髪をベリーショートにした女エルフだ。見た目は若いが、シラリースと同世代らしい。
「ずるいって?」
エルフの事情をよく知らない由利に、いきなり言われても困る。他人事のように眺めていた東雲に助けを求めると、薄情な後輩はのんびりとした声で答えた。
「由利さんがもたらしたプロレスがエルフ中に広まりつつあるから、それが原因かなぁ?」
「それよ!」
エルフは遠慮なく家の中に入ってくると、ソファーに座って腕を組んだ。
「筋肉信仰のみならず、それを生かした興行まで! 私達だって流行の中心になりたいのよっ。みんなから崇められたいの! でも態度は謙虚を装う感じで!」
「既に欲望丸出しじゃねえか。台無しだよ」
これ以上、心の中のエルフ観を歪めないでほしい。
「という訳で、ちょっとツラ貸してもらうわよ」
「嫌だよ怖い。どうしてもって言うなら、しの――じゃなくてユーグを倒してからにして」
由利は面白がって事態を静観している東雲を差し出した。後輩ならエルフが相手でもいい勝負をするに違いない。
「ふっ……リリィちゃんのお願いなら仕方ない。いいでしょう、全力でお相手しますよ!」
悪ノリをした東雲が、芝居がかった言動で仁王立ちをした。少しだけ後輩が頼もしく見える。
「……貴方、さっき夫の工房に珍しい鱗を持ち込んだわね?」
エルフは慌てず東雲に尋ねた。彼女は鍛治職人の妻、テランシアと自己紹介をする。
「そうですが。何か問題がありましたか?」
「費用はこちら持ちで守護の精霊を宿らせるけど、どう?」
「んー……それぐらいなら自分で出来るからなぁ。却下」
「くっ……手強いわね。じゃあ、もう一つの鱗は加工賃として引き取るんじゃなくて、好きなものに加工してあげると言ったら? 鱗は二枚とも貴方のものよ!」
「乗った!」
東雲と女エルフは硬い握手を交わした。互いに良い取引をしたと言わんばかりに微笑み、ゆっくりと頷き合う。立っているだけで絵になる二人に見惚れていた由利は、己が売られたことに気がついた。
「由利さん。行きましょうか!」
「あっさり物欲に負けてんじゃねえよ」
大切な勝負は人任せにしてはいけない。由利には痛い教訓だった。番犬代わりに東雲をけしかけたつもりが、しっかり由利を犠牲にして帰って来るとは誤算だった。有利な条件で契約を結んだという後輩の成長は嬉しいが、由利にとっての結果は変わらない。
早く行こうと急かす二人に手を引かれ、由利は渋々ながら家を出ることになった。




