010 外へ
悪臭と薄気味悪い光景に耐えながら、バルゼーレがいるはずの独房まで来た。かかっていた鍵を東雲の一撃で粉砕し、恐る恐る中へ入る。
中にいる魔族も怖いが、背後にいる後輩も同じくらい怖い。うっかり怒らせないようにしよう。
魔法の光が天井へ移動すると、拘束されたバルゼーレが照らし出された。
肌がひりつくような眼光で睨まれたものの、思い切って話しかける。
「バルゼーレ、俺だ。由利だよ」
「あ?」
三秒ほど間が開き、バルゼーレは首を傾げた。
「どう見ても教会の女に見えるんだが」
「初めて会った時に、こっちの人間の体に入ってるって言っただろ?」
「言ってたけどよ……は? じゃあ、なに、お前、異世界に飛ばされた挙句、女の体で旅して来たのかよ?」
バルゼーレは傷を庇うように、苦しげな笑い方をした。やがて気が済んだのか、笑い殺す気かと理不尽に言い放つ。
「で? 動けるようになったから、ここへ来たわけか。さっきの爆発音といい、お前が来てから退屈しねぇな」
「この程度で満足してもらったら困るんだけどな」
由利はバルゼーレに契約をもちかけた。
「この島から出るために手を貸してほしい。俺はあんたの解放と魔石を先払いする」
東雲を振り返り合図をすると、壁際で見学していた東雲は、ガチョウの卵ほどもある魔石を手渡してきた。それをバルゼーレに見せると、彼はすっと目を眇める。
「それを報酬にすんのか……やっぱ面白いわ、お前」
バルゼーレの口が凶悪な笑みを形作る。顔に刻まれた傷のせいで引きつり、ぎらぎらと瞳が輝きだす。
「いいぜ、契約してやる。だから石を喰わせろ」
口を開けたバルゼーレに歩み寄り、魔石を咥えさせる。噛み砕かれた魔石が嚥下されると、傷口に燐光が灯った。二口で食べ終えたバルゼーレの背中に、コウモリのような羽が蘇る。
「いいねぇ! 効くじゃねぇか!」
勢いよく札が燃え上がった。鎖を引きちぎり、自由になったバルゼーレが獰猛に笑う。
本人はご満悦だが、由利は怖かった。約束を反故にされたらどうしようと、今更ながら不安になる。
「契約分、しっかり働いてやるよ。とりあえず教会の奴らをぶっ潰せばいいんだろ? それから――」
バルゼーレが東雲を見た。
「東雲美月。由利さんの後輩――えっと、部下みたいなものかな。ここに来た経緯は由利さんと一緒」
東雲は簡単に自己紹介をすると、服を出してバルゼーレへ投げ渡した。
「せっかく悪魔が復活するんだから、衣装が必要でしょ」
「気が効くじゃねぇか」
「由利さん、上へ戻りましょう。セルスラが心配です」
「分かった。じゃあ、頼んだぞ」
嬉しそうに着替え始めたバルゼーレへ声をかけると、任せとけと頼もしい返事が返ってきた。
地上へ戻る最中、東雲に魔石のことを尋ねてみた。
「あの魔石、特別なものだったのか?」
後輩にはたかりたくない。働いて返せるだろうか。
「魔族が好んで食べる種類のものですよ。大きさの割に魔力が詰まってて、ほぼ無駄なく魔力に変換できるらいとか」
「へぇ。魔石の種類で変わってくるのか。どんな魔獣から取れるんだ?」
「首が九つある蛇の魔石です。大きさは……マッコウクジラぐらいかなぁ」
だいたい十五メートルほどらしい。それだけ大きいと、倒すのも困難ではないのか。そう聞くと、東雲はいい笑顔で自慢げに言った。
「だって、由利さんにいい魔石を頂戴ってオネダリされましたから。張り切って一番いいのを出したんです」
「そんな可愛く言った覚えないけどな」
「人間が食べるとお腹を壊すから、口に入れちゃダメですよ」
「食わねえよ!」
見た目はイチゴ飴のようで美味しそうだが、魔獣の体内から出てきた塊だ。まず口に入れるという発想が湧かない。人を何だと思っているのか。
外に出た東雲は、首に下げた笛を襟元から引っ張り出して吹いた。銀色の細長い笛からは、小さな音しか出てこない。犬笛のような、人には聞こえない周波数帯なのだろう。
しばらくすると竜の咆哮が遠くで聞こえた。東雲は、さあ行きますよと言って、由利を肩に担ぐ。
