003 迷子の魔族が現れた!
慣れてきた頃が一番危ない。何度も言われていたことだ。
ネズミを発見するなり駆除してきたが、一発目を外すことが増えてきた。魔獣の動きを読めると慢心していたらしい。由利は通路の端に座ると、角材へ流れる魔力を少なくして光の量を抑えた。
「この先が行き止まりだったら、戻るしかないよな……フリークライミングなんてやったことないぞ」
あのコウモリの中を突っ切って、壁を登れるだろうかと不安になる。コウモリ自体は大して脅威ではないものの、数が多い。それに糞らしきものが堆積した山を登るのも抵抗がある。
「贅沢言える立場じゃないって分かってるけど、嫌なものは嫌なんだよなぁ」
由利はこれ以上余計なことを考える前にと、光を調節して先を急いだ。いくつかの分岐を行き来して奥へ進むと、通路の先に淡い光が見えた。日光とは違う種類に思えるが、洞窟を探検してから初めての変化だ。魔獣の可能性も捨てきれないので、角材の光を極小にしつつ物陰から覗いてみた。
青白い光に照らされていたのは、銀色の髪の女だった。膝をつき、捕まえたネズミの胸へと手を突き刺している。生きたまま魔石が引き抜かれると、暴れていたネズミは大人しくなった。女は簡素な服に血が飛び散ることも気にせず、取り出したばかりの小さな魔石を口に含む。手と口にはべっとりと血がこびりついた。
泣くかと思った。
叫び声を我慢した代わりに、足の力が抜けてへたりこむ。滑った足元で石が音を立てて転がり、気づいた女と目が合った。
「魔石の匂いだ!」
「うわああああっ!?」
口から血を滴らせた女が由利へ襲いかかってきた。錯乱した由利は、角材を振り抜いて女の顔を強打する。
「ぎゅふっ」
女は潰れたカエルのように呻いて、展開した結界に沿って倒れた。
「やべ……高めのボール球に手ェ出した。監督に怒られる」
もう自分でも何を言っているのか分からない。早く東雲が迎えに来て欲しいと、由利は心から願った。
由利を恐怖の底へ叩き込んだ女をよく見ると、背中にはコウモリによく似た羽が生えている。
「魔族? アルシオンだっけ?」
「むっ!? その呼び名を知っているなんて、あなた何者!?」
「怖っ!」
勢いよく起き上がった女へ角材を振り下ろしたが、結界に阻まれてふわりとした攻撃になる。相手には緩いながらも当たるようで、角材の先で突く度に顔をのけ反らせる。
「あ、あの、そろそろ止めてほしいなって思うんだよね。痛くないんだけど、話しにくいなーって。聞いてる?」
「うるさいな。さっさと成仏しろよ。怖いんだよ顔が」
「よく分かんないけど、死ねって言われてる気がする!」
女は顔に付いた血糊を袖で拭い取った。多少は見られる顔になったので、由利は角材を肩に担いで続きを待つ。
「騒ぎすぎて力が……ねえ、魔石を持ってるよね?」
「持ってるけど、やらんぞ。俺にとっても大事な物なんだよ」
可哀想だが、見返りもなしに渡せるような物ではない。貴重な換金アイテムだ。
「そう言われても、あたし何も持ってないよぅ……」
女は膝を抱えて座り込んでしまった。口調が幼いせいか、子供を虐めているような罪悪感がする。
この魔族をよく見ると、由利が殴ったはずの顔は全く腫れていない。人間の力程度では傷つけられないのだろう。全身もどこかを痛めている様子はなく、空腹で動けないようだ。
由利はしゃがんで女と視線の高さを合わせる。
「魔族は契約で成り立つ社会だって、知り合いから聞いたことがあるんだが」
ポケットに入れた魔石を取り出すと、女は顔を上げて凝視する。結界が無ければ奪い取ってきそうな目だ。
「そうだよ。ねえ、契約したらソレくれる?」
「お前の技量次第かな。まず、どれくらい強い?」
「ジャバーダックなら一人で倒せるぞ!」
「基準が分からんわ。どんな魔獣だよ」
「木の上から落ちてきて、頭がパカーっと割れて、触手が出てくるんだ。で、耳から脳を吸い出そうとするの」
「何ソレ怖すぎ」
「五つの核を同時に壊さないと分裂するんだよ。ま、あたしなら楽勝だけどな!」
「この洞窟にいる魔獣なら?」
「瞬殺だ!」
自信満々に言い放つ女は、すぐに顔を曇らせて懇願する。
「頼むよ。今なら死ぬ以外は何でもやるから! こう見えても人を乗せて飛んだりできるんだぞ! あっでも奴隷になれって契約は論外!」
今ならこちらに有利な条件で取引できると女は言うが、保険はかけておきたい。
「そう言われても、魔石を渡した途端に持ち逃げされたら困るしなぁ」
「あたしはそんな卑怯なことしないよ!」
女は胸に手を当てると、何かを掴む動作をした。こちらへ向かって手を差し出し、青い石の欠片を見せる。
「これは、あたしの魔石の一部。契約してる間は、これに魔力を流せば行動が制限されるから逃げられないよ。先に渡しあぎゃああああああっ!」
「なるほど、緊箍児みたいなもんか」
西遊記で悟空が頭にはめられた、懲罰道具と同じものかと由利は納得した。これを担保にするなら、契約してもいいだろう。
「お、お姉さん。契約慣れしてるね……もしかして商人?」
「似たようなものだよ。動作確認もせずに契約書にサインするのは危険だからな」
