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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
3章 勇者と聖女

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007 目覚めた聖女

 目の前で結界に阻まれた刃に、由利は冷や汗が止まらなかった。大丈夫と後輩から太鼓判を押されたものの、亀裂を生じさせ半分めり込んだ攻撃を目の当たりにして、早くも逃げ出したい気持ちと戦っていた。

 人形との戦闘中に、ついでのように攻撃してきたフェリクスは、冷えた眼差しで結界を睨む。


「……そうか、あの手紙か」


 既に東雲の気配は無かった。憤るわけでもなく、落胆するわけでもなく、ただ事実を受け止めている。その冷徹さが恐ろしい。


「勇者の意識に飲み込まれる。助けて先輩、とでも書かれてたのかな?」

「そんな可愛げのある後輩を持った覚えないな。要約すれば、後は頑張って下さい、だったよ」


 フェリクスは、どうでもいいという態度で人形の腕を斬り飛ばす。善戦しているようだが、相手を倒すには至っていない。人形とはほぼ互角のようで、続けて由利へ攻撃を飛ばす余裕はないようだ。

 由利は結界を張り直し、杖を垂直に立てた。魔力を先端の石に集め、手紙に書いてあった呪文を唱える。


「瞬く星無き空より暗く――」


 魔力の高まりを感じて人形が反応した。渦の力を集めようと急所を晒しかけたが、斬りかかるフェリクスを警戒して剣で庇う。

 フェリクスも由利が何をしようとしているのか分かっているようだ。人形の動きを読んで身を引き、剣を収めて様子を伺う。


「闇の終わり、希望の訪れ」


 渦は降りてこない。由利の力では無理もない。だが目的は渦を降ろすことではなく、人形を倒すことだ。由利は東雲が教えてくれた手順に沿って、ただ演技をしているだけだった。


 とうとう人形は剣を床に突き立て、耳を傾けるように項垂れた。

 フェリクスが短剣を手に肉薄する。気付いた人形が剣を構えようとするが、その顔に短剣が突き立てられるほうが速かった。

 人形が剣の柄頭でフェリクスの脇腹を殴りつける。よろめき、くぐもった呻きが漏れるが、フェリクスは短剣を手放すことはなかった。


「お前が、出来なかったことをやってやる。その力を寄越せ!」


 フェリクスが首を片手で掴み、短剣が更に差し込まれる。人形が声を出さずに叫んだ。空気の震えが伝わってくる。

 結界で守られていてもなお、憎む感情が由利を襲ってきた。粘度の高い恨みが耳元で囁き、世界を壊せと(そそのか)す。間近で聞いているフェリクスにはどんな恨み言が届いているのか。

 人形の肌が黒く変色してきた。煙が溢れ出し、短剣へと吸収されてゆく。


「もう死んでるんだよ、人形(おまえ)は」


 その一言で人形が弾けた。黒い煙になって広がり、フェリクスを包み込む。


「――降りてこい」


 短剣が光を反射し、再び夜が降りてきた。

 世界から集められた暗い感情が、一人の男に集束されてゆく。

 まだ聖女は動かない。内側から見ている気配は、ずっと感じている。

 天井に見えていたものが、全てフェリクスの中に消えていった。


 ――人工の、魔王。


 誰かのエゴで始まった、歪な英雄譚。


「これで僕が心臓を刺せば、魔王退治はおしまい。やらないよ? どうして僕が犠牲にならなきゃいけないのさ?」


 短剣を弄び、フェリクスは気怠げに微笑んだ。


「君の可愛い後輩は、どこまで僕のことを書いてたって?」

「人形の倒し方ぐらいだな。その短剣は?」

「これが聖剣リジル。聖女は剣の声を聞いて、勇者に会いに来る。話だけなら美しいね」


 心にもないことをフェリクスは言う。


「剣を受け取った勇者は、魔王の器になるために改造されてゆく。祝福なんて嘘だった。免罪符によって具現化された思念は、一部は城へ。一部は聖剣を通じて勇者の中に取り込まれる。だから勇者は強くなる。当然だよね。人間じゃなくなっていくんだから」


