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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
1章 歪む世界と魔王の影
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003 目覚め


 軽い頭痛と共に目覚めると、物憂げな表情の男が近くに座っていた。


 夕日に照らされた整った横顔は、計算されて掘られた彫刻のように美しく。瑞々しい若葉を思わせる瞳が瞬きで隠れるたびに、それが生きた人間であることを気付かせる。輝くような金髪は触れたくなるような柔らかい色だったが、その表情が周囲との関わりを拒絶していた。椅子に座り腕組みをして思考に耽る姿は、名匠の絵画のように全てが完璧だった。


 この世の美を体現したような男――東雲が薄く口を開く。


「……今日の晩ご飯は何かなぁ」

「お前、真剣な顔して言うのがソレかよ」


 わずかなりとも見惚れてしまった自分をぶん殴りたい。


「あれ? 起きたんですか?」

「今ので完全に目が覚めたわ」


 どんな見た目をしていても、中身が東雲であることに変わりはない。思い返せば日本にいたときから、東雲は残念美人として周囲に可愛がられていた。この性格は異世界へ来た程度では変わらないらしい。


「もう少し休みますか? 食事は部屋に運んでもらうようお願いしたので、ゆっくりしていて下さい」


 由利が体を起こすと、東雲が気遣わしげに声をかけてきた。


「いや、大丈夫。それより悪かったな。いつの間にか寝てたみたいで」

「意識が無くなった時は、どうしようかと思いましたよ。無事で良かったです」


 ベッドから出ると多少の怠さはあったが、動けないほどではない。東雲に時間を尋ねると、夕方の五時ごろだと答えてくれた。太陽の運行は地球と大きな差はないらしいが、月は二つあるそうだ。空を見れば東の方にそれらしい衛星が見える。表面に見える模様が地球の月とは明らかに違っていて、嫌でもここは異世界であると考えさせられる。


「大きくて薄っすらと赤い月がエルセント、仄かに青白い月はグリザリースと呼ぶそうです。それぞれの月を擬人化した神話があるんですが、暇な時にでも話しますよ」


 東雲が扉を見ると同時に、遠慮がちに叩く音がした。彼女が扉を開けると、宿の従業員らしき二人の女性が盆を手に立っている。


「あの……お食事をお持ちしました」

「ありがとうございます。テーブルに置いて下さい」


 二人は東雲の顔を見るなり顔を赤らめたが、当の本人は素っ気ない態度で応じた。恐らく二人の態度には気づいているが、期待に応えるほど親しいわけでもない上に、見た目はともかく東雲は女だ。事務的に対処することで、余計な関わりを避けることにしたようだ。


「他にご要望は……」

「特にありません。ありがとうございました」


 ただ日本人の性なのか営業スマイルで応対してしまったために、東雲を見る目が完全に恋をする乙女になってしまった。己が何をしたのか気付いた東雲は、さっさと二人を部屋の外へ追い出し、しっかりと扉を閉めて呟いた。


「また、やってしまいました……」

「だいたい想像つくけど、何やらかしたんだよ」


 ラノベの主人公みたいなこと言ってんじゃねえぞと言外に込めながら聞いてみると、東雲は食事が置かれたテーブルにつきながら遠い目をして話し始めた。


「由利さんが倒れたあと、情報収集がてらフロントへ行ったんですよ。ここ、一階が居酒屋になっていたのを覚えてますか?」


 由利達が宿泊の手続きをした時に客はいなかったが、テーブルと椅子が並んでいたのは覚えていた。


「追加料金を払えば部屋に運んでやるって、宿の主人が言ってたのを思い出してお願いしに行ったんです。まあ、その、注文はできたんですが……私が二階に上がると同時に女性従業員の間で誰が運ぶのか争奪戦が始まって……」


 その時に営業スマイル全開だったことに気づいたらしい。ちょっと怖かったですと話す東雲は、実家の小太郎のような困った顔になっていた。もふもふと頭でも撫でれば、愛犬に会えない寂しさでも紛れるだろうか。


「初対面の人間に無愛想にするって、難しいですね……」

「うん、まあ、俺ら日本人だしな」


 相手が見ただけで分かる変質者でなければ、和やかに接しようとする社会で生まれ育ったのだ。そんな荒波を避ける技術を磨き上げた日本人としての魂は、異世界人の中でも類稀な容姿と化学反応を起こしてしまったらしい。


「思った以上にこの顔は厄介ですね。言動に気をつけないと、後ろから刺されそうです」


 向かいの席に座ると、東雲は小さな鏡を差し出してきた。よく女性が鞄の中に入れている、カバーが折り畳みになっている物だ。


 蓋を開いて覗き込んでみると、黒髪を長く伸ばした大学生ぐらいの女の子が見えた。白く滑らかな肌。小さな口は化粧もしていないのに艶やかな桜色。大きな琥珀色の瞳。下がり気味の目尻が穏やかな印象を与えている。綺麗というよりは可愛いタイプで、日本人好みのロシア人にも見える。ただ絶賛するほどの美少女ではなく、辛口な人なら上の下と評価するだろう。


