009 救出は豪快に
ぽっかりと空いた天井に大きな影が通り過ぎ、人影が落ちてきた。由利の腕を掴んだイノライの横に着地すると、彼を殴って強引に引き剥がす。更に短く何かを呟くと、電撃でザイラの体が弾き飛ばされた。
輝くような金髪に、嫉妬することを忘れるほど整った顔。異世界に来てから、嫌というほど差を知らされた相手がそこにいた。
「東雲!?」
「はーい。由利さんの可愛い後輩の東雲さんですよー」
空から豪快に降りてきた後輩は、ふざけた口調とは裏腹に、飛んできた魔法を的確に防ぐ。魔法で攻撃してきた男達は、地面を這って移動してきた白い紐に拘束され、その場に転がされた。
「な……何の、つもりですか、勇者」
長椅子に叩きつけられたザイラが、腹部を押さえながら立ち上がった。
「何のつもりは、こっちのセリフ。魔王退治の途中なんだから、邪魔しないでくれる?」
「……魔王がいる山へ行かず、リズベルで何をしていたのですか? 教会は敵前逃亡と見做して、聖女交代の手続きをしていたまで。貴方も勇者なら、契約のことはご存知でしょう?」
「勝手に主語を大きくしないでくれるかな? 聖女を交代させたいのは、聖典派と一部だけでしょ。だいたい事情も聞かずに誘拐するとか、聖典派は自分達が主導権を握れるなら、世界が壊れても構わないの?」
「質問に答えて下さい!」
東雲は少し考えるそぶりを見せてから言った。
「山には行ったよ。行ったけど問題が起きて、気がついたらウィンダルムの森に飛ばされてた。リズベルにいたのは、成り行きで」
「そんな与太話を信じるとでも?」
「信じる信じないはともかく、事実だからなぁ……」
困ったねぇと東雲は心にもない様子で言った。その横顔が知らない誰かのものに見えて、由利は胸騒ぎをおぼえた。
東雲は薄っすらと笑みを浮かべる。
「山に入ったことは、君達も知ってるはずでしょ? それとも途中で怖くなって帰っちゃった?」
「我らを愚弄するな!」
ザイラを中心に風が吹き荒れた。肌を刺すような痛みに、息が詰まりそうになる。ザイラが呪文を唱え始めると、風に光の粒子が混ざり始める。
「セルスラ!」
同じく苦しそうにしていた東雲が、由利を抱き寄せて叫んだ。
頭上が翳ったかと思った瞬間、大きな塊が落ちてきてステンドグラスを押し潰す。砕けたガラスが落ちるよりも速く、獣の咆哮が辺りに満ちた。
半壊していた聖堂は建物の形を維持できなくなり、内部で爆発でも起きたかのように四方へ砕け散る。風はザイラが気絶すると同時に、何事もなかったかのように収まった。
転がっていた男達は、いつの間にか壁際に寄せられていた。東雲が移動させたのだろうか。怯えた表情で身を寄せ合っている。
「だから、吼える前は合図してくれる?」
「防げる人間が言うことではないのぅ」
咆哮の主――赤い竜から、なんとも可愛らしい声が聞こえてきた。由利は自分の耳を疑って、硬い鱗に覆われた頭を見上げた。
竜は磨き上げた黒曜石のような目で由利を見下ろし、お主もかと言った。
「無事に回収したなら、長居は無用じゃ。乗らぬなら置いて行く」
「由利さん、ちょっと我慢して下さいね」
「ん?」
由利は軽々と横抱きにされた。人生初のお姫様だっこだ。まさか自分がされる日が来るとは思ってもみなかった。全く嬉しくない。
東雲は由利を抱えたまま跳躍して、竜の背中に飛び乗ると、優しく由利を座らせた。離れていた間に、振る舞いまでイケメン化されている。
動揺して顔が引きつりそうになる由利などお構いなしに、竜は曇天へ飛翔した。
「聖女様!」
ふらふらと立ち上がったイノライが、由利へ叫ぶ。
「貴女には聖女の役割を果たしてほしくない! なぜ、選ばれたのが貴女なんだっ!」
「――私も、そう思いました」
由利の口が勝手に動いて言葉を紡ぐ。心を包み込むような、優しい声音だった。
竜が空中に留まって、イノライを見下ろせるよう移動した。
「世界のためを思うなら、私ほど相応しくない聖女はいないでしょう。私は教会に教えられた方法を捨てて、自らの願望を優先しました」
「今なお聖女であり続けようとするのは、何故ですか。一体、何のために……」
