005 彗眼の智者
巡礼者と共に大聖堂へ入った東雲は、人目を盗んで柱の陰に隠れた。人々の視線は正面の祭壇へと向けられている。教会で働く使用人専用の小さな扉を見つけ、音を立てないよう注意深く潜り込む。
ザイン神聖法国へ密かに入国するには、入念な下準備が欠かせなかった。魔力に敏感な聖職者が多いため、魔法で転移するとすぐに見つかってしまう。正面から勇者が入国すれば、案内がついて訪問の目的を必ず聞かれる。一宗派の研究者に会いたいなどと正直に言えば、面会の席にまで付いてくるだろう。
東雲は巡礼者の証である白い襷を取り、埃よけのフードを下ろした。さっと手鏡に髪と顔を映し、変装が崩れていないか確認する。木の実で染めた髪はありふれた茶色に変わり、端正な顔も年齢不詳で特徴が無いものになっていた。
エルフと相談をして、特殊な粘土とある魔獣の膜で作ったマスクだ。両手にも同じ素材を使って、魔力を使わない変装を作り上げている。
みすぼらしい服の下に隠した貫頭衣を取り出し、しっかり着込んで腰に紐を巻く。フードを目深に被ると、通路脇に置いてあった桶を借り、清掃中の使用人を装って通路を進んだ。
モニカによれば教会では聖職者の他に、下働きの下男下女がいるそうだ。事情があって引き取られた者や、教会が運営する孤児院育ちが多い。宗派による対立は聖職者ほどあからさまではないものの、仕事以外で雇用主が管轄する地区を離れないよう言い含められている。余計な混乱を招かないようにという理由だそうだが、モニカが気付いていない使用人同士のいじめなどが関係しているのだろう。
使用人専用の通路を進み、裏口から外へ出た。裏庭にある彫刻から清らかな水が湧き、水路へと流れている。
東雲は女性が手を差し伸べる彫刻へ近づき、流れる水を桶に溜めた。
この水は聖なる祈りによって清められていると言われ、祭壇などの祈りの場を清掃する時に使うという。大聖堂だけでなく各地区でも使うため、使用人が汲みに来ることも珍しくない。言い換えれば、この水を運ぶ使用人がいても、周囲はさほど気にしないのだ。
裏庭から通りへ出てクリモンテ派の地区へと向かう。途中で出会う聖職者には、端へ寄って道を譲り、軽く首を垂れる。彼ら聖職者は東雲が水を運んでいる最中と分かると、特に注意を払うわけでもなく通り過ぎてゆくだけだった。通りを清掃中の使用人もまた、東雲の顔よりも先に桶を見て、興味を無くしたように仕事へ戻る。
目的の建物まで来ると、水が入った桶とマスクを消してから中へ入った。物を収納する魔法は、魔力が微弱すぎて探知されることはない。
ホールには誰も見当たらなかったが、数人の視線を感じる。クリモンテ派が使っている護衛だ。
「君達の主人に会いに来た」
クリモンテ派の紋章が箔押しされた手紙を掲げると、一人の視線が離れていった。いくらもしないうちに、一人の神父が現れる。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
離れていった一人だと東雲は気づいたが、軽く頷いただけで後に続いた。
案内された部屋にはアウレリオが待っていた。ソファーにゆったりと座り、入ってきた東雲を感情の無い顔で出迎える。
「生きていたか」
「悪運は強いので」
挨拶もなしに言いたいことだけを言う。互いに社交辞令を言い合うような間柄でもない。
「これまでの経緯は?」
時間の無駄を嫌ってか、アウレリオは早速本題に入る。東雲は対面のソファーに腰を下ろし、魔王の山から現在に至るまでを話した。
「山で使われた魔法の残滓を分析した結果が、これ」
モニカに教えてもらった書式で記した分析結果を見せると、紙を受け取ったアウレリオは聖典派かと即答した。
「この残滓には見覚えがある。聖典派に所属する修道女の一人だ。偽装もせずに使うとは、油断していたか」
「僕が残滓を探れるとは思ってなかったんだろうね」
「最初の一撃で始末出来ると見誤ったな」
「実際、危なかったから無理もないよ。逃げられるかどうかは賭けるしかなかったし」
わずかに誇張を織り混ぜて東雲は言う。
由利の結界は、定型文化された攻撃魔法では壊れない。監禁された時のように、解析されて弱点をつかれたなら突破されてしまうが、戦いながら短時間で読み解ける人材はそういないだろう。
由利が使う魔法は、イドと同じく混乱をもたらす。秘匿しておくべきだ。
「さて、アウレリオ神父。聖女殉職の筋書きを書いた人物か団体に心当たりがあるんじゃないかな?」
話の方向を変えるために、東雲は切り出した。
「是であり否でもある」
アウレリオは考える素振りすら見せない。
「現時点で魔王について知られたくないのは聖典派だ。あれは長く魔王の正体について伏せていたと思われる節がある。魔王の山は各国との協議により立ち入りを禁じているが、罰則があるわけではない。聖女を始末しようとした手際から、あの地で活動することに慣れているのだろう」
「歴代の聖女はあの山で始末されたと?」
「秘密を知る人間は厳選せねばならん」
「恐ろしい話だねぇ。何かの目的のために命すら奪うとか」
