011 誘拐、焦燥、日常
レイモンはきついラム酒に辟易しながらも、カップに残ったそれを一気に飲み干した。いつもなら船乗りが飲むようなきつい酒は飲まないのだが、あの男に会った後はやり場のない苛立ちを紛らわせるために、手っ取り早く酔える酒を選んでいた。
――何なんだ。あいつは。
定期的にレイモンを訪ねては、人を情報屋代わりに利用していく。聞いてくることには一貫性がなく、手当たり次第に思い付いた順から聞いているような。
レイモンには他人に理解されない嗜好があった。他人を観察して行動を推測したり、その人物の心理を理解することに楽しさを感じる。相手を分析して自分が理解できるところにまで解釈して落とし込むことで、支配下に置いているかのような愉悦。そうして分析された人物がレイモンによって行動を推測され、犯罪の現場で取り押さえられたときは、言葉にできないほどの興奮があった。
レイモンは自身の行動すら分析していた。貧民として生まれ、わずかな縁を頼りに現在の地位まで這い上がってきたために、自分を卑下していた奴らを蹴落とすことに喜びを感じる。歪んでいることは、とっくに理解している。今さら自分を『善良な市民』とやらの枠に押し込む気などない。権力側につくことで、合法的に他人を失墜させられるうちは、大人しくしているだけだ。
そうして自分の欲を満たしてきたレイモンは、分析できない存在がいることに苛立ちを感じていた。男の目的が見えない。
レイモンが見てきた奴らは、何かしらの到達点があった。
金、異性、地位。それから欲望。
男にはそれが見えない。どこかフワフワとした目的と曖昧な思考。男の素性からは考えられない行動。レイモンが見てきた奴らとは何かが違う。記憶喪失という言葉では片付けられないほどの違和感。
それらを理解できないと認めたくなくて、酔いに任せて眠るために酒を呷った。
――そうじゃなきゃ、誰がこんなまずい酒なんて飲むか。
酔いが回るまでは、ほんの少しのことでも気に触る。酒の味もそうだが、適当に煮込んだだけのつまみも、馬鹿騒ぎをする酔っ払いも何もかも。先ほど入ってきたばかりの客なんて、レイモンのストレスになっている男そっくりだ。何もかも恵まれているような容姿で、他人を魅了しているにも関わらず、毛ほどにも気にかけていない。自分だけが分かる目的のために、脇目も振らず進むような。
男はレイモンの前に来ると、椅子を引き寄せて勝手に座った。
「聞きたいことがある」
「……は?」
少し酔いが回り始めた頭で男の顔をよく見ると、一時間ほど前に別れたばかりの奴だった。
「……必要な情報はもう喋っただろ。今日はもう仕事する気はねえよ」
「聖典派の本拠地ってどこ?」
「人の話聞けよ」
レイモンのここ最近のストレスになっている男――ユーグはこちらの事情などお構いなしに話を続ける。
「連れが誘拐された。宿の主人にお金を積んで手伝わせたらしい」
「あ?」
レイモンはリリィと名乗っていた黒髪の少女を思い出した。興味深そうに町を眺めていた、純朴そうな女だった。
「そりゃあんたのツレならクリモンテ派の聖女だろ? 昔から聖典派とは犬猿の仲だろうが」
「聖女……?」
ユーグはわずかに顔をしかめた後、忘れていたことを思い出したのか、愕然とした表情になった。
「あっ……そっか。それであのスペックだったんだ……何で表示されないままなのかな? 二人の間に何かあった?」
訳の分からないことを言い出したユーグを尻目に、レイモンはさっさとラム酒を飲んで引き上げることにした。
いちいち付き合っていられない。どうせユーグは聖女を連れ戻しに行くのだろう。
この町から出て行った時点で、レイモンの監視は終わる。それまでの辛抱だ。
上司のトマにユーグが記憶喪失らしいという報告をしたとき、それを疑いながらもどこか納得しているようだった。
レイモンが推測し、ユーグにいくつか情報を与えた結果、彼はあの勇者だということが判明している。勇者として告知されている名前はフェリクス・ド・デュラン。トマが見抜いた通り、タルブ帝国出身。かの国でデュラン姓といえば、多くの軍人を輩出している侯爵家の一員だ。
勇者は国や人種に関係なく選出されている。建前では各国は魔王による被害を少しでも減らすために、勇者を支援して討伐を急かしていた。現実はそれぞれが属する国や組織、討伐が成功した後に勇者を取り込みたい勢力が牽制し合い、裏で様々な駆け引きが行われていると聞く。更に聖女が所属する宗派も絡み、魔王を口実に勢力争いをしているそうだ。
――くだらねえ。
人間の心を探るのが趣味のレイモンが言えたことではないが、権力者の醜い争いに巻き込まれるのはごめんだ。さっさと魔王を倒して来いとユーグに言いたい。
「教会内部のことなんざ俺が知ってるわけねえだろ。片っ端から探していけば、そのうち見つかるんじゃねえの?」
「面倒だけどそれしかないかー……」
ユーグは能天気そうにヘラヘラ笑うと、急に真面目な顔でレイモンに言った。
「今まで教えてくれたお礼なんだけど……リンゴの樽って名前のパン屋。一人娘のグリンダは婚約者がいるらしいから、諦めたほうがいいよ?」
むせた。
*
翌朝、軽い頭痛に苛立ちながらもトマに報告すると、上司は渋い表情でそうかと言った。
「ユーグはもう町を出ましたよ」
「ここで問題を起こさない限り、俺達は関わらなくていい。この町にいたのは、ユーグって名前の流れ者だ。いいな?」
「念を押さなくても、もう会いたくねえわ」
酒が増えたのはユーグが余計なことを言ったせいだ。なぜ知っているのかとか、どこから監視していたのかとか聞きたいことは山ほどあったが、どうせ聞いてもはぐらかされるだろうと思って我慢した。レイモンは他人を見抜くのは好きだが、他人に見透かされるのは嫌いだ。
あの勇者サマは聖女を連れ戻して、魔王を倒しに行くのだろう。成功すれば国から告知されるだろうし、失敗すればまた新しい勇者が選ばれる。
――勇者って何なんだろうな。
まるで道具だ。権力者にとっては己の影響力を増すため。平民にとっては自分の代わりに魔王を倒すため。
この状況に嫌気がさして、逃亡しようとした勇者と聖女がいてもおかしくない。失敗しても代わりはいるし、勇者以外が魔王を倒しても構わないはず。
レイモンは考えることを止めて、ユーグの顔を頭から閉め出した。
トマの言う通り、ここにいたのはユーグだ。フェリクスという勇者はいなかった。
それでいいじゃないか。勇者だの魔王だの、政権争いなんて平民には関係ない。生活は悪化する一方だが、魔王が討伐されたからといって向上する見込みもないのだ。
何も変わらない生活が続くだけ。
変わらないはずの日常に飛び込んできた流れ者に、ほんの少し期待をしてしまった自分などいない。