 喋り方は、ユーグとして演技をしている東雲と変わらない。しかし受ける印象はまるで違う。世の中を冷めた目で見つめ、何の熱もない感情で言葉を吐く。


「これから何をする気だ」

「何も」


 フェリクスは即答した。

 由利の直感では嘘だと告げている。仕事で大勢の顧客と交渉してきた経験か、何重にも隠していることがあると気付く。


 ――苛立ち? 焦り? 何かが思い通りにならないんだろうな。聖女を殺せないことだけじゃなくて。


「心配しなくても人間を根絶やしにする、なんて馬鹿なことはしないよ。人間は力の源だからね。ああ、でも。聖女は要らないな」


 結界に刃が飛び、光の粒子が舞った。


「どうしても……殺すのか」

「そうだね」

「聖女の仕事はもう終わってるだろ。魔王の力はお前の中にある」

「聖女がいる限り、この力は僕のものにならない。彼女は力を引き剥がすこともできるんだよ」

「だからって放置してたら、お前もあの人形みたいになるんだろ」

「ならないよ」


 聖剣を左手に、長剣を右手に持ち、フェリクスが近づいてくる。


「人形と戦うのは二度目でね。最初の時は失敗した。アレの中に取り込まれそうになったところを、聖女が引き剥がしてくれた。その時に魂と魔力を隔離してくれたみたいだね。だからあの人形みたいに、渦の魔力に飲み込まれることはない。クリモンテ派の入れ知恵かな?」


 結界に剣がぶつかり、耳障りな音をたてる。粒子を浴びるフェリクスは憎たらしいほど光が似合う。中身は真逆だというのに。


「東雲はどこにいる」

「消えたよ。ずいぶん抵抗してたみたいだけどね。役に立つ知識だけ残してくれて助かるよ。あんな劣等感の塊が必要? 落ちこぼれだって嘆いて、逃げ出した奴が?」


 硝子のように砕けた結界の先に、殺意がこもる剣が迫る。振り下ろされるそれを寸前で避け、無駄と知りつつも杖の先をフェリクスに向ける。


「無駄じゃないかな? 無能の君に何ができるの?」

「死ぬことを恐れて何が悪い? お前だってそうだろ」

「無様に逃げ回るぐらいなら、潔く死ぬよ」


 屈んだ頭上を風圧が過ぎる。剣術の心得がない由利にも避けられる速さだった。じわじわと追い詰める攻撃で、広間の中央へと移動させられる。

 由利を見下す態度と、手加減した攻撃。邪魔な存在を消すにしては手緩い攻撃だ。フェリクスほどの技量なら、とっくに由利は殺されている。その矛盾した行動で、由利はフェリクスの苛立ちの理由に思い当たった。


「お前が殺したいのは、本当は俺じゃないのか?」

「……何が言いたい」


 フェリクスの手が止まった。


「素人でも避けられる攻撃で、俺が聖女の体から逃げるのを待ってるんじゃないのか? 本当は傷つけたくないんだろ?」


 底冷えするような殺気が満ちた。全身に鳥肌が立つが、由利も引く気はない。


「知り合いに挨拶ぐらいしてもいいでしょ? さっさと出て行ってくれないかなぁ」

「体から抜け出たところを攻撃してくるだろ」

「当然。いい歳した男が、いつまで聖女の体を占領してんの?」


 体が震えないように、杖を持つ手に力を入れる。ここで言葉を間違えたら、フェリクスは聖女への未練を捨てて首をはねるだろう。


 ――東雲のやつ、一番面倒なことを押し付けやがって。ここで死んだら末代まで祟ってやる。


「出て行く前に、一つだけお願いがあるんだけど」

「何かな。元の世界に戻りたいって願いは無理だからね」

「いや、死ぬ前にコーヒー飲みたい。故郷の味だからさ」


 予想外の答だったようだ。フェリクスは一瞬呆けたように固まり、すっかり毒気を抜かれたのか、笑っていいよと言う。


「それくらいは待ってあげるよ」

「あんたも飲む? 警戒しなくても毒は入ってないよ」

「苦いほうを飲ませて、隙を作る気かな?」

「なんだ知ってたのか。甘い方やるよ」


 由利がずっと持っていたカフェオレを投げてよこすと、フェリクスは珍しそうに缶を眺める。東雲からの知識で缶コーヒーの存在は知っているようだが、初めて触れる異世界の品に好奇心が隠せないようだ。


