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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
6章 堕ちた栄光

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005 変わるもの


 白地に青い刺繍がされた僧服は、聖女の象徴でもあった。袖を通して鏡の前に立つと、黒髪の少女が不安そうな顔で見ている。肩の辺りで切り揃えられた髪に触れる。鏡の中の少女も右手を彷徨わせて髪を摘んでいた。


 自分で動かしているのに自分の体ではない。そんな感覚が一層強くなる。ゆっくりと自我が崩れていくようで、由利は鏡から離れた。


 自分が別の誰かに塗り替えられているようだ。鏡を見るたびに、これまでの人生が否定されていく。由利なのかリリィなのか曖昧になって、この意識が消えるのが怖い。


 東雲は、この不安をどう克服しているのだろうか。知りたいことばかりが積もり、解消されないまま心の隅を占領している。知らなければ良かったと後悔したくなくて、どれも外に出せないままだ。


「どうかな。変なところは無いか?」

「大丈夫です。よくお似合いですよ」


 振り返ってモニカに尋ねると、儚げな微笑を向けられた。


 由利が聖女の身代わりになることを、最後まで反対していたのはモニカだった。由利を危険に晒して、自分は安全圏にいることが耐えられないのだろう。エッカーレルクという悪霊を退治できるのは聖女だけだと説得して表向きは納得してもらったが、やはり罪悪感を抱えているようだ。


 白い僧服で男装したモニカは、長い髪を結い上げて帽子に隠している。行政府で勤務する聖職者だけが着ている制服だ。女性らしさは隠せていないが、戦場に紛れ込むには十分だった。


 寝室を出ると、東雲がソファーに座って寛いでいた。


「最後の仕上げをしましょうか」


 東雲は手に黒髪の束を持っている。イスに座るよう言われ、由利は背もたれが無い丸イスに腰を下ろした。なぜか正面に同じイスが置かれ、東雲がそれに座って由利の前髪をヘアピンで留めていく。単にカツラを被せて終わりだと思っていたら、顔に何かを塗られた。


「化粧?」

「聖女様が青い顔をしていたら、みんな不安になりますよ。これで隠しておけば、由利さんも我慢しなくてもいいでしょ」

「偽者だけどな」

「見た人が本物だと思えば、それでいいんです」


 口紅を塗られている間、例え難い高揚感があった。東雲に触られていることが恥ずかしくて、その手で変えられていくことに心が乱される。化粧が終わってピンを外され、東雲が後ろへ移動したときに、ようやくまともに呼吸ができた。


 頭に長い髪を乗せられて、ヘアピンで留められていく感触がする。上から被るというよりも、髪を付け足して自然に見えるようにする方針らしい。


「意外と軽いな」

「走り回る予定ですからね。素材にはとことん拘りましたよ。情勢が落ち着いたら、女性用のカツラでも売って生計を立てようかなぁ。新しいもの好きな貴族女性に、カラフルな付け毛とか需要がありそう」

「荒稼ぎするのはいいけど、ほどほどにな」


 櫛で自毛と馴染ませて仕上げ、見た目だけの聖女が完成した。


「モニカ、仕上げをお願い」

「はい」


 控えていたモニカが由利の両肩に手を置き、ゆっくりと魔力を流す。春の木漏れ日のような、優しい力だった。魔力には個人差があるとよく聞くが、こうして肌に触れると違いを理解できる。

 魔力は全身に広がり、偽装が完成した。


「どうですか?」

「完璧だね。しっかり観察しないと分からない。戦いながらこれを見破るのは難しいんじゃないかな」


 東雲は聖女の杖を由利に渡した。長い柄にはエルフ文字が刻まれている。東雲が加工したバットの成れの果てだ。一部のエルフ文字に触れると、元のバットに戻るらしい。


 ただの廃材が随分と出世したようだ。元の姿が朽ちるのを待つだけだった建材だったなど、誰が信じるだろうか。


「ユリさん……引き返すなら今のうちですよ」

「それはモニカも一緒だろ」


 由利が協力することが決まってから、もう何度目になるか分からないやりとりだ。モニカは由利を心配してくれているが、由利もモニカが心配だった。ローズターク市街では死者が、大聖堂では聖典派の聖職者が待ち構えているのだ。戦うこととは無縁だった巫女が、心に傷を負うのではと考えさせられる。


