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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
閑話 3

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繋ぐ糸 離れる心 1


 市場で傷物の果実や、まだ青いものを値切って購入した由利は、窓から蒸気が上がっている建物を見つけた。


 堅牢なレンガ造りの建物は、すべての窓に鉄格子がはまっている。開閉できるのは二階以上の高さにある窓のみで、それも外から覗きにくいように下部が開く構造だ。周囲とは明らかに構造が違う建物は、フェリクスの邸宅が丸ごと入りそうなほど大きい。出入り口には珍しい女性の衛兵が立ち、訪れる者を点検していた。


 中へ入っているのは、いずれも平民の女性ばかりだ。布を被せた籠や布製の鞄を持っている。


「東雲、あの建物は?」


 由利は護衛兼、散歩仲間としてついて来てくれた東雲を呼び止めた。


「あぁ、あれは女性専用の公衆浴場ですよ。貴族のような富裕層は家の中に風呂を作れますけど、庶民は風呂を作る経済力も場所もありませんからね。利用料を払って入りに行く方がお金がかからないんです。ほら、あっちは男性用」


 道を挟んだ隣には、一回り小さな建物が立っていた。窓に鉄格子などなく、大きく開け放たれた窓から、機嫌のいい歌声まで聞こえてくる。銭湯や温泉で聴き慣れた水音がして、日本が懐かしく感じた。


「庶民の浴場文化は流血帝の頃から始まりました。ほら、地下水路の悪臭を何とかしろって命令した皇帝ですよ」

「そういえば帝都にいる人間は全体的に清潔な気がする」


 経済力に大きく左右される個人の衛生面は、今まで訪れた場所と比べると振れ幅が少ないように思えた。貧民となると汚れた格好をしているが、通りを歩く人々からは不快な臭いがしない。


「もともとあった公衆浴場の文化を、現在の皇帝が整備し直したそうです。皇帝の実母にあたる人が温泉地の出身で、向こうの文化を参考にしたとか」

「実母ってことは皇后?」

「いえ。正妻ではなく側室です。先代の寵愛を受けていたので、扱いは正妻並だったようですが。そのせいで先代の突然の逝去からベルトランが即位するまで、かなり血生臭い争いが起きてます。魔王の復活やら戦争で更に皇位継承者が減って、一応は落ち着いたみたいですけど」

「聞けば聞くほど印象が変わるおっさんだよな。減ったってことは、あの皇帝の子供以外にも継承権を持っている人物がいるのか?」

「持っていた、と言う方が正しいでしょうね」


 東雲は続きを言いかけて、曖昧に微笑んだ。


「……色々あって精神を病んで、皇帝の直轄地で静養されているという噂です」


 詳しく知らない方が幸せになれると言いたいのだろうか。由利は一つだけ気になったことを尋ねた。


「省略されてる部分が怖いな。あの皇帝も絡んでる?」

「一枚噛んでるどころか、主犯じゃないですかね? 幽閉された側は領土拡張に積極的でしたし、情勢が不安定になっている国内に力を入れるべきというベルトラン側とは真っ向から対立してましたから」


 静養と誤魔化したのは何だったのか。あっさり幽閉だと明かした東雲は、浴場の近くに日除けを張っている屋台へと由利を連れて行く。


「ベルトランが皇位について正解だったと思いますよ。そうじゃなきゃ、帝国は五つぐらいに分かれていてもおかしくない情勢でした」

「統治って大変だな。庶民で良かった」


 周囲には今日も大勢の人がいたが、東雲との会話は日本語しか使わないので、盗み聞きされても理解できる者はいない。秘密にしておきたい話題を堂々と話せるのは便利だ。


 浴場の前に集まった露天商が扱うのは、石鹸やタオルといった風呂で使うものが大半だった。浴場に集まる利用客を狙って、冷やした飲み物や軽食まで売っている。タオルはレンタル制になっていて、使用したものを店まで持ってくると料金の一部を返金してくれるようだ。