「ザイン教によって救われる人間はいるが、完全な慈善団体ではないからな。救うことだけを目的とするなら、このような建物は必要ない」
「そうだねぇ」
建物だけでなく部屋に使われている調度品も、見た目だけは質素だ。だがよく見れば使われている素材が高級品であることに気づく。信者から吸い取った金が、聖職者の懐へ消えていることは、こちらの世界でも同じだった。
「――君達の情報によれば、魔王循環の核となっていたのはイドの魂。これが反魂の魔法によって、何処かから呼ばれた霊だと」
「総合的に判断するなら、という条件付きだけどね。見えた光景の服装とか建築様式から、生存していたのは黎明期。イドが歴史に名前を残す時期と重なるし、イドの外見が記録に残っているハイデリオン王国と敵対していた国の第二王女に酷似している。第二王女はその国が大規模魔法の暴走で滅ぶ前に病死してるらしいね」
「仮にイドが反魂によって彼方より呼ばれた魂とする。だが当時のハイデリオン以外に、魔法に優れた者がいたという記録は無いな」
「僕も知りませんね。黎明期のことだし、歴史書に残せず消えたことは沢山ありそうだ」
アウレリオの探るような目が東雲を射抜く。
異世界の存在を知っても悪用はしないだろうが、どこから話が漏れるか分からない。検証と魔法の発展のためという名目で、地球の人間を召喚する者が現れないとも限らない。また呼び出された人間が、まともな思考の持ち主だけとは言えないのだ。己の力を悪用して犯罪に走ることも考えられる。
「……良かろう。ろくに記録が残っていないことを、あれこれ推測しても仕方あるまい」
沈黙の後にアウレリオは視線を外した。彼との会話は、次々と出題される課題に即答しているようだ。速い思考についていくことばかり考えて、うっかり秘密を漏らさないようにしないといけない。
「帝国方面からの情報によると、廃坑で捕まえた者は全員自害したそうだ」
世間話のついでのようにアウレリオが続けた。
「情報規制が徹底されてるね。自殺方法は?」
「舌を噛んだ」
「仕事熱心なのか暗示なのか……嫌な最期」
「結局、廃坑で見つかったもののうち残ったのは施設だけということになる。それも使用法が不明のままだ。廃坑で見えた光景には、イドが転生用の体を作っていたとあるが?」
「作ろうとしていた、だね。小さなものは成功していたみたいだから、応用すれば人体も作れたかもね」
由利が転移した体が保管されていたのだ。他にも作った体を保存している可能性がある。
「魔王の循環は止まったが、勇者としての今後の行動は?」
「聖女の護衛は引き続き継続するよ。そうだな、次は……廃坑のような施設が稼働していないか、探すべきなんだろうね」
「然り。後で聖典派の影響下にある地域を教えよう。ところで、君の参謀にはいつ会わせてくれるのかね?」
「ん?」
東雲は一瞬だけ演技を忘れた。
「前回は参謀の指示があったのだろう? しかし今回は己の意思でここへ来た。違うかね?」
「……演技には自信があったんだけどなぁ」
参謀とは由利のことだろう。確かに由利の指示でアウレリオに接触したが、見抜かれるとは予想外だ。
アウレリオは一瞬だけとはいえ動揺した東雲に興味を示すわけでもなく、淡々と続ける。
「前回に比べて対話の速度がわずかに落ちている。思考による発言の遅れだ。台本に沿った会話が速くなることは、往々にしてよくあることだよ。何も君が特別ということではない」
――そうだね、頭の中にタイムキーパーを飼ってる人間の方が特別だよね。
東雲は心の揺らぎと悪態を押し込め、冷静の皮を被る。
「近いうちに、とだけ。現在は別行動をしてるから。連絡が取れた時に、貴方のことを伝えておきます」
「了承した」
アウレリオがテーブルの端に置かれていた小さな鈴を鳴らすと、間を置かず神父が丸めた紙を持って入ってきた。受け取ったアウレリオがテーブルに広げ、東雲に聖典派の勢力図だと説明する。
紙に描かれていたのは、ほぼ正確な地図だった。教会の人手を使って測量したのだろう。文化レベルを考えると存在していても不思議ではないが、まだまだ機密文書扱いのはずだ。部外者の前で簡単に広げるものではない。
合図と共に持ってきた手際といい、最初から勢力図を知らせることは彼の中で決まっていたらしい。
「地図は読めるかね?」
「これでも騎士団にいたからね」
「よろしい」
勇者の経歴が役に立った。騎士団での地位を考えれば、地図を見られる立場ではない。だが武人を輩出してきた侯爵家の出だ。どこかで目にする機会があるはずだと相手が思ってくれればいい。
アウレリオが色分けされた勢力図を説明している間に、脳内の地図に複写をしておいた。由利と合流した時に、紙に転写をすれば作戦が立てやすくなる。
一通りの説明が終わると、互いに話すことは無くなった。進展があれば伝えると告げて席を立つ。
ふと部屋を出る前に、地図を丸めて片付けている神父に聞いてみた。
「僕たちは聖典派を敵として認識するけど」
「構わん。元から味方ではない」
返ってきたのは無関心で固めたような返事だった。
東雲の脳裏に小さな疑問が浮かんだが、明確な言葉になる前に消えてしまった。