「異界は魔法が無い代わりに、奇妙な物ばかり作り出すな。コレといい、コンピュータといい、生活を堕落させることしか頭にないのか?」

「顔も知らない奴らの為に死ぬよりはいいだろ」


 由利はプルタブを引いてブラックコーヒーを飲んだ。独特の苦味が口に広がる。相変わらず好きになれない味だ。


 ――あいつ、よくこんなの飲めるな。


 フェリクスが由利の真似をして缶を開け、カフェオレに口を付けた。ミルクと砂糖で苦味が緩和されているが、後味が気に入らなかったのか二口で飲むのを止めた。


「……不味い」


 そうだろうなと由利が返そうとした時、フェリクスの手から缶が落ちた。残った中身が床にこぼれ、薄茶色の染みをつくる。


「なん……で」

「解除!」


 杖に溜まった魔力が溢れ、光の洪水をもたらした。激しく揺すられる感覚と共に、由利は聖女の体から追い出される。

 目眩を我慢して広間を見れば、フェリクスが胸元を押さえて苦しげに立っている。その足元には光を発する魔法陣が描かれ、両側の柱へと繋がっていた。

 魔法陣の前には杖を手に聖女が佇んでいた。悲しそうな横顔はフェリクスをじっと見つめている。


「……柱に、細工をしたな……やけに動き回っていると思ったら……」


 フェリクスは由利を見上げて睨む。彼が言う通り、人形と戦っている間に、柱の裏には魔法陣を一瞬で展開させるための魔石を置いてある。


「魔王のところへ連れて行くって決めたからな。お前が東雲を消してる間に、こっちは聖女の意識と、お前を捕まえる計画を立ててたんだよ」

「何で……あいつは、消えたはず」


 荒く息を吐き、フェリクスが膝をついた。


「侵食が一方的に行われると思い込んでいたツケだな」


 恐らく勇者の体の中で、東雲とフェリクスが争っているのだろう。由利の言葉に返す余裕はないようだ。


 東雲は手紙で、勇者の意識が侵食してくることを明かしていた。自身が飲み込まれる前に自我を隔離し、消えたように見せかけて勇者を泳がせましょうと。もし手紙を燃やしていることを気にかけるようなら、それは勇者ですと警告してくれていた。

 東雲は休憩地点から広間までの短時間では、彼女が持つ知識全てを精査できないだろうと予測して、取るに足りない雑学に自我を偽装。嫌いな甘いコーヒーを飲むことを条件に、意識が表層化するようプログラムした。


 有名なトロイの木馬になぞらえた計画も、コンピュータに詳しくない勇者には効果的だったようだ。下準備は入念にと教え込んだ東雲のことだ。勇者が戦っている無意識下で、せっせと体を奪うプログラムでも組んでいたに違いない。

 うまくコーヒーに誘って下さいねと重要なトリガーを一方的に任されたが、何とか大役を果たせたようだ。


「もう一度、君と話したかったんだけどな」


 懇願するようなフェリクスの声を聞き、聖女の瞳に動揺が浮かぶ。


「騙されんな! これが嘘だってことは、あんたが一番よく知ってるだろ」


 聖女は由利を見上げ、泣き笑いの表情で頷いた。


「渦に傷つけられて、消えてゆく貴方の魂を繋ぎ止めたかった」


 静かに告げる聖女は、杖の先を上に掲げる。


「いい加減、大人しくしててもらえませんかね、勇者様」


 フェリクスの表情が東雲のものに変わる。


「暴れても無駄ですよ。私は、あの家では落ちこぼれでしたけど、人の足を引っ張ることは得意なんです!」


 きつく目を閉じた頃には、再びフェリクスが現れる。そんな二人に、聖女はごめんなさいと謝罪した。


「ごめんなさい。私は貴方に、反魂の術を使いました」

「……反、魂?」

「魔王として死ぬのは聖女(わたし)の予定でした。人形がいなければ、私の、私達(クリモンテ)の計画は成功していたでしょう。今代の魔王を排除した後、魔王を作り出しているものを探す計画には、貴方が携わってほしかった」

「なに……言ってんの……?」

「想像以上に強かった人形との戦いで、貴方は敗れてしまった。辛うじて人形は退けましたが……私は、反魂の術が、死者の蘇生ではないことを知らなかった」

「待ってよ。それじゃあ、僕は……あの時に死んだと? 今の僕は、ただの記憶? あの人形みたいに……?」


 聖女が歌声に似た呪文を唱えると、魔法陣の光が強くなってゆく。光の中でフェリクスは呆然と己の両手を眺めていた。


「これが記憶で構成された人形なら……そうか。君を憎む心もまた、渦に交わったことで生まれたものだと」

「お別れです。フェリクス」

「モニカ!」


 フェリクスは聖女へ手をのばし、何も掴むことなく空を切る。見えない壁に阻まれ、お互いが触れ合うことなく光に飲み込まれてゆく。


 二人の間にあったこと全てを押し流し、何も明らかにされることなく消えていった。

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