004 魔王の正体
魔獣避けになるというランタンを床に置き、お互い手頃な瓦礫を椅子代わりにして座った。
最初は胡座をかこうとしていたが、無表情の東雲に無言で矯正されてしまった。淑女にあるまじき格好をしないで下さいと、殺意すら滲ませて教育してくる後輩は怖かった。
「このランタン、ずっと使ってるけど効くのか?」
足を揃えて座る苦行からどうやって逃げようか考えつつ、由利は二人の間に置かれたランタンを指した。
「気休め程度には。この火で上の皿に入れた香油を炙って、魔獣が嫌う匂いを出してるんです。蚊取り線香みたいなものですよ」
「魔獣って何種類もいるのに?」
「……魔石に効くとか? 今度、あのバルゼーレとかいう悪魔に使ってみようかなぁ」
「悪魔はお前だ。あいつに何の恨みがあるんだよ」
「お願いしたらやってくれると思いませんか?」
「ああ、確かに面白そうとか言って実験台になってくれそう――ってダメだから!」
島で話し相手になってくれた恩人を見殺しにはできない。変な気は起こさないようにと言い含めてから、由利は本題に入った。
「全部言えよ」
「全部、ですか……どこから説明すればいいのか……」
「聖女が勇者を殺すのは本当か?」
「半分だけ本当です。ある魔法使いが魔王を生み出した話を覚えていますか?」
東雲は顎に手を当て、遠い目で話し始めた。
「魔王は『生けとし生けるものの全てを破壊してゆく力そのもの』です。人や魔獣のように『形あるもの』ではありません。その証拠に、魔王の容姿に関する記述はどこにもない。宗教画では黒い煙のような塊として描かれてますけどね」
魔王の命が尽きたとき、世界を覆っていた黒い雲は消え去り、再び光が戻ってきました――由利は神話の一文を思い出す。
「由利さんは、神話や歴史書に書いてあることは真実だと思いますか?」
「……それはないな」
不意に向けられた問いに、由利は首を振った。
為政者にとって都合が良いように書き換えられることは、よくあることだ。古代なら神の子孫と名乗り、統治する正当性を主張し、侵略した先ではその国の歴史を消す。あらゆる場所にデータが残る現代と違い、語り部がいなくなれば簡単に変わってしまう。
変えることは、悪いことばかりではないのだろう。時代に合わないと教義の一部を変える宗教もあるのだ。
「自分勝手な魔法使いが生み出した魔王は、世界を乱す絶対的な悪。人間は一箇所に固まって震えている被害者。神に選ばれた勇者は英雄。聖女は勇者を導く者であるべき――神話にはそんな執念が込められています。だから登場人物は役割に合わせて行動を交換された」
「行動の交換?」
「……戦争に魔法が持ち込まれ、勢力図が次々に塗り替えられていた時代。とある小国にいた魔法使いは、戦争で消えてゆく命を憐れに思い、ある力の源を創り出しました」
東雲は目を閉じて、思い出すようにゆっくりと語り始める。
「それは人々の心から抜き出した、醜いもので満ちていました。とても強い力で、ある生き物の力を奪い、心を蝕み、体を病に冒す。あらゆる輝きを覆い尽くし、生けとし生けるものの全てを破壊してゆく力そのものでした。それを魔王と呼び、人々が争いを止めて仲良くするための理由にしました」
「おい、それは……」
「創り出された『魔王』は倒されなければいけません。従順な巫女に剣を与え、その剣と相性が良い者を探させました。そして魔王がいると吹き込んだ城へ誘き出し、剣が選んだ若者に力を与えます」
予想される終わりに、冷たいものが心に落ちる。
「巫女は若者の魂に干渉し『魔王』を肉体という檻に封じます。世界を覆っていた黒い雲は消え去り、再び光が戻ってきました。若者は剣を手に、己ごと魔王を倒しました。何も知らない人々は彼らの存在を歴史に残すべく、それぞれ称号を与えて語り継ぎました」
