012 月下の涙
チャットルームを開設します。
――修復も結構だが、己の治療にも領域を割くべきではないか?
「治療は適切に行われている。問題ない」
――早期の消滅は双方の計画に支障をきたす。見直しを要求する。
「必要ない。己の消滅は想定済みである。混乱を招かないよう、記録した映像の閲覧を推奨する」
――掌握している。最後に一つ聞きたいことがある。
「何?」
――お前はどこで死にたい?
「僕は……」
*
便利な照明があっても、里に住むエルフは日の出と共に起きて、日の出と共に眠る生活だった。同室のモニカも教会では似たような就寝時間だったため、苦もなく生活に溶け込んでいる。
早い就寝に慣れない由利は、静かに部屋を抜け出して家の外に出た。月を眺めて夜風にあたることでしか時間を潰せそうにないが、眠れないまま部屋に閉じこもるよりは健康的だろう。
虫の音を聞きながら歩いて行くと、橋の手前に設けられたベンチには先客がいた。
「東雲」
「あ。由利さん」
抜身の刀が月明かりに反射する。文字になり損ねた燐光が、ふわりと飛んで消えた。
「散歩ですか?」
「ああ。眠れないから出てきた。作業の邪魔したか?」
東雲は空中に指先を動かして、光の線で絵を描く。
「まさか。いいアイデアが思いつかないので、こうやって遊んでいただけです」
「これは何?」
「宿題難しいよーってエルフ語で書きました」
「小学生か」
絵だと思ったのは文字だったようだ。何度見てもエルフ語は文字に見えない。まだレース編みの図案だと言われた方が納得できる。
「エルフといえば、人間の言葉喋ってるよな? モニカにも通じてるし」
「長く生きていると、習得できることが多くなりますからねぇ。人間の言葉を覚えるのは、人の国へ行って珍しいものを仕入れるためだそうですよ」
「人間のフリをして細工品を売り捌いているんだっけ」
「人間側も、高品質のものが破格の値段で買えるから、隠しているんでしょうね。セレブの間ではエルフの細工物って大人気なんですよ」
見学させてもらった品が、どれも手が込んでいたことを由利は思い出した。その中でも人間へ輸出していたのは、装飾品が多かったように思う。エルフと取引をする相手が富裕層であることと関係があるのだろう。
「魔族も似たようなものかな」
「いえ、魔族はそこまで人間に興味ないですよ」
由利の疑問はあっさりと否定された。
「人の言葉を喋る魔族は珍しいんです。魔族にも色々いますから、離島の教会で会ったバルゼーレは、ああ見えてインテリ層だったんでしょうねぇ」
「言ってることは脳筋だったけどな」
契約で成り立っている社会だから、騙されないような知性が必要なのだろう。
東雲の隣に座ると、手すりの先にある樹海が見下ろせた。暗い木の連なりが地平線まで続いている。上を見上げれば、こぼれ落ちてきそうなほどの星が瞬いていた。
一人でキャンプをしていた頃は、よくこんな星空を見上げていたものだ。当然ながら知っている星座は一つもない。遠くへ来たという現実を突きつけられている気分だ。
「東雲も精霊の声が聞こえるのか?」
「いいえ。残念ながら」
刀が鞘に収められ、夜の闇に溶けるように消えていった。使った本人すら仕組みが分からない異空間へ収納されたのだろう。
「聞こえなくても属性付与できるものなのか?」
「制御が少し難しくなるだけです。精霊を誘導して望む効果を得ることが目的ですから、道筋が合っていれば成功します。私が今作っているのは、企画書の段階ですね。ウィランサールさんにチェックしてもらって、合格が出たら刀に付与する作業に入ります」
「その刀もエルフ製?」
「綺麗だったでしょ? 軽くて頑丈なんです」
「ここに来るまで使っていた剣は……」
「あれも良い剣なんですけどねぇ。魔法剣は扱いが難しくて。かと言って普通の剣だけだと魔法が使いにくいし」
通常、魔法で強化することを想定した剣は、一部に魔法の影響を受けやすい素材を使う。金属製だけではなく木材や骨を使うこともあり、薄く加工して剣の峰に貼りつけたり柄の部分に埋め込んでいるそうだ。通常の武器に比べて強力なのだが、素材が剥がれてしまうと効果が格段に落ちてしまう。
だがそれは人間が鍛えた剣の話だ。樹海で見つかる鉱石を、エルフが持っている技術で鍛えることで、武器としても魔法の媒体としても優秀な剣が出来上がるそうだ。
「そういや二種類持ってたっけ。派手な方とシンプルな方」
「完全に見た目で分類してますね、それ」
無骨な剣は、魔王の城で女魔族と戦った際に破損していたはずだ。あちらが普通の剣なのだろう。これからの戦いに備えて、武器を新調する予定だと東雲は言う。
「人間から見れば高性能な武器なのに、簡単にくれるんだな」
「持ち主以外は使えないように細工してありますし、私が死んだ時は回収しに来るらしいですよ」
「レンタル制度か」
由利の脳裏に、葬儀の場に現れる筋肉集団が思い浮かぶ。遺族から剣をむしり取って姿を消す様は、どう見ても取り立て屋だ。もしくは人に見つからないように夜陰に紛れて持って行くのだろうか。
「由利さん。また変なこと考えてるでしょ」
