003 旅立ち
玄関ホールに集まっていた顔ぶれを見ていると、東雲の行動は筒抜けだったのではないかと思えてきた。
皇帝陛下には近日中に出立すると伝えていたが、彼が周囲に言いふらすわけがない。皇帝を補佐する立場にある者も、わざわざ公爵家に伝えるとは考えにくい。
「ほら、今日あたり出発すると予想した通りになったでしょう?」
「もう一日、休むと思っていたんだがな……」
二人の兄が東雲を見つけて言った。
「フェリクスは過剰な送別を嫌いますからね。我々が集まってこないうちに家を出るに決まっています。となれば、所属する騎士団に休職届を出した翌日を警戒すべきなんですよ」
長兄のモルガンは無言で次兄のロジェに銀貨を手渡した。出立の日を賭けていたらしい。
フェリクスの言動を忠実に再現しすぎたせいで、先を読まれてしまっている。己の演技力の高さを誇るべきか、フェリクスの読まれやすさを恨むべきか悩む。
「二人とも、仕事があるのでは?」
帝都で働くロジェはともかく、騎士団に所属しているモルガンは、国境近くにある砦で勤務していたはずだ。
「そんなもの、休んだに決まっているだろう」
モルガンは真剣な顔で東雲の両肩に手を置いた。
「義母上から、弟が帰ってきたと連絡があったんだぞ? そんな日にバカ真面目に働く奴がどこにいる。休みなんて隊長を殴ってでももぎ取るのが礼儀だろう?」
「帝国にそんな礼儀はありませんが」
左遷でもされたいのだろうか。
一般的な兄弟の付き合い方とは何だろうと、東雲は混乱した。どうもデュラン家は一般的とは言えないような気がする。
ロジェを見ると、俺は違うよと苦笑された。
「出勤時間をずらしてもらったんだよ。フェリクスを見送ったら、ちゃんと仕事へ行くからね」
「それを聞いて安心しました」
長兄と姉が変わっているだけで、他は常識人でいてほしい。東雲はあえて彼らのエピソードを探ることはしなかった。これ以上、出発前に疲れたくない。
玄関の重厚な扉が開き、家長のデュラン侯が帰ってきた。フェリクスと似ているのは、癖まじりの金髪と緑色の瞳ぐらいだ。細身のフェリクスに対し、大柄で顔立ちも巌のように険しい。
デュラン侯が入ってくると、母親と兄弟達は脇に下がった。目前に立たれると、ますます威圧感が伝わってくる。
「帰ってきたばかりなのにな。また旅立ってしまうのか」
「……やり残したことがありますので」
理由はお互い言わなかった。魔王のことは箝口令がしかれている。家族といえども部外者の前では口にできない。
ただ何かあった時のために、デュラン侯にだけはフェリクスのことを伝えていた。罵られることも覚悟していたが、彼は静かに受け止めて、迷惑をかけたと言っただけだった。
「フェリクスは昔からわがままを言わない子だった。危険なことはして欲しくないが、お前達が決めたことなら応援しよう」
優しく頭を撫でられ、東雲は驚いてデュラン侯を見上げた。全てを知った上で、どうして偽物に触れることが出来るのだろう。演技ならすぐに見抜ける東雲には、それが本心だと分かっていた。
――この人が親だったら良かったのに。
東雲はすぐに己の言葉を否定して、黙ってされるままにしていた。きっとこれは他の家族に気付かれないための演技だ。
「陛下からのお言葉を預かっている」
子供を甘やかす空気を完全に消し、デュラン侯は一枚の羊皮紙を見せた。
「不遜なるものの討伐を下命する」
「拝命いたします」
片膝をついて受け取った東雲に、更に革袋に入れられた資金が渡された。
「本来であれば城で受け取るべきものなのだがな」
「密命ですから仕方ありません。全てが終わった頃に盛大にしていただけるなら、構いませんよ」
「そのように伝えておこう」
デュラン家全員に見送られ、東雲は中身を偽装した荷物を持って屋敷を出た。
裏路地へ逃げるように入ると、ようやくまともに呼吸が出来るようになった。
――これが、お前が捨てようとしていたものか。
やはりフェリクスが嫌いだ。彼とは一生分かり合えることはないだろう。
*
まずは聖女と合流しようと、国境を目指して街道を進むことにした。
最初はメニューを開いて地図から転移しようとしたが、距離が離れているために魔力が足りなかった。帝国内は騎士団が定期的に街道を巡回しているため、比較的安全に移動できる。体力と魔力を温存するために、帝国を抜けるまでは普通に旅をするかと呑気に考えていた。
皇帝から下賜された身分証は、身分を偽るため学者になっていた。帝都にある研究機関所属で、宗教史の専門だと書き添えられている。帝国出身といえど、ザイン教と繋がりがある者なら、敵国でも一定の自由は保障されるためだろう。この世界でザイン教を蔑ろにすることは、人にあらずとまで言われている。
帝都を守る門で衛兵の点検を受けた。何人かは東雲の――正確にはフェリクスの顔を見て何かに気付いたようだが、正式に発行された身分証を前に口を噤んでいた。やはり帝都を守る者は優秀な人材が多いようだ。
何食わぬ顔で門を通り、街道を北東へ向かってひたすら歩いた。帝都に繋がる道だけあって幅が広く、馬車が余裕をもってすれ違うことができる。足元も定期的に整備されているのか、しっかりと平らに踏み固められていた。
東雲は馬車の邪魔にならないよう、道の端を歩いた。形も大きさも違う馬車が次々に追い抜いてゆく。そのうちの一つが側を通り過ぎた時、ふと違和感があることに気付いた。
