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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
3章 踊る亡霊

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006 悪魔の囁き


 建物を出る前に変装してから、大聖堂で勝手に借りた桶に水が入ったままだったことを思い出した。


 中に入っている水は、大聖堂の裏で汲んだとはいえ、ただの湧水だ。魔力など込められていないが、ここで生活をしている聖職者にとっては、やはり神聖なものだろう。粗末に扱うわけにもいかず、消費できる場所を求めて墓地へ向かう。


 監視の目はついていないようだ。アウレリオの計らいだろうか。どちらにせよ人目がないのは助かる。

 墓地に隣接した林の中で水を撒き、空になった桶を一旦収納した。変装用のマスクは、迷った末に外しておくことにした。法国の監視員は使用人に大して注目していないようだ。目深にフードを被っていれば、おかしな行動をしない限り見つからないだろう。


 木の上で羽を休めている鳥に狙いをつけ、重りをつけたロープを投げた。飛び立とうとした鳥の周囲に風を起こして邪魔をしている間に、ロープが足に絡みつく。風を止めると同時に木を離れた鳥は、東雲がロープを引っ張ると簡単に落ちてきた。


「ゴメンね。すぐ終わるから」


 鳥の首を抑えつけてクチバシをこじ開けると、喉の奥に魔石の粒を押し込む。鳥は黄色い目を見開いて粒を飲み込み、しばらくすると東雲の腕に止まってクェと鳴いた。


 黒い体に瑠璃色の翼を持つこのノマ鳥は、知能が高くて体力がある。情報を集めるために使役しようと思っていた生き物だ。


「君の仲間を連れてきて」


 背中を撫でて伝えると、鳥は飛び立っていった。遠くに広がる農園を眺めて待つ東雲のもとに、十羽ほどのノマ鳥が降りてくる。最初に魔石を与えた個体だけは東雲の肩に止まり、頭を頬に擦り付けた。


 命令通りに連れてきた個体に肉片を与え、新たなノマ鳥に魔石を飲み込ませてゆく。それぞれ仕事を与えた鳥が飛び立ってゆくと、東雲は林を出て農園へと近づいていった。


 その農園は法国が管理している葡萄畑だった。儀式に必要なワインを作るため、聖職者が主に手入れをしている。農園では見えているだけでも六人ほど聖職者がいるようだ。

 作業をしている聖職者の一人が離れたところを見計らい、東雲も視線を避けながら移動した。


「イノライ神父」


 農具を保管している小屋の陰から呼びかけると、孤島の修道院ですれ違った神父、イノライが怪訝な顔で東雲を見る。フードを下ろして顔が見えるようにすると、イノライは僅かに目を見張った。


「貴方は確か……勇者」

「会うのは二度目ですね」

「何の用ですか」


 イノライはあからさまに警戒して東雲を睨みつける。彼にとっては助けようとした聖女を連れ去った男だ。好意的に歓迎されないことは分かっていた。


「貴方に聞きたいことがありまして」

「教えることなど何もありません。お引き取り下さい」

「知りたがっているのは僕じゃなくて聖女様ですよ」


 イノライの顔に困惑と動揺が浮かぶ。


「聖女様は、ご無事でしょうか」


 絞り出すような声は苦悩に満ちていた。彼は聖女を襲撃する作戦については知っているようだ。

 東雲は安心させるように薄く微笑む。


「今は安全な場所へ避難していただいておりますよ」

「クリモンテ派の教会ですか?」

「いいえ。教会とは関係のない場所へ。これ以上は言えません」

「……そうですよね。僕は聖典派ですから」


 最初の敵意はすっかり消え去り、イノライは深く落ち込んでいた。

 本題に入る前に、まずは彼の現状について知らなければならない。東雲は優しく話しかける。


「修道院にいたはずの貴方が、どうしてここに?」


 僕は使えない使徒ですから――イノライが嘆く。


「使徒というと、行政府の?」

「いいえ、法王猊下直轄の福音の使徒ではありません。聖典派では特殊な業務にあたる者を『聖典の使徒』と呼んでいるのです」


 初耳だった。では廃坑にいた者は、聖典派が送り込んだ聖職者だったのかと東雲は納得した。


「元々、魔法を解析する腕を見込まれて使徒となりましたが、修道院で他の使徒の妨害をしたのではと追及されて地位を剥奪されました。ここへ来ることになったのは、ジョフロワ様の……使徒を取りまとめる方が口利きをしていただいたためです。ここでの仕事は使徒とは関係ありませんし、秘密を漏らすこともないだろうと」


 左遷されて来たということだが、イノライにとっては合っているように思う。この心が弱い神父には、人間の裏側を垣間見るよりも、植物を育てる方が穏やかに過ごせるはずだ。


「ですから、僕に聞くことなんて……」


 再び心を閉ざそうとしたイノライに、東雲はそっと話しかける。


「聖女様はザイン教の現状に心を痛めておられます」

「無理もありません。教えを守るためという名目で他者を危険に晒すなど、あってはならないことですから」

「イノライ神父。聖女様は貴方の誠実さに気づいておられます。どうか我々と共に、人々のために尽くしてもらえませんか?」

「急に何を……」


 東雲は相手に考えさせる時間を与えず、一方的に続ける。疑問を抱く前に話を進め、望み通りの行動を起こさせる。実家で学んだ手口だ。


「聖典派の聖職者全てが目的のために手段を選ばないような、非道な者ではないでしょう? 誤りを正すことができるのも、貴方のように歪みに気付いた方だけ。今ここで正さなければ、後の世に禍根を残すことになります」

