004 東雲、考える
目を閉じると視界の端にステータスバーが表示された。その左端に下向きの矢印が点滅している。選択して表示させると、インストール中という簡素な文字と十パーセントという数字が現れるのみだ。説明文もキャンセルの表示もない。
――これ、何だろう。
東雲はベッドに寝転がりながらぼんやりと天井を見上げた。陽はすっかり落ち、薄いカーテンから月明かりが差し込んでいる。下の食堂で騒いでいた酔っ払いも部屋に引き上げ、周囲は夜の静けさを取り戻していた。
隣のベッドには由利が眠っている。ソロキャンプが趣味と言うだけあって、ごわごわした藁のベッドでも問題なく眠れるようだ。もっと高い宿ならマットレスに羽毛や綿を使っているらしいが、ロルカでそうした宿に泊まるのは貴族か豪商しかいない。どう贔屓目に見ても平民にしか見えない二人が、門前払いされるのは容易に想像できた。
インストール画面を消し、メニューを呼び出した。カスタマイズ機能があることに気付き、いくつか変更していると、本当にゲームをしているようだ。VR技術がもう少し進歩すれば、似たようなことができるのだろうか。
――まあ、私にはもう関係ないけどね。
由利には気がついたら異世界へ来ていたと言ったが、本当は最後の瞬間を覚えている。交差点で右折のタイミングを待っていた二人の車へ、暴走車が突っ込んできたのだ。
由利に教えなかったのは、その事故で自分達が死んだかもしれないと思ってほしくなかっただけだ。もし死を認識してしまったら、その時点で由利の存在が消えてしまうかもしれない。そんな笑ってしまうような妄想がいくつも浮かんで、東雲の心に暗い影を落としていた。
由利には感謝している。もし飛ばされたのが自分一人だけだったら、冷静に行動できていたのか怪しい。知り合いが側にいるというだけで、何とか人として踏み外さずにいられるようだ。知っていることを全て言わないのは駄目だと分かっているが、せめて東雲が現実を受け止められるようになるまでは、由利に側にいてほしいと思っていた。
お互いに性別が入れ替わっていることはショックだったが、由利の落ち込み方を見ていると自分のことはどうでもよくなってきた。むしろ異世界で生き延びることができる技能があったことに感謝している。これが逆だったら、自分は由利に頼りっぱなしで何もできなかった。あの面倒見がいい先輩は東雲に無理強いせず、東雲が立ち直るまで、あれこれ世話を焼いてくれるだろう。
――それじゃダメなんだよね。由利さんは優しいから、絶対に自分のことは後回しにするもん。
東雲は地図を表示して、明日からの目的地である海都リズベルに印をつけた。すると大凡の情報が地図の端に表示される。ざっと他の町も見てみると、詳しく表示される場所と大雑把な情報しか出てこない場所、全く表示されない場所に分かれるようだ。
万能ではないのは、この情報が誰かの記憶を元に編集しているようにも思えた。
――でも一人分の知識にしては多いような?
この世界の主な移動手段は徒歩だ。そのため遠くの情報が伝わりにくく、人の往来が少ない村では半年遅れで入ってくることも珍しくない。インターネットのように遠方と交信する魔法もあるが、そうした戦争に利用できる魔法は国が厳重に保護しているようだ。
この世界では特権階級を除いて、人間一人が得られる情報量は少ないはずだ。その範囲も現代日本人からすれば驚くほど狭いに違いない。
東雲はもう一度情報が少ない場所を眺めた。そこは人間が統治する場所ではなく、エルフや魔族などの異種族が住むという場所だ。
――もしかしたら、人間の知識を集めた結果なのかも。最初はアカシックレコードかと思ったけど、むしろウィキに近いなぁ。文字化けとかネットの表記にそっくり。
魔法の項目も人間が扱えるものが多く並んでいる。異種族が使うという魔法は、概要のみで具体的な扱い方は書かれていない。
東雲は魔法の一覧の中から、由利が使えそうな簡単なものに印をつけていった。いつも東雲が守りきれるとは限らない。せめて身を守る魔法だけでも習得してほしい。
そういえば偽名も考えなければいけない。外見に合わせた可愛い名前を言えば、どんな顔でそれを受け入れるのかと思うと、笑いがこみ上げてくる。どうやら自分で思っていた以上に由利のことを気に入っているようだ。日本にいた時は話しやすい先輩の一人でしかなかったのに。
いくつか適当な名前を思い浮かべているうちに、穏やかに眠気が襲ってきた。東雲は最後にインストールが全く進んでいないことを確認してから、全てのメニューを閉じた。