どこにでもある商人用の馬車のはずだ。引いているのは栗毛のベアコニーという馬で、力が強いことから運搬用に使われている。幌付きの車体も商品を保護するには最適で、雨が染み込まないように撥水効果がある植物の汁を塗ってある。検問を通れたということは積み荷に不審な物はなかったということだ。
――ああ、そういうこと。
積み荷を透視してみると、中央辺りに魔力の反応がある。検問では別の商品を見せて偽装していたのだろう。高濃度の魔力は、それが上質な大粒の魔石だと示していた。
御者をしている男達を探れば、やはり職業は商人ではない。使徒とだけ表示されている。
東雲は馬車へ向かって、魔石の欠片を投げ入れた。自分の魔力を含ませた石が目印となり、地図上に光点となって現れた。
街道を行く人の流れは途切れることがない。馬車はどんどん遠ざかってゆく。いきなり街道で魔法を使うわけにはいかず、彼らを追いかけるのは後回しにすることにした。
人がまばらになる時を探しているうちに、壁に囲まれた宿場町へと到着した。時刻は夕方に差し掛かり、到着した人々は宿を求めて門を潜ってゆく。流れに沿って中へ入り、人目を盗んで建物の影に隠れた。邪魔な荷物を収納して地図を展開すると、目印をつけた馬車を探す。
馬車は宿場町を通り過ぎ、更に先へ進んでいた。目的地と思われる方角には廃坑があるようだ。
彼らの使徒という肩書が気になる。東雲は馬車の後方を目的地に選択し、転移の魔法を展開した。一瞬の浮遊感と共に視界が闇に包まれ、荒れた鉱山道跡に着地する。耳をすませば、馬車が遠ざかってゆく音がしている。道は馬車が通れるように、最低限の手入れがされていた。誰かが廃坑を利用していることは間違いない。
一定の距離を保ちながらついて行くと、放棄されたはずの鉱山町へと入っていった。入り口付近の家屋は荒れ果てたままだったが、奥の廃坑へ近付くにつれ、風雨を凌げるように廃材で補修してある。明かりが溢れている家屋からは、夕食の匂いが漂ってきた。
索敵機能の警戒レベルを上げて住人の視線を表示しているが、東雲に気付いている者は誰もいない。入り口に歩哨すら立っていないのは、見つからないと油断しきっているのだろうか。魔石を隠して運んでいることから、廃坑を違法に占拠していることは間違いない。
馬車は廃坑の入り口で止まった。男達が入り口に掛けられた紐を引くと、しばらくして中から数人の男女が出てくる。彼らは協力して箱を中へと運び入れると、一人を残してそのまま出てこなかった。残された男は馬車を転回させ、東雲に気付くことなく町の中へと消えてゆく。
日はすっかり落ち、月明かりが淡く照らしていた。東雲は短剣を腰のベルトにつけ、廃坑へと入っていった。
――意外と明るいな。
内部には光苔が群生していた。鍾乳洞に自生している種類のもので、金属を多く含む鉱山には発生しにくいはずだ。誰かが運んできて手入れをしているのだろう。
地図を自動生成しながら進んでゆくと、まず倉庫と思われる空間に出た。大小様々な箱が並び、水や食糧が入った樽もある。先程運んでいた箱は、まとめて右の壁際に寄せられていた。
中を覗いてみると、魔石ランタンが大量に入っている。これで荷物から魔石の反応が出ても誤魔化していたのかと感心した。携行して使うランタンと魔石は一緒に販売されることが多く、同じ馬車に積んでいても不思議ではない。衛兵の点検ではランタン用の小さな魔石だけを見せていたのだろう。
更に奥へと進むと、数人が大きな机を囲んで資料を広げていた。残念ながら東雲がいる場所まで声が届かない。盗聴は諦めた方がいいだろう。
内部は剥き出しの山肌から、レンガで覆われた壁に変わっていった。崩落を防ぐ目的か、補強の魔法までかけてある。
奥の一際大きな空間には、何かの機材が置かれ、低い起動音がしていた。その機材から伸びている管が、いくつかの小部屋に分配されている。そのうちの一つを辿ってゆくと、大きな箱に繋がっていた。
――棺みたい。
いつだったか美術館で見た、石の棺に似ている。薄く青が混ざる灰色の箱には、繋ぎ目も装飾もない。好奇心に任せて中を覗いた東雲は、中を見て驚いた。
「……女の子?」
黒髪の少女が眠っている。顔は青ざめていたが、静かに上下する胸を見ると、一応生きているようだ。
「まさか、人体実験?」
厄介ごとには関わりたくないが、目の前の人間を見捨てて逃げるほど薄情にはなれない。
外傷は無さそうだ。防音の障壁を張り、少女の額に手を当てる。まずは少女から事情を聞こうと、彼女が目覚めるよう意識に呼びかける。誘拐されたなら、手紙を添えて帝都へ送る必要があるだろう。ついでに魔石と廃坑の地図を少女に持たせて、解決は上に丸投げしようと企んでいた。
魔力を徐々に強めて反応を探っていると、勝手にメニューが開いた。魔法陣の一つが現実に展開し、東雲から強引に魔力を奪ってゆく。
「は? ちょっと、何を勝手に――」
魔力の供給を止めようとしても、一度起動した魔法陣は飢えを満たすように喰らい付いてくる。急速に体から魔力を抜かれ、立っていられなくなった東雲は、石棺を支えに膝をついた。せめて魔法陣の光が漏れないよう、入り口に遮光の魔法を使うことが精一杯だった。
光の中で少女の目が開き、東雲を見る。
澄んだ灰青色の瞳に、わずかに心を奪われた。
「……東雲?」
「えっ……由利さん?」
この世界で自分しか知らない筈の名前で呼ばれ、東雲は呆けたように固まった。




