012 村の朝は二日酔いの朝
前日に飲んだ酒の余韻が残っている気がした。由利は頭を襲う小さな痛みを堪えながら寝室を出る。
「ユーリ、起きたか」
「おはようございます」
クァンドラと東雲が囲炉裏の前で何かを焼いている。暖かい光と香ばしい匂いに釣られて近寄ると、クァンドラに飲み物を勧められた。
「蜂蜜入りのミルク飲むか?」
「今は乳製品はちょっと……」
軽いとはいえ二日酔いの時に乳製品はきつい。異世界に二日酔いの薬なんてないよなと後悔していると、隣に座っていた東雲が小瓶を差し出した。
「疲れてる時に飲酒なんてするからですよ」
「そうなんだけど、珍しい酒があったら一度は試してみたいじゃないか」
開けた蓋から恐ろしく苦い臭いが漂ってくる。覚悟を決めて一気にあおると、とろみがある液体が流れ込んできた。口に入れたことを後悔する味が広がり、不快で痺れるような後味が残った。控えめに言ってもマズい。
「ありがとう。想像を絶する不味さだった」
「どういたしまして。味はともかく効果はあるらしいですよ。古来から伝わる、由緒正しいレシピだとか」
「誰も味を改良しようとしなかったのか」
「反省しろって意味も込められてるんじゃないんですかね」
私情が込められているのは気のせいだろうか。
由利は怒られるだろうなと思いつつ、囲炉裏でクレープのような生地を焼いている東雲に話しかける。
「昨日、寝室に入った辺りから記憶が無いんだけど……」
「そうでしょうね。ええ、そうだと思いましたよ」
すっと東雲の表情が消え、深いため息が返ってきた。これは何かをやってしまったらしい。
「差し支えなければ、何をやらかしたのか聞きたいのですが」
「差し支えあるので嫌です。反省はして下さい」
「原因が分からないと反省しようが無いと思うが」
「……酔っ払いの戯言で、私が勝手に振り回されただけです」
全く覚えていない。
――使いっ走りにした挙句、寝落ちしてたとか? 東雲って酔っ払いの介抱とか慣れてなさそうだし、そりゃ怒るよな。
料理以外は細々と世話を焼いてくれる後輩のことだ。きっといつも通り相手をしてくれたに違いない。
「そっか。色々ゴメンな」
由利が謝ると、東雲は素直に謝られても困りますと言って目を逸らした。
「ユーリは鈍いなー」
すっかり黙ってしまった東雲に代わり、クァンドラが言う。両膝を抱えて座り、囲炉裏の中に置いた鍋の蓋から火箸で石を取り除いている。焼けた石の熱で中の物を調理しているようだ。
「ユーリは難しいこと知ってるけど、近くにいる人のことは全然分かってないな。逃げられても……何だっけ、じごーじとく?」
「それは困る。東雲に逃げられたら家に帰れない」
「ほらな、やっぱり分かってない」
鍋の中には小ぶりな芋が入っていた。確かジャガイモに似た味がしたはずだ。クァンドラは長い串で団子のように刺すと、皿の上にクレープと一緒に乗せた。上に置いたバターが熱で溶け、香ばしい香りと混ざる。香辛料で辛く煮た豆や野菜を添えて、朝食が完成した。
「村の女性が作ってくれようとしてたんですけど、二日酔いの由利さんがいつ起きてくるか分からなかったので」
「ウソだぞ。色目使われて嫌気がさしたからって、追い出したんだ。モテる男は面倒だな」
「一度でいいから、そんな状況になってみたいわ。今すぐ顔代われ」
素直な魔族が暴露した事実に、何度目かの不可能な要求をした。もう嫉妬する気など全くないが、受け流すのも物足りない。
「別にいいですけど、いきなりモテる人生になっても人間不信になるだけですよ。由利さんは変なところで繊細だからなぁ。魔法だけじゃなくて本格的に引きこもりそう」
「余計なお世話だよ。心配してくれてありがとな」
口が立つ後輩だ。勝てる気がしない由利は、大人しく朝食を摂ることにした。
薬のおかげで頭痛はすっかり消えている。味を犠牲に薬効を高めているのだろう。
食事を終えて片付けている最中に、由利はクァンドラの魔石を持ったままだったことを思い出した。ポケットに入れたままだった魔石を出し、クァンドラに差し出す。
「これ、契約通りに合流できたから返すよ」
「おー、忘れてた!」
「大事な物なんだから忘れるなよ」
クァンドラは青い石を受け取ると、胸に押し当てる。石は蒸発するように消えていった。
「空腹のクァンドラと契約したんでしたっけ? 洞窟にいたのが彼女で良かったですね」
「そうだな。騙しやす――話が分かる魔族で助かったよ」
「うん?」
「クァンドラは一人で契約しない方がいいかもな。誰か信用できる人に契約内容を確認してもらうといいよ」
「ユーリも家族と同じこと言うんだな……」
やはり心配していたのは由利だけではなかった。本人は何で信用してくれないんだと嘆くが、少し話しただけでも騙しやすいと分かるのだ。悪意がある者にとっては、絶好のカモだろう。
村に長居をする理由もないので、村長の老爺に挨拶をしてから出立することにした。
「ゆっくり休んでいただけましたかな?」
「お陰様で。ようやく人間らしい生活が出来て、安堵しました」
急に訪ねたにも関わらず、老爺は穏やかに出迎えてくれた。同居している家族が茶を入れてくれようとしていたが、すぐに出発することを告げて家から離れる。せめて見送りだけでもと言う老爺と共に村の中を歩くと、捕獲した双子を閉じ込めているという集会場が目に入った。
籠を持った村人が出入りしている。あの双子の朝食だろうか。死ぬことは免れたようだが、彼らが課せられる労働についてはまだ決まっていない。
――これでいいんだよな?
