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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
閑話 2

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懐かしい味


「由利さん、和食が食べたいです」


 ローズターク方面への偵察準備に取り掛かっていた東雲が、紙を折る手を止めて切ない声で言った。


「さすがに醤油を舐めるだけじゃ駄目か」

「妖怪じゃないんですから、調味料単体で口に入れても虚しいんですが」

「料理の仕上げに醤油を垂らすとか」

「サンドイッチやグラタンに醤油を入れろと? 隠し味としてならアリかも……じゃなくて、刺身とか煮物が食べたいわけですよ、私は」

「……サシミ?」


 手紙を書きながら耳を傾けていたモニカが机から顔を上げた。簡単に刺身について説明すると、みるみるモニカの表情が曇ってゆく。


「え……お魚を生で食べるんですか……? 北方の魔法が使えない民族の中には、動物の肉を生で食べることもあると聞いたことがありますが……ユリさんの故郷も火に使える木材が少ない地域なんですか?」

「ドン引きされましたけど。しかも由利さんの故郷がアラスカになってますよ」

「イヌイットか」


 モニカの気持ちは分からなくもない。ネットで簡単に世界中を検索できる環境で生活している由利ですら、未知の料理には驚かされることがあるのだ。食材を生のまま食べるという、いっそ動物的ともいえる行動は、知性と敬虔を重んじる聖職者には衝撃が強いだろう。生食の理由が環境の劣悪さに固定されている。


「モニカ。そうじゃなくて、刺身は漁師の即席料理だったんだよ。もとは酢や薬味で味付けして食ってたらしいんだが、醤油が出来たことで貴族の間に広まったんだ」

「高級料理なんですね」

「醤油が高級品だったからな。平和が長く続いた時代に量産できるようになって、庶民にも口にできる機会が増えたんだ。新鮮なことと寄生虫がいないかどうかが重要だから、魚なら何でもいいわけじゃない。それに毎日食うわけじゃないから、嗜好品とか特別な日の料理と思ってもらえればいいよ」

「魚料理の一つということなんですね。すいません。勘違いをしてしまって」

「説明だけだと分りにくいからな。仕方ないよ」


 生卵を食べるという事は言わないでおこうと由利は決めた。生魚と並んで外国人がドン引きする日本の食事だと聞いたことがある。


「そういえば東雲。米は見つかったのか?」


 卵かけご飯から連想したことを聞いてみた。確か異世界へ来て間もないころ、エルフの居住地域が稲作に向いているかもしれないと言っていたはずだ。


「米ですか。シュクリエル氏に聞いたら、原種っぽいものは見つかりました」

「原種っぽいもの」

「収穫量が少なくて、味もイマイチでしたね」

「食ったのか」

「毒はなかったので、お粥にしてみたんです。安くて古い米の味がしました。シュクリエル氏が知り合いのエルフが興味を持ちそうだからと、種籾(たねもみ)を持って行きましたよ。品種改良でもするんですかね」

「お前は参加しないのか?」


 東雲はゆっくり首を横に振った。


「由利さん。私は美味しいものを作りたいんじゃないんです。美味しいものを楽して食べたいんです!」

「怠け者め」


 エルフが米を品種改良したとしても、異世界に米食文化が広まるのは何十年後だろうか。


「ユリさん達の故郷とこちらでは、食文化に大きな違いがあるようですね」


 米の説明は粥を作った時に、東雲が穀物の一種だと説明していたらしい。

 ふと東雲が静かだと気付いて隣を見ると、和食が食べたいと嘆いていた後輩の姿がない。机の上は綺麗に片付けられ、日本語の書き置きが残されている。


「刺身に使えそうな魚を獲ってきます。帰宅は夕方ごろ――って、あいつ海に行ったのか?」

「ずっと故郷の味が懐かしいと仰っておられましたから。調味料が独特で再現出来ないとか」

「再現以前に、あいつ料理しないんだけどな」


 きっと魚を捌くのは由利の役目だろう。いつ帰ってきてもいいように、調理道具を点検しておこうと席を立った。



 *



「安全に食べられそうな魚を確保してきました」

「お帰り。やり方を教えるから、まずは鱗を取ろうな」

「はーい」


 宣言通り、夕方になって東雲が帰ってきた。探索系の魔法を応用し、安全に食べられる魚を見つけたそうだ。更に寄生虫がいないか点検するという創作魔法を編み出し、才能の無駄遣いを遺憾無く発揮している。


 縦長の木箱の中には氷が敷き詰められ、タイほどの大きさの赤い魚が入っていた。鮮度を保つために神経絞めまでしてある。ここまで手が込んでいるのは、食に対して貪欲な日本人故なのか。

 モニカは後ろで見学することに決めたようだ。興味深そうに魚を眺めている。


 腕まくりをして手を洗った東雲が、素直に鱗取りを持った。里には存在しないものだが、エルフの鍛冶屋にお願いをして作ってもらった特注品だ。後輩が帰ってくるまでに間に合って良かった。代金は東雲にツケておいたから、後で払いに行くよう伝えなければいけない。


