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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
1章 すれ違う記録

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005 聖女モニカ


 祈ることは聖女(モニカ)の生活の一部になっていた。


 幼い頃から霊を見ることが出来た彼女は、家族から気味が悪いと避けられ、遠く離れた教会の前に置き去りにされた。教会が運営する孤児院に引き取られ、能力を知られてからは巫女の下で見習いとして生活する毎日だった。


 もう血が繋がった家族の顔は思い出せない。モニカにとって家族とは孤児院で共に育った子供達や、能力を含めて受け入れてくれた巫女のことになっていた。


 モニカが生活をしていた教会では、魔石に頼らない生活だった。明かりを灯すために植物の種を絞って蝋燭にしたり、洗濯をするために井戸から水を汲み上げたり、全てが手作業だ。朝から晩まで役割を分担して働き、その合間に巫女としての鍛錬もする。世間との隔たりがある教会での忙しい毎日は、俗世への関心を薄れさせるには十分だった。


 恩師の巫女に認められて最年少で一人前になった頃、先代の勇者と聖女が討伐に失敗したという噂が流れてきた。

 魔王による被害者への追悼で動くことが多くなり、世の中全体が暗くなっていったことは肌で感じていた。聖女の選抜は自分とは違う世界の出来事で、末端の巫女には関係ないと心のどこかで思っていたのだ。


 聖女に選ばれたと告げられた時は、何の冗談だと疑った。関係ないと思っていたことが目の前にあって、更に魔王についての考察と対処方法を知らされる。本気で心配してくれる者もいたが、彼らが既に決定したことを告げる度、その本音に気付いてしまった。


 自分は巫女として高く評価されていたらしい。そして身寄りがいなかった。聖女として送り出すことに、躊躇う理由が無かったのだろう。

 魔王復活の循環を止めるとか犠牲者を減らすとか言いながら、本当は彼らも物騒な存在に近づきたくないのだ。


 モニカは祈りを止めて立ち上がった。どうも祈り始めると良くない方向へと考え込んでしまう。


 目の前には大きな慰霊碑が立っている。長い立方体の表面には殉教者を鎮める言葉が刻まれ、その周囲を花と蔦の装飾が彫られている。毎朝、当番の者が手入れをしているため、綺麗に磨かれて鏡のような光沢をしていた。

 ここザイン神聖法国の聖都トリエラにある霊園は、いつ来ても静かだ。物言わぬ石碑と木々を揺らす風、鳥のさえずりだけが聞こえてくる。ここに来れば少しは心を落ち着かせることが出来ると期待していたが、相変わらず不安と苛立ちの間で揺れていた。


 たった今、自身が供えた花を確かめてから立ち上がると、見計らっていたように遠慮がちな声がかけられた。振り返ると友人の修道女が近づいて来る。


「モニカ。アウレリオ神父が呼んでいるわよ」

「分かりました。すぐに参ります」


 アウレリオ神父はクリモンテ派の魔王研究の第一人者だったはずだ。モニカが使用した杖の術式にも関わっている。普段はザイン神聖法国にはおらず、外国にあるクリモンテ派の研究施設にこもっていると聞いていた。恐らくモニカが生還したという報せを受けて来たのだろう。


 シスターは案内するわと言って、共に歩き始めた。彼女の申し出は有り難かった。

 面会に使う部屋はクリモンテ派だけでも十を超える。相手によって部屋の調度品が変わるためだが、接客を担当しない巫女には細かい規則までは知らなかったのだ。


 ザイン神聖法国は聖都と、わずかな農地しかない小さな国だ。国家を名乗っているものの、宗教の総本山として周辺から独立しているだけだった。魔獣対策として僧兵を抱えているが、隣国を脅かすほどの戦力はない。

 小さな国の中に様々な宗派が入り乱れ、それぞれの派閥で街を形成している。四角く区切られた街の中央には、ザイン教を取りまとめる行政府がある。頂点に座す法王と有能な使徒がいる場所だが、聖女とはいえ末端の巫女であるモニカには縁がない。


 法国に生還した際に一度だけ法王に謁見したが、それはトリエラ内の聖堂で行われた。義務的な報告だけで終了した上に、彼女が緊張していたためによく覚えていない。

 残念とは思わなかった。自分には霊を視る以外の才能はないのだ。元通りの、忙しいけれど穏やかな日が戻ってくるなら、それでいい。


 クリモンテ派が管理する地区に戻ってきた時、修道女が人目を気にしながら囁いた。


「ねえ、勇者ってどんな人だったの?」

「そうですね……強い方でしたよ」

「そういう意味じゃなくて!」


 修道女は、はっと口元に手をあて、咳払いをしてから続ける。


「出回ってる話は本当なの? 髪は輝くような黄金色で、新緑色の瞳に整った面立ちをしているって詩人が歌ってるんだけど」

「はぁ、その……」


 あまり人の容姿を気にしたことはないが、言われてみれば魅力的な外見だったのではないだろうか。友人が隠れて読んでいる物語に、似たような容姿の若者が出てくるのだから、きっとそうなのだろう。