「東雲っ、待って――」
「すいませんねぇ。今度は片手が使えないと不便なんです」
お姫様だっこキライでしょと苦笑され、由利は口ごもった。確かに嫌いだが、米俵のように担がれると、腹が圧迫されて苦しい。
走り出した東雲は建物の壊れた部分を利用して、跳躍を繰り返し屋根の上へと登っていった。休む間もなく屋根の端から身を投げると、赤いものの上に着地する。飛んでいるセルスラの上に乗ったようだ。
「何で、そんなに高スペックなんだよ……」
人を抱えたままスポーツ選手より高く跳べるとか、どうかしている。
「だって勇者ブーストかかってますから」
あっさりと答えが返ってきた。
「もともと身体能力が高かったんですけど、勇者に任命されたことで能力が大幅に底上げされたらしいですよ、この体。たぶん勇者をクビになったら、元に戻ると思います」
「人間辞めてるレベルにまで上がるのか……」
改めて考えると怖い称号だ。この世界の住人は、勇者のことをどう思っているのだろう。
地上で爆発が起き、バルゼーレの笑い声が響いてきた。向こうも活動を開始したようだ。人に攻撃しなかった東雲と違い、次々と意識を刈り取ってゆく。
かなり手加減をしているようで、地面に転がされて呻いている神父達が見えた。倒れている神父に、無事だった者が魔法をかけて救助し始めた。あえて殺さないことで敵の数を減らしている。拷問された恨みがあるにも関わらず、戦い方は冷静だ。
「セルスラ、北へ飛んで! そっちに穴を開けるよ!」
「開けるなら可視化してくれんかの」
「由利さんはあの悪魔に離脱するって伝えて下さい!」
「えっ。どうやって!?」
「知りませんっ」
声が届くだろうか。地獄耳であることを祈りながら、由利はバルゼーレへ叫ぶ。
「離脱するぞ! 閉じ込められたくなかったら、付いて来い!」
低空飛行で敵を翻弄していたバルゼーレは、ちらと由利を見上げた。急旋回して敵へ向き直ると、火の玉を連射して足止めをする。火は生えていた木に引火して、瞬く間に燃え上がった。
葉の油分が多い種類の木だったようだ。一部が慌てて消火作業を始め、由利達を追う敵の数がぐっと減った。
バルゼーレが付いてきていることを確認した東雲が正面へ手を伸ばすと、空の一部に光の輪が生まれた。瞬く間に大きく広がり、翼を広げたセルスラが通れるまでに成長する。
「早くっ……」
負担が大きいようだ。苦しそうに東雲が言う。
「勇者を名乗る男が、そう簡単に泣き言を言うでないわ」
セルスラなりの激励が飛び、飛行速度が上がった。振り落とされまいと必死でしがみつく由利には、声をかけることすら出来なくなる。
矢のような勢いで結界から飛び出したセルスラは、潮風に乗って高度を上げた。
進路は黒い煙が飛んで行った方向と同じ、北に聳える山脈だった。
*
「とりあえずこの状況を説明してもらえるかな、東雲さん」
竜の背に乗って飛行すること五分ほど。由利は深呼吸して心を落ち着けてから聞いた。
「そうですねぇ……まず由利さんが誘拐されたところから始めましょうか」
「本当にごめん。助けてくれてありがとう」
由利は素直に謝った。東雲が来てくれないと危なかった。下手をすれば異世界で死んでいたかもしれないのだ。
「……まあ、由利さんを一人にした私にも原因がありますから」
少し間をおいて、東雲は一人で行動していた時のことを教えてくれた。情報を得るために教会へ侵入したと聞いて、申し訳ない気持ちになる。自分のせいで後輩に違法行為をさせてしまった。
「そんな顔しないで下さい。由利さんの居場所とか教会の内情が分かりましたし、こうして捕まってた竜人を助けることも出来たんですから」
由利達を乗せてくれている竜人は、セルスラ・ヨルバ・ダンクレアと名乗った。声の幼さから子供だと思っていたが、千年以上生きている成獣と、念を押すように説明された。
「人の姿の時は、どう見ても子供だったけどなぁ」
東雲は不思議そうに首を傾げた。
