011 異文化伝授
エルフの里では昼になると自宅で過ごすと聞いたので、階段を上がって上の層を目指す。
ふと手すりを見ると水色の小さな花が咲いている。尖った五枚の花弁が特徴的で、親指の爪ほどの大きさだ。
「階段とか吊り橋には、大樹に絡んでいる蔓をそのまま利用しているからね。あと十日もすれば満開になるよ」
花が咲く吊り橋とは、さぞ見栄えがするだろう。
家には既にモニカが帰ってきていた。知らない女エルフと共に昼食の準備をしている。
「母さん。帰ってたんだ」
アマニエルが女エルフに話しかけた。
「ただいま。久しぶりね。そちらのお客さんのことも聞いているわよ」
少し低めのハスキーボイスだった。母さんと呼ばれていたが、見た目では母親に見えないほど若々しい。顔立ちはアマニエルとよく似ている。彼女も例に漏れず、見事な肉体を作り上げていた。露出が多い服装を見ても、そこに色気など軟弱なものはない。もう良い加減に見慣れていた由利は、特に感慨もなく挨拶をした。
教育のために里を巡回しているエルフとは、彼女――シラリースのことだった。子供達と一緒に教育を受けたモニカは、彼女と一緒に帰ってきたそうだ。
「母は精霊術の教師として、一人で里を巡回していたんだけどね。どういう訳か帰ってくる度に体格が良くなってきてね。気がつけばほとんどの大人が母さんの真似をするようになったんだ」
「つまりこの里の筋肉教は、彼女が広めたと……?」
事実ならば由利の敵だ。理想郷はたった一人のエルフに壊され、屈強な体を誇る戦士たちに支配されている。
由利がシラリースを見上げると、緑色の瞳と目が合った。
「そんなに見つめて、どうしたの?」
「……いい筋肉だなと思って」
由利は逃げた。弓を習ったばかりの初心者に敵う相手ではない。残念ながら夢は夢のまま死んだのだ。
「貴女も一緒に最強を目指してみない? 筋肉は裏切らないわ」
「謹んでご辞退申し上げます」
澄んだ瞳で勧誘されたが、由利は即座に拒否した。全く興味がないわけではないが、過剰なトレーニングはしたくない。シュクリエルといいシラリースといい、何かを超越した者の遠くを見つめる瞳が苦手だ。
「シュクリエル氏は裏ですか?」
東雲が尋ねると、なぜかモニカが目を逸らした。
「シラリースさんが片腕で倒した後に、裏へ連れて行かれたので……私には分かりません」
「出会い頭にラリアットか……」
「二百年も行方不明だった人なら、裏に沈めておいたわ。もう少しだけ反省しててもらう予定なの」
由利達はそれ以上シュクリエルの話題に触れず、大人しく食卓についた。
昼食の間は、うっかりこぼしたプロレスの技名に、興味を持ったシラリースが食いついてきた。流れで新日本プロレスについて解説することになったが、東雲を除いて反応は非常に良かった。特にシラリースはタイガーマスクの逸話が気に入ったらしい。
「リング上で戦う興行ね。試合はよくやるけれど、観客を集めて里を巡回するなんて斬新だわ。新しい娯楽として流行ること間違いないわ。昼から早速、計画を練らないと! 並行して読本の執筆を依頼して、興行前に知識の共有をして、それから――」
エルフの文化に新たな娯楽が誕生した瞬間だった。次々と出てくる興行計画に、由利は彼女の行動力に慄く。
「……向こうの文化を広めて良かったんですか?」
「娯楽なら大丈夫かと思って……大丈夫だよな?」
「やらかした後で私に聞かれても。ただ、あの反応は演劇の一種だと思ってるんじゃないかなぁ。プロレスよりは実写化アニメに近い出来になりそうですよ」
「それはそれで怖いな」
結局、由利と東雲は訂正せずエルフの感性に任せることにした。彼らの間で盛大にアレンジをして別のものに成り果てたなら、それはエルフの文化と呼んでも良いのではないか。異文化となった暁には、少しは由利の罪悪感が薄れるだろう。
昼食を終えるや否や、シラリースは家を飛び出して行ってしまった。情熱が薄れてしまわないうちに、計画の細部を練り上げるのだろう。勝手に協力者候補を見繕っていたが、賛同されるのか心配だ。
「騒がしい家族でごめんね」
アマニエルはそう謝るが、彼女の行動は気にならなかった。
「似たような人達に囲まれて仕事してたから、慣れてるよ」
会社の営業部も、賑やかな性格の社員が多かったように思う。外回りで社屋に滞在する時間が短いのに、一番騒がしいと社長に評価されたほどだ。
片付けが終わるとアマニエルは再び出勤し、由利達人間が残された。由利は早速、弓の射場で聞いたことを二人に話す。
「エッカーレルク・フィレリオーノと言えば、もとはハイデリオンに仕えた魔法使いです。国が滅びた後はザイン教を主に、残った民をまとめ上げて法王になったと伝わっております」
「魔法の歴史を紐解いてみると、もともと優秀な人物だったようですね。イドが現れた辺りで功績は更に増えて、魔法で生活水準を向上させたと。よくイドとは比較の対象にされているようですよ」
「人に損害を与えたイドと、恩恵を与えたエッカーレルク?」
「そうです。賢者エッカーレルク」
イドを保護という名目で囲ったのがエッカーレルクと仮定すると、彼女が召喚されてから功績が増えた説明はつく。イドの発想によって国は繁栄するが、周辺国との戦争は絶えない。ハイデリオンには勝ち残るための策があっただろうが、現状を嘆いたイドによって、全てを等しく破壊しようとする魔王が生み出されてしまう。
「廃坑に残っていた残滓は教会関係者特有のものだったよな?」
「はい。聖職者か、過去に教会で魔法の教育を受けた方と思われます」
ただの魔法使いから法王という立場に上り詰めたエッカーレルクなら、魔王の循環を維持させる仕組みを作ることが出来るだろう。ただ、どうして続けさせるのかという疑問が残る。
――肉体が死んだら、魂はどこへ行くのか。生まれ変わるなら、これまでの生で蓄えた知識はどこへ行くのか。
「エッカーレルクは知識欲に動かされて、わざわざエルフの里へ来たんですよね? 自力で精霊の道でも開いたのかなぁ」
由利は老女が語り始めたことをよく思い出す。
「確か、精霊嵐が過ぎた後に来たって言ってたはず。運悪く巻き込まれて、エルフの里近くに飛ばされたかもな」
「今も里の近くで道が開いているようですね。外へ出ないよう言われました」
「そうなの? 工房では何も言われなかったよ。由利さん、知ってました?」
「弓の射場で聞いた。連絡は回ってきてるはずだぞ。話に集中してて聞こえなかっただけだろ」
「そうかもしれませんね。教えてもらった技術が面白くて、由利さんが来るまで休憩した記憶がありません」
「お前ね、病み上がりってこと忘れてないか?」
やはり近くで見張っていた方が良かったかと由利は後悔した。この仕事人間はタイムキーパーがいないと、休憩すら満足に取れないようだ。