「ある目的のために、誰かを犠牲にするのは、もう私達で終わりにします」
言葉はもう出てこなかった。
視線が高くなり、竜が上昇したと分かった。
イノライは捨てられたような悲壮な顔で、呆然と由利を見上げている。由利には彼にかける言葉が無かった。
「……何だよ、今の」
あれは由利の言葉ではなかった。
「さて、聖女の魂かもしれませんね」
東雲が気遣うように言う。
「案外、体の奥で眠っていたのかもしれません」
それなら早く体を明け渡してあげたいが、心の中で呼びかけても何の反応もない。
島の外へ向かって飛行していた竜が、東雲を呼んだ。
「ユーグよ、結界が作動しておる。外へ出られぬぞ」
「分かった。抜けられそうな穴を探すから――」
視界の右端で光が弾けた。下を見れば、教会の人間が魔法を撃ってくるところだった。中には意識を取り戻したらしいザイラがいた。額から血を流し、憎悪に満ちた目で呪文を唱えている。
東雲は放たれる魔法を防ぐことで精一杯のようだった。防御の術は得意ではないのかもしれない。
せめて竜ごと由利の結界で包めないかと試してみたが、魔法が使えなくなっていた。連続使用していたせいで、魔力が足りないのか。
「セルスラ、どこまで高く飛べる!?」
「これが限界じゃ! 奴ら、島全体に術をかけて獲物を逃がさんようにしておるわ」
セルスラと呼ばれた竜が、無軌道に飛び回りながら魔法を避ける。当たりそうなものは東雲が防がなければならず、結界の解析が度々中断されていた。
「東雲、地図から人を探すことは出来るか?」
ふと地下に監禁された魔族を思い出し、彼がいるおおよその位置を伝えた。
「確かに、魔族が一人いますね。どうするんですか?」
「あいつは教会に恨みがある。厳重に封印されてたから、数人で抑えられるような実力じゃないはず。いま脱獄させたら、敵を撹乱させられるぞ」
「陽動に使うんですか。そう上手く動いてくれますかね」
「契約すれば良かろう」
懐疑的な東雲に、セルスラが言った。
「見合う報酬があれば、奴らを雇うことができる。魔族は契約で成り立つ社会構造をしておるからの。先払いでもしてやれば、裏切ることはなかろうて」
「だったら魔石がいい。質がいいやつ」
魔石は食事の代わりになるとバルゼーレは言っていた。魔力に変換させて傷を癒せば、動き回る力を取り戻せる。
「じゃあ、交渉はお願いします」
東雲はセルスラの首に掴まっているよう由利に告げると、両刃の剣を取り出した。いつも使っていた無骨なものではなく、儀礼用のように柄や刀身に細工が施されているものだった。
「セルスラさん。あの辺りに急降下しちゃって」
「簡単に言ってくれるのう」
「えっ急降下ってぅああああああっ!?」
シートベルトも安全バーもないジェットコースターだった。必死でセルスラの首にしがみつき、急旋回からの急降下に耐える。
「そーれ切り裂けー!」
東雲の能天気な掛け声に、くたばれと何度思ったか分からない。
風を切る音と耳をつんざく破壊音がしたが、確認する間もなく浮遊感に襲われた。東雲に竜から引き剥がされたと分かったのは、二度目のお姫様だっこで地上に降りてきた時だった。
セルスラは急上昇して空へと消える。咆哮と破裂音が次第に遠くなってゆく。囮になって時間を稼いでくれるようだ。
「……助けてもらっといて何だけど、色々とお前に言いたい事がある」
「奇遇ですねぇ。私も由利さんに言いたい事があるんです」
「島を出たら反省会な」
「懐かしい響きですね。居酒屋があれば、もっと良かったんですけど」
ふふっと由利は乾いた笑みを、東雲は満面の笑みを返し、派手にえぐれた地面を見た。
「地下室、潰れてねえよな?」
「さすがにそこまでの攻撃力はありませんよ」
東雲が壊したことで、地下への入り口が無防備に晒されていた。由利が探索していた時は見張りがいたが、辺りを見回しても人らしきものは見えない。
「心配しなくても見張りは居ませんでしたよ。任務放棄したか、セルスラを追いかけ回す戦力にされたかもしれませんね」
「人の心を読むんじゃありません」
生身で地下に降りるのは初めてだ。人が近寄ってくる前に、由利達は階段を降りた。