「着替えまで売ってんのか。金さえあれば手ぶらで来られるな」

「……由利さん」

「疑いの目で見るな。入る気はねえよ」


 合法の見た目を利用して欲を満たす気は無い。そんな暇があったら食べ歩きでもしていた方が癒される。世界中から人間が集まると豪語するだけあって、外を歩くたびに違う食文化に出会えた。


「風呂っていえばエルフの里が個性的だったよな。大樹の根元に温泉が湧いてただろ?」

「あそこは人間とは文化が違いますからねぇ」


 精霊の道で移動したせいで距離感が掴めないが、人間の領域とエルフの領域の間には広大な海が広がっている。造船技術は外洋を航行できる段階に来ているものの、海には巨大な魔獣が生息しているため海路の開拓が進んでいない。


 海の魔獣と出会うことは死を意味する。討伐する方法や魔獣を寄せ付けない道具が開発されれば、大航海時代が花開くかもしれない。だが魔法を使った転移技術で大海を渡る方が、こちらではまだ現実味があった。


 東雲は簡単そうに転移を使いこなしているが、普通の人間はまず座標の設定で行き詰まる。三次元的に空間を捉え、転移先について熟知する必要がある。脳内に世界地図なんてものを装備している後輩だからこそ、知らない場所でも自分の庭のように飛び回っていた。


「……温泉に入りたくなってきたな」

「エルフの里へ行きますか?」


 他愛もない呟きに提案が返ってくる。魅力的な誘いに迷う由利は、同時に不安要素を口にした。


「今あそこへ行ったら、一通りの歓待を受けてからじゃないと里を出してくれない気がする。おい、笑うな」


 その光景を想像したのだろう。明らかに面白がっている顔で、東雲は露天商から買った商品を受け取っている。うっかり見てしまった売り子の女の子が赤面して固まり、由利は申し訳ない気持ちになった。


 時々、この後輩は無自覚で女性を誘惑している。地下で使った狐面でも被っていてくれないだろうか。本人は売り子の様子に気付かずに、さっさと由利のところへ戻ってきた。


 残された売り子が落胆した顔で、母親らしき女に代金を渡している。一目惚れで生まれた淡い恋心が、隣に立つ由利に気付いて一瞬で散った。ここで恋人じゃないから安心しろなど無責任なことは言わない。可哀想だが、東雲に対して報われない想いを抱き続けるよりは、諦めて普通の幸せを探してくれた方が彼女のためだ。


 報われても、それはそれで複雑だと思うのは何故だろうか。東雲が誰と仲良くなろうと、由利には関係ないはずなのに。


 東雲が買ったのは香料が練り込まれた石鹸だった。シトラス系の爽やかな香りがする。


「由利さんがエルフの里をそこまで恐れてるとは思いませんでしたよ」

「大勢から崇拝に近い対応されたら、誰だって怖くなるわ。何が琴線に触れるのか読めないんだよ」

「ある意味、相性がいいですねぇ」

「しみじみ言うな。それが無きゃ、いい温泉だと思うんだが」


 由利は路上でジャグリングを始めた大道芸人を見守った。手を離れたボールが見物していた子供の前に転がって止まる。上手くいけば地面に置かれた帽子に小銭でも入れてあげようかと思ったが、どうやら財布を出す前に立ち去る方が早そうだ。


 風に乗って流れてきた蒸気と、東雲の手に残った石鹸の香りにつられて、由利は樹海の温泉のことを思い出していた。



 *



 エルフの里を初めて訪問した日に、温泉があるということは聞いていた。家主であるシュクリエルとアマニエルの親子は、外の温泉をよく利用しているという。東雲が家で休んでいる間は家のシャワーを使わせてもらっていたが、そろそろ入りに行きたくなってきた。


 温泉は里で共同運営しているもので、特に使用料は徴収していない。掃除の当番が回ってくるぐらいで、それも年に一度だけ排水溝の整備をするぐらいだ。温泉に住み着いている精霊が管理人の役割を担っており、掃除まで喜んでこなしてくれる。羨ましい仕組みだ。


