005 東雲、放浪する
聖女を隠しておくには、どこがいいだろうか――東雲は流れる雲を眺めながら考えていた。
彼女は組織にとっては重要人物だが、全ての宗派から支持されているわけではない。目障りとはいえ、始末したことが知られるのはまずい。監禁していることも気付かれたくないはず。
東雲は聖典派が聖女を始末する可能性は低いと考えていた。殺すなら宿で強盗の犯行に偽装したり、通り魔を使うなりすれば済む。そうしなかったのは、聖女が殺されれば真っ先に自分達が疑われるからだろう。
それに勇者と聖女に何かあれば、まず二人が滞在していた国が黙っていない。魔王を唯一倒せると言われている二人は、誰も妨害してはならないと決められている。討伐が遅れるほど被害が増えるため、統治者だけでなく一般市民も彼らの動向を気にしていた。犯人を見つけだして背後関係を調べ、教会の横槍のせいで死んだと公表するだろう。そうしなければ自分達が非難されるのだ。
聖女の座から引き摺り下ろしたいなら、自分から辞めさせるよう仕向けるほうがいい。討伐の失敗は教会の威信にも関わる。聖女の交代なら内部で処理できるのだ。
「由利さん見つからないなぁ……」
東雲は半分が瓦礫と化した修道院で途方に暮れていた。
キルシュ大聖堂で手紙を盗み見た後、聖女を隠すなら女子修道院が最適じゃないかと思いついた。女性しかおらず、世間からは隔離されている。修道院は宗派ごとに分かれているから、聖典派が運営するところに閉じ込めてしまえば、他派から簡単に隠せる。
そうして地図を検索して、現在地から最も近くにあった女子修道院へ来てみた。
嫌な予感はしていたのだ。岩山の山頂まで続いているはずの参道は崩れているし、麓の森も竜巻が通った跡のように破壊されている。登るにつれて修道院が見えてきても、人の声や生活音が全く聞こえない。
門の前まで辿り着いたとき、予感は確信に変わった。ここはもう修道院ではない。
つい最近まで、修道女達がここで暮らしていたのは間違いない。薬草園は踏み荒らされていたものの、手入れされていた跡がある。僅かに残っていた食料も、腐っているものはなかった。
――転がってる魔獣の死体が関係してるのかな。
虚ろな目をした巨大猪魔獣、レッドボアがひっくり返っている。外傷はない。腹を切り開いてみると、魔獣なら持っているはずの魔石が見つからなかった。
来た道を苦労しながら下り、山頂から見えた村へと向かった。無傷だった村の住民なら、何か知っているかもしれない。
森の獣道を抜けて行く途中で、ある木の実を見つけた。紫色をした梅に似ていて、草木染めの染料として収穫されているものだ。
東雲は鏡を適当な岩の上に置くと、熟して落ちそうになっている実を取り、髪に擦り付けた。実から溢れた果汁が髪に付くと、輝くような金髪が茶色くなってゆく。勇者の外見は目立つ。髪と眉だけでもありふれた色にして、なるべく人の記憶に残らないようにしたかった。
「少しは地味になったかな?」
今度は見た目を変える魔法でも開発しようと心に決めて、残った種を根元に捨てた。また使うことがあるかもしれないと、手頃な実を収穫して鏡と一緒に異空間へ収納する。持ち物の欄にラパの実と記入されたことを確認してから、また村へ向かって歩きだした。
しばらく進むと森を抜け、柵に囲まれた畑と村が見えてきた。柵には等間隔に獣避けの装置が付けられている。畑の作物を狙う獣が柵に触れると、電気柵のように刺激を与えて追い払う仕組みだ。
畑には農作業をする村人が数人いた。近付いてくる東雲を、明らかに警戒している。
東雲は柵越しに声をかけてみた。この柵は人間にも効果があるから、触れると危険だ。
「あの、山の上にある修道院のことなんですけど……」
村人達はお互いに顔を見合わせたが、一人の中年女性が東雲に聞いてきた。
