002 魂の器
結論から述べると、由利は東雲に勝てなかった。
ロクに身を守る手段を持っていないのに、目立つ行為はできないというのが結論だ。大多数に合わせて地味にしておけば、面倒なことに巻き込まれる確率が減る。抵抗できずに誘拐されたことがある由利には、東雲を説得できる材料など最初から持っていなかったのだ。
「女性として振る舞うことに抵抗があるなら、役を演じていると思えばいいんです」
適当な枝を指揮者のように振りながら、東雲が提案した。
「由利という人格は一歩引いたところにいて、リリィという人形を操っている気持ちで」
「それなら……何とか……」
なるかもしれない。
望んでいない体の変化に心を合わせることは、今までの人生を否定することと同じに思えた。完璧な人生ではない。欠点だらけで後悔してばかりだが、消すことをためらう程度には愛着があった。
だが演技なら己を否定しなくてもいい。ここにいるのは由利ではなく、ただの操作キャラクターだ。
「どうせ日本へ帰るんだし、あまり染まりたくないって気持ちも分かるんですけどね。向こうでうっかり女子トイレに入っちゃったり……してませんよね?」
「するわけないだろ」
由利は枝を奪い取って東雲の額を軽く叩いた。神妙な顔で恐ろしいことを言わないでほしい。日本へ帰ったら、よく確認してから行動しようと心に誓った。
帝国の国境へ続くという街道を歩きながら、由利達は再会するまでのことを話し合っていた。由利側はほとんど入院していたため、話せることは少なかったが。
「魔王システムの破壊ね。その後ろ盾を得るために帝国にいたと。どうしても必要だったのか?」
「身元不明の者が衛兵に斬り殺されても文句は言えない世界ですから。フェリクスがもらっていたのは、帝国から魔王の城までの道のりを保証する限定的なもの。今回は学者として各地を回るから多目にみてね。苦情は帝国までどうぞ、という類のものです。下手に手を出したら乗り込むぞという脅しも多少は入ってますけど」
「物騒だな」
「停戦中の国へ入らなければ、そうそう面倒なことなんて起きませんよ。宗教史の専門家なんて薬にも毒にもならない存在ですから。犯罪に手を染めているなら当然罰せられますけど。帝国を選んだのは勇者の出身国で権力者と話がしやすそうだったからです」
「そのためにフェリクスとして振る舞ったと?」
「……彼に頼まれたことのついで、かな。代理ですけど、見た目がコレなんで一々説明していたら、混乱させそうだったんで黙ってました」
勇者が現れてから聖女に消されるまで、時間はわずかしかなかったはずだ。敵対すらしていた関係だったのに、短い時間で依頼するほど関係が修復できるのだろうか。
「いつそんな約束してたんだよ」
東雲は気まずそうに目を逸らす。
「まあ、いいじゃないですか。ヘタレ勇者のことは」
「いや、良くない。前回はお前を信用して聞かなかったけど、今度は全部話してもらうぞ」
「どうしようかなぁ。前回と同じパターンで由利さんが召喚されたんなら、体の出自が詳しく分かるまでは深い話はしたくないし」
由利の存在が盗聴器のようなものだと警戒しているらしい。
「お前の便利機能で分からないのか?」
「もちろん見てみたんですけど、意味が分からないんですよねぇ」
立ち止まった東雲は由利の頬を両手で優しく挟み、器とだけ言った。
「うん、器とだけ書いてある。出身はハイデリオン? どこだろう? ああ、古代の」
一人で納得している様子だが、そろそろ説明が欲しい。由利は東雲の手を強引に引き剥がした。
「名前のところに数字、役職に器とだけ書いてあります。出身は古代に栄えたハイデリオンという国になってるんですけど、どういうことなんでしょうか」
「これがゲームなら封印されてた古代人って設定なんだろうけどな。実は密かに国が続いていたとか」
「末裔ってことですか? あり得ない――こともないのかな?」
再び歩き出した東雲は知らない単語を並べて深く考え込んでいた。
由利はそんな彼女の袖を掴んで進む速さを落とさせると、サイズが合わないサンダルを引きずるように歩いた。
棺桶のような箱から出された時、白いワンピース以外は何も身につけていなかった。仕方なく足に端切れを巻き、東雲が持っていたサンダルを無理矢理履いている。歩きにくいが、裸足で歩くよりはいい。
他にも茶色い地味な外套と翻訳機能があるというネックレスを渡された。ネックレスは国宝だから大切にして下さいと念を押されたが、そんな貴重なものをどこから持ってきたのだろうか。由利は助かるが、後輩の行動に犯罪の匂いしかしないのは何故だろう。
由利を呼ぶ時に一気に魔力を奪われたせいで、東雲の魔力はほとんど回復していないという。短距離の移動なら問題ないそうだが、近くの宿場町まではまるで足りない。そのため慣れないサンダルに苦労しながら歩くしかなかった。
気を使って東雲は背負いましょうかと言ってくれたが、断って自分で歩くことにした。