長い沈黙が流れた。
歴代勇者は聖女によって、魔王という名の負の思念で上書きされ、命を絶つ。故に勇者の消息が語られることはない。意図的に書き換えられた物語は、誰にとって都合が良いのか。
「なんで……そんなこと繰り返せるんだ……」
「世界から争いを消す、というお花畑を守るためですよ」
「それだけで? 共通の敵がいれば、人間同士の争いが無くなるとでも?」
「だからお花畑なんですよ。最悪なのは、ザイン教と結びついてしまったことかな。魔法使いが利用したのか、宗教側が取り込んだのかは知りませんけど」
相性が良かったんでしょうね――東雲は適当な小石を弄ぶ。
「もともとザインの教えに、人の魂は試練と許しの周期を繰り返すことで、昇華してゆくと説いています。試練の期間は己に降りかかる困難を乗り越えて、許しの期間は慎ましく暮らすとか」
「昇華ね。困難ってアレか。不幸とか病気とか」
「ソレです。試練を乗り越えた魂は、一段階高みに昇ります。繰り返してどんどん昇って、最終的には全ての根源へと到達するのが目的だとか。到達できなかった魂は、また生まれ変わってやり直しです」
「全ての根源?」
「何でしょうねぇ……概念? 比喩? 現地人なら分かるのかなぁ。教義を見てると、天国とか理想郷に近いような? 神が座す場所と解釈される時もあるし、万物が生まれた場所とか、全てのものが集まる博物館的な側面もよく語られてます」
東雲は困った顔で、すいませんと謝った。
「ちょっと混乱してきました。根源のことは私もよく分かりません」
「一概に言い表せる存在じゃないんだろう。本当に確かめたことがある奴なんていないだろうし、教えを守らせるために作った幻想ぐらいの認識でいいか」
「幻想ですか……そうそう、ザイン教の神は根源の守護者とか管理者という位置付けです。昇華した魂が根源に到達できるか、最終的に神が判断します。公平、平等を尊ぶ性質で、人の世にはあまり干渉してきません」
「改変後の神話では、勇者と聖女に力を与えてなかったか?」
平等を掲げているなら、一個人に強大な力を与えることは矛盾している。
「その噛み合わないところを疑問視して、何かと聖典派と対立しているのが、聖女が所属するクリモンテ派です。ザイン教は聖典派が原点で、そこから各宗派に枝分かれしていきました。魔法使いと組んで、魔王システムを作り出したのは、まだ聖典派だけだった頃です。免罪符を作ったのは百年ぐらい前かな。財源の確保って名目で売り出したんですけど、力を抜き出す加工をしているのは、聖典派だけのはずです。クリモンテ派に知られたら、必ず何の術か分析して、魔王に力を与えているって追求しますから」
「異様に聖女にこだわってたのは、システムを円滑に進めるためか」
「自分達が人を導いて、根源に到達する手助けをしている、って考えが根底にあるのかもしれません。だから魔王の素になる免罪符を作ってるし、ちゃんと討伐させるために自分達が教育した巫女を送り込みたかった」
「押し付けられる教義ほど面倒なものはないな。 免罪符を使う前は、どうやって集めてたんだ?」
「憶測ですけど、ミサかなと。人を集めるにはうってつけですし、歌や聖句に必要な呪文を紛れ込ませるか、説教の最中に術をかけて抜き出すか」
「事情を知っている人間が限られてて、人の記憶が薄れるくらい長期スパンなら、そうそうシステムに気付く奴は現れないか」
「字が読めても経済的な理由で本が読めない人は沢山いますから。更に歴史書を読める立場となると、王族、貴族、聖職者ぐらいですかね。仕組みに気付いて止めさせようとした人はいたかもしれませんが……」
世界に根付いた仕組みを、一個人が変えることは難しい。宗教が絡んでいるなら尚更だ。長年培ってきた価値観を変えようとすれば、必ずどこかで反発が起きる。