「あんた、教会の人かい?」
「旦那様から手紙を届けるよう言われてまして」
もちろん嘘だ。使用人と思わせておけば、詳しいことを聞かれても許しがないので言えないと誤魔化せる。
女は東雲の言葉をあっさり信じ、そりゃ残念だったねと憐れむように言った。
「あそこは魔王軍に襲われてね。つい先日、埋葬が終わったところだよ。もともと人は少なかったから、死んじまったのは修道院長とシスター数人だったんだけどさ」
「ありゃ酷かったなぁ」
東雲が敵ではないと分かったのか、他の村人が加わってきた。東雲より少し年上の青年だ。
「魔獣に食い荒らされててさ。何人死んでたのか、言われなきゃ分からないぐらいだったよ。正確に分かったのなんて、残ったシスター達が集まってからだし」
あっちに埋めたんだよ――青年が村の奥を指差した。柵の外に幼児ほどの大きさの石が置いてある。墓石の代わりだろう。彼女達の名前も教えてくれたが、当然ながら知らない名前だ。
「可哀想になぁ。収穫祭の時やら季節の祈りの時ぐらいしか交流はなかったがね、みんな顔見知りだし良い子達ばかりだったよ」
そう老人が言うと、皆は沈痛な顔で黙ってしまった。
「……生き残ったシスター達は?」
「あの子達なら、うちの若いのが馬車に乗せてダンクエールへ連れて行ったよ。すれ違いになっちまったね」
話を聞く限り、修道院に由利はいなかったようだ。結界が使える由利なら、魔獣に殺されることはない。生き残った中に知らない修道女がいたら、きっと目立って話題になる。
東雲は村人達に礼を言って、シスター達を追いかけると告げた。余所者を村へ入れたくない人々は、形だけの心配をして農作業に帰ってゆく。
「悪いね。いつもはここまで冷たくないんだけど、魔王軍が近くを通っていったもんだから、ちょっとピリピリしてるんだよ」
青年が申し訳なさそうに言った。
「慣れてるから平気。墓参りして行きたいんだけど、そっちは近付いてもいいのかな?」
「柵の外だから大丈夫だと思う。みんなには言っておくよ」
青年と別れて墓へ向かう間、村から視線を感じていた。途中に咲いていた野花を摘み、小さな花束にして墓に供える。こちらの作法で祈りを捧げると、ようやく視線の刺々しさが和らいだ。
顔も名前も知らない。
もっと早く勇者と気付いて行動していれば、彼女達は死なずに済んだだろうか。
岩山を見上げると、崩れた修道院がわずかに見えた。
魔王には魔獣を操り、凶暴化させる力があると言われている。魔王軍と呼ばれているが、実態は種類に関係なく群れをなし、あらゆるものを蹂躙しながら進む厄災だ。
操られた魔獣は命ともいうべき魔石を燃やし、動けなくなるまで暴れ回る。だから魔獣の死体には魔石が残らない。どこで発生してどう進むかは運次第。
「……早く見つけないと」
魔王討伐に聖女は欠かせない。彼女が魔王の動きを封じ込めなければ、討伐は失敗してしまう。この世界を東雲が救う理由はないが、勇者と聖女を独占していいわけはない。
東雲は村からダンクエールへと続く道に出た。シスター達を追いかける気はない。村から見えないところまで来たら、魔法で転移するつもりだ。
ふと気になってメニューを開いてみると、インストールは五十八パーセントまで進んでいた。
――由利さん探すために力使ったからなぁ。
使うほど馴染んでくるのは便利だが、得体の知れない怖さもある。しかし使わないと由利を探せない。
「うん、アレだ。何かあったら由利さんのせいにしておこう」
東雲は開き直ってメニューから地図を表示した。今度は王都ローズタークにある聖堂を目指そう。枢機卿クラスなら聖女の情報が入ってくるかもしれない。
転移先を王都の郊外に設定すると、東雲は慣れない浮遊感に身を任せた。




