004 墓場まで持っていく話
音声入力を開始します。
入力に失敗しました。
デバイスが見つかりません。
音声入力を終了します。
「第七領域の使用可能なデバイスを表示」
文字入力に必要なデバイスを検索しています。
必要なデバイスを発見しました。
「覚醒した意識への問いを入力」
文字入力を開始します。
「分離による記憶の混濁はあるか」
――肯定。
「修復不可能であるか」
――否定。
「修復に必要な時間は」
文字入力に失敗しました。
デバイスの損傷を確認しました。
修復しますか?
「本体の修復を優先。第六領域のリソースを第七領域に使用」
コマンドを実行中です。
第七領域の拡張に成功しました。
……自己診断中です。
拡張領域のエラーは見つかりませんでした。
修復作業を再開しますか?
*
奇妙な夢を見ていた。
遅刻をしそうになって、慌てて家を飛び出した。急いで電車に乗って会社へ行くが、体がふわふわと浮いて前に進めない。もがいているうちに視界が切り替わり、自分の席に座っていた。
何の疑問も抱かずに仕事を始めた由利は、ふと足りないものに気付いた。
思い出せない。隣の席が空いている。誰かがそこにいた気がするのに。
ふらふらと営業車に乗り込んでエンジンをかけると、思い出せない焦りが強くなる。
ラジオをつけると歌が流れていた。聴き慣れない言葉だが、大人しい旋律が心に染み込んでくる。サビに差し掛かったところで一緒に口ずさみ、微かに思い出した姿をよく見ようとして、意識が覚醒した。
板張りの天井が見える。ごわついたベッドから乾いた藁の匂いがした。薄い布がかけられた窓からは爽やかな風が入り込み、鳥のさえずりが聞こえてくる。
ベッドから体を起こすと、ラジオ体操の歌を歌いながら剣を振り回す東雲と目が合った。異世界の風習だろうか。能天気な歌声のくせに、ずっと聴きたくなるような引力がある。
「部屋の中で物騒なもん振り回すなよ」
「部屋の外で振り回したら捕まるじゃないですか」
何を当たり前なことを言っているのかと言わんばかりの態度だ。
寝起きで頭が回らない由利は、特に言い返すこともなく衝立の裏に回って着替えた。簡単に着られるものを選んでいてくれたお陰で、寝ぼけていても順番は間違えずに済む。裾が長いシャツの上から臙脂色のスカートをはき、袖がない上着を羽織る。長い布の使い方が分からず、由利は衝立の影から出た。
「東雲。分からん」
「はいはい」
柔らかく微笑んだ東雲が布を受け取り、由利の腰に巻いた。端を後ろで蝶結びにして、椅子に由利を座らせる。昨日と同じように櫛で絡んだ髪を解き、精油で整えてゆく。
「希望の髪型はありますか?」
「邪魔にならないようにしてくれたら、それでいい」
いっそ切ってくれたら助かるが、それは聖女に会うまでの我慢だ。髪は所々リボンと共に編み込まれ、長いロープのような形になった。三つ編みかと聞けば、フィッシュボーンですと返されたが、由利にはどちらでも良かった。
ただ仕事をやり切って褒めてくれという顔をしている後輩に、礼を言うと残念そうにされた。違うのかと頭を撫でれば、嬉しそうにしつつも、やはり違うらしい。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
「……これ以上望むのは贅沢なので止めておきます」
「そうか。じゃあこれからの方針なんだけど」
「この容赦ない切り替え、懐かしいなぁ」
死んだサバのような目で東雲が向かい側に腰を下ろす。
「とりあえずは由利さんには身分を証明する物がないので、町の出入り口とか国境は隠れて越えてもらいます。目的地はモニカがいるザイン神聖法国なんですけど、国境を越えたら転移が使えそうな気がするんです」
転移が使えるなら旅は楽になりそうだ。
問題があるとすれば――東雲は思考しながら続ける。
「モニカは由利さんのことを女性だと思っています」
「……ん?」
理解が追い付かずに聞き返すと、全く同じことを繰り返された。
「彼女はずっと教会で暮らしていたせいで、世間に疎いところがあります。ましてや私達は異世界からの来訪者。多少言葉遣いが荒くても、そういうものだと思っているようで」
「い、いや。おかしいだろ。だって帰る直前には俺の姿を見てるはずだし」
「あの時の由利さん、ただの光る玉でしたよ」
由利達は押し黙った。聖女が由利のことを女性だと誤解しているなら、きっとそのまま訂正しない方が良いのだろう。己の体が年上の男に使われていたなど、年頃の女性には辛い真実だ。
「東雲。このことは……」
「ええ、墓場まで持っていきましょう」
お互い頷き合うと、ふと東雲が思いついたように口を綻ばせる。
「再会するまで時間はたっぷりありますし、バレないように最低限の礼儀作法は身につけてもらいましょうか」
「いや、そこは異世界人だからってことで押し通すところだろ」
由利はため息をついて、机に伏せた。




