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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
閑話

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カメとエルフと温泉郷 後編


 岩を積んで形作られた湯船は、異世界を忘れさせるほど日本の露天風呂に似ていた。掛け流しの湯に肩まで浸かると、ため息とも感嘆ともつかない声が出る。


「やっぱり日本人には温泉だよねぇ」


 岩の窪みに頭を預け、東雲はぼんやりと呟いた。


「あと刺身が食べたい。醤油を舐める口実がほしい。どこかに売ってないかなぁ。無理だろうなぁ。いっそ醤油が湧き出る泉とかあればいいのに」


 異世界にも発酵食品はあるが、悲しいことに西洋文化に似通ったものばかりだ。極東の醤油や味噌といった調味料は影も形もなかった。


 慣れ親しんだ味が恋しいという気持ちはある。だが勇者の記憶が混ざってきた時から、故郷への感情が薄れてきていた。知っている料理でも食べれば回復するかもしれないが、調味料を手に入れる方法がない。当然ながら作り方も知らない。


 メニューに表示されたインストールは九十五パーセントまで達した。島から脱出する時に無理矢理結界を切り開いたせいで、かなり進んだようだ。魔王のところへ行くまでは保つだろうか。


「あと何個ウソつかなきゃいけないのかなぁ……」


 由利に全て話そうか迷ったが、結局言えなかった。本当のことを知った由利の反応が怖い。


 もともとただの先輩と後輩の仲だ。互いの人生に責任なんてない。由利がどう思っていても、これからの東雲には関係ないはずなのだ。極端な話、由利を聖女の体から追い出して、日本へ送ってもしまってもいい。むしろ世界のことを考えるなら、出来ることが限られている由利よりも、使命を果たせる聖女のほうが必要なのだ。


 けれど心を乗っ取るように、勇者の記憶と感情が東雲の中に広がっていく。今の気持ちが元からあったものなのか、それとも侵食してくる彼が持っていたものなのか分からなくなってゆく。


 由利は変化に気付き始めている。


 あの人は決して馬鹿ではない。よく他人を見ていて、人の心の中にそっと入ってくる。刺激を求める人には物足りなく映るけれど、一緒に暮らす相手としてはこの上なく居心地がいい。ただ由利が華やかな女性を好むせいで、恋愛にも結婚にも縁がないのだ。


 ――今更、気付いたところで、どうしようもないんだよなぁ。私も勇者も。


 東雲がぼんやりと湯船の外に造られた庭を眺めていると、大きな亀の頭が木々の間から出てきた。





「由利さん! 巨大なカメがいます!」


 名物だという果物入りの蒸しパンを頬張っていると、豪快な音を立てて浴室の扉がひらいた。


 振り返ると慌てた様子で東雲が出てきたところだった。服は着ていたが、髪がまだ濡れている。水も滴る良い男というのは本当らしい。妙な色気に見とれそうになって、自己嫌悪で落ち込むまでが一セットになりつつある。


「ちゃんと頭拭けよ。風邪ひくぞ」


 東雲が肩にかけていたタオルで髪を拭ってやると、真剣な表情が崩れて幸せの形にふやける。しばらく好き放題にさせていた東雲だったが、我に返って由利の両手を掴んだ。


「じゃなくて、外に大きなカメさんいますよ! 象並みのカメ!」

「そりゃ異世界なんだから、でかい亀ぐらいいるだろ」


 何せ竜が空を飛ぶ世界なのだ。大きいだけの亀なんて珍しくない。


「ああそっか。由利さん知らないんだった。七色森林ツノガメといって、異世界でも滅多に見られないレア生物かつ、抜けたツノが万能薬になるんです。ぶっちゃけると懐が寂しいのでツノを取りに行きましょう!」


 素直にお金がないと言われては仕方ない。


 魔法で髪を乾かした東雲に舌打ちしつつ、テラスを降りて亀が見えたという方向へ探しに出た。大きいと言っていただけあり、すぐに小山のような虹色の甲羅が見えた。


「あれ? 誰か乗ってるよな」

「誰かいますね」


 ストレートのプラチナブロンドを風になびかせた、三十代半ばに見える男だった。陶器のように滑らかな白い肌。コバルトブルーの透き通った瞳。特徴的な尖った耳。穏やかで知性を伺わせる表情の紳士が、何故か全裸で亀にまたがっている。


「変態だ!」

「変態だぁ!」

「むっ? そこに誰かいるのかね?」


 大声を出してしまったせいで、全裸の変態に気付かれた。落ち着いた低めの声が上から降りてくる。


「由利さん、あれエルフです」

「うそだろ……!?」


 異世界のエルフは裸族だったのか。いや、男でこれなら女は――由利の心は色めき立った。早く魔王を吹き飛ばして、エルフの里へ旅立つ時が来たのかもしれない。


「……普通のエルフはちゃんと服を着てますよ」


 心眼持ちの東雲が、道端の吐瀉物でも見るような目で言う。由利の心は急速に萎んでいった。明かされた事実のせいなのか、後輩の棘しかない視線のせいなのか、分析する気力もない。