「モニカは最後に大仕事が待ってるんだから、力を温存しないと」

「ですが……」

「大丈夫。竜人族の攻撃にも耐えられるんだから、人間の魔法程度じゃ傷なんてつかないよ」

「そろそろ出発しましょうか。二人とも、準備はいいですか?」


 終わりそうにない会話を東雲が中断させた。床に魔法陣が刻まれている。いつもは魔法陣など出さずに移動する東雲だが、今日は転移先に知らせるために出しているのだという。


 行き先はローズタークの近郊だ。そこに騎士と僧兵が数日をかけて移動し、宿営地を築いて待機している。フェリクスも先遣隊として現地に赴き、偵察に加わっているはずだ。


 魔法陣が淡く光る。室内が白く照らされ、木立の中へと移り変わる。魔法陣が完全に消え去ると、土と枯れ草の匂いがした。木々の間からベージュ色の天幕とタルブ帝国の国旗が見えている。


 東雲を先頭に天幕へ向かい、表に立っていた親衛隊の案内で中へと入った。内部では広げた地図の前で最終的な確認が行われている。聖堂に突入する騎士と僧兵だ。


「……来たか」


 目ざとく見つけたベルトランに招かれた。さっと人垣が割れて道を作られ、仕方なく皇帝の近くへ移動する。東雲とモニカは天幕の隅で目立たないようにしていた。実に羨ましい。


 ここにいる者のうち、由利とモニカが入れ替わっていることを知っているのは、上層部だけだった。情報が漏洩しないよう細心の注意が払われ、接触する人数も極力減らすために、作戦決行の直前になって現地入りしたのだ。男だらけの宿営地で聖女が寝泊まりするのは危険という判断もある。


「あとは障壁と霧が消えるまでは待機だ。解散する前に、聖女様から一言いただきたいのだが」


 ベルトランが様子を伺いながら慎重に言った。帝国にとって久方ぶりとなる大きな戦いが控えている。少しでも士気を上げておきたいのだろう。モニカを見ると、お願いしますと口が動いた。


 ――モニカなら、どう言うかな。


 事情を知らない者から見れば、今の由利が聖女だ。彼らの理想像に合わせた言葉を言うべきかもしれない。


「皆様の勇気に感謝いたします」


 聖女の役割を知った由利には、彼らが抱く理想像が分からなかった。聖女とは魔王となった勇者を葬る存在だったのだ。


 求めているのは慈愛に満ちた姿なのか、献身を体現した姿なのか。神話しか知らない者には、どういう印象なのだろう。それとも深く考えずに、モニカの偽物として在ればいいのか。


「ローズタークの悲劇を繰り返さないためには、ここで止めなければいけません。私達の行動が未来を守ることになります。力を貸して下さい。私だけでは敵の元へ辿り着けません。全員で敵の目的を阻止して、そして」


 きっと彼女なら、こう言う。モニカが聖女でよかった。由利と同じことを考えているから、自然に言葉が出てきた。


「全員で、生きて帰りましょう」


 歓声が上がった。少人数とはいえ、人前で演説することが初めてなのに、賛同まで得られて、顔が赤くなるのが自分でも分かった。


「うるせえ、解散だ解散。時間まで武器の点検でもしてろ。暑苦しい」


 素に戻ったベルトランが、集まっている騎士を散らす。人が減っていくと、今度は自分が言ったことを思い出して恥ずかしくなってきた。


 ――よく考えると酷いな。自分のために死んでくれって言ってるようなもんだろ。


 由利が悶々としている間に、東雲の姿が見えなくなっていた。他の騎士と外へ出ていったようだ。


「ユリさん」

「モニカ。あれで良かったのかな」

「はい。私が言いたかったことと同じでした。でも前に立っていたのが私だったら、ちゃんと言葉にできなかったと思います」


 表裏がないモニカの言葉が心に染みる。


「ご苦労さん。お陰で士気が上がった」

「よくこんな重圧に耐えられますね」


 ベルトランに皮肉でも言わないとやっていられない気分だ。帝国を背負う皇帝は余裕ある態度で、存分に褒め称えろと軽口を叩く。


「誰かがやらなきゃいけない仕事だからな。後世で、俺は残虐非道で自国民を死地へ追いやった皇帝として書かれるかもしれんが、今の俺には、これ以外に解決する方法が無い。ここで仕掛けておかねえと、被害はローズターク以外にも広がっていく。だったら愚者と罵られようと、一つでも多くの未来を残せるなら、汚名は甘んじて受けるさ。俺一人の名前で済むなら可愛いもんだ。嬢ちゃんはあまり気負うなよ」