「宗教については……部外者の俺が言うことは無いな。それよりお前のことだよ。このまま進めば魔王化するって、そんな重要なこと何で隠してたんだよ」
「……誤魔化されなかったかぁ」
「当たり前だ。何年営業やってると思ってんだよ。こっそり思考誘導しようとしてただろ」
東雲はしれっと目を逸らした。
「そう言われても、魔王と相討ちするために山へ行きます、なんて言ったら止めるでしょ?」
「死ぬために行くなら全力で止めるわ。魔王になって自殺することは相討ちとは言わねーよ」
「策がないわけじゃないんですよ。無駄死にするつもりはありませんし、聖女もシステムを止めようとしてますから」
島で聖女が語った『ある目的のために誰かを犠牲にする』のは、魔王システムのことだった。自分達で終わりにすると決めているようだが、死なないとは一言も言っていない。
逃げ道がないことは分かっている。
教会が味方になることはない。信者は世界中にいて、魔王が討伐されることを望んでいる。世の中はすっかり疲弊して、新たな勇者と聖女を待てるような状態ではない。
魔王を作り出した思念は、人の感情から作られている。免罪符という仕組みを無くしたり、教会を潰せば魔王は発生しなくなるが、既に集まった思念を消すのが先だ。
「俺達にとっては、ここは異世界だ。お前が犠牲になる必要なんてないだろ。元に戻る方法が見つかったらすぐに帰るって言ってたじゃねえか。聖女の魂が体の中で眠っているなら、勇者の魂はどこにいる? そいつは勇者の役割に納得してんのか?」
「……勇者もいますよ。ちゃんと。聖女みたいに出てきたわけじゃないんで、納得してるかどうかは知りません」
東雲は立ち上がって大きく伸びをした。
「ちょっと休憩しませんか。戦いが続いてたんで疲れました。由利さんも、こんな話を聞かされて混乱してませんか?」
「……そうだな。とりあえずお前を殴りたいぐらい混乱してる」
「可哀想に。錯乱ですね。スープでも作って心を静めて下さい」
「それ自分が食いたいだけだろ。食材出せ。竃も作れ。ついでに火も付けろ」
これ以上問い詰めても、東雲が意見を変えることは無いだろう。せめて策について聞き出したいが、まともに聞いても答えてくれないことは明白だ。
カツアゲだぁと喜ぶ後輩を働かせ、由利は出された食材を切り始めた。
「そういえば由利さん、私のラブレター読みました?」
火打ち石で挑戦しますと意気込んでいた東雲が、やっぱり無理でしたと魔法で着火しながら聞いてきた。生温い気持ちで見守っていた由利は、ぞんざいに相手をする。
「急に何だよ。まだ封筒すら開けてない。燃やしていいか?」
「生まれて初めて書いたんですが」
捨てられた子犬のような、哀愁を誘う姿だった。衝動的に頭を撫でたくなる気持ちを抑えつつ、火にかけた鍋へ食材を投入する。
「分かった分かった。気が向いたら十年後ぐらいに読むって。あと東雲はスープ食ったら寝ろ」
「夜のお誘いですか? あっ冗談です。唐辛子を口にねじ込もうとするの、止めてください」
隙をついて紫色の実を食べさせようとしたが、手首を掴まれて未遂に終わった。身体能力の差が恨めしい。動けなくされて、実は異空間へと収納された。
「徹夜明けの大学生と同じテンションでウザい。今すぐ鍋の湯を被って頭を冷やすか、仮眠して休憩するか選べ」
「後者しか選べないじゃないですか」
食べたら寝ますと殊勝に従う後輩から、どうやって計画を聞き出そうか。死ぬ気はないと本人は言うが、詳細を言わないのは計画に穴があるせいではないかと勘ぐってしまう。
ポケットに入れた缶コーヒーがやけに重く感じた。いっそスープにコーヒーでも投入してやれば気は晴れるだろうかと思案しながら、由利は火加減を調節した。




