006 教会の智者
「詳細は分かりました。しかし、聖女と共に行動したいというのは?」
アウレリオは表情を崩さず、向かいに座る東雲を凝視してくる。
この神父は表に出る感情が少ないだけで、内心では目まぐるしいほど思考が移り変わっていると東雲は読んでいた。鋭い目の奥から周囲への探究心と好奇心が溢れている。その速さに表情筋が追いつけず、動かすことを放棄しているだけだ。
モニカの取次でアウレリオと面会した東雲は、クリモンテ派と共に魔王を生み出す仕組みを壊すべく、彼らの信頼を得ようと動いていた。
「僕は教会で扱う魔法に詳しくない。魔王復活の仕組みには、少なからずザイン教が関与しています。僕には見つけられない教会魔法の痕跡も、聖職者の皆さんには分かることもあるでしょう」
交渉の筋書きを書いたのは由利だ。己を高く売ることも大切だが、与えるだけ、搾取されるだけの関係になってはいけない。付け入る隙を見せて有利だと錯覚させておきながら、自分にしか作れない餌を与えてゆく。
東雲側は教会の知識と、各地の新鮮な情報が欲しい。
教会側は強力な手駒と、事情を知る勇者への監視が必要。タルブ帝国では聖典派が主流で、貴族階級にある者は聖典派の教会で洗礼を受けている。勇者をクリモンテ派が迎え入れることは、少なからず聖典派の勢力を弱める効果があるだろう。現に帝国では政治と宗教の離反が望まれている。
己を強く見せて従わせるか、弱く見せて油断させるかは。相手の性格に左右される。アウレリオがどちら側を望んでいるか、東雲はまだ読み切れていなかった。
「それからクリモンテ派の皆さんとの情報交換も、全く知らない相手よりは信用できます。あなたも僕の言葉よりも聖女の方が信用できるでしょう? 彼女が皆さんに嘘をつく理由もないんだし」
「然り」
これにはアウレリオも同意した。板挟みになるモニカには酷だが、彼女以上にお互いの信頼が高い人物がいない。
隣に座るモニカは不安そうに見守っていたが、口を挟むことなくじっと耳を傾けていた。
「そして最後に」
東雲は一拍おいて続ける。
「そろそろ聖女の護衛が必要かと」
空気が変わった。
アウレリオの目がわずかに眇められ、意識の全てが東雲へと向く。ぞくりと背筋に悪寒が走る。
――違ったか。この人は並列思考が得意なんだ。
計算をしながら哲学について思考するような、まったく別の分野を平気でこなす。それでいて思考の速さは常人以上なのだから、世の中にはとんだ化物がいるものだ。
東雲も思考は速い方だが、彼のように長時間の同時進行はできない。アウレリオが別の分野に割り振っていた意識が向いたなら、言葉の選択は間違っていないはずだ。
「ふむ。報告では人形を倒せる腕前と聞いたが、剣以外の実力は?」
アウレリオの口調から装飾が消えた。交渉はここからが本番だったようだ。
「そうですねぇ……」
東雲は腕を組んで目を閉じる。相手が着飾ることを止めたなら、こちらは全力でストレートを叩き込むのもいいだろう。今まさに役立たずはいらないと言われているのだ。由利も実力を知りたいと言われたら、隠さず見せてこいと言っていた。
東雲はアウレリオの胸の辺りを指差す。
「貴方の右の胸ポケット、転移の宝珠が入ってますね。恐らく一言で展開できる高価なもの。それから天井に二人、扉の前に三人、正面の壁には一人だね。ああ、窓の外にもいる。武装も言いましょうか? 二人ほど面白い物を持ってるなぁ」
あくまで優雅に。まだ実力を隠していると言った態度で告げる。
これは圧迫面接だ。面接という嘘つき大会なら、就職活動で散々やってきた。ここで良い反応を引き出せなければ、わざわざ敵地に乗り込んできた意味がない。
「……いや、十分だ」
先に武器を収めたのはアウレリオだった。どうやら彼の試練には合格したらしい。隠れている者へは後で叱責があるかもしれないが、東雲の知ったことではない。
「君は我々とは相入れないと思っていたが?」
「勇者という肩書を与えて、生贄にしようとした件かな? 思うところはあるけど、魔王復活の循環を止めるなら、僕も協力するよ。断られても勝手に動くけどね。その時は、そちらの存在が障害になるなら、遠慮なく排除する」