「それは……その通りですが、僕はもう使徒ではありません」

「イノライ神父。聞きたいことがあると申し上げたでしょう? 少しだけ聖典派のことを教えていただけませんか?」

「しかし……」


 イノライは迷っている。


 ――あと一押しか。


「分かりますよ。貴方は仲間を裏切ることになるのではと思っている」


 少しでもイノライの罪悪感が消えるよう言葉を選ぶ。東雲に必要なのは情報だけで、イノライの隷属ではない。


「特に聖女様は、違法な実験が繰り返されていないか心配しておられます。もし何かご存知なら、教えていただけませんか?」

「違法……ええ、そうですね。あれは人々のためにはなりません」


 イノライの瞳には正気が戻っていた。聖女を通じて人のために動くという目標ができたことで、心の平穏を保ちつつある。


「僕が関わっていたのは、主に魔法式に暴走を伴うような危険な記述が含まれていないか、部分的に試行と点検をする作業でした。動かすのは一部だけとはいえ、魔法式に矛盾が出ないよう、式の全てを見ます。僕が読み解いたところ、その式は魂がない肉体を長期にわたり保存するものでした。何のためにそのような魔法を開発していたのか分かりませんが……」


 棺に使われていた、転生用の肉体の保存だろうか。

 教えられた場所は、まさに聖典派の勢力圏内にあった。法国からそう遠くない。東雲は使役しているノマ鳥の一羽に、そこへ向かうよう伝える。


「僕が知っていることはそれだけです。申し訳ありません」

「いいえ、十分です。必ず聖女様へお伝えしましょう」


 イノライから十分すぎるほどの情報を得た東雲は、フードを被り直して大聖堂へと向かった。裏口から侵入して桶を戻し、貫頭衣を脱いで小さく畳んで服の中へと隠す。変装用のマスクをつけて白い襷をかけ、使用人専用の扉をくぐって聖堂内へと戻った。


 巡礼者へ向けて行われていたミサは終わりに近づいていた。巡礼者達が席を立ち、知恵の実の代わりという、小さな焼き菓子を受け取りに祭壇への列を作る。何食わぬ顔で列に溶け込んだ東雲は、そのまま巡礼者に混ざって法国を出国することに成功した。


 法国との国境付近にあるリンブルクの町まで戻ってくると、物陰で変装を解いた。そのまま町の外に広がっている林へ転移してから、エルフから受け取った腕輪を取り出す。左腕にはめて教えられた呪文を唱えると、視界が歪んで浮遊感に包まれた。


 腕輪の力で転移した先は、お世話になっているエルフの里だった。


「ユーグ! あんたの連れが飛ばされた先が分かったらしいよ!」


 東雲を見つけたエルフの一人が、上の層から身を乗り出して呼んでいる。階段を使うことすらもどかしくなり、東雲は自力で上へ転移した。


「場所は?」

「うわっ! い、いきなり現れるなよ」

「すいません。早く迎えに行きたかったので」

「気持ちは分かるけどね。ほら、腕輪を出して。行き先を書き込んであげるよ」


 捜索してくれていたエルフ達は、東雲の様子を微笑ましく見守っている。感情に任せて行動したことに、東雲は今更恥ずかしくなった。


「道を開く時は、周囲に気をつけるんだよ」

「ん。ありがとう、行ってくるよ」


 落ち着くために階段から下へ降りることにした。焦って違う場所へ転移するのは困る。


「ユーグさん。お気をつけて」


 地上に降りると、モニカが待っていた。


「由利さんと戻ってくるからね」

「はい。お待ちしております」


 里を出て周囲に誰もいないことを確かめてから、腕輪にそっと触れる。木製の土台に緑色の文字が刻まれた腕輪は、魔力に反応してエルフ語を浮かび上がらせた。

 浮遊感が消え去ると、視界が暗闇に包まれる。東雲は空中に光を飛ばし、辺りを見回す。


 精霊の道は洞窟に繋がっていた。

 砂埃と獣の臭いがする。足跡は大型のネズミと小さな靴の二種類だ。


 ――ここにいたのは間違いない。


 足跡は奥へと向いていた。洞窟内に検索をかけると、すぐに小さな魔獣が見つかる。


 ――魔獣から逃げ回った?


 ほんの僅かに魔法の痕跡が見える。すれ違いになってしまったようだ。由利が身につけている指輪の位置情報を探ろうとしたが、どうやら検索可能な範囲から外れているらしい。


 洞窟内に気になるものを検出したので移動してみると、海と繋がっている地底湖に海蛇の死体を見つけた。魔石は抉り取られ、額にあるはずの鱗も剥がされている。


 逆鱗を狙って攻撃している手際から考えると、海蛇を倒したのは由利ではないだろう。地球での知識から逆鱗に思い当たるかもしれないが、場所までは特定できないはずだ。それに能力的な問題もある。由利の力は守りに特化している。

 海蛇の傷を注意深く探っていると、もう一つ魔法らしき痕跡を見つけた。


「ただの偶然か、協力者かな?」


 指輪が壊れたら、東雲にも伝わるようになっている。まだ命の危険には晒されていないようだ。海蛇を倒せるほどの実力者は、由利の敵ではないらしい。


「さっさと回収しに来いとか言っといて、なんでふらふらと動き回ってるんですかね、あの人は」


 東雲はどうやって追跡しようかと頭を悩ませた。

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