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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
閑話 3

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繋ぐ糸 離れる心 3


 世界が違っても女性が美容にかける情熱は変わらないようで、帝都で出回っている化粧品には使用者の声が色濃く反映されているという。由利にはどれも一緒に見えてならないのだが、彼女達に言わせると全く違うらしい。美の世界というものは奥深いというよりも、はまると抜け出せない沼に似ている。


 鏡の前に座って、髪に良いと噂のオイルで入浴後の手入れをされながら、由利はただじっと耐えていた。顔や髪、人によっては体のケアまで、女性はよく飽きずに毎日同じことを繰り返せるものだと感心する。由利は三日で嫌になった。


「――で、こうやって馴染ませると、髪がベタつかずに全体に行き渡るんです」

「なるほど。大切だってことは分かるけど、やっぱり面倒だな……」

「こちらでは自分で材料を調合して使いますからねぇ。保存料が無いから作り置きは難しいですし」


 既製品が充実している日本で同じことをやれと言われても、由利は実行するか怪しい。


 部屋でシャワーを使ったあと、髪を乾かすのは東雲にお任せしていた。ドライヤーが無いという理由で始まったことだが、日が経つにつれて東雲が調達してきた化粧品で手入れをされるオプションまで追加されるようになった。


 由利が完全に飽きる前に終わらせてくれるので、好きなだけ弄らせることにしている。だが目に見えるほどの効果をいまいち実感できなかった。日々の積み重ねが重要なんですよと説得され、そういうものなのかと黙っているだけだ。


 幸いなのは、東雲には本気で由利に毎日の手入れをやらせる気が無いことだった。言ったところでやらないと見抜いているのかは不明だが、強要してこないところは好ましい。


「今日はこれぐらいにしておきますか」

「うん。いつもありがとう」

「じゃあ、私もシャワーを使ってきますから……」

「酒の準備は任せておけ」


 昼間に購入した酒は、その日のうちに開けようと二人で決めていた。いつ事態が動くか予測できず、平和なうちに楽しんでおく予定だ。


「では期待値を最大にしておきますね」

「あまりハードルを上げると、現実に失望するだけだぞ」

「大丈夫ですよ。由利さんが作る料理は、いつも美味しいから」


 東雲は隣のバスルームへと入っていった。

 期待されて嬉しい反面、むず痒いような気持ちだ。由利はカゴに入れて持ってきた材料を丸いテーブルに広げた。


 塩とハーブをまぶした鶏ハム。千切りにして塩もみにした葉物野菜は、同じく千切りにした柑橘の皮と、隠し味に醤油を混ぜてみた。砕いたローストナッツに塩蔵の小魚をみじん切りにしてオイル漬けにしたものは、薄切りにして焼いたパンに乗せられるようスプーンを添えておく。


 東雲が選んだ酒はブランデーだと聞いている。甘いものが食べられるならチョコレートを使った菓子を出していただろう。無理強いはしたくないので、洋酒に合いそうなものを作っておいた。


 グラスを並べて待っていると、東雲が戻ってきた。風呂上がりでほんのりと上気した頰と、開襟シャツからのぞく湿った胸元に目を奪われる。由利は不自然にならないよう目を逸らし、カゴをイスの下に片付けた。


 無駄に色気を振り撒かないでほしい。東雲は由利に対して淑女としての振る舞いを説くが、そちらこそ慎みをもって行動すべきだ。


「相変わらず器用ですね」


 並んだ料理を見た東雲が幸せそうに言った。夕食後なので量は少ないが、そのぶん彩りには気を遣っている。


 ふと、自分より料理ができるからという理由で、別れを告げてきた元彼女がいたなと思い出してしまった。だが酒を取り出し、早く始めましょうと誘う東雲を見るうちに、暗い過去が押し流されて消えてゆく。