この世界についてよく知らないからと丸投げする形になったが、そもそも由利は被害者ではない。部外者が介入していいのは、ここまでだろう。
村を歩くうちに由利達を発見して見送りに出てくる村人が増えてきた。あまり交流が出来なかったのは残念だが、彼らの人の良さにつられて、うっかり身の上話をしないとも限らない。
「残念だな。もう少しゆっくりしてもらっても構わなかったんだが」
別れ際に村人の一人が言った。
「災害に巻き込まれてこっちに来たから、早く無事だって知らせに帰らないとね。みんな心配してたから」
由利が口を開くよりも早く、東雲が静かに答えた。気のせいか東雲と村人の間に緊張感が漂っている。誰とでも合わせられる後輩にしては珍しい。納得いかないのはクァンドラでさえ分かった顔をして眺めていることだ。
一人だけ蚊帳の外にされたまま村を離れ、荒野をしばらく歩く。村から見えない距離まで離れると、クァンドラは黒い羽を出して背伸びした。
「そろそろお別れだな。契約は終わったから、あたしも帰るよ!」
「短い間だったけど楽しかったよ」
ふわりと飛び上がったクァンドラは、羽の調子を確かめるように空中で回る。銀色のイナゴに拘束された影響は無いようだ。
「ユーリは自分のことになると鈍くなるね。ちゃんと周りを見てあげないと、刺されるぞ」
「え。刺されるの? 何で?」
「そっちの君は……辛くなったら、あたしたちの国へおいで?」
「ありがとう。その時になったら、よろしく」
「待て。俺にも分かるように言ってくれ」
「じゃーねー!」
輝く笑顔で飛んだクァンドラは一気に上昇して青空へ消えていった。
「東雲。解説……は、してくれないよな」
「物分かりがいい先輩は大好きです」
こっちはこっちで人をたぶらかす蠱惑的な笑みを浮かべている。
「馴れ合いはともかく、エルフの里へ戻りましょうか。モニカが心配してましたし、由利さんじゃないと解決できないことがあって」
今の由利に出来ることなど限られている。モニカやエルフに頼っても無理なのかと尋ねると、クリモンテ派のアウレリオ神父が面会を望んでいるという。
「アウレリオってお前が会いたくないって言ってた、有能な研究者か。バックに俺がいると見抜いた上で会いに来いとか、ものすごく怖いんだけど。断っておいてくれよ……」
「いやー無理ですって。あれは単純な誤魔化しが効くような相手じゃないですよ」
「復帰して早々に資料なしで重役と面会か……クレームじゃないといいなぁ……」
考えるだけで胃が痛い。日本へ逃げ帰りたいが、東雲に全て押し付けるのは可哀想だ。
「面会の予約をとる時に、それとなく要件を聞いておきますから。約束の日になるまで、資料の整理でも手伝って下さい」
「おかしい……俺は部外者だったはずなのに」
「私だって最初は部外者のはずだったんですけどねぇ」
悩む由利の手をとった東雲が聞き慣れない言語の呪文を唱える。左の袖に隠れていた腕輪が露わになり、エルフの文字が踊りだす。
周囲を流れる文字に見惚れていると、東雲が思い出したように言った。
「由利さんが消えてから、一週間ぐらい経ってます」
「は? 一週間!?」
見上げた顔は悪戯が成功した子供そのものだ。心がざわついて落ち着かない。
不意をついた表情に言葉を詰まらせている間に、周囲の風景が歪んで荒野が消えた。