 大人の余裕を見せられただけだった。実年齢は一回りしか離れていないはずなのに、由利がベルトランの歳になっても、この余裕が身に付くか怪しい。


「ユーグに甘えて気分転換してこいや。突入まで時間はある」


 天幕を追い出された由利は周辺から探していくことにした。市街を制圧する組は一足早く宿営地を離れており、閑散としている。


 聖堂へ向かう組の待機場所だろうかと予想して向かうが、新たな問題が発生した。由利の身長では、集まっている集団の中から一人を見つけ出すのは困難だ。何しろ騎士も僧兵も、体格がいい。遮蔽物が多い上に皆が武装をしているので、背後からだと騎士と僧兵の違いしか分からなかった。更に聖女の格好をした由利を見つけるなり和やかに挨拶をしてくれるので、なかなか人探しに集中できない。


 途方に暮れていると、由利が人を探していることを察した騎士が、フェリクスのところまで案内してくれた。微妙に違うが、せっかくの好意を無碍にするのも心証に悪い。騎士には礼を言って別れた。


「フェリクス」


 騎士団の制服を着たフェリクスは、右の手袋の上に手甲をはめた直後だった。暗い銀色の鎧と青い制服は、静かな闘志を表しているようで、よく似合っている。フェリクスは由利が話しやすいように集団から離れた。


「そうあからさまに落胆するな。どうせあいつを探しに来たんだろう?」

「いや、落胆じゃなくて……顔に出てるのか?」

「冗談だ」

「おい」


 人が悪い勇者は由利をからかって笑ったあと、東雲がいる方を指した。ようやく見つけた東雲は、金属片に魔法式を刻んで、集まっている騎士に渡している。身体能力の向上か結界の魔法だろうか。時に雑談をしながら、楽しそうに作業を進めている。


 集団に溶けこんでいる姿を見て、由利は取り残された思いを感じていた。東雲は周囲に合わせるのが上手い。だから期間限定とはいえ騎士団へ放り込まれても、一定の地位を築いている。どこへ行っても生きていけるはずだ。


 由利が心配することは何もない。東雲には由利がいなくても平気だと思うと、声をかけられなくなった。


 時に皮肉げに笑う顔も、会話の相手も、全部独り占めしたい。こんな気持ちを抱えて、悟られずにいられるだろうか。気付かれたら終わってしまう。


「ユーグ!」


 由利がためらっている間に、フェリクスが東雲を呼んだ。東雲はこちらを見ると、作業を切り上げてこちらへ歩いてくる。


 ――嫌われたくないなら、帰るまで隠さないと。


 転移をする前に好きになっていれば、違う道もあっただろうかと由利は思ったが、すぐに否定した。自分のことしか考えていない、くだらない妄想だ。東雲から見れば、平凡で取り柄がない自分は恋愛の対象外だろう。


「演説お疲れ様でした。なかなか様になってましたよ」


 東雲の口元が笑っている。


「もう二度とやりたくないな。賢者を倒したら、さっさとモニカと入れ替わらないと」

「今ならまだ間に合いますが」

「それは無い。一度引き受けた仕事は、最後までやらないと」

「由利さんもなかなかの仕事人間ですねぇ」


 話している間に冷静になってきた。東雲の装具にも目がいくようになり、他の騎士よりも軽装なことに気付く。剣と魔法を使い分けて戦場を動き回るため、重装備だと支障が出るのだろう。


「おーい、そろそろ集合だ! 待機位置まで移動するぞ!」


 聖堂組に招集がかかった。王都が見える位置まで移動して、障壁と黒い霧の消失に備えなければいけない。この二つが消えたら、いよいよ王都の解放戦が始まる。こちらは制圧の状況をみて、自軍が優勢に傾いているなら行動開始だ。


「行きましょうか」

「……その前に」


 移動を促す東雲の袖を掴んで、由利はどうしても伝えたかったことを言った。


「東雲。死ぬなよ」


 東雲は片膝をついて由利の左手を取った。


「貴女がそう望むなら」


 真顔で見つめてくる東雲の目元に熱がこもったように見えた。東雲は指輪へ口づけを落とすと、立ち上がって悪戯っぽく微笑んだ。何の儀式だと問う間も与えず、東雲は由利を残して去っていく。


 いつもの悪戯だったはずだ。少なくとも、東雲にとっては。そう理解しているはずなのに、自分は特別なのだと勘違いしそうになる。


「おい、生きてるか」


 動かない由利に声をかけたのはフェリクスだ。


「しばし待て。今、盛大に混乱してる最中だ。ちょっと自力で戻れそうにないから殴ってくれ」

「こんな場所で女を殴れるか。馬鹿め」


 由利は呆れたフェリクスに半ば引きずられるようにして、待機位置まで歩いていった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 今回の由利とフェリックスのやりとりが4章9話での東雲とフェリックスのやりとりと酷似していて、読んでいてとてもニヤニヤしてしまいましたw似た者同士!
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