003 戦うことは殺すこと
城の中は魔獣の領域だった。通路をいくらか進む度に、我を忘れた魔獣が現れては斬り捨てられてゆく。敵の力量も測らずに目に入るものを攻撃してくるのは、操られている証拠だ。
この魔獣を倒しても魔石は溶けかかっている。取り出しても到底使えるものではなく、労力の無駄でしかない。
杖に込めた魔力を前方へ撃ち出した。由利に飛びつこうと身をかがめた赤い虎は、鼻先に当てられた勢いで体をわずかに硬直させ、東雲に首を切り落とされる。
噴出する血を避けて虎の背中に飛び乗った東雲が、止まることなく上へ跳躍して、急降下してきた怪鳥を迎え討つ。鮮やかな緑色の羽毛が宙に花開き、怪鳥は地面へ叩きつけられた。
血濡れの長剣を肩に担いで着地した東雲は、由利の後方目掛けて長剣を振り下ろした。剣圧が右側を通り過ぎ、ギャッと短い悲鳴があがる。
由利は振り返ることなく、後輩の隣という安全圏へ移動した。
杖があるお陰で、敵の邪魔をする程度の手伝いは出来るようになった。もっと早く気付けば良かった。
「内部に入り込んでいる魔獣は、魔力に惹かれて来ただけのようです。魔石の力が暴走してるから、弱体化が始まっているものばかりですね」
長剣についた血糊を振り払い、東雲は一息ついた。
「あれで弱体化してんのか。勝てる気がしないんだけど」
「由利さんは引きこもりの才能があるから大丈夫ですよ」
「変な風に略すの止めろよ。ちゃんと結界って言ってくれ」
社会不適合者のように言われるのは心外だ。
城の内部は明るかった。なんの魔法なのか、天井に光の球が浮いている。魔力で維持されている筈なのだが、魔獣がそれを捕まえようとする素振りはない。
上階へと続く螺旋階段は長く、枯れかけた荊が壁を這っていた。この植物は花をつけていたことがあるのだろうか。山の木が捻れていたのが魔王の影響なら、城に生える植物もまた何かしら変化が起きているだろう。
服を引っ掛けないように登りきると、崩れた壁から外が見えた。五階ほどの高さに相当するだろうか。見下ろす山肌は霞みがかっている。ゆっくりと動く小さなものは、遭遇した霊の一つかもしれない。目が合ったと直感が告げた途端に、憎悪に満ちた目を思い出して肌が粟立つ。慌てて壁から離れて東雲の後を追った。
廊下の先は広間に続いていた。天井から下がっていた大きな燭台が二つ、壊れた状態で落ちている。部屋の装飾らしいものはなく、モザイクタイルの床はあちこち剥がれてしまっている。荊はここも侵食しようとしていた。
「ダンスホールだったのかな? 謁見の間とは作りが違うみたいですけど」
床のタイルをひっくり返して眺めていた東雲が言った。
「魔王と誰が踊るんだよ。仲間はいないんだろ?」
「もともと別の城だったか、魔王の趣味とか? 私は相手したくないですね」
「魔王も自分を殺しに来た相手とは踊りたくないだろうな」
先へ進もうとした由利を、東雲が腕を掴んで止めた。天井の一角を見つめて警戒している。無言で取り出した剣は、華やかな細工が施されたものだ。青白く光った刀身が一角へ向けて振り払われると、見えない刃が飛んできた氷の塊と衝突した。
「由利さん、まずいです。魔族ですよ」
空間が揺らぎ、女が出てきた。灰色の髪を腰まで伸ばし、胸元が大きく開いた黒いドレスを着ている。扇情的な肢体を包むドレスからは健康的な小麦色の肌が覗いていたが、その表情は誘惑とは程遠い場所にあった。忙しなく眼球が動き、だらしなく口が開いている。震える右手には半円に近い曲刀が握られていた。
「下がって!」
蝙蝠のような羽がはばたいたかと思えば、由利のすぐ前に女が移動していた。振り上げた曲刀が、由利の頭へ向かって振り下ろされる。
結界を使うよりも早く、由利は突き飛ばされて瓦礫だらけの床に転がった。間に割り込んだ東雲が長剣で受け止めている。いつの間に持ち替えたのか、装飾が一切ない剣に変わっている。
素早く起き上がった由利は、距離を取りながら杖から連続で魔力を撃ち出し、女の頭を狙う。女は身を引いて空中へ飛び上がった。
「魔族ってこんなに速いのかよ」
「ただでさえ身体能力は向こうが上なのに、魔石の暴走で脳のリミッターが外れてます。体が損傷しても動けなくなるまで襲ってきますよ」
女の口が笑いの形に歪んだ。熱を帯びた表情で東雲を見つめている。彼女を好敵手と認めたのか。
「ああああぁぁあ!」
理性を無くした咆哮をあげ、女が曲刀を振り上げて襲いかかってきた。東雲は剣で攻撃の軌道を逸らし、踊るような足取りで猛攻を避けている。不安定な足場と、相手が羽を使って三次元的に動き回るせいで、攻撃に移れないでいるようだ。
いくら傷付いても襲ってくるのは厄介だ。理性を無くした相手は引くことを知らない。闘争を好む魔族はその高い戦闘能力を存分に発揮して、東雲を疲労させ追い詰めてゆく。
女の動きが速すぎるために、由利は援護射撃ができないままでいた。目まぐるしく立ち位置が変わり、下手をすれば東雲に当たってしまう。
――何か使えるものは?