「人の姿は特に定まっておらぬ。教会の人間は幼獣に無茶なことはせんからの。利用してやったまでよ」
「そうか。何で教会に捕まってたんだ?」
不自然な沈黙が流れた。
「お菓子で誘き出されたらしいですよ」
「こ、こらっ。言いふらすでないわ!」
呆れた顔で東雲が告げると、セルスラは身をよじって抗議した。由利が落ちるから止めてほしい。
「お菓子?」
「子供の遊びにウルム釣りというのがあるんですけどね。林にお菓子で作った輪を作っておくと、ウルムっていう大人しい魔獣が釣れるんですよ。小さな毛玉みたいな。で、このセルスラちゃんは人間のお菓子が大好きで、たまにこっそり人里に下りてくるとか」
「ああ。ザリガニ釣ろうとしたら、カミツキガメが釣れたようなもんか。大騒ぎになったんじゃね?」
「それはもう。すぐに狩人と聖職者が呼ばれて、暢気に寝てたセルスラを捕獲したんです」
「うぅ……トリス草が入った菓子は眠くなるから苦手なんじゃ」
トリス草はミントのような清涼感がある薬草だそうだ。竜人がお菓子で簡単に捕獲されていいのか。
「人間が他の種族を捕まえていいのか? 外交問題になりそうだけど」
「あまり良くないですね。ただ竜人も弱肉強食ですし、妊娠中の竜以外は自力で何とかしろってスタンスなんですよ。実際、本気を出した竜に正面から敵う人間なんて、滅多にいません。ただ最初に捕獲した狩人と聖職者は、竜人って見抜けなかったんじゃないかな」
セルスラは小柄だから、ただの羽トカゲと思ったんでしょう――東雲は日本語でそう付け足した。たぶん羽トカゲは竜人に言ってはいけない言葉だ。
「私が助けなくても、時間をかけてセルスラを説得して、竜人が住む地方へ帰ってもらうつもりだったんでしょう。魔法で拘束している以外は、あの悪魔に比べれば高待遇でしたよ」
「そりゃ人間側の都合はそうだろうな。捕まってるセルスラには関係ないけど」
「そんな訳で、私も追い詰められてる状況だったんで、二人で逃げてきたんです。それから由利さんが捕まってる島に、一緒に来てくれってお願いして。あとは由利さんが知っての通りです」
「よく協力してくれたな。セルスラにとってはメリットないだろ」
「我らは受けた恩を忘れるほど、恥知らずではないぞ」
羞恥心から立ち直ったセルスラは、安定した飛行に戻ってくれた。
「人間はすぐ死ぬからの。さっさと返しておかねばなるまい。それよりユーグ、ちゃんと覚えておるか?」
「うん。あそこの海岸に着いたら渡すよ」
東雲は見えてきた砂浜を指差した。その先には草原が続き、森が広がっている。森の一部からは蒸気が立ち上っていた。山脈は森の奥にある。
「渡す? 報酬か?」
「べっこう飴です」
どれだけ菓子が好きなのか。甘くて金色をしているところが気に入ったらしい。東雲は、私が唯一作れるお菓子なんですよと、いい笑顔で自慢し始めたが無視した。
海岸まで飛んできたセルスラが緩やかに着陸した。手伝ってもらいながら背中から降りていると、自由を楽しむように飛び回っていたバルゼーレも近くに着地する。
「おい火竜。ちょっと勝負しろ」
「嫌じゃ」
人型になったセルスラは、受け取ったべっこう飴を頬張った。バルゼーレの誘いをすげなく断り、ふいっと横を向いて全身で拒絶する。
即答されたことに気を悪くした様子もなく、バルゼーレは悪人顔に笑みを浮かべた。
「俺に負けるのが怖いのか」
「そこに居直れ! 身の程を思い知らせてくれるわ!」
怒れる赤竜が召喚された。瞬時に変化したセルスラは、空の上から早く来い外道と急かす。
「若い竜人様は扱いやすいねえ。じゃあな、ユリ! 次は捕まるんじゃねえぞ!」
「お前は自分の心配しろよ」
二人は上空へ飛翔すると、海の方へと飛んで行った。物騒な爆発音も聞こえてくるが、由利はうっかり死にたくなかったので忘れることにした。
何もない砂浜へ降り立ったはいいが、次の目的地があるのだろうか。東雲に尋ねてみると、上空から蒸気が見えた方角を指差す。
「とりあえず、温泉行きませんか」
悪くない。




