003 参戦
ドアを開けると東雲が立っていた。由利に来客があることを告げ、そのまま応接室へ案内しようとする。
自分の気持ちを自覚する前なら、穏やかに微笑む顔に騙されて、何の疑問も持たずに従っていただろう。あまり目線を合わせようとしないことに気付いて、壁ができていると悟ってしまった。
由利の気持ちを知られたのかと思ったが、どうやら違うようだ。安堵と正体が分からない不安の間で心が沈みそうだ。
開け放たれた扉から応接室へ入ると、ベルトランと法王の代理であるピエッタ大司教に出迎えられた。この二人がわざわざ足を運んで、ただの茶飲み話であるはずがない。由利は仕事向けに意識を切り替える。
案内をしてきた東雲は、そのまま入り口付近に留まっていた。会話には参加しないものの、内容は聞くようだ。今までなら側にいてくれることを頼もしく思っていたのだが、監視するかのような振る舞いにしか感じられない。
「急に訪ねてすまない。取り込み中だったか?」
ベルトランの口調には、若干の疲労が含まれていた。重大なミスを発見したプログラマーが、報告をするか迷っているかのようだ。こちらから話しやすい流れに持っていく方がいいのだろうか。
「お気になさらず。暇をしておりましたから、良い気分転換になりました」
「こちらはピエッタ大司教。法国の行政府で総監を務めておられる」
「初めまして、お嬢さん」
ピエッタ大司教の印象は、老齢の温厚な紳士だった。年下の由利にも礼儀正しく、理想の聖職者としての姿に好感が持てる。だがピエッタ大司教は法王の右腕だ。彼に言ったことは全て法王に伝わる。慎重に言葉を選ぶ必要があった。
「ご用件は私の結界の力ですか? それとも、聖女様の影武者でしょうか」
挨拶もそこそこに、席についた由利はそう切り出した。わずかに空気が張り詰めただけで、二人は動揺を表に出すような稚拙なことはしない。あまり揺さぶろうとすると、こちらが痛い目を見そうだ。
「ローズタークに関する情報は頂いておりました。確実に賢者を止めようとすれば、激しく抵抗されるのは分かりきったことです。お二人が揃って、庶民のもとへお見えになったのですから、それくらいの推測は私にも立てられます」
「噂通りの慧眼をお持ちのようだ」
ピエッタはそう言って微笑んだ。
あまり持ち上げないでほしい。自分で集めた情報ではないし、ただの連想だ。それよりも数分前に考えていたことが、現実として迫っていることの方が問題だった。
「貴女の境遇は聞いている。本来であれば法王自ら訪問するのが礼儀ではあるが、どうかご容赦を。まずは不甲斐ない我々の話を聞いてから、貴女の意思で選んでもらいたい」
「人間の生活圏に縁もゆかりもないことは承知している」
ピエッタ大司教に引き続き、ベルトランが口を開く。
「断ってくれても構わん。こんなことは女性に頼むことじゃない。死ねと言われて断る人間を、俺は卑怯とは思わない。だが、これだけは知っておいてくれ。俺達は捨て駒が欲しいわけじゃない。その結界の力があれば、作戦の成功率が上がる。戦ったことがない巫女を連れて行くのに、非戦闘員に依頼するのも、おかしな話だがな」
その非戦闘員に頭を下げに来るほど余裕がない。魔法に長けている聖職者は障壁と黒い霧で魔力を消耗して、魔法による支援が行き届かないのだ。待ち構えているのが、聖典派で魔法を鍛錬してきた聖職者のため、武力だけでは進めないことは容易に想像できる。
教会だけでは力が足りない。帝国や各国の兵力だけでは、聖典派が使う魔法で大幅に削られる。片方だけでは賢者を倒せないからこそ共闘するのだ。
「分かりました。力を貸しましょう」
由利が務めて冷静に言うと、二人は目に見えて動揺した。断られることを覚悟して、最初から期待していなかったようだ。喜びよりも戸惑いが強く、ピエッタ大司教は申し訳なさそうに目を閉じた。
ずっと無言で見守っていた東雲が、静かに応接室を出て行った。久しぶりに会ったのに、会話らしい会話をしていない。
「……いいのか? 馬鹿にしているわけじゃないが、戦場へ来いと言っているんだが」
由利と同じく無言で東雲の背中を見送ったベルトランは、発言の真意を確かめようと尋ねてきた。本人は子供を諭すような口調になっていることに気付いていない。由利の外見が長子よりも年下に見えるせいかもしれないが。
「ええ、よく理解しています。聖女でなければ賢者を完全には倒せないのでしょう? 私が囮になって攻撃を引きつければ、聖女の生存率が上がる。もしくは最終的な盾役として、私が適任だった」
「それは、そうなんだが」
「私はこちらの魔法には詳しくありませんが、物理と魔法の両方を等しく防ぐ結界は珍しいようですね。黒い霧を包む障壁は魔法……と言うよりも魔力を通さない性質のものでしょうか。だから攻城兵器のような物理攻撃が有効になる」
「ああ、その通りだとも」
ピエッタが肯定した。詳しいことはアウレリオ神父が詳しいがと前置きし、通常はどちらかに偏っていると補足する。小さな範囲であればそれぞれの特徴を持った結界を二重に展開するのだが、消費する魔力も単純に倍になってしまう。そのため物理は盾や壁で防ぎ、魔法に特化したものを選ぶそうだ。
「貴女の献身に感謝を。しかし理由を聞かせてもらっても良いだろうか」
確かに不思議だろう。由利が異世界へ来る前のことや、転移してきてから過ごした日のことを知らないのだから。
「私は顔も名前も知らない人のために戦えません。この作戦に協力するのは、個人的な理由です。それではいけませんか」
「それは……いや、忘れてくれ。さすがに野暮だな」
ベルトランは質問を取り下げた。追求されなかったことはありがたい。本当に個人的な、自己満足に近い理由だからだ。
「ええ。そうして頂けると、私も羞恥で身を隠さなくても良さそうです」
具体的な作戦は各所と調整してから教えてもらうことになり、唐突な訪問は終わった。二人は東雲が連れて帰り、また邸宅に一人で取り残される。
――これで良かったはず。
怖くないと言えば嘘になる。魔獣と戦うことすら満足にできないのに、戦争の最前線に放り込まれるのだから。
由利は左手の指輪に触れた。一度だけ身代わりになるという道具は、二度目に転移してきた時に東雲がくれたものだ。以前に外そうとしたら抜けなかったのに、今は第一関節のあたりまで動かせるようになった。
あの東雲の素っ気ない態度は、訪問客の要件を知っていたことが理由だろうか。途中で出て行ったのは、由利が協力すると答えた後だ。
考えていることは、いつも同じ場所へ向かおうとする。東雲の行動を思い出して、何を考えているのか探ろうとして、そこで中断していた。本心を知るのが怖い。導き出された結果が邪な希望と逆だったなら、もう普通に話せない。
庭に出ると小さなサボテンが足元に走り寄ってきた。頂点に咲いた赤い花を誇らしげに見せてくるのが面白くて、由利はベンチに乗せて隣に座る。
人に言えないような理由で参加することを、いつも守ってくれていた東雲はどう思うだろうか。いっそ勝手なことをするなと怒ってくれた方が良かったのかもしれない。
由利が安全な日本へ帰っても、東雲はこちらに残って生きていかなければいけない。その世界が少しでも穏やかなものになるなら、由利が協力することは無駄ではないはずだ。
それが東雲に対して、由利ができる唯一のことだと思っていた。