「失礼な。あの顕示欲が強そうな奴らが、人間に筋肉を見せびらかさずに行動できるのか考えてたんだよ」
「エルフを何だと思ってるんですか。優秀なハンターですよ、彼らは。本気を出せば人間に感知なんてされません」
そう東雲は呆れたように言うが、ここに来てエルフに抱いていたイメージを散々壊されたのだ。今はもう耳が尖った北欧の軍人にしか見えない。
「理想は理想のままだから美しいとか言うだろ。俺のエルフ感はもういいんだよ。東雲はこっちに来て壊された理想とか無いのか」
「理想ですか。理想ねぇ……」
気恥ずかしさからとっさに出た質問に、東雲は腕を組んで星空を見上げる。
「そんなの、長らく持ってませんでしたね」
何の感情もない声だった。道路に雑草が生えていたと教える方が、まだ人間らしい反応が返ってくるだろう。
「少しだけ話したことがありましたよね? 私の実家が変わってるって」
「兄弟間で争わせて跡継ぎを決めるって話か。その、退院して動けるようになってから、一度だけ墓参りに行ったんだけどさ」
「え……行った?」
新緑色の瞳に動揺が浮かんだ。
「実家には行ってない。香典は断られたって聞いてたから、こっそり人事記録の住所を見たんだよ。周辺の墓地を調査会社に依頼して探してもらって、八月の終わりに勝手に行ってきた。先祖の名前に混じって、お前の名前が刻まれてるのも確認したぞ」
「どんな行動力してるんですか、由利さんは……」
東雲は両手で頭を抱えて蹲ってしまった。顔を隠されると感情が読めない。迷惑だったのか違うのか、それだけは知りたかったのに残念だ。
「花と線香ぐらいあげさせろよ」
「由利さんから初めてもらった花が仏花とは、なかなか痺れますねぇ」
「それが店員に間違って伝わったせいで、ひまわりの花束になってた。おかしいと思ったんだよな。リボンの色とか聞かれるからさー」
「どんなボケですかそれ。まぁ、墓に供える花に厳格な決まりはありませんから、別にいいですけど……ひまわり、か。他意はないんだろうなぁ……」
やはり墓には不向きだったかと由利は後悔した。反応がおかしい。落ち着きなく視線を彷徨わせ、一人で浮き沈みしている。
「そう、言いたかったのは花のことじゃなくて。片付けて帰ろうとしたら、お前の妹に会ったんだよ」
「……へぇ」
元通りに座り直した東雲は、表情も完全に隠している。会社ではよく見ていた顔は、今なら仮面を被っていたのだと唐突に理解した。
「可愛かったでしょ? 私とは違って愛想が良くて。誰にでも話を合わせられるんですよ」
「見た目はな。取引相手にするのは絶対に嫌だ。あのタイプの人間は、掌で人を転がすことに慣れてる」
自らは手を下さず、他人を誘導して望む結果を手に入れる。良く言えば策略家、悪く言えば陰湿だ。時間をかけて選択肢を潰していく性格は、由利が嫌いな相手でもあった。
「身内がああいうタイプだと、苦労しただろうな」
東雲は答えなかった。薄く口を開いて言いかけて、止まる。
しばらく虫の音を楽しんでいると、近くを小さな光が飛んでいった。よく見ると小さな羽虫が発光している。一つ二つふわりと飛んで、手すりに咲いた花へと消えていった。
「東雲という家は、詐欺師の末裔なんです」
「うん」
「日照りが続いた時に現れて、呪いで雨を降らせたとか。それが権力者の目に留まって召抱えられたのが始まりでした」
「呪いが必要だった時代もあったんだよ」
「それだけなら良かったんでしょうけどね。いつの間にか権力に固執して、現代で落ちぶれるまで、どれだけの人が蹴落とされたことか。家を存続させるために切り捨ててきたものが多すぎるんです。私が魔王の循環を壊したいのは、多分、八つ当たりだろうなぁ」
ふと溢れた本音だった。ぼんやりと星を見上げた東雲は疲れているようだった。
「東雲。調子はどうなんだ」
「体ですか? 良くもなく、悪くもなくって感じですかね」
「そっちじゃない。俺が聞いてるのは、お前のことだ。魂と肉体が紐付けされてるなら、お前の今の状態は何だ? 何度も魂との関係を聞いてたら、さすがに俺でも気付くぞ」
前回の別れ際に言ったことが由利を安心させるための嘘なら、東雲は無理に活動していることになる。行動で嘘はつかないと東雲は言った。しかし言葉を偽らないとは一言も言っていない。
「流石にヒントを与えすぎましたかね」
全く悪びれた様子もなく東雲は白状する。
「誤魔化しながら生きてる状態ですよ、今は。由利さんが帰るまでは保つんじゃないかなぁ」
「東雲」
「一回目みたいに訳も分からず死ぬよりはマシですよね。魔法は好きなだけ使ったし、貴族の生活なんて貴重な体験もしましたから――って、何で由利さんが泣くんですか!?」
ぼやけた視界の先から声がする。遠慮がちに頬に触れた手が涙を拭うが、一度溢れた心が止まることはなかった。
「うるせえな! 知るかよバカ!」
差し出された手を振り払い、由利は走って家まで帰った。残された東雲のことなど考える余裕もない。静かにベッドまで戻ると、枕に顔を埋めるようにしてしばらく動かなかった。
ひまわりの花言葉:あなただけを見ている