「あー……うん、なるほど?」

「反応が薄いですね」

「異世界に来て女になったってことに比べればなぁ……」


 それに男とはいえ美形を散々見た後だ。体の持ち主には申し訳ないが、衝撃が薄れても仕方ない。


「それを言ったら大抵のことには動じなくなりますよ」


 ご飯でも食べますかと気が抜けたような声に促され、由利は初めての異世界料理を味わうことにした。


 少しパサついた黒パンと野菜クズを煮込んで塩とハーブで味付けしたスープは、想像通り美味しいとは言えなかった。かと言って吐きそうなほど不味いわけでもない。食事とは娯楽ではなく、体に必要なエネルギーを取り入れるためのもの、と念じれば最後まで食べられそうだ。


 他の皿には香草焼きと思われる肉が乗っている。これが名物のヒガ鳥だろうか。カリカリになるまで焼かれた皮と、しっとりした肉が同時に味わえてなかなか美味しい。


「こっちの煮込みも美味しいですよ」


 東雲が勧めてくれたのは、鳥の内臓をトマトのような赤い実で煮込んだものだった。丁寧に下処理をしてあるようで、生臭さは全くない。ニンニクに似た風味が効いていて、ビールが飲みたくなってくる。


 ただ付け合わせの白いものは涙が出るほど不味かった。マッシュポテトに酢でもぶちまけたのかと聞きたくなるほど、とにかく酸っぱくて飲み込むのがきつい。


「当たり外れが多いな……」

「由利さん、この白いのあげますから、香草焼きください」

「やらねえよ。黒パンでもかじってろ」

「術はうまくいったみたいですね。さっきから日本語を使ってないって気付いてますか?」


 驚いて料理の皿から視線を上げると、東雲が穏やかに微笑んでいた。


 ――そういえば。


 食事を持ってきてくれた従業員が何と言っていたのか、由利は当たり前のように理解できていた。努力しなくても分かるようになったのは嬉しいが、少し恐ろしくもある。


「さて、突然なんですけど、偽名を考えなければいけませんね」

 あらかた食べ終わり食後の果実水を味わっていると、東雲が日本語に切り替えてそう言ってきた。

「偽名か……」


 こちらで活動する上で、現地の人との交流は避けられない。名前を名乗ることもあるだろう。その時に本名では目立ちすぎるのだ。聞いたことがない発音で、正確に聞き取ってもらえないこともある。明日からの活動に向けて、早急に考える必要があった。


「一つ問題がある」


 これだけは言っておかなければならない。由利の真剣な態度に、東雲の表情が変わる。


「俺さ、名前考えるの苦手なんだよ。デフォルト名がないゲームだと、一日中悩むぐらい」

「……キャラを作らなきゃいけないゲームだと、三日経っても本編が始められないタイプでしょ」

「よく分かったな」


 東雲の目線が生暖かい。


「分かりました。朝までに何か良さそうなものを考えておきます。由利さんに任せると、名前が決まるまで一週間ぐらい宿に引きこもることになりそうだし」


 ――そこまで言うか。酷くね?


 由利は言い返したいのを我慢した。あながち間違いとも言い切れない。


「由利さんが倒れてうやむやになってましたけど、生活費は豪遊しなければしばらく生きていけるだけの貯蓄はあります。明日からどうしましょうか……目的もないままオープンワールドのゲームに放り込まれた気分です」

「ゲームかどうかはともかく、何をすればいいのか全く検討がつかねえな」


 世界を歩き回って日本に帰れる方法が見つかるなら、由利は迷わずそうしようと提案するだろう。だが二人には目的を示してくれる声も、行動を制限して何かを達成させようとする神もいない。全て自分達で決めていかなければならない。


「長期目標は日本に帰る方法を見つけるか、諦める理由を見つける。短期目標は生活の基盤を整える、かな」

「諦める理由ですか?」

「いつまでもフラフラしてても仕方ないからな。いっそ諦めてこっちで暮らすことも考えておいたほうがいいだろ」


 東雲はすっと目線をそらして呟くように言った。


「てっきり男に戻る方法とか盛り込んでくると思ってたんですが」

「それも長期目標に入れておけ。こっちは諦めないからな!」


 危うく大切なことを忘れるところだった。異世界ということを抜きにしても、いきなり美少女として生きていくなどハードルが高すぎる。


「目標は決まりましたね。行き先なんですが、まずここはウィンダルム王国のロルカという宿場町。ここから西へ行くと王都ローズターク、東へ行くと海都リズベルに辿り着くらしいです。ここはただの宿場町ですから、情報は入ってきても仕事を見つけるのは難しいかもしれません」


 百人前後しか人口がいないなら、町全体が知り合いだらけだろう。他所者が住みついて噂にならない筈がないし、異世界から来て目立たず生活できる自信がない。それなら都市部のように、他所から人が多く集まる場所のほうが溶け込みやすいだろう。


 少なくとも異世界からの来訪者がどのような扱いを受けるか判明するまでは、問題になるような行動を控えるべきというのが二人の共通した認識だった。


「個人的には海鮮を食いに行きたいな」

「由利さんって、時々どうしようもなく適当ですよね」

「どうせ考えても分かんねえし」


 東雲はひとしきり笑うと、その案でいきましょうと言った。


「リズベルに着くまで、由利さんは女性らしい言動を身につけて下さいね。今のままだと確実に悪目立ちしますよ」

「えっ……」

「せっかく言葉が通じるようになりましたし、問題は起こしたくないんですよね?」


 やっぱり通じないままで良かったかも――面白がるようにニヤリと笑う東雲を見ながら、由利は自分の選択を間違えたと深く後悔した。

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