014 由利の戦い
「他人の手助けをしている余裕があるのかしら?」
鞭がしなって結界を叩く。蜘蛛の巣状にヒビが入り、軽やかな音を立てて砕けた。
モニカを助けるために富嶽を使うのは上手くいったが、由利の攻撃手段が一つ減った。予備を持っているので魔力さえ注入すれば同じものが出てきてくれる。だがロズリーヌに手の内を見せることになるので、いつ出そうか迷っていた。
由利はエルフの必中の加護を信じて光弾をロズリーヌへ撃つ。追撃しようとしていたロズリーヌが後退して光弾を蹴った。スリットが入ったスカートが翻り、長い足が光弾を捉える。光弾はロズリーヌの靴を覆う装具に当たると、粒子を散らしながら消えていった。
「悪くない魔力ねぇ。おかげで遊べそうだわ!」
ロズリーヌが空中を蹴る。間合いは由利から離れているが、そんなことは関係ない。由利は結界を小さく、厚くなるように展開した。一拍遅れて飛来した衝撃波が結界をかすめる。少し触れただけで結界が深く切り裂かれ、由利はほぼ唯一持っていた能力に感謝した。
――これ、詰んでないか?
鞭による中距離攻撃に、魔力を吸収して己の攻撃に転換できる足具。先程の蹴りを見れば、接近戦もそれなりにこなすだろうと予想がついた。うかつに光弾を撃てば由利へ返ってくる。
「もう。すぐに結界に引きこもるなんて楽しくないじゃない。出てきてよ、ほら!」
鞭で叩かれ、結界が薄くなってゆく。由利は扱いやすいように偽装していた杖をバットに戻した。もう聖女と偽ることもない。使い慣れた長さで立ち回ってもいいはずだ。
攻撃の合間に結界を解除し、用意していた折り紙を握る。魔力操作は不得手だが、これは由利が使いやすいようにと調整してくれていた道具だ。由利の意図を汲んで必要な魔力を吸い取ってゆく。
「残念ね、それは使わないでもらえる?」
ぞっとするほど妖艶なロズリーヌの声がした。左手に強烈な痛みが走り、折り紙が飛ばされる。
「これ、さっきの犬になるんでしょ? 不思議な魔法だけど、私に使い方を見せたのが失敗だったわねぇ」
折り紙はロズリーヌに千切られ、床へ落ちた。
由利は血が滲む手を押さえて下がり、回復魔法で痛みを封じた。集中の邪魔にさえならなければ、完全に治さなくてもいい。
「本当、つまんないわね。見た目は可愛いんだから、泣いてもいいのよ? イイ声で楽しませてよ」
「お断りだ。あんたを楽しませるために生きてきたわけじゃないんだよ」
「涙目で睨んでくるところとか、もう本当にゾクゾクするのよねぇ。でも不思議と食指が働かないのよ。あなた、見た目と中身が合ってないって言われたこと、なぁい?」
ロズリーヌは苛立たしげに床を鞭で叩く。本能に近いところで由利が生粋の女性ではないと嗅ぎ取っているのだろう。
「しつこいな。そんなに相手の性別が重要か?」
「大事よ。だって私、女の子をいじめるのが好きなんだもの」
「うわ……」
とんだカミングアウトだ。ドン引きする由利とは対照的に、ロズリーヌがうっとりとした顔で微笑む。
「可愛いのよねぇ、泣きながら止めてって懇願してくる顔が。悲鳴なんて最高よ。私だけがこの娘を自由にできる。目に見える傷も、心の傷も、どっちも好きだわ。私の顔を見ただけで怯えてくれるのよ。この娘にとって、私は唯一の存在になれたってこと、もっと感じていたいの」
どうして由利が相手にする敵は癖が強すぎるのか。生真面目なザイラと戦っているモニカが羨ましい。別の意味で泣きそうだ。
「反対に男は嫌いなのよ。泣き顔なんて汚いじゃない? 体も硬いし、筋肉だらけだし。何をしても面白くないの。だから私、賢者様にお願いして女の子の体にしてもらったわ」