「今回はそこまで手間をかけてないけどな」


 ――お前が美味しそうに食べるから、作り甲斐があるんだよ。


「そうなんですか? 私から見れば、どれも面倒ですよ」

「だからって食材をそのまま齧ろうとするのは止めておけ」

「だってこの世界にはコンビニなんてありませんしー」


 瓶から琥珀色の酒をグラスに注ぎながら、東雲は何度か聞いた愚痴をこぼす。続いて別の瓶から炭酸水を注ぎ入れた。店ではカラ水と呼んでいた液体だ。


「それ炭酸だったのか」

「ええ、炭酸泉を汲んで瓶詰めにしたものです。まだ人工の炭酸水が作れないので、流通しているのは全て天然のものですね。帝都から一番近い温泉が炭酸泉なんですよ」

「もしかして、それも大河を利用して運んでる?」

「おそらく。炭酸泉は帝都の上流にありますし、激しく揺れる馬車でこれを運ぶのは難しそうです」


 由利も自分の酒を用意して、ささやかな宴会が始まった。グラスに酒が無くなれば自分で継ぎ足し、料理も食べたいものを自分で取り分ける。気を遣わない流れはお互いに言い出したことではなく、ごく自然に決まっていた。何年もそうしてきたような、不思議な感覚がする。


「ようやく約束が果たせたな。お酒を買いに行っただけなのに、まさか犯罪組織を潰すことになるとは」


 ほろ酔いになってきたあたりで、由利は帝都の事件を振り返った。


「由利さんの巻き込まれ能力は恐ろしいですねぇ……」


 ソーダ割からロックに切り替えた東雲が、さも愉快と言わんばかりに微笑んだ。


「俺のせいなの?」

「私ではないはずですよ。聖典派に誘拐されたり、精霊嵐に巻き込まれたり、本の中に飲み込まれたり?」

「その節はご迷惑をおかけしました。助けてくれてありがとうよ」

「どういたしまして」


 酒が入っているからか、いつも以上に東雲はご機嫌だ。


「賢者の行方は手がかりすら見つからないんだっけ?」

「情報の伝達も遅い世界ですからね。電報のように文字を送れる道具はありますが、まだまだ一般的ではありません。それでも今までの伝達速度に比べれば速い方ではあるんですが……やはり聖典派が全面的に協力していないようです」


 聖典派は大きな派閥だ。全面的に協力して冷遇を避けたい者がいれば、賢者の下で動いていた者もいる。巧妙に隠蔽されていたことが明らかになるには、まだ時間がかかりそうだ。


「最終的に、賢者はどうしたいんだろうな」

「最終的、ですか?」

「求める知識を得られた、その後だよ。その知識で何をしたい? 人間の体を作って、延命する方法だって持ってる。身も蓋もない言い方だけど、不老不死に近い存在だろ?」

「知識を得たなら、それを使う誘惑が生まれますからね」

「そう、それ。知りたいことを知ったからって理由で、自殺するような性格じゃない」


 東雲は空にしたグラスに氷の塊を入れた。魔法で作り出された氷は透明で艶やかだ。注がれた酒が氷の表面を流れ落ちる。由利が自分のグラスを向けると、同じものが酒に浮かんだ。


「……例えば、ある欲が生まれて、自分にそれを解決できる手段があるなら。由利さんなら、どうしますか?」


 唐突に投げかけられた疑問は、契約の誘いにも似ていた。商談のような書面で終わるものではなく、もっと深く入りこんで離さない類の、何か。


「その手段が他人に迷惑をかけることなら、叶ったとしても満たされることはないんだろうよ。人としての心を捨てないと、いつかやったことに後悔するから」

「後悔」

「あの賢者は、そういった人間性はとっくに越えたのかもな。もう人として、集団の中では生きられないんだろう。自分以外は物として見ている、とかじゃなくて、自分もまた観測装置の一つなんだ」

「己すら道具なんですか」

「そう、対象物に変化を与えて、その結果を記録する。結果を元に、また新たな変化を与える。少しずつ目標には近付いているんだろう。でもそれは本人にしか見えなくて、大多数にとって害としか思えない。たとえ最終的な目的が人類の救済だったとしても、人の命を一方的に消費していい理由にはならないから」