味方ではない。敵対しないだけの同盟者。この辺りの距離が限界だろう。
――由利さんの読み通りか。
あの先輩は交渉という席なら、驚くほど先が見えている。自分のことを平凡だと嘆いているようだが、誰だって他者より秀でているところがあるのだ。
「自分を殺そうとしたものが、再び襲ってくるかもしれないと思うのは不自然かな? 聖剣の力はまだ失われていない。渦ができる限り、僕が魔王化する可能性は十分にあるってことだよ」
アウレリオは東雲の真意を見透かすように見つめていたが、急に興味をなくしたかのようにソファーに背中を預けた。
「なるほど、理由は分かった。こちらとしても君が協力してくれることは非常にありがたい。要望通りシスター・モニカと共に行動してもらおう。君もそれで構わないかね?」
「は、はい」
急に話を向けられたモニカは短く答えた。
「調査を始める前に、こちらから提供するものはあるかね?」
「そうですねぇ。では、魔王についての研究資料の閲覧許可を」
「許可しよう。引き換えと言ってはなんだが、君が持つ聖剣を我々に預けて頂きたい」
「それは構いませんが。手放しても僕に力は流れ込んできますよ。むしろ免罪符のせいで加速していると言ってもいい」
「免罪符か」
初めてアウレリオの口に皮肉げな笑みが浮かぶ。
「心配せずとも近いうちに裁きは下る。あのようなもので罪を消すなど、法への冒涜だ。主犯は逃げるだろうが、聖典派の力を削ぐ刃にはなるだろう」
冴え冴えとした瞳が獲物を狙う梟のようだ。
「内部抗争はそちらにお任せしますよ」
部外者だからと言外に込めて、東雲は聖剣を机に置いた。
見た目はただの短剣だ。装飾は何もなく、よく砥がれた両刃が光る。唯一、他の剣と違っているのは材質だろう。触れると人肌ほどに温かく、手によく馴染む。聖剣からはわずかに魔力が放出されていた。
「これが聖剣リジルか。ふむ、近くで見るのは初めてだが……刀身が短いのは、その使い方故か」
「そうでしょうね。長すぎず、短すぎず、己の心臓を貫くには最適です」
魔王の城でのことを思い出したのか、モニカの表情が沈む。
「材質はシデラチア銀。剣自体はただの中継か。となれば、魔王として自死を選ぶ思考は剣が原因ではない。やはり渦の魔力に紛れ込んだ意志が為せるものか」
シデラチア銀は魔力と馴染みがいい金属だ。魔法を使う聖職者の杖に使用されることが多い。剣に加工できないこともないが、強度に不安があるため強化の術をかけなければ武器として使えない。
アウレリオは短剣に手をかざし、低く呟く。
「帰還の術がかけられているな。目的を終えたら剣だけは帰ってくるようにしたのか。なるほど、つまらん企みだ」
「聖剣を解析しようとする者がいなかったのは、聖典派が魔王討伐の中核を担っていたからかな?」
「どうだろうな」
アウレリオは僧服の懐から白い布を出し、聖剣を注意深く包んだ。魔力を遮断する加工がされているのか、聖剣の気配が希薄になる。
「彼らは教義を厳格に守ろうとするあまり、疑うことを知らない。純粋すぎるのだよ。洗脳しやすいとも言うがね。兵士としては優秀だが、参謀としてはまるで役に立たん。ああ、そうか、その線があるな」
一人で納得したアウレリオは、一枚のメダルを差し出した。
「研究資料がある区域は、関係者以外が入れないよう結界を張っている。それは通行証だ。場所は知っているね?」
「はい。一度だけ訪問したことがあります」
モニカがそう答えると、よろしいとアウレリオは返す。
「何か発見すれば連絡します」
既にアウレリオの興味は聖剣へと移っている。交渉の時間は終わった。
メダルを受け取った東雲は、モニカと共に彼の前から立ち去った。
「早速、研究資料を閲覧なさいますか?」
「いや、その前に会ってほしい人がいるんだけど、いいかな?」
部屋を出たモニカが提案してくれたが、先に由利に会わせておこうと東雲は考えた。東雲のように戻れなくなる前に、対策を立てておきたい。
「わかりました。その方はどちらに?」
「……国境近くの町」
監視をしている者に聞こえないよう、東雲は声を潜める。
「転移で跳ぶ。霊園へ行こうか。あそこなら監視の目を欺ける」




