002 情報収集
「――僕はもう少し評価されてもいいと思うんだよね」
赤い僧服の青年――イノライは切ないため息をついた。ステンドグラスの下で膝を抱えて座り込んでいる姿は、なかなかシュールだ。
仕事がねぇ、終わらないんだよとイノライは続ける。
「夢の中にね、白紙の札が出てきて喋るんだ。早く作れって。毎日毎日、魔力が枯渇するまで作ってるのに、まだ足りないらしいんだよ」
それ働きすぎだから――由利は聖職者という名の社畜を優しく見守る。
ゴシックロック系バンドでベースを担当していそうな青年は、見た目とは裏腹に搾取される側らしい。初対面の時の気怠げな雰囲気は、本人の性格ではなく本当に疲れていたようだ。あの謎めいた言葉も、散々利用されて疲弊する前に逃げられるといいね、というニュアンスだったのか。
イノライは仕事に疲れると、誰もいない聖堂で時間を潰しているという。対外的には祈りの時間だと説明しているが、鬱に片足を突っ込んでいるように見えてならない。
再びイノライが聖堂を訪れたとき、由利には終電を待つサラリーマンに見えた。思わず何かあったんですかと声をかけた結果、何故か彼のカウンセリングをすることになってしまった。
「人を増やしてほしいって陳情しても、なかなか作れる人がいないんだよ。免罪符。聖女様がいた孤児院にも、適性者はいなかったでしょ?」
「そうですね……」
――免罪符って、罪の許しを金で買ってたアレか?
作れる者が限られているということは、ただの紙切れではなく何らかの加工がされているのか。教会の資金源にしていることは間違いなさそうだが、買った者にどんな効果があるのか気になる。一枚手に入れて東雲に見せれば、分析してくれないだろうか。
「だからさ、もうちょっと生活の質を上げてもいいはずなんだよ。ここ、自然以外何もないし。島に来る娘はアレだしさ」
「アレ、ですか」
「ちょっと、ね。ほら、目の色が違うって言うか、なんかこう、ちょっとギラついてる感じ?」
狂信的と言いたいのだろうか。確かにわざわざ船に乗って免罪符を買いに来る時点で、普通の人とは違う気がする。
「とにかく怖いんだよ、あの目が。歳も性別も違うのに、目だけ一緒でさあ。僕なんて年功序列で責任者にされちゃっただけで、販売も手伝えって言われてるんだよ」
イノライは忌々しそうに、首から下げた銀細工を引っ張った。丸の中に二つの四角を組み合わせたペンダントで、細かい装飾が施されている。由利にはただの装飾品にしか見えなかったが、教会のシンボルかつ責任者の証でもあるようだ。
「あんな物売ったところで、何になるんだろう。罪の意識を無くしたところで、やったことは変わらないし。売ったお金もどこに消えてるのやら……」
社会に疲れた、長いため息だ。
「寝ても疲れ取れないし。責任者なのに個室じゃないんだよ。食事もね、質素を通り過ぎて貧相で……前にいた教会のほうが良かったなあ」
言いたいことを言ってすっきりしたのか、イノライはほんの少し晴れやかな顔で帰っていった。労働環境には同情するが、由利にはどうしようもない。それに彼は好きなだけ喋って帰っていくだけなのだ。結界があるせいで手出しできないだけだろうが、今のところはほぼ無害と言える。
由利が島に連れてこられてから三日も経ってしまった。食事は結界内で床ドンしてみたら出てきたから不自由していない。ここにきて引きこもり魔法の完成度が上がってきた。由利の引きこもりに対するイメージが偏っている気がするが、気にしたら負けだと思っている。聖堂に隣接されたトイレへ行くときだけが危険だ。使用中に襲撃されたくない。
由利は幽体離脱していることを悟られないために、祈るような姿勢になってから体を抜け出した。
隠れながら移動を繰り返したお陰で、島の様子がだいたい分かってきた。
教会の施設は島の中央にある小高い丘にまとめられ、西側に小さな港がある。北側に広がる森には、由利が閉じ込められそうになった塔がある。海を挟んだ遥か遠くに、雪を被った山脈が見えた。
南側は開拓されて菜園が広がっていた。島の周囲は切り立った崖になっているので、港以外に船をつけることは出来そうにない。
港を観察してみると、イノライ達が作っているという免罪符を積み込んでいるのが見えた。革の四角い鞄に隙間なく詰められ、検品した後に鍵代わりと思われる魔法をかけている。