「初めまして。良い精霊日ですね」

「おお。これはご丁寧に」


 落ち込む由利を放置して、東雲がエルフに話しかけた。エルフは亀の甲羅から滑り降り、似たような言葉を返す。エルフ流の挨拶だろうか。


 エルフは自己紹介をしたが、独特な発音と長い名前だったために覚えられなかった。辛うじて聞き取れたのは、最初のシュリクエルだけだ。


「ここはエルフの領域ではなかったはずですが、何かご用でも?」

「然り。弓の材料を採りに来たのだが、道に迷ってしまってな。これも経験よと森で過ごしていたら、怪我をしたこいつに出会ったのだ」


 変態エルフ改めシュリクエルは亀の首を優しく叩いた。亀はシュリクエルの手に噛みつき、もそもそと口を動かしている。痛くないのだろうか。


「ふふっ。可愛い奴め。こうして一緒に行動しているうちに、我々の間には友情が芽生えてな。共にエルフの町へ行こうとしていたのだ」

「エルフの居住地は海を越えないと辿り着けないはず。その亀は泳げませんよね?」

「それは君、聞いちゃいけないよ」

「あっそうか。すいません、迂闊でした」

「構わんよ。誰にでも間違いはある」


 シュリクエルは鷹揚に頷き、寛大な態度で東雲を許した。


 見た目はともかく彼は完璧な紳士だ。全裸だが。


「あの。どうして裸なんですか?」


 由利は恐る恐る聞いてみた。


「ざっと二百年ほど、この森で過ごしているうちに、服が朽ち果ててしまったのだ。ここは夜も暖かいから、服が無くとも困っておらん。それから君。裸ではない。ちゃんと隠すべき所は隠しておるだろう」


 堂々と言い放ったシュリクエルは、股間を両手で指差して強調した。大きな瑞々しい葉が付いている。どうやって付けているのか気になったが、詳しく説明されても嫌なので黙っていた。


「……淑女は異性の股など見ませんから」


 東雲がため息をついて由利の目を隠した。本当は自分の目を隠したかったはずなのに、迂闊に質問したせいで可哀想なことをした。


「それは失礼した。君はユーグと言ったか。裸の開放感を知っているかね? 人間の生は短いのだ。新たな扉を開くのも良かろう」

「いや、僕にそれを言われても」

「なに、脱いでしまえば後は心赴くままに振る舞えばよい。自然は偉大なのだ。全てを包み込み、そして受け入れてくれる」

「脱がないって言っただろ。森で朽ち果ててろ変態エルフ」

「東雲。性格が壊れてるから」


 自分の世界に入っていたシュリクエルには、東雲の罵倒が聞こえていなかった。いつでもこちら側で待っているよと、超越した者特有の澄んだ瞳で微笑んだ。


「して君達は何をしているのかね?」


 疲れている東雲の代わりに、近くにある温泉旅館の宿泊者だと言うと、やはりとシュリクエルは何かを納得したようだった。


「我が友が前進を嫌がるから何かあるとは思っていたが……混乱を生む前に去らねばならんな」

「そりゃ全裸の男がいたら混乱するよな」

「由利さん。エルフじゃなくてカメのほうですよ。薬になるって言ったでしょ」


 日本語で呟いた由利を、立ち直った東雲が訂正した。全裸エルフの衝撃が強すぎて忘れていた。亀の角を採りに来たのだ。


「変た――シュリクエルさん。帰るならあっちの三本杉がおススメですよ。今夜はグリザリースが満月ですから」


 確か小さな青い月だったようなと記憶を呼び起こす。


「ほう。君は精霊使いかね。忠告痛み入る。あいにくこの子の爪しか持っておらぬが、これで礼になるかね?」

「十分ですよ。よい旅を」

「風の加護を」


 最後まで紳士的な態度を崩さず、エルフは亀に乗って去っていった。全裸だから尻が丸見えだ。色々と台無しなエルフである。


「精霊使いって?」

「エルフの中で魔法を使う人は精霊使いと呼ばれています。彼らの術が精霊の力を借りて行うものだからなんですけど」


 その精霊は月の満ち欠けによって力が増減する。その時の月の状態に合わせて適切な精霊に語りかけないと術が使えないという。


「あとエルフには精霊の道という、瞬間移動が使えるんです。精霊がいるところじゃないとダメだし、使える場所が日によって変わるから難しいそうなんですけど」

「それであのエルフは迷ってたのか」

「あの大きな亀と一緒に使えるほど、大きな道が見つからなかったんでしょうね。あと精霊の道のことは公然の秘密ですからね」

「ああ。それで言っちゃいけない雰囲気だったのか。で、角じゃなくて良かったのか?」

「これでも十分、薬として使えますから。安い宿なら十年は暮らせますよ」


 亀の爪は桜色をしていた。形は空の赤い月と同じ、三日月だった。


 どうでもいいが、あのエルフは全裸のまま故郷へ帰るのか。他のエルフが服を着ているなら、向こうでも騒ぎになるのではないだろうかと、由利は少しだけ心配になった。

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