「ええ、その通りです」

「やっぱりそうなのね!」


 友人には悪いが、モニカは他人の容姿に頓着していない。見える霊の中には、死んだ時の状態そのままの姿をしている者もいる。美醜を気にしていては仕事にならないのだ。


「そんな方と二人っきりだったなんて羨ましいわ。何かいいお話はないの?」


 友人の無邪気な反応に頬が緩むが、心の中は彼への罪悪感しかなかった。

 思い出すのは光に飲まれる瞬間。あの時、何と言おうとしていたのだろうか。ずっと心に引っかかっている。魔王に飲まれそうになっている勇者を見た時から、ずっとだ。本当に彼を家族のところへ帰したかっただけだろうか。


 友人が急に静かになった。


 目的の建物の前には年配の巫女、ルドヴィカが立っている。服装は他の修道女と変わらないが、首から下げた象徴の装飾が異なっていた。

 彼女はモニカの上司であり恩師でもあった。巫女としての仕事はもちろん、聖職者としての心構えも全て彼女から教わった。穏やかだが芯が強い性格で、巫女だけでなく修道女たちにも慕われている。


 二人は両手で胸元を押さえ、軽く頭を下げて挨拶をする。


「シスター・モニカをお連れしました」

「ご苦労様でした。後は私が引き継ぎます」


 友人はまた後でねと囁いてから帰っていった。


「参りましょうか」

「はい」


 優しく促されてモニカは中へと入った。

 煉瓦造りの建物は、夏の日差しを遮って涼しい空気に満ちていた。

 一歩進むごとに緊張して呼吸が浅くなっていく。いつもそうだ。慣れない環境で親しくない者に会うのは苦手だ。


 アウレリオが待つ部屋の前で、ルドヴィカがモニカを振り返った。緊張しているモニカの肩にそっと手を置き、安心させるように笑いかける。


「大丈夫よ。私も一緒に入るから」


 その一言で少しだけ気持ちが楽になった。聖女と呼ばれるようになっても、心は少しも成長してくれない。恩師もそれを分かっていて、母親のように接してくれることが嬉しかった。


 部屋の中では神父が一人、ソファーに座って資料を読んでいた。小柄で痩身、薄茶の短髪が特徴的な中年だ。表情は乏しく、鋭利な刃物のような視線がモニカをひるませる。

 モニカ達が入ってくると、読んでいた資料を机に置いて立ち上がった。


「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」

「謝ることはない。急な呼び出しにも関わらず、よく来てくれた。さあ座って」


 向かいの席に座ると、アウレリオは早速話し始めた。


「討伐の大任、見事だった。まさか勇者も生きて帰ってくるとはね。さすが歴代最高の巫女と言われただけある」

「もったいないお言葉です」


 慣れない称賛に頬が熱くなった。近くに立っているルドヴィカは、己のことのように誇らしげに、微笑ましく聖女を見守っている。

 アウレリオはモニカの様子を気にした風もなく、それでと続けた。


「どのようにして勇者を生還させた?」


 とうとう聞かれた。今まで勇者と聖女が生還することは無かったのだ。誰もが知りたがっている情報を、所属しているクリモンテ派が質問しないなどあり得ない。

 モニカはあらかじめ東雲と打ち合わせていた通りに、厳選した情報だけを伝えた。


「私達が到着した時には、既に討伐に失敗した方々がおられました。私が送り出したのは彼らの魂で、デュラン卿ではございません。デュラン卿にも魔王の源は流れ込んでおりましたが、先代の勇者へと力を移しましたので、彼が魔王へと変化することはありません」


「……やはり次の周期までに、渦の発生を何とかしなくてはならんか。勇者、フェリクス・ド・デュランと言ったか。彼は我々の計画を知ったのだろう? 周囲に言いふらすことはないようだが、どう考えていると見る?」

「あの方は、私たちと共に魔王の復活を阻止したいとお考えです」

「ほう。知ってなお協力すると?」


 この部屋に入ってから、初めてアウレリオが関心を示した。


「その……仰られたことを、ありのまま述べさせていただくと……魔王システムを作り上げた馬鹿を殴らないと気が済まない、と」


 ザイン教の修道女や巫女は、相手を罵倒する言葉は使わないよう教育されている。モニカの口から馬鹿という単語が出てきたことで、アウレリオとルドヴィカは沈黙してしまった。