「温泉は銭湯みたいに共同で使う大浴場と、個室風呂の二種類があるらしい。俺がエルフに混じって入るわけにもいかないし、行くなら個室だな」


 男湯と女湯、どちらも障りがある。


「おや。精神は違法でも体は合法とか言って突撃しないんですね」

「お前は俺を何だと思ってるんだよ」


 答が分かってるくせに、面白がって東雲がからかってくる。女湯へ行くなどと言ったら淑女教育を再開するだろと由利は反論した。


「それに、あの筋肉が正義のアマゾネス集団に裸になって一人で放り込まれるとか、想像しただけで怖いわ。こっちに来てから色っぽい女の人を見ても気持ちが動かないし、わざわざ入りに行くメリットが無い」

「へえ。あったら入ったんですか? どっちにしろ止めるから構いませんが……体に合わせて心の状態が切り替わったんですかね?」

「東雲の教育のせいかと思ってるんだが」

「由利さんこそ、私を何だと思ってるんですか。さすがに由利さんを洗脳するなんて酷いことはしませんよ」

「良かった。洗脳は酷いことだって認識はあるんだな」


 東雲は善悪のグレーゾーンが広すぎるのではと疑っている。目的のために簡単に一線を越えてしまいそうで怖い。


 興味本位で個室の温泉へ行くことになり、せっかくなのでモニカも誘った。教会の入浴事情について聞いてみると、個室を使えるのは高位の聖職者のみで、その他大勢は集団で利用しているそうだ。


「お二人は個室の方が馴染みがあるのでしょうか?」

「実は俺の故郷では一緒に風呂に入る習慣が無くてさ」

「そうなんですか?」


 由利はもっともらしい嘘を探した。何とかして大浴場は回避しなければいけない。隣から東雲の威圧を感じながら、最適な言葉を告げる。


「ああ。公衆浴場もあるが、個室で汚れを落とした後は湯に入るための薄着を着るぐらいだ。人前で全裸になるのは、ちょっと……」


 嘘と真実を混ぜると、それらしく聞こえると誰かが言っていた。それに一部の温泉施設では水着着用のところもあるからと、由利は心の中で言い訳をする。そんな施設は男女混合で利用するために着用しているのだが、言わなければ知られることはない。


「そうだったんですか。個室の温泉があって良かったですね」

「ああ。気兼ねなく入れるもんな!」


 純粋な人間を騙すのは胸が痛い。ましてや相手が心から喜んでくれる時は、特に。由利は持ち物を点検するふりをして罪悪感を誤魔化し、教えてもらった温泉へと行くことにした。


 温泉は里の入り口とは反対側、大樹の根元に近い場所にある。顔見知りになったエルフと挨拶を交わしながら向かっていると、大浴場から出てきたエルフに呼び止められる。


「あなた達も入りに来たの? 今なら樹木の精霊もいるわよ」

「そうだ、いい機会だから紹介してあげる。仲良くなれば樹海を出ても協力してもらえるから」


 由利は巻き込まれそうな気配を察して、モニカから距離をとった。


「良かったなモニカ。遠慮せず行ってくるといいよ。精霊と仲良くなる機会なんて、滅多に無さそうだし」

「えっ? あの、でも」

「精霊と話せても、仲良くなれる人は少ないからね。精霊の加護があれば身を守る手段にもなるから、紹介してもらって損はないよ」


 東雲と連携してモニカを送り出し、由利は大浴場への誘いを振り切った。由利が個室を使う理由は、きっとモニカが説明してくれるだろう。約束を守ることは大切だが、モニカが自分の才能を伸ばしてくれる方が嬉しいと伝えると、申し訳なさそうにしつつもエルフと共に大浴場へと入っていった。


「ごめんよモニカ。君の犠牲は忘れない」

「犠牲って由利さん……」

「あの流れは先手を打たないと俺も誘われてただろ? 弓の射場で囲まれてる時だって怖いのに、裸の付き合いとかレベルが高すぎる」


 個室温泉は大浴場から離れた場所にある。東雲の背中を追いかけて、由利は狭い小道へ向かった。

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