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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
閑話 3

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繋ぐ糸 離れる心 4


 気がつくと朝だった――そんな感想が東雲の脳裏に浮かんだ。


 酒の勢いで抱きしめた温もりと柔らかさに癒されて、夢も見ずに深く眠っていたようだ。熟睡したのは何年ぶりだろうか。思い出せないほど遠い昔には違いないのだが。


 ――いい匂いがする。


 寝ぼけた頭は感情に忠実だ。このまま由利が起きるまで、惹きつけられる香りを堪能したいと訴えている。由利に聞かれたら距離を置かれることは間違いない。自分でも変態そのものの思考と行動に引いたぐらいだ。


 東雲はそんな欲を無視して上体を起こした。


「……あれだけ男には気を付けろって言ったのに」


 隣では無防備に由利が寝ている。今まさに貞操の危機を迎えているとは想像もしていないだろう。連れ込んだ立場で言うのもなんだが、危機感が無いにも程がある。それとも警戒されていないことを喜ぶべきだろうか。


 由利の顔にかかる黒髪を優しく払うと、白く滑らかな肌が現れた。長いまつ毛に縁取られた目は閉じられ、青く深い色の瞳は隠れている。幼さを残した顔立ちと、色香を振り撒く桜色の唇が不釣り合いだ。触れただけで崩れそうな儚い空気に庇護欲を掻き立てられ、東雲は目を逸らした。長く見つめていると間違いを犯しそうで怖い。


 会えるだけでいい。

 声を聞くだけ、少し会話をするだけで十分。

 隣にいるだけで満たされる。


 一つ願いが叶うと、また次を望んでしまう。尽きない欲は底が見えない。自分はこんなにも強欲だったのかと愕然として、そんな感情を向けられている由利には同情する。


 東雲は静かにベッドを抜け出し、洗面所へ向かった。明け方の冷えた空気が肌を冷やして、残っていた眠気を散らしてゆく。不埒なことを考えたのは、きっと眠気のせいだ。感情で動くと、ろくなことがない。


 鏡の前に立ってナイフとハサミを取り出し、丁寧に刃先を点検した。刃こぼれは無い。いつでも使えるようにするのは戦うことの基本で、良い仕事をするなら準備に時間をかけるべきだ。


「例えば、ある欲が生まれて、自分にそれを解決できる手段があるなら……」


 二人で生きていけたら、どんなに幸せだろうか――そんな未来を願ってしまった。


 帰ることを望んでいる相手に、こちら側に残ってくれと言うのはワガママだ。困らせたいわけではない。由利が日本に未練が無いなら、東雲は迷わず生活の基盤を整えて喜んで迎え入れるだろう。それを可能にするだけの力を持っている。


 記憶をすり替えて思考を誘導したら、それは東雲が好きな由利の人格から逸れてしまう。余計な矯正など邪魔なだけだ。


 ――あり得ない話を想像するなんて、どうかしてる。


 理想は未来ではない。手に入らない願いなど、妄想でしかないのだ。


 できないことに見切りをつけて、別の道を探すのは慣れていたはずなのに、由利が絡むと足掻くことばかりを考えている。


 今こうして生きているのも、由利がいたから。一人で異世界に飛ばされていたら、きっと早々に人生を終わらせていただろう。


 他人の体に憑依して、知らない記憶と人生を背負って、人格を分離するために、思い出したくもない過去を一つずつ追体験して消去して。そしてまた体が変わった。


 自分の存在が曖昧になってゆく。意識は連続しているのに、どこまでが自分の人生で、どこからが偽りの人生なのか、境界線を見失っている。目が覚めれば消える夢のように、この体験が泡のように弾けて消えるのではないかと愚かにも考えている。


 だから由利が東雲の名前を呼ぶと、これが幻想ではないと証明されている気がした。由利の声が、東雲が一人の人間として生きてきた過去があることを教えてくれる。己でやるべき判断を他人に委ねて、依存して、自立できない。