 モニカは慌てて、申し訳ありませんと謝罪をする。


「もし聞かれたときは、一字一句、修正せずに言ってくれと仰っておられたので……」

「いや、うむ、そうか」


 やはり己の言葉に変えた方が良かっただろうか。しかし言葉を変えてしまっては、伝えたいことが曲解されてしまうかもしれない。モニカは何も言えずに俯いた。


「協力してしてもらえるなら良いが、彼ほどの人物が自由に動き回れるとは思えんな」


 アウレリオにモニカを咎める様子はなく、何事もなかったかのように言った。


「あ……帝国の上層部を説得してから、近いうちにこちらを訪問すると仰っておられましたので、何らかの形で接触があると思われます」

「では後日、面会の時間を設けるとしよう。しばらく滞在する予定にしているから、何かあれば連絡するといい」

「かしこまりました」


 取次方法について教えてもらった後、モニカはルドヴィカと共に部屋を出た。

 巫女見習いの教育中だというルドヴィカとは、廊下の途中まで同行した。彼女はモニカが生還したことを、特に喜んでいた。


「本当に、無事で良かった。貴女のことですから、己を犠牲にするのではないかと心配していましたが、どうやら杞憂だったようですね」


 ルドヴィカを含め、彼女達は本気で心配してくれている。しかし周囲へ向ける慈愛は己の近くにしかない。勇者という一人の人間の命で大勢が救われるならと、見ず知らずの者を犠牲にするところは、賢者と変わらないのではないだろうか。

 己の行動が正しいと思っている者の考えを改めるのは難しい。これまで犠牲になってきた勇者も、一人の人間として歩んできた人生があるのに、世界を安定させる記号になっている。


 ――こんな時、あなたならどうするでしょうか。


 モニカはそっとため息をついた。


 アウレリオと面会してから数日間は、聖女となる前の日常が戻ってきた。伺うように距離を置いていた修道女達も、モニカが出立前と変わっていないことに気付いてからは気安く接してくれるようになった。友人が根回ししてくれたのだろう。


 モニカは毎日のように霊園へと来ていた。この狭い国では、一人になれるのは瞑想の間か、霊園ぐらいしかない。


 慰霊碑の後方には殉教者の名前が刻まれた石碑がある。宗派ごとに分けられているが、聖女だけは宗派に関係なく独立した碑に分けられていた。


 彼女達の名前を目で追いながら、いくつもの疑問が浮かぶ。

 今までのやり方でも聖女の負担は少なく、勇者のように命を落とすことはないはず。それなのに彼女達の『その後』の記録が残されていないのは何故だろうか。慈愛を教えられているはずの巫女が、何を思って勇者を葬ったのか。


 思考の輪に囚われそうになった時、ざわりと風が強く吹きつけた。魔力を含んだ風が渦巻いている。モニカを傷つけないように躊躇いがちに頬を撫で、光る粒子となって消えてゆく。持ち主の性格を表した臆病な風が収まると、その中心に輝く髪の持ち主が現れた。


 新緑を模写したような瞳がモニカを捉える。


「久しぶり」

「あ……えっと……」

「ユーグでいいよ。元の名前は発音しにくいでしょ?」

「……はい」


 東雲に優しくされると、モニカは申し訳ない気持ちになる。彼女が異世界へ来てフェリクスの体に閉じ込められたのは、モニカが使った反魂の魔法のせいなのだ。知らなかったとはいえ、禁呪を使ったことと併せて許されることではない。

 非難するどころか冷静に受け止めて、モニカを助けようとしてくれている。どうしてと浮かぶ疑問は、答えを知るのが怖くて声にならない。


「あの、ユーグさん」

「ん?」

「トリエラを訪れる方には案内がつくのですが、お一人で転移して来られたのですか?」

「うん。やっぱりダメだったか」


 東雲は決まりが悪そうに目を逸らす。


「国から発行された身分証が偽名なんだよね。勇者の見た目って、どれくらい広まってる?」

「確か、髪と瞳の色は吟遊詩人が歌っております。お顔はあまり詳細ではないようですが……」

「ん、分かった。それじゃあ髪の色は変えようかな。もうすぐ巡礼者の一団が到着するみたいだから、その人達に紛れて入り直すよ」

「分かりました。巡礼の方々はまず中央の大聖堂へと向かわれます。その大聖堂の東側が、クリモンテ派が管理をしている地区です」

「大聖堂は向こうに見えてるアレだね。じゃあ正規の方法で入ってくるよ。また後で」

「はい。大聖堂の近くでお待ちしております」


 爽やかな笑顔をモニカの心に残し、東雲の姿が掻き消えた。


「……よし!」


 頬を叩いて気持ちを切り替えたモニカは、大聖堂がある方角へと歩き出した。

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