結界は由利を中心に展開する上に、移動ができない。妖精の幻など選択肢にもならない。あれは由利以上に使えない。魔力の放出ならできる。聖女の魔法は内側から見ていたから、使う感覚だけは体験したが全く同じことは不可能だろう。
曲刀が東雲の髪を一房切り、金色の光が散った。少しづつ回避が遅れるようになった。腕や脚に浅い切り傷が増える。急所に当たるのも時間の問題だ。
女が曲刀に炎を纏い、ドレスの裾を翻し旋回した。演舞に似た動きは殺意に満ちて、辺りに炎を撒き散らす。慌てて結界を張った由利の近くにも落ち、床を這う荊へと広がった。
何故か荊は燃えず、青々とした蔓を伸ばして炎を飲み込んでゆく。まるで餌を求めて群がる鯉のようだ。身を焦がしながらも炎を求めることから、魔力に反応して動いているのか。
鈍い金属音と共に東雲の剣が折れた。割れた破片が右目の下をかすめ、鮮血がにじむ。女の口が三日月の形に釣り上がり、真っ赤な舌がちらりと覗く。剣を壊されたことで重心がずれ、不用意に踏み出してしまった東雲の首を曲刀が狙う。
「東雲!」
迷っている暇は無かった。由利は足下の荊を掴み、魔力を一気に流し込んだ。暴れる荊を力で押さえつけ、従えと強く念じる。聖女は魂に関する魔法に長けている。植物に魂があるのか知らないが、魔力が伝わるなら何かしら影響があるはずだ。
長く感じた抵抗は、現実には一秒にも満たなかった。東雲の首がはねられる直前で荊が成長しながらのたうち回り、女を捕らえて絡みついてゆく。
「お……ご……」
女の胸が締め付けられ、口から空気が漏れた。魔力を注ぐほど荊は勢いづき、全身の自由を奪う。
東雲は女の腕を掴み曲刀を封じると、折れた剣で荊ごと胸を貫いた。二度三度と女が完全に動きを止めるまで繰り返し、やがて剣を手放して後ずさる。膝をついた横顔は完全に青ざめていた。
「……東雲」
「私、生きてますよね……?」
「ああ」
かける言葉が見つからず、由利は東雲の肩に手を置いた。体が熱い。血の匂いがする。今なら成功するかと回復魔法を唱えてみたが、傷口は少しも塞がらなかった。
「魔獣が倒せたから、大丈夫だと思い込んでました」
荒く呼吸をしながら東雲が言う。視線はだらりと垂れた女の手に固定されていた。
「あれは魔獣だよ」
「人の形をしていても?」
「あれに知性が残ってたか? 魔獣じゃないなら亡霊だ。魔石が消えるまで動いてる機械」
「殺すことと止めることは違いますよ」
「そうだな」
女の体が崩れた。肉が腐り、荊の間から流れ落ちてくる。由利は見ていられなくなって目を逸らした。
「……あれを捕まえて、東雲に殺させたのは俺だ。一人で罪の意識に飲まれてんじゃねえよ」
「共犯って言いたいんですか」
「こっちが殺されるところだったんだぞ。無傷で逃げる方法があったか? お前も分かってるだろ。勝手に背負うな。半分よこせ」
「顔、青いですよ」
「手が震えてる奴に言われたくないわ」
立ち上がった東雲の顔色は、いくぶんましになっていた。折れた剣を眺めて、もう使えないなぁと強がっている。
「酒が飲みたいです。できれば強いヤツで」
「日本に帰れたら、いくらでも買ってやるよ」
「そこは飲みに連れて行ってやる、じゃないんですか?」
「酔い潰れた後輩の扱いとか知らないから無理。家で飲め」
「……由利さん、絶対モテないでしょ?」
「絶対って言うな! 少しはモテるわ!」
「どうせ飲み屋のお姉さんとかオバちゃん達でしょ」
真実を言い当てるとは失礼な奴だと由利は抗議したが、勝ち誇った笑みで黙らされてしまった。由利を凹ませて少しは元気が出たらしい。
「東雲」
「はい」
「お前さ、何を隠してんの?」
返事が無かった。
「ずっと何かが食い違ってる気がしてた。同じことを話してるつもりなのに、全く別のものを見てる」
「例えば、何ですか?」
「勇者と聖女と魔王。この存在が人間の間だけで完結してるんだよ。被害は世界に及んでるのに、解決できるのが人間だけっておかしくないか? 下で会った幽霊が言っていたことも変だ。聖女の選抜を神託って言っていたように、勇者と魔王も別の言葉に置き換えて誤魔化してるだけじゃないのか?」
東雲は思案するように腕を組み、場所を変えましょうと提案した。
「せめて魔獣が来ない場所まで行きましょう」
「分かった。それと……」
由利は荊の塊を見ないように注意しつつ、東雲へと手を差し伸べた。
「目を閉じるから、出口まで連れて行って下さい。色々、限界で……これ以上は、見たら吐く」
「……上がった好感度が台無しどころかマイナスですよ。まぁ、グロ耐性ない人にはキツイかー」
呆れを通り越して、優しい眼差しで手を握り返された。
由利さんの心は繊細ですねぇとからかわれても、何も反論できなかった。