「えっ!? あっハイ、そうですか」
ロズリーヌは元男だった。由利とは違って本人が望んだ上での変化だ。聖典派は戒律に厳しいのではと思ったが、ここにいるのはエッカーレルクについてきた集団だ。倫理が一般人とは違うのだろう。
「あぁ……賢者様は本当に素晴らしい方よ。あの方に仕えてから、やっと本来の性別として生まれ変わったって感じるわ」
由利はロズリーヌから大きく距離をとった。なるべくお近づきになりたくない。同性とはいえ価値観が違いすぎて、理解することを心が拒否している。世界は広いなと由利は現実逃避した。
「そんなわけで、私から見たお嬢ちゃんは異端なの。もう飽きたから壊れてちょうだい!」
「な、何でもいいから出てこい!」
迫る鞭をバットで弾き、由利は光弾以外を願った。なるべくロズリーヌに力を奪われずに、かつ攻撃を引き受けてくれそうなもの。勝手な願望だったにも関わらず、バットに刻まれたエルフ文字が光を放つ。
「まだ抵抗する気!?」
「抵抗しなきゃ殺されるだろ!?」
バットから放出された光が由利とロズリーヌの間に落ちる。光は瞬く間に人の形になり、由利を庇うように立ち塞がった。
「くっ……今度は何!?」
フリルがついた極彩色のミニドレスを纏った、小太りの中年男が現れた。背中にはアゲハ蝶の羽を生やし、星がついた短い杖を持っている。遭遇する者に貴重なアイテムを渡すという、人徳者という名の変態妖精だ。
「変態の相手してたから、変態の幻が出てきたじゃねえか! どうしてくれんだよ!」
「ちょっと、私のせいって言いたいわけ!?」
誰でもいいとは願ったものの、本当に誰でもいいとは思っていない。ついロズリーヌに八つ当たりをしたが、呼び出したのは全面的に由利の責任だ。亡者の一撃で霧散するような幻に何ができるのか。しかし出した以上は活用してみようと、由利は妖精に命じた。
「あー……とりあえず、そこの人から守って」
妖精は慈愛に満ちた顔で、由利へサムズアップした。某ゲームからトレスされた妖精は、見た目はともかく性格は良いのだ。性格は。
「こんな幻に何ができるっていうの!?」
鞭がしなる。妖精の頬を強かに打ち据え、一撃で霧へと変えた。
「やっぱり弱っ……ん?」
霧は消えずに集まり、再び人の形になってゆく。嫌な予感がした由利の目の前で、今度は純白のドレスを着た妖精が現れた。見た目が悪い方向にバージョンアップしている。しかもほのかに発光するドレスが、謎の神々しさを演出していた。
「あんた、こんなのが趣味なの?」
「んなわけあるか。ブチ殺すぞ」
「そ、そうよね」
由利の心からの恫喝に、ロズリーヌが怯んだ。あれが好みだと誤解されるくらいなら、死んだ方がマシだった。そんな感情が声に凄みを持たせる。
「まあ、失敗作なんてよくある話よ。消えなさい」
ロズリーヌの鞭が妖精を打つ。恍惚の表情を浮かべた妖精が霧に変わり、また集結しようとしていた。
「しつこいのよっ」
振り上げた足が妖精を捉える。霧が足具に吸収され、妖精は完全に消えた。人任せとはいえ悪夢のような姿が見えなくなったことに安堵した。あれは存在してはいけないものだ。絶対に。
蹴りの風圧でロズリーヌの足元に落ちていた紙が舞い上がった。片足はまだ床についていない。由利はロズリーヌへ向かって走り、距離を詰める。
「素人の考えなんて読めてんのよ!」
鞭が手元に引き戻される。由利の速さではロズリーヌに接近する前に、鞭の餌食になる距離だ。
「富嶽!」
舞う紙の一つが日本犬の姿になった。太い足で床を踏みしめ、ロズリーヌの腕を狙う。
「甘い!」