船が出入りするときは、乗客一人一人が僧兵に何かを見せていた。葉書ほどの大きさの紙で、僧兵が手をかざすと青く光っている。身分証か乗船券だろう。偽造はできそうにない。
船から降ろされる積荷は、食料品が入った袋や木箱がほとんどだ。反対に島から運び出されるのは、人と免罪符と教会内で作った薬など。人が入れそうな大きさのものは無い。
停泊している間は僧兵が見張りに立っているし、船が港に入っているのは昼間だけ。密航して脱出するのは諦めるべきか。
あとは移動用の魔法を見つけるしかなさそうだ。選択肢としては自力で使えるようにするか、使うための道具を見つけるか、使える人を脅迫するか。
一つ目は時間があれば試しているものの、手応えは微塵もない。
二つ目は魔法の知識が無いために見つけられない。
三つ目は使えそうな人物に心当たりはあるが、脅迫できるだけの材料がない。あのジョフロワと呼ばれていた男は、あれから姿が見えない。部下の女も同様で、島にいないのかもしれない。
由利はふわりと漂って地下牢に降りた。また来いと言われていたし、魔法のことで相談できそうな相手は一人しかいない。
壁に並ぶ道具を見ないように特別房へ入ると、先日と同じ姿勢でバルゼーレが座っていた。腕に真新しい傷が増えている。
入った途端に鋭い目線で凄まれたが、由利と分かるとお前かと疲れた声で言った。まるで手負いの獣だ。
「魔石持ってるか? あいつらが持ってくる石はクズばかりだ」
「ない。あっても持ってくる手段がない」
「使えねえな、異世界人」
「そんなの俺が一番よく知ってる」
バルゼーレは口の端を歪ませた。笑っているらしい。
「魔石がいるのか?」
「アレがあれば、俺達魔族はメシの代わりになる。効率は悪いが魔力に変換すればケガが治せるんだよ。あいつらはそれを知ってるから、死なない程度のクズしか持って来ねぇ」
由利は試しに回復魔法を使うイメージを膨らませてみたが、全く効果がなかった。安定のポンコツぶりに涙が出そうだ。
「魔石があれば回復できるのか。保管場所が見つかったら教えるよ。あとは自力で何とかしてくれ」
「優しいねェ。ついでにこの札を剥がしてくれよ」
「文字が虫みたいだから無理。触りたくない」
「もうちょい本音を隠せや」
触った途端に魂が消滅するような札かもしれないのだ。危険なことからは全力で遠ざかりたい。
「で、島から出る方法は見つかったか?」
由利は正直に島の様子を話した。どれも実現不可能だと告げると、そうだろうなと返事が返ってきた。
「俺がここに移されたのも、脱獄されても捕獲できるって信じてるからだ。この島は人を逃がさないために作られてる。お前の監視が緩いのも、逃げられないと思ってるからだろうな」
「ずっとここにいる割には詳しいな」
「何度か脱走して捕まってるからな。そのせいで羽を切り落とされた」
ほら、と背中を見せられた。肩甲骨のあたりに黒い突起が見える。ここに羽が生えていたのか。
「無茶するなぁ……」
「むかつくヤツが部屋に来たら、とりあえずブン殴って脱走したくなるだろ?」
「ならないから」
自分がそうだからって、一緒にしないでほしい。魔族の取り扱いは難しそうだ。
「それにしても人を逃がさない島か……免罪符作ってるからかな?」
「免罪符?」
イノライから聞いた話や聖堂での販売について説明すると、バルゼーレは腕を組んで壁にもたれた。
「そういや、ずっと妙な気配があるなぁ……人間が考えることは分からん」
感じたことを話してくれる気はないらしい。由利は気になっていたことを聞いてみた。
「魔族は魔王についてどう思ってるんだ?」
「あ? 魔王? どうって……そうか、お前らはアレを魔王って呼んでるのか。面倒くせぇとしか思ってねえよ。中にはアレに影響されて発狂する奴もいるけどよ」
ゲームなら魔族は魔王の配下だが、こちらの魔族は別の勢力のようだ。そういえば神話でも魔王の側についたとは書かれていなかった。
「影響されると発狂すんの?」
「多分な。俺は会ったことねえけど、魔王から逃げてきた奴は、向こう側に引きずられるって言ってたな。その後そいつ死んだから、詳しいことは知らねえよ」
「魔王の影響で?」
「いや、単独で双頭の海蛇に特攻して死んだはず。噛み付かれて海に連れ去られたから、たぶん死んでるだろ」
「魔族って戦闘狂しかいないのか」
「強いヤツと戦って死ぬのが本望なんだよ」
由利には一生分からない望みだ。