二人が歩いている街道は人が多く行き交う場所だ。元鉱山町からこの街道へ合流する時も、怪しまれないように人が途切れた隙をみて侵入したほどだった。人を背負って歩いている者がいたら、人々の記憶に残ってしまう。本音は一歩も歩きたくないが仕方ない。
休憩を挟みながら歩き続け、昼過ぎには宿場町に到着した。街道の両端に宿や商店が立ち並び、その外側を魔獣対策の防壁が囲んでいる。細長い形をしているが、これが帝国の街道でよく見られる形なのだという。
由利は身分を証明するものを持っていない。二人は考えた末に姿が見えなくなるという札を由利の額に貼り、人にぶつからないように侵入するという手段を選んだ。帝都のような都市部はともかく、宿場町では警備が緩い傾向にある。魔法によるチェックがないことは、前日に入ったことがある東雲が知っていた。
先に入って建物の影に隠れると、点検を終えた東雲が合流してきた。札を剥がして見えるようにすると、表に回って何食わぬ顔で宿場町を歩く。
「まだ宿は空いてませんから、先に由利さんの靴を探しませんか?」
「助かるよ」
宿場町の商店は靴や服、食料品といった旅に必要なものが揃っている。二人は服を扱う店を見つけると、由利が履けそうな小さなものを探した。
「あらあら、お嬢さん。靴が欲しいの?」
奥から恰幅がいい女店主が出てきた。ほうれい線が目立つ中年女性で、少し化粧が濃い。顔の彫りはあまり深くなく、近所に一人は居そうな雰囲気だ。
店主は笑顔の影で由利を値踏みして、客かどうか判断しようとしている。他人から評価されるのは営業で慣れている。特に不愉快とは思わなかった。
「途中で靴が壊れてしまったの。歩きやすそうなものを探しているんだけど……」
東雲に背中を押されて、由利は恐る恐る口を開いた。
――これは演技だから。何も恥ずかしくない。東雲だって笑ってないだろ。
ローブで隠した足元を見せると、店主は途端に大変だったわねぇと同情的になり、靴が置いてある棚へと案内した。感情的な人なのかもしれない。
店主に勧められるままにいくつか履き比べ、最終的に編み上げのショートブーツを選んだ。貴族が仕立てて使い古した中古品だったが、傷みが少なく履き癖もついていない。
店主はさり気なく値札を見せてくれたが、相場が分からない。東雲を振り返ると、勝手に商品を広げて服を選んでいる最中だった。
「しの――ユーグ、何してるの」
「何って、君に似合いそうな服があったから、ついでに買おうと思って」
当たり前のことを聞かないでと言外に含ませて、東雲が言った。由利よりも格段に自然体だ。店に入った時から、東雲という人格が消えている。
「彼女の服も必要なのかしらぁ?」
好奇心もあらわに店主がにじり寄ってくる。狭い宿場町でゴシップに飢えているのか。
「好きな子を自分好みに飾るっていいよね」
「まあ」
薄ら微笑む東雲に、店主の頬が赤く染まる。あの輝く瞳は、興味がある話題に食い付く人間特有のものだ。
「二人はどんな関係なのかしら?」
「詳しくは言えないけど、ちょっとした火遊びの最中かな。僕達が来たことは内緒ね?」
「うふふ、任せておいて。これ、おまけよ」
店主はリボンを数本渡してきた。糸を編んで作ったものや、染色したものなど様々だ。これで長い髪を結ぶために使えそうだった。
彼女の心を完全に掌握した東雲は、代金を支払って商品を丁寧に袋に入れた。完全に蚊帳の外だった由利は、流されるままにエスコートされて店を出る。
「……シノノメさん」
「私も演技した方が役に入り込めるでしょう?」
「そうだけど。確かに助かったけどさ。あの店主、絶対に他の奴に喋るぞ?」
「構いませんよ。金持ちの火遊びなんて珍しくないですし。この街道は帝国で最も安全なもんで、よくお忍びに使われるんです」
「お忍びって」
「帝都から二人仲良く馬で移動して、一晩泊まって帰るには丁度いい距離ですからねぇ。不倫街道、だなんて別名がついてるぐらいですよ」
それであの店主は期待たっぷりに聞いてきたのかと由利は納得した。ふと周囲の店を見ると、やたらと女ものの服や宝飾品を扱った店が多い。こちらの世界では女性はあまり遠出をしないと聞いているのに、この品揃えは異常だ。やはりそういった目的のために置いているのか。
「そんな顔しないで下さい。どうせなら盛大に勘違いしてくれた方が、素性を明かさずに済むでしょ?」
それはそうだが、帝国内なら勇者の知り合いもいるのに、噂になりそうなことをしても良いのだろうか。
「顔を誤認させる魔法なら、帝都を出た時から使ってますよ。さて、宿でも取りに行きましょうか。普通の宿にするか、不倫街道の名に相応しい、ピンクな宿にするか迷いますね!」
「迷うな。普通の宿にしてくれよ……」
異世界一日目から精神的に疲れさせるんじゃないと睨むと、全く気にしていない東雲は由利の手をとって歩き始めた。明からさまに派手な宿へ入ろうとするのを止めつつ、普通の宿を探してチェックインした時には、すっかり夕方になっていた。