噛みつかれる前にロズリーヌは裏拳で富嶽の顎を打ち抜いた。触れた部位が発火し、富嶽が炎に包まれていく。炎に照らされたロズリーヌの横顔が、嗜虐的な笑みを浮かべる。
富嶽が稼いだ時間は、隙と呼べるほど大きなものではなかった。由利はまだロズリーヌに届かない。
「終わりよ、お嬢ちゃん。その体は私の好きにしていいわよね? どうせ心なんて変えちゃえばいいんだし」
由利は答えずに光弾を撃った。どれもロズリーヌには当たらず、周囲の床に着弾して消える。
「下手ね」
「いや、これでいいんだよ! 起きろ富嶽!」
床に散乱する紙切れが動いた。その一つ一つが犬を形どり、一斉にロズリーヌへ向かって牙を剥く。ロズリーヌが千切った数だけ、富嶽と名付けられた犬型の呪物が発動した。
「な――」
ロズリーヌは噛み付いてくる富嶽を燃やして応戦したものの、数の多さに押されている。攻撃に見せかけた魔力付与では富嶽の発動時間は短いが、ロズリーヌを足止めするには十分だった。
腕を、足を富嶽に捕まったロズリーヌが由利を睨む。
「あああああっ! ふざけんじゃないわよ!」
ロズリーヌの全身が炎に包まれ、枷になってくれた富嶽が燃える。自由になった腕から血を滴らせ、ロズリーヌは鞭を振るった。
腕の動きと連動している。来るのは横なぎの軌道。由利は走る勢いを緩めず、己の勘に従ってただ突っ込んだ。
このまま進めば腰に当たる。軌道を修正できないところまできたとき、由利は滑り込みで攻撃を避けた。戦う技術など知らなかった由利の頭の上を鞭が通過してゆく。
ロズリーヌの側で立ち上がった由利は、握ったバットを構えた。体が変わっても、振る感覚は覚えている。この世界の騎士が数え切れないほど剣を振ったのと同じく、由利は子供の頃からバットを使っている。
「恨むなよ!」
バットに魔力を流す。由利に呼応するようにエルフ文字が輝き、全体が光を帯びた。狙ったのはロズリーヌの腹部。バットを通じて両手に衝撃が伝わる。
「やああああっ!」
押し戻されるバットに力を込め、由利はバットを振り抜いた。ロズリーヌの体が吹き飛び、床に叩きつけられる。
「は……やった? 不意をついて起き上がってこないよな?」
近づいてバットの先で突いてみても、ロズリーヌは動かない。上手く気絶してくれたようだった。由利はロズリーヌのスカートをそっと直してやることにした。中身が男とはいえ、下着が見えそうになるまではだけているのは可哀想だ。
「ユリさん!」
ザイラに勝ったモニカが走り寄ってきた。
「念のために縛っておきましょう」
倒れているロズリーヌを見るなり、モニカは精霊に頼んで植物のツルで拘束する。穏やかな性格の聖女ですら、この対応だ。由利は己が敵に甘いことを思い知った。
「行きましょう。次はエッカーレルクです」
「ん。いよいよ本命だな」
由利とモニカはエッカーレルクがいる祭壇を目指した。ステンドグラスから差し込む光が弱くなっている。外では日が陰ってきたのかもしれない。
――夜になると力が増す、なんて無いよな?
等間隔に配置された燭台に火が灯った。明るさが増した大聖堂に、エッカーレルクの姿が浮かび上がる。対峙しているのが東雲とフェリクスだということが分かり、とりあえず安堵した。
「お二人の邪魔をするわけにはいきませんね。少し遠いですが、ここから葬送の準備に入ります」
モニカが床に杖を立てた。ふわりと髪の一部が光を帯びたように見える。
「分かった。モニカは集中してて」
どんな攻撃が来ても守れるように――由利はモニカの横で結界を展開した。東雲にもらった飴を口に含むと、すぐに甘くて苦い味が広がっていった。