 冷静でいられたのは、隣に由利がいたから。

 意識を侵食してくる知識に狂わされなかったのは、無様な姿を見せなくなかっただけ。

 この皮膚の下には不安定で弱い心しか詰まっていない。経験が人を強くするなんて、嘘だ。


 東雲は長い後ろ髪を一つにまとめ、ナイフを当てると躊躇うことなく切り落とした。

 手に残った薄灰色の髪を観察し、一本だけ魔力を測ってみる。


「男の髪は魔力が少ないな」


 媒体に使えないこともないが、効率が悪い。魔力の量は同じだったとしても、魔力が流れる回路に明確な差がある。巫女が髪を結わないのは、この回路を塞がないためだ。


 続いて東雲はハサミに持ち替え、髪型を整えていく。長い髪に未練はなく、ただ邪魔だと感じていた。体が変わった影響だろうか。


「髪は女の命って言葉があったっけ」


 あえて口にすることで、現実から目を逸らして逃避することを選んだ。自分は誰だと問いかけて、確認する作業には飽きている。


 ――そう。髪が持つ象徴と、その影響について。


 昔は願掛けに髪を伸ばし、叶ったら切り落として奉納する者もいたそうだ。髪に一定の価値があるからこその風習だろう。


 時代が変われば、失恋して髪を切るといった軽いものへと変わっている。気分転換の一種だ。生命を脅かさない範囲で、目に見える変化をもたらして過去と決別するための。


 今ならその気持ちが分かる。失恋をしたとベリーショートにした同級生の気持ちが。ではこれは生まれ変わるための儀式だろうかと、東雲はぼんやりと連想していた。


 命を切り落とし、新しい道を行くための起点。


「つまり、東雲美月はようやく死んだ。そう結論付けてもいいね。未練を断ち切るなら、そうすべきだ」



 *



 由利が起きると、すでに東雲の姿は見当たらなかった。


「寝過ごした……?」


 窓の外では太陽が出たばかりだ。冬が近付くにつれて日の出が遅くなっているが、東雲が起きる時間は変わっていないはずだ。由利を起こさないようにベッドを抜け出して、どこかで剣の素振りでもしているのだろう。


 テーブルの上は綺麗に片付けられ、宴会の痕跡は何一つ残っていない。東雲の部屋で寝ていなければ、昨日のことは夢だったと錯覚してしまいそうだ。


 ベッドから起き上がった由利は、朝の寒さに驚きつつ部屋を出た。自分の部屋に戻って着替えていると、布団の中がいかに快適だったか思い知らされる。


 特に東雲がいた左側が温かくて幸せで――由利は耐えられなくなり、その場にしゃがみこんだ。思い出しただけで顔が赤くなる。こんな様子で、まともに会話できるだろうか。


 心臓が落ち着くのを待ってから、由利は火照った頭を冷やそうと窓を開けた。いい歳をして思春期のような恋愛感情に振り回されてどうするのか。己の心を直視してこなかったのは、こうなる予感がしていたからではないだろうかと由利は思い至った。


 堂々巡りになりそうな思考をため息で終わらせ、由利は庭を見下ろした。植物の精霊はまだ目覚めていないのか、隅で一塊になっている。彼らの代わりに動き回る人影は、由利がよく知る二人だった。


「フェリクスと……東雲か」


 朝早くから特訓をしているらしい。立ち位置が目まぐるしく変わり、訓練にしては激しく打ち合っている。実戦さながらの攻防は拮抗していて、御前試合で引き分けになったのも頷ける。


 由利は窓から離れて下の階へ向かった。今のうちに東雲の姿を見ても緊張しないよう慣れておかないといけない。挨拶すらまともに出来ないようでは、由利が自覚した感情を悟られてしまう。


 庭へ出て二人が見える位置まで来たとき、由利は東雲の変化にようやく気付いた。


 ――あれ? 髪切ったんだ。


 髪型が変わっただけなのに、中性的だと思っていた顔立ちが男らしく見えて困惑した。慣れるために降りてきたはずなのに、新たに直視できない理由が増えただけだ。


 二人は由利が来たことに気付いてないと信じて引き返そうか。それとも庭を散歩しに来たように見せかけて、動き始めた植物の精霊がいる方向へ逃げようか。由利が焦っていると、後ろから走ってきたモニカが小さな手紙を手に叫んだ。


「あの、大変です! 今、法国から報せが届いたんですが」


 ただならぬ様子に、東雲とフェリクスが剣を止めた。お互いの武器を収めて、こちらへ歩いてくる。


「何があったんだ?」


 モニカは息を整えると、青ざめた顔で由利の問いに答える。



「ローズタークが……ウィンダルム王国の首都が、黒い霧に飲みこまれました!」

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