 思考がまとまらなくなってきた。由利はグラスに果汁だけを入れて飲んだ。冷たいものが喉を通ると、酔った頭が醒めていくようだった。


「あ、思い出した」

「んー?」


 静かにグラスを傾けていた東雲は、これまでの話を聞いていなかったかのように明るく言った。


 酒の席での話題など、半分も覚えていればいい方だ。真面目に喋っていた由利ですら、賢者のことなど頭の隅に押しやり、正面に座る東雲の手元を眺めていた。


 ゆったりと酒を嗜む姿に誘惑され、考えていたことが真っ白になったからではないはずだ。


「何でも言うこと聞いてくれるって約束、覚えてます?」

「おー……そんなこと言ったな」


 地下水路で勝負を始めて、無様に負けた苦い記憶が蘇る。


「俺に出来る範囲にしてくれよ」

「むしろ由利さんにしか出来ませんから。大丈夫です」

「何が大丈夫なんだ」

「最近よく眠れないんで、添い寝して下さい」

「……うん?」


 グラスを取り上げられ、半ば強引に手を引かれて立ち上がった。東雲は戸惑う由利のことなどお構いなしに、横抱きにして運んでいく。優しく降ろされたベッドの上で、楽しそうに笑う東雲と目が合った。


「もう少し肉付きがいい方が、抱き枕としては好みなんですけどねぇ」

「どこのセクハラオヤジだよ。お前じゃなきゃぶん殴ってるわ」


 肩に額を寄せられる。腰を引き寄せられて触れる範囲が広くなった。本気で人を抱き枕にするつもりらしい。

 初めて、沈黙が怖いと思った。黙っていると速くなった心臓の音を聞かれそうで落ち着かない。


「……何か言えよ。気まずいだろ」


 閉じられた瞼が開き、藤紫色の虹彩があらわになる。繊細なガラスのような瞳が揺らいだ。


「Zum Augenblicke dürft ich sagen: Verweile doch, du bist so schön」


 引用だろうか。抑揚がついた喋り方は、酔いに任せて出た戯言にしては熱がこもっている。東雲の頬がうっすらと赤いのは酒のせいだと知っていても、そこに何かしらの感情があると勘繰ってしまう。


「誰が外国語で言えと。俺が知らない言語を使うな」

「嫌ですよ。由利さんは意外と教養があるからなぁ。うっかり英語なんて使ったら本音がバレるじゃないですか」

「意外って言うな」


 こぼれる本音すら隠そうとするなど、いかにも東雲らしい。理解してほしいくせに、知られるのは嫌だと言外に語っている。そんな弱さを見せるようになったのは、それだけ由利に心を開いてくれている証拠だろうか。


 由利は東雲の頭を乱暴に撫でた。

 腕の中にいる酔っぱらいは、一人で楽しげに笑っている。呑気なものだ。従順に見せかけて、いつも由利を振り回してくる。


 由利が悶々と考えているうちに、東雲は眠っていた。


 ――人をさんざん惑わせておいて。


 油断しきった顔で寝る東雲は珍しい。頬をつついても起きる気配はなく、今ならどんな悪戯も成功しそうだ。安心できる時間を与えているのが自分だと思うと、誇らしいような気持ちさえしてくる。


 ――いや、いい加減に誤魔化すのはやめよう。


 由利は東雲を起こさないように毛布を引っ張り上げた。


 自分の心に蓋をして鈍感になったつもりでも、いつかは向き合わなければいけない時がくる。


 好きになっていた。


 自覚したのは東雲とフェリクスが入れ替わった辺りだ。なぜ分かったのかを聞かれて適当に答えたけれど、好きな相手だから些細な違いに気がついて当然だ。ずっと見ていたのだから。


 事故で異世界に飛ばされて、ただの後輩だった相手のことを知るうちに、目が離せなくなっていた。ずっと前から惹かれていたのだろう。どこでも生きていけるほど強いかと思えば、一人にしておくと最低限の生活すら忘れて仕事に没頭するから心配で。


 近いうちに帰らないといけないのに。こちら側に残る東雲のことばかり気になる。


 ――職場の知り合いが女になって告白してきたら、さすがに引くよな。


 こうして触れていられるのは、由利の気持ちを知らないから。知られたら、きっと離れていくと思うと、怖くて何も言えなかった。


 伝えたところで、一緒にいられる時間には限りがあるのに。

 持て余した感情が痛い。


 弱気になっているのは、きっと酒のせい。由利はそう結論付けて東雲の髪を指先で軽く撫でた。心地よい体温を感じているうちに瞼が重くなり、虚しい気持ちのまま眠りに落ちていった。

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[一言] あぁ好きって感情しか沸かなくて困る。このクソデカ感情を一体どこにぶつければいいですか!?めっちゃくちゃ性癖にささります!やっぱりTSはこの葛藤が醍醐味だと思ってるのでこれからの展開もますます…
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