 料理をしたことがないと言いつつ、器用な東雲が魚の鱗を剥がしてゆく。綺麗に取ったあとは流水で洗い流し、腹部に包丁を入れて内臓を取り出す。刺身にするということで、胸びれの後ろから包丁を入れる。頭を切り落としたいのだが、中骨が硬くて由利の力では無理だった。


「……東雲、交代」

「こうですか?」


 何の苦もなく切り落とされ、複雑な気持ちだった。力が強いのは勇者ブーストのせいだと己を慰めて次の指示を出す。


「ついでに頭を二つに割っておいてくれ。捨てるのはもったいないから、あら炊きにしてやるよ」

「ヤダー奥さん、醤油が大活躍じゃないですかぁ」

「お前も一緒に煮込んでやろうか」

「冗談ですよ。次の手順は?」


 魚の腹に包丁を入れ、解説しながら半身を切り分ける。東雲に包丁を渡して反対側をやらせると、身の一部を中骨に残しつつ切り離した。初めてにしては上手い。


「思ってた以上に難しいですね」

「最初はこんなもんだよ」

「大きな魚はこうやって料理するんですね」


 モニカが生活していた孤児院や、ザイン神聖法国は内陸部にある。魚といえば川で獲れる小魚や、塩漬けにした切り身ばかりだったという。淡水魚にしか触れたことがないのなら、生食への忌避感もよく分かる。


 腹骨を切り取り、中央の血合いにある骨を切り離す。二つに分かれたサクから皮を引いて、ようやく刺身にするための準備が整った。東雲に同じようにやらせてみると、不格好ながらも同じものが出来上がる。


 東雲にワサビに似た風味だという植物の根をすり下ろさせている間に、長細い包丁に持ち替えた。サクの一つを薄く切り分けて皿に盛り付けると、見た目は立派な白身魚の刺身が出来上がった。


 食卓に運んで小皿を出してやると、東雲は嬉しそうに醤油を入れて箸を取り出した。わざわざ木材から削り出したのだろう。丁寧に加工され、メタリックカラーのウサギの絵が描かれている。


「いただきます」

「存分に食え」


 たまり醤油じゃなくていいのかと思ったが、そこに拘りはないらしい。一枚の切り身にワサビを乗せ、醤油をつけてから口に運ぶ。


「どうだ?」

「……不味い」


 東雲はそっと箸を置いた。そして食卓に両肘をつき、頭を抱えて動かなくなった。


「不味い……すごく……」


 異世界に刺身は早すぎたようだ。


「何だろう……タイっぽい味はするんですよ……でも苔のような風味がする。食べている餌の違いかなぁ」


 横から箸を取って食べてみると、言っていることが分かった。少し生臭い。水質が良くない浅瀬で釣った魚と似ている。


「仕方ねえな……」


 由利は食卓に置かれていた刺身の皿と醤油を持って調理台に戻った。


「何をするんですか?」


 後ろをついてきたモニカに小さなボウルを持たせ、味覚を頼りに調味料を入れていく。異世界での名称は忘れたが、とにかく酢や砂糖の代わりになればいい。


 モニカに混ぜてもらっている間に魚を一口ほどの大きさに切り分け、刺身にしていた切り身と共に薬味と酒、醤油で下味をつける。混ぜてもらった調味料を小鍋に入れ、火にかけて温めた。戸棚から片栗粉代わりに使っている粉を見つけると、少量を水で解いて鍋に入れる。とろみがついたら火を止めて魚の仕上げに取りかかった。


 フライパンに多めの植物油を入れて熱し、粉をまぶして揚げ焼きにしていく。全て焼き終えたら皿に盛り、作っておいた甘酢あんを上からかける。野菜も加えたかったが、手頃なものが見当たらなかったので断念した。


「モニカも食べるか?」

「いいんですか?」

「そのうちアマニエルも帰ってくるだろうし、皆の夕食に丁度良いだろ」


 新しく出来上がった料理を食卓に置くと、うつ伏せて不貞寝していた東雲が顔をあげた。


「味付けを濃くしたから、若干の生臭さはごまかせたと思う」

「由利さん……」


 東雲はそっと由利の手を両手で握りしめた。


「わざわざ作ってくれたんですか? やっぱり好きです。結婚して下さい」

「食う前から胃袋掴まれてんじゃねえよ。結婚の安売りすんな」


 手を振り払う前に離され、心の中にモヤついたものが残った。

 東雲は幸せそうに白身魚の甘酢あんかけを取り、一切れ食べ終わると静かに箸を置いた。


「由利さん、これすごく美味しいんですけど……中華ですよね?」

「問題はそこなんだよな」


 作っている最中におかしいと気づいたが、他にメニューが思い浮かばなかったために強行した。やはり異世界で和食を再現するのは難しいようだ。


 魚料理は幸いにも好評だったが、モニカとアマニエルの興味を引いたのは珍しい調味料ではなく箸だった。二本の棒で食べる光景は文化的な衝撃をもたらし、翌日にはハイセレスの里中に広まった。


 娯楽に飢えていた彼らは、すぐさま珍しい道具に飛びつき、時間をかけてこれを習得する。その頃にはエルフが住む樹海全体に伝播し、品種改良された米と共に、新たなエルフ文化として世界中に発信されることとなった。


 異世界に和食が生まれる気配は、まだない。

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