女が涙目で見上げてくるが、由利は取り合わなかった。素性が分からない相手と契約するのだ。いつも以上に慎重に進めていく必要がある。
――魔石の価値を聞いておけば良かったな。
弱みに漬け込んで吹っ掛けすぎると、反故にされるかもしれない。相手は由利を簡単に始末できる相手だ。契約を負担に思わせてはいけない。
「じゃあ仲間と合流するまで護衛してくれる? たぶんエルフの里にいるんだけど」
「エルフの里! 魔族が近づくと攻撃されるんだよね……」
女は気まずそうに目を逸らす。
「仲悪いの?」
「かなり昔に大樹を伐採しようとした魔族がいてさ。家がある樹じゃなくてエルフが信仰してる方の大樹なんだけど」
「あ、うん。何となく分かった。そりゃ全面的に魔族が悪いわ」
信仰の拠り所を、未遂とはいえ破壊されそうになったのだ。警戒されて当然だ。
「何で伐採しようとしたんだよ」
「きっかけは知らないけど、勝負の一環だったとか言ってたような?」
「勝負でよその種族に迷惑かけるなよ。それ全面戦争になってもおかしくなかったんじゃね?」
「犯人をエルフ一人につき一発殴るって内容で和解したんだって!」
「寛大なのか、そうじゃないのか分かんねえな」
「だからエルフの里っていうか、樹海には入れないんだけど、人間のフリしてるエルフなら分かるよ! 人間の町でエルフを見つけて、そいつに連れて行ってもらうのはどう?」
――連絡が取れるだけでもいいか。
種族間の争いに、わざわざ首を突っ込むことはない。最終的に東雲達と合流できるなら、危険を犯してまでエルフの里へ行くこともないのだ。
「じゃあそれで契約な」
魔石を渡すと、女は両手で受け取って幸せそうに食べ始める。ガリガリと奥歯で噛み砕いているようだが、魔族の歯はどれだけ硬いのか。見た目は人間とそう変わらないように見えるのだが。
「この甘さ……ハンマートレントだね!」
「知らん。知り合いがくれた物だし」
「君の知り合いは強そうだね。戦ってみたいなー」
「無事に合流できたら、本人に聞いてくれ」
補給が終わった魔族は、うっとりした顔で美味しかったよと感想を言った。
「あたしはクァンドラっていうの。知り合いと、どっちが多く魔獣を倒せるか勝負してたら、海に引き摺り込まれちゃった。回復しようとしてもネズミの屑みたいな魔石しかなかったから、助かったよ」
由利が名乗ると、クァンドラは首を傾げて繰り返す。
「ユーリ?」
「ユリ」
「ユーリ!」
「もうソレでいいよ」
お互いの名前が分かればいいかと諦めた。どうせ契約が終わるまでの仲だ。正しい発音にこだわることはない。
「ユーリはどこから入ってきたの?」
「エルフの里で精霊嵐に吸い込まれて、気がついたらここにいたんだ」
「大変だねぇ。嵐って魔力がぐわーっと流れてるやつでしょ? 魔力過多になって酔うらしいじゃん」
目が覚めた時に体調が悪かったのは、濃い魔力の中へ放り込まれたことが原因だったらしい。胸の不快感がいつの間にか消えている。照明や攻撃で消費したことで、正常な状態へ戻ったようだ。
「この洞窟はどこへ通じてるんだ?」
「海だよ。ここは海蛇の巣なんだ」
クァンドラは由利が進もうとしていた方向を指差した。この先は海へと繋がっており、巨大な海蛇が生息しているそうだ。彼女に出会わなければ、無駄に時間を潰すところだった。
「ねえ。契約を果たす前に、ちょっとケリつけてきていい? お願い。すぐ終わるから!」
彼女を海へ引きずり込んだ海蛇が、この先にいるらしい。早く東雲達と合流したいが、クァンドラには万全に働いてもらうためにも快く承諾した。戦闘能力を知っておきたいという魂胆もある。
「ありがとう! じゃあ乗って!」
クァンドラは背中を向けてしゃがんだ。由利が肩に手を置いて背負われると、しっかり捕まっててねと声をかけられる。
「いっくよー!」
走り出したクァンドラはコウモリのような羽を広げ、洞窟内を低空飛行した。狭い通路では羽を折り畳んで滑空し、曲がりくねった場所では壁を走って進んでゆく。景色が飛ぶように流れる様子は爽快だった。不思議と速さに対する恐怖はなく、体の揺れも気にならない。
入り組んだ洞窟内に潮の匂いがした。クァンドラは徐々に速度を落とし、羽を畳んで洞窟を走る。彼女が作る光が先行し、岩が積み重なる場所を照らした。
「ユーリはここで待ってて」
降ろされたのは全体が見下ろせる岩場だった。
地底湖と呼べば良いのだろうか。一際広い空間に、水面が揺らめいている。由利がいる岩場から水面までは約十メートルほど。下へ落ちれば自力で這い上がることは困難だろう。
増やされた光が照らす光景は幻想的だ。透明度が高い海の中には、蛍のように光るものが見える。よく見れば小魚が発光しているらしい。
海の中に太く長い影が現れ、クァンドラが岩場から身を乗り出した。あれが目当ての海蛇だろう。
「負けるなよ?」
クァンドラがいなくなれば、由利が洞窟から脱出するのは難しくなる。頼むから戻ってこいと願っていると、クァンドラは陽気に手を振って飛び立った。
「次は負けないよ!」
由利は少しでも座り心地が良さそうな岩を見つけると、用心のために結界を張って勝負を見守